十七、エピローグ
二度目の宴があった日の深夜。
ジンや大人のエルフたちが、飲みつぶれて寝静まったころ。アイリは一人、エルフ族の族長リリィの家をたずねた。リリィの家は村の最奥――樹齢千年を超える大木につくられている。
その立派な家の扉を彼女は、優しくコンコンとノックした。
「リリィ様、夜分遅くに申し訳ありません。アイリです。――起きていらっしゃいますか?」
「アイリさん……? 少しお待ちくださいね」
リリィはこの大きな家にたった一人で暮らしている。
元は族長であった父と厳しくも優しい母、そしてリリィの三人で生活をしていた。しかし、父は人間に殺され、母は流行り病で倒れてしまった。族長である父が殺されて以来、リリィは若くしてこのエルフ族の族長を継いだ。
「お待たせしました――アイリさん、こんな遅くにどうしたんですか?」
「はい、少しご相談したいことがありまして……」
こんなめでたい宴の日だというのに、アイリの表情は晴れなかった。「これは中々に大きなことを悩んでいるな」と瞬時に理解したリリィは、彼女を部屋の中に招き入れる。
「そうでしたか。それでは立ち話もなんですし、どうぞ中へ入ってください」
「ありがとうございます」
春といえども夜はまだ冷える。
「どうぞ、温かいお茶です」
「あぁ、リリィ様。すみません、ありがとうございます」
リリィが用意してくれた温かいお茶をアイリはありがたく受け取った。
「その、ここには二人だけしかいませんし……また昔みたいにお話しませんか? アイリちゃん」
「そうですね。……ううん、そうだね、リリィちゃん」
この二人は親同士が仲が良かったこともあり、小さいころからの親友であった。しかし、リリィの父が人間に殺されて以来村は荒れ、二人がこのようにゆっくりとした穏やかな時間を過ごすのは、数年ぶりのことだった。
「ふふっ、小さいころに戻ったみたい。何だか変な感じだね」
「そうね。ここ数年は本当に忙しかったから……」
「それでこんな夜遅くにどうしたの? 相談したいことがあるって言っていたけど……。何か悩み事でもあるの?」
するとアイリは雑談もそこそこに自らの悩みを話し始めた。
「うん……。実は、ジンさんのことで少し、ね……」
「ジンさんのこと?」
「うん、リリィちゃんは聞いた……? ジンさんが明日でいなくなっちゃうっていう話……」
宴の席で酒がよく回ったジンが、他のエルフの男たちとそんな話をしているのをアイリは耳にしていた。
「うん、聞いたよ。本当はずっとこの村にいてほしいけど、仕方ないよね……。あんなにすごい人なんだもん、きっと元の世界でも大忙しなんだよ……」
「私もそう思う。――それでね、ここからが本題なんだけど」
「う、うん」
「――私、ジンさんと一緒にジンさんのいる世界に行きたい」
「……え、えぇーっ!?」
親友からの予想外の告白に、リリィは目を白黒させた。
「ど、どうしたの急に、なんで!?」
「さっき少しジンさんとお話をしてたんだけどね。ジンさんのいた世界では、人間もエルフも――いろんな種族たちがみんなで楽しく暮らしているんだって」
「そうなんだ……それはすごいね。この世界じゃ、考えられないよ……」
アイリは頷き、話を続ける。
「うん。他にも天に昇っていく滝や、冷たい炎、桜っていう綺麗なお花――ジンさんの世界には、私の知らない不思議なことがたくさんあるんだって。それを聞いて、世界は私が思っているよりもずっとずっと広いんだなぁって思って。それで――どうしてもこの目で見たくなったの」
「そっか……」
このときリリィは複雑な思いを抱いた。友人として、アイリが広く大きな世界へ羽ばたいていくのを応援したくもあり、また幼少期からの親友に自らの元を去ってほしくないという思いも強くあった。
「それに何より……」
そこまで言ったところで、アイリは顔を赤くして固まった。
「何より……?」
親友の突然の異状にリリィは首をかしげる。
「い、今から話すことは、絶対に誰にも言わないでね!?」
「うん、わかった」
「ぜ、絶対の絶対だよ!?」
「大丈夫大丈夫、族長は嘘をつかないよ!」
少しの間二人はジッと見つめ合い、そしてついにアイリはその口を開いた。
「……好きに、なっちゃったの」
「好きになったって……ジンさんを?」
「う、うん……」
「そっかー……。ふふっ、それじゃ仕方ないね」
「応援、してくれる?」
「もちろん! んーでも……中々に大変だと思うよ? 多分、ジンさんはかなりモテると思う」
「……だよね」
アイリは悩ましげに「はぁ……」とため息をついた。
「でも、その前に……そもそもジンさんは今、一人なの? もう結婚してたり……なんてことはない?」
「大丈夫、それはさっきもう聞いたの。元の世界でも結婚はしていないみたい」
「お、おぉ……。アイリちゃん、意外と積極的なんだね……」
親友の知られざる一面をリリィは垣間見た気がした。
「でも、大丈夫なの? ジンさんの話では、向こうの世界ではゼルドドンみたいな――ううん、ゼルドドンよりももっと怖いモンスターがいっぱいいるみたいだけど……?」
「そ、それは……ちょっと、というか本当に嫌だけど……頑張る」
恋する乙女の決心は固い。
「メイビスさんには、もう話した?」
「うん。そうしたらお母さん『ジンさんがいいって言うなら、行っておいで』って言ってくれたの」
「そっか……。それじゃ私も、陰ながら応援するね!」
ここまで準備をし、ここまで決心を固めた親友を後押ししないわけにはいかなかった。
「本当!? リリィちゃん、ありがとうっ!」
親友の後押しが嬉しくて嬉しくて、アイリは勢いよくリリィに抱き着いた。
「きゃっ! もう、アイリちゃんったら」
そうして――。
「それでそれで? ジンさんのどういうところを好きになったの?」
「え、えっと……それはね――」
その日は明け方まで、女の子同士の楽しい会話が続いた。
■
『一緒に連れて行ってほしい』――そういったアイリの目は真剣そのものだった。
「ふむ、俺は別に構わないが……」
この世界に来て二日目の俺だが、一つわかったことがある。この世界のモンスターは――少なくともアイリの住むこの地域のモンスターは弱い。
「アイリは大丈夫なのか? 俺のいる世界にはゼルドドンよりも遥かに凶悪なモンスターが、それこそ掃いて捨てるほどいるぞ?」
果たしてこの地域基準のモンスターのレベルになれた彼女は、大丈夫なのだろうか?
「大丈夫です、全て覚悟の上です」
「そ、そうか」
どうやら彼女の決心は相当に固いようだった。
「メイビスさんには、きちんと話したのか?」
俺のようないい歳をしたおっさんに、アイリのような若く可愛い女の子を預けるなんて、親の立場からするとあまりいい思いはしないだろう。
「はい。お母さんには、許可をいただきました」
「そうか……」
優し気な見た目に反して、行動力のある子だった。
「もしかすると、もう二度とこの世界には帰って来れないかもしれないぞ? 本当にそれでもいいのか?」
あの不思議な落とし穴は、いつまであそこにあるかはわからない。あの穴がもし消えてしまったら、こちらの世界に戻る手段はなくなってしまう。
「はい、大丈夫です」
「……そうか」
そこまで十分に考えたうえで下した決断ならば、もはや何も言うまい。
「わかった。……それじゃ、一緒に来るか?」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
帰還玉は一つで最大十人まで効果を発揮するため、アイリ側に問題さえなければ大丈夫だ。
「よし、そうだな。元の世界に戻る前に――お世話になったリリィさんとメイビスさんに、挨拶をしていこう」
俺が立ち上がって、リリィさん宅へ行こうとすると――。
ちょうどタイミングのいいことに、村の中心あたりでリリィさんを見つけた。それに彼女の隣にはメイビスさんもいる。俺の姿を見つけたリリィさんは、少し改まった様子でお辞儀をした。
「ジンさん、もう行かれてしまうのですね?」
「えぇ、いろいろとお世話になりました」
簡単に挨拶を終えると、続いてメイビスさんが一歩前に出た。
「ジンさん、アイリを――娘をどうかよろしくお願いします」
「はい、わかりました。彼女の身は、俺が全力で守りますのでご安心ください」
メイビスさんにアイリの身の安全を約束する。
大事な一人娘を預かるのだ、これぐらい言ってしかるべきだろう。
最後に俺は村中のエルフたちへ、お別れを告げる。
「それじゃ、エルフのみなさん。短い間ですが、お世話になりました」
すると村中のエルフたちが、手を振って応えてくれた。
「ジンさん、こちらこそ本当にありがとう! またいつでも来てくれっ!」
「向こうの世界でも、元気でなぁーっ!」
「アイリー、くれぐれもジンさんに迷惑をかけないようにね!」
「ジンさん、行かないでーっ!」
俺は彼らに手を振り返し――。
「またいつかここへ、飲みに来るよ!」
最後にそう言い残し、俺は懐にある帰還玉を地面に叩き付け――アイリと共にこの不思議な異世界をあとにした。