十一、消火活動
「起きろ、火事だぁーーっ!」
太陽が東の空からようやく顔を見せようかという早朝。エルフの村に、鬼気迫る男の声が響き渡った。
「……火事?」
広場の中央で大の字になっていた俺は、その大声によってたたき起こされる。
「っ……いたたたっ……」
二日酔いによる頭痛に苦しみながら、体を起こすと――。
「……おいおい冗談だろ?」
エルフの森が盛大に燃えていた。
火の手は今もどんどん広がっており、一刻も早く消火活動を開始しなければならない状況だ。
「ひどい……誰がこんなことを……」
すると俺の近くにいた一人のエルフがそう呟いた。
(……気持ちはわかるが、今は犯人探しをしている余裕はない。今すぐ消火するか、それが無理なら森から離れるべきだ)
俺がどうしたものかと、悩んでいると――。
「みな、水の精霊に祈りを捧げるのですっ!」
エルフ族の族長――リリィがエルフ全員に指示を飛ばした。
「「「はいっ!」」」
そこからの彼らの動きは迅速であった。
両手を組み合わせ、天に祈るような姿勢をとったかと思うと――。
「「「<恵みの水/ブレッシング・ウォーター>っ!」」」
次の瞬間、その手の先から勢いよく水が噴き出した。
「ほぅ……実に興味深い」
あれがアイリの言っていた『魔法』という奴か。
(いや、それにしても不思議な力だ。何もないところから、次から次へと水が生まれていく)
ハンターが水を生み出す際は、水龍の素材を使った武器を用いるのが一般的だ。彼らが今やっているように、何もないその身一つの状態から、水を生み出す技術を俺は知らない。
(しかし、あの量では……足りない……)
俺の悪い予想は的中した。
エルフたちの懸命な消火活動を嘲笑うかのように、火は鎮まるどころか、どんどんその勢いを増していった。
「くっ、火の手が速いか……っ!?」
「くそ、消えろ消えろ消えろ……消えてくれっ!」
「もっと……もっと祈りを捧げるんだっ!」
エルフたちの悲痛な叫びが各地から飛び交う中――。
「……全員、ここより避難してください」
リリィさんが沈痛な面持ちで、そう告げた。
「り、リリィ様!? それはこの森を、先祖代々伝わるエルフの森を捨てろということですか!?」
幾人かのエルフたちが、リリィさんの判断に異を唱えた。
「火の勢いが止まらない以上――エルフの森は、もう終わりです。せめて怪我人が出ない内に、早めに逃げるべきです」
しかし、リリィさんの決心は固く、その主張を曲げることはなかった。一族のことを第一に考える族長として、彼女の素早い判断は素晴らしいものだ。
(だが、少し待ってほしい)
水龍の素材を使用した武器も、彼らのような魔法という不思議な技能を持たない俺だが、これぐらいの火を消すことなら可能だ。……少々荒っぽい方法にはなってしまうことは否めないが。
俺はある許可を得るために、リリィさんの元へ足を向ける。
「リリィさん、少し森を痛めても構わないなら、火を消すことができるかもしれません」
「ほ、本当ですか、ジンさん!?」
彼女は目を大きく見開き、俺の次の言葉を待った。
「えぇ。ここから北東に行ったところに、大きな湖があるのは知っていますか?」
昨日、帰る手段を探していた時にたまたま見つけた大きな湖のことだ。
「は、はい。私たちが普段飲み水として使っている、オケアの湖のことですね。しかし、それがどうかいたしましたか?」
リリィさんは、困惑気に首を傾げた。
当たり前と言えば当たり前だが、俺の意図するところをまだつかめていないのだろう。
「あそこの水を少し使わせていただきたいのですが……よろしいでしょうか?」
「み、湖の水を……?」
「はい」
「も、もちろんそれは構いませんが……」
「ありがとうございます。では、この辺りは少し危険になりますので、すぐに避難を始めてください」
「じ、ジンさんはどうなさるのですか?」
「すみません、あまり詳しく説明をしている時間もなさそうなので……」
俺は視線を、今もなお燃え広がり続ける炎へと移す。このままここで棒立ちしていては、逃げられるものも逃げられなくなってしまう。
「っ、そ、そうですね。お願いをしてばかりで、大変心苦しいのですが、どうか……このエルフの森をよろしくお願いします」
彼女の願いを受けた俺は、強く頷く。
「えぇ、任せてください。リリィさんは、皆さんの避難誘導をお願いします」
俺はそう告げると、彼女の返事を待たずして、そのまま北東へとひた走る。するとその数分後に大きな湖――オケアの湖に到着した。
「よし、ここだな」
目的地に到着した俺は、少し助走をつけ、勢いよく湖へと飛び込んだ。
そしてそのまま湖の底まで泳いでいく。
(水深だいたい三十メートル……と言ったところか。水の量もこれだけあれば十分だ)
湖の底についた俺は水中で軽くストレッチをし、一つ気合を入れる。
(……よし、やるか)
あまりグズグズしている時間はない。エルフのみんなの避難も既に完了しているはずだ。
背負っている大剣を手に取り、大きく振りかぶる。
(力の入れ具合は、だいたいこんな程度か……?)
俺は今年で三十五歳を迎えるおっさんだが、腕力には少々自信がある。敏捷性や体力は衰えが見え始めているが、腕力だけは、まだまだ若い者に負けるつもりはない。
(南西の方角……。距離は三十、いや三十五か……)
しっかりと方角と距離を確認し――。
(ふんっ!)
大剣を空に向かって、力強く振り上げた。
すると次の瞬間――。
凄まじい衝撃波が発生し、それに押し出された水が湖を飛び出し、天高くへと舞い上がった。天高くへと舞い上がった水はその後――重力に引かれて雨となって降り注ぐ。
(方角よし、距離よし……手ごたえありだ)
しっかりとした感覚を、手ごたえを掴んだ俺は――。
(ふんっ! ――ふんふんふんふんふんふんふんふんふんんっ!)
大剣を何度も何度も空に向かって振り回し、湖の水を次々と天高くへと打ち上げていく。
それを数十っ回こなしたところで、ようやくその手を止めた。
(……ふぅ。これぐらいでいいかな)
俺は大剣を背負い、湖から上がると――今もまだ俺が降らした雨は降り続いていた。
「ふむ……。まぁこんなところか」
湖の水位はずいぶんと下がってしまったが、エルフの森を焼く悪しき炎は、この人口の雨により無事に消火することに成功した。