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みやびな神隠し  作者: くろがね潤
9/17

9話 雅くんと三途の川



気がつくと、僕は全く知らない土地に佇んでいた。


足元は砂利。

そして目の前には見たこともないほど大きいのにあまり存在感を感じないという、不思議な雰囲気の川がある。

あたりは霧が濃く、対岸は見えなかった。


後ろを振り返ってみてもどこまでも砂利の土地が続いているだけで、やはりこちらも端は霧のせいで目視できない。


「、、、なんだここ」


どうして僕はこんなところに1人で立っているのか。


考えてみても分からず、とりあえず川に沿って歩いてみることにしたのだが、どれだけ歩いても一向に景色が変わることはない。


「本当になんなんだここは。

意味がわからない」


記憶を振り返ってみる。


僕は神社の奥にある森の中で海道と会話をする。

あと少しで海道に唇を奪われるというところで地震に見舞われる。

誰もいない謎の河川敷に佇む。←今ココ


「いや、文脈がめちゃくちゃだろ!

地震に遭うと人は河川敷に来るのか?!」


人間にそんな本能が備わっているとは。

新たな発見とは予想もしない場所から飛び出して来るものだ。


じゃない。


「なんなんだよ、もう帰りたい。

腹も減ったし」


考察を進めている間にもずっと川に沿って歩いていたのだが、結果は同じで、景色は少しも変わらない。


歩いてても埒があかない。


ということで走り出した僕なのだが、ここでまた別の疑問が生まれることになる。


走り出して、もう30分は経過したというのだが、一向に疲労を感じないのだ。


「もしかして、僕も妹に負けないぐらいのフィジカルエリートだったのか?」


疲れを感じないのを良いことに、調子に乗って全力疾走を続けているのだが、それでも全くペースは落ちない。

呼吸の乱れすらあらわれないのだ。


これはもう体力があるとかそういうレベルの話ではない。


気味悪さも感じるのだが、それ以上にどこまでも走っていける快感が大きかった。


自然と笑みが溢れる。


「運動ってこんなに気持ちが良いものだったんだな!?」


今まで体を動かすことを毛嫌いしてきた自分の愚かさを後悔し、そして恥じた。


今日から運動を始めよう。


受験勉強が忙しい時期ではあるが、勉強に行き詰まったら外へ出てジョギングでもしてみよう。


あの人外ゴリラの妹ならきっと僕の呼びかけに応えて一緒に走ってくれるはずだ。

ジョギング中の会話によって兄妹関係ももっと良好なものになり、やがて僕に逆らうことのない、従順でお利口さんな絵に描いたような美しい妹が誕生するわけだ。


僕の革命はまだ終わっちゃいなかった。


いつも僕の考える戦術は妹を攻撃するようなものだった。

だから上手くいかないのだ。

あんな政府が秘密裏に開発した対軍用サイボーグのような人間に戦いを挑むこと自体が間違っていた。


だが、その点いま考えた作戦はどうだ。

彼女との親密度を上げることによって彼女を懐柔していくのだ。


強い相手と正面から戦うのは馬鹿の所業である。


正面から戦うのは奴のフィールドだからだ。

ならば奴のフィールド外で戦えば良いのだ。



「完璧だ、、、」



作戦達成後の未来を思うと興奮が止まらない。



「僕はようやく妹の圧政から逃れ自由の身となるんだ!!!」


あまりの喜びにさらに走る速度が速くなる。


依然として体力の底が見えてこないので、どこまで走れるのか試してみたくなってきた。


前までの僕ならこんなことはしない。

自分の限界を計るような熱血には、鼻をつまんであっち行けと手を振るタイプの人間だったのだ。


しかし、晴れやかな心がそんな僕を変えた。


もっと走ろう、ずっと走ろう。

夢にこの手が届くまで走り続けよう。



ポジティブシンキングのままに走り続けて、もう何時間も経過したように思える。


相変わらず疲れを感じることはないのだが、景色も相変わらず変わることがない。


これにはさすがに気味悪さが運動の快感に勝りはじめていた。


「なんなんだよここ。

こんなに広い土地があるはずがない」


ここがアメリカの農場だとか、オーストラリアの内陸部だとかなら納得はできるが、そんなことはありえない。


こんな河川敷が日本にあるものだろうか。


まず、一番不自然なのは、これだけ川に沿って河川敷を走ってきたのに、ただの一本も橋が掛かっていないのだ。


僕は立ち止まった。


これだけ走っても何も景色が変わらないなら、走っても意味がないと感じたからだ。



「明らかにおかしい。

ここは本当に人の世なのか?」



普通の土地ではない。

これはもう確定事項だろう。


まさか本当に怪奇現象があるとは思いもしなかった。


怪奇現象が存在するということは僕の街で起こった行方不明事件も、本当に神隠しだったのだろうか。



「いま考えることじゃないな」



とにかく、早くここから脱出しなくてはならない。


川に沿って走っても意味がないというなら、川から離れるように走ってみれば良いのではないだろうか。


気付くのが遅すぎるとは思うが、初めて運動への感動を味わった僕にはそんなことすら考えることが出来なかったのだ。


ひとまず、試してみよう。


僕が川にに背を向けて一歩を踏み出したときだ、後方から微かに音が聞こえたのは。


何1つとして出来事のなかったこの場所で音がしたのだ。


すぐに振り向く。


目に映ったのは、不思議な雰囲気の大河。

ずっと見てきた光景だ。


しかし、そこには今までと違うものがあった。


立ち込める霧の中に何やら小さな影が見えた。


「なんだあれ」


どうやら音の原因はこれらしい。


ぎい、ぎい、と古い木が擦れ合うような音を立てながら、その影は真っ直ぐに僕の元へと近づいているようなのだ。


だんだんと影は大きくなり、それは霧の中から姿を現した。


一艘の舟だ。


誰かが2つのオールを使って古い木製の舟を僕の元へ導いていた。


近づいてくるにつれて、舟を漕ぐ人の姿もはっきりと確認できるようになってきた。


若い女性だ。

髪色は金で、肌は透き通るように白い。


純白の衣装を身につけていて、古びた舟が全く似合っていない。



もう舟が川岸にたどり着くという時に、その女性は


「Hello」


と、一言声をかけて来た。

とても清楚で、穢れのない声だった。


近くで見るとあまりにも美しい女性だったので、思わずぼーっとしてしまった。


何がどうなればこんな金髪美女の外人にお迎えに来てもらえるのか。

ますます状況が読めない。


彼女は舟から降りて来て、僕の前で色々と話しているのだが、受験英語しか知らない僕には彼女の流暢な英語を理解することが出来ず、


「オーウ、アーハッ」


を繰り返していると、やがて彼女は怪訝な顔をしながら話すようになったのだが、それでも僕には


「オーウ、アーハッ」


しか言うことが出来ない。


堪忍袋の尾が切れたのか、彼女はその美しい顔に怒りを露わにして怒鳴るように喋り始めた。


「オーウ、アーハッ」


にしても、一体どうすれば帰れるのだろうか。


彼女に聞くにしても言葉が理解できない上に、相変わらず聴き取れない言葉で怒鳴り続けている。


たまに聞こえるフ○ッキン ボーイ が、僕に罵声を浴びせているんだということを教えてくれるが、それ以外は何も分からない。


こんな理解不能な状況の中、再び別の事象が起こる。


「おーい、すまんのう!」


突如として河川敷に老婆の声が響き渡った。


声の発信源は、僕が走って来た方角だ。


謎の外人と僕がほぼ同時にそちらに首を向けると、川を物凄いスピードで進む舟が見えた。


舟はこの外人美女が乗ってきたものと同じ種類だというのに、一本のオールを使ってモーターボートのような速度でこちらへ向かってきていた。


「なんだあれは?!」


驚きを隠せない僕を尻目に、謎の金髪美女は駆け足で老婆の元へと走っていく。


ここに来てからというもの、訳のわからないことしか起こっていない。


見覚えのない土地に、終わりのない河川敷。

底の見えない体力とそれに耐える肉体。

絶世の金髪美女に急に怒鳴られたと思えば、老婆が小舟を競艇のようなスピードで漕いでいる。


考えたら考えるだけ無駄なのかもしれない。


何もすることがないので、とりあえず老婆と金髪美女の様子を観察していた。


金髪美女が一方的に老婆を怒鳴り、老婆はそれに対して申し訳なさそうに頭を下げ続けている。


「あれはさすがに可哀想だ」


こんな僕にだって老人を労わる心ぐらいちゃんと備わっている。


この敬老心からして、金髪美女の態度には少々思うところがあった。

幾ら美女とはいえ、お年寄りにこういうことをするのは良くない。

ここは僕があの老婆を助けてあげよう。


ぼくは今から人助けをするんだ。

自分の行動の誉高さに堂々と胸を張りながら、まるでマーベルヒーローにでもなった気持ちで2人の元へと歩み寄った。


「ヘイヘイ、ビューティフルウーマン?」


この後、僕と老婆はしばらく理解のできない言語で怒鳴られ続け、ひたすらに頭を下げることになる。



ようやく怒りも静まったようで、僕の顔を凝視しながら


「fxxkin boy!!」


と吐き捨てると、自分の舟を漕ぎ静かに霧の中へと消えていった。



彼女がいなくなると、河川敷に静寂が帰って来た。


隣を見ると、肩をガックリと落として身も心も疲弊しきったという様子の老婆。


「まあまあ、お婆さん。

そう落ちこまないでください」


「お前のせいじゃこのボケがァッッ!!」


「なッ?!」


突如として叫びだした老婆に思わず面食らった。

こんなに貧相で今にも死にそうな老婆のどこにこんなデカイ声を出す声帯が付いているのか。


息が切れたのか、ゼェゼェと呼吸をするお婆さん。


「坊主、お前どんだけ移動するんじゃ」


「移動しちゃダメだったのか?」


「当たり前じゃ!!

ここはもうイギリスの管轄じゃぞ?!」


「は??」


そう言われても一体なにがなんだかさっぱり分からない。


「お婆さん、一体ここは何なんですか。

で、イギリスの管轄ってどういうことですか?

詳しく教えてください」


「何じゃと??

何も分からんのか?!

どう考えても分かるじゃろ、ここは三途の川じゃよ!!」


「三途の川??」


三途の川といえばあれだ。

死んだ後に来る場所で、渡ったらあの世行きとかいう川のことだ。


なるほど、それならば今までのこともだいたい納得がいく。


心にかかっていた靄が一気に晴れて、すぐに状況の理解が追いついた。


「なるほど、つまり僕はあの地震で死んだと。

そして、ここに来た」


「そうじゃ」


「そうか、僕は死んだのか、、、」


僕は死んだ。


この現実があまり実感出来ない。

だって僕はこうして動き、喋り、心を働かせている。


「どんな魂してたら日本の管轄から飛び出してイギリスの管轄まで走ってこれるんじゃ」


感情も収まったのか、老婆は落ち着いた口調で声をかけて来た。


「なるほど、つまり河川敷の位置でそれぞれ管轄が決まっているんだな」


「動き回る奴はよくおるのじゃが、ここまで来た奴は初めてじゃ」


「そうなのか?

全く疲れない体を持ってるんだから、どこまでも走ろうと思う人間だっているだろ」


「その体がおかしいんじゃ。

化け物め」


ぐっ

まさか妹ではなくこの僕が化け物と言われる日が来るとは。


「まあ良い、とりあえず川を渡るぞ坊主」


そう言うと、老婆は舟へと足を進める。


「待ってくれよ。

渡ったら僕は本当に死ぬんじゃないのか?」


「ここに来る時点でもう死んどるわい。

あまりここに長居するのは良くない、成仏出来んくなるぞ」


「分かったよ、渡る。

渡るんだけどさ」


仕方がない。

死んでしまったのなら潔くあの世へ行こうと思う。

だけどそれに当たって、どうしても納得がいかないことがあった。


「僕が今いる場所はその、イギリスの管轄なんだよな?」


「そうじゃ、まったく老体を酷使させよって。

こんなに漕いだのは何年振りと思っとるんじゃ」


「まあそれはお気の毒様でした、てことでいいんだが」


「おい」


ギロリと睨む老婆を無視して僕は続ける。


「ということは、さっきまでここにいたあの金髪の女性がイギリスの三途の川を担当しているということだよな?」


「そうじゃが?」


「で、あなたが日本の担当と」


「その通りじゃ」


「、、、ふざけるなーーーー!!!!」


こんなの許すものか!!!


「なんじゃ坊主!!

最近の若いもんは情緒を保てんのか?!」


「何じゃはこっちのセリフだ!!!

イギリス人は人生の終わりをあんなに綺麗な美女に見届けてもらえるのに、何で日本人はこんなみすぼらしい老婆と最後を迎えなきゃいけないんだよ!!」


「みすぼらしいとは何じゃ!!!

こう見えてもわたしゃ若い頃はぶいぶい言わせたもんじゃよ!!

三途の川を渡る男どもが向こう岸についても、『あなたと離れたくない』と言うもんで、そのせいで仕事がはかどらずに良く神様からお叱りを受けたものじゃ」


「うるせーよ!

過去の栄光に浸ってないでさっさと引退しろこのクソババア!!

引き際を知れってんだ!!」


「クソババアとは何じゃ!?

坊主、貴様ワシが向こう岸に渡らせんかったらお主は生き霊となって永遠と彷徨うことになるんじゃぞ?!

立場をわきまえろこのクソ坊主がッッ!!」


「おい老婆。

これを見ても同じことが言えるのか?!」


「ん?

おい、坊主、お前どこにおるんじゃ?!」


「頭に血が上って油断したな!

僕はここだ!!」


「あ!?

おい、クソ坊主!!!」


僕は老婆が周りを見ることも忘れているうちに、勝手に1人で舟にのりこみ、岸から少し離れたところまで舟を出していたのだ。


「このまま向こう岸まで1人で行くと一体お婆ちゃんはどうなっちゃうのかなー??」


「ぐぐぐっ、、、

頼む、坊主。

それだけはーーー」


「あー?

聞こえないなあ。

死んだせいか、何やら耳が遠いみたいなんだ」


「お願いします!!

ここに置いていかれるとわしは、、、

死んでここに来た男どもに、、、

辱めを、、、」


「そんな雑食の男いねえよ!!」


「雑食とはどういうことじゃ!!!」


「おいおい、そんな態度取ってもいいのかよ。

よく分からないけど、このまま僕に行かれると困るんだろ?」


「はぁー!

そうか、ならば行くと良いぞ!

行けるものなら行ってみるがいい!!

三途の川とは坊主の体験したことのないような恐ろしい場所じゃ。

ワシがいれば、危険の避け方も教えてやれるんじゃがーーー」


「わかった。

婆さん、達者でなー」


「待て待て!!!

わかった!すまんかった!!

本当にすいませんでした!!!

頼むから戻って来ておくれ、、、」


泣き崩れる老婆を見ていると、立派な敬老心を持つ僕としては心が痛むというもの。


立派な敬老心を持つ僕としては。


舟を漕いで元の岸へと寄せた。


さっきの態度が嘘で、ここですぐに舟に走りこんでくることを警戒したが、まったくそんな様子は見られなかったので安心して舟から降りた。


「すまんかった、、、

すまんかったから、もう2度とこんなことはせんでおくれ、、、

ワシが美女じゃないのも悪かった、、、

じゃが、この仕事は天界では不人気でのう。後釜がまったく見つからんのじゃ。

ワシで勘弁しとくれ、、、」


老婆の悲痛な声に思わず僕まで申し訳なさがこみ上げてくる。


「わかったよ。

僕も悪かった。

お婆さん、船頭を頼みます」


「ありがたや」


泣きながら舟へと乗り込むお婆さん。

僕もそれについて行き、舟へと乗ろうとしたのだが、


「それじゃあんたさん。

料金を頂こうかの」


と、手を差し出す老婆。


この話は知っている。

三途の川を渡るには六文銭がいる、とかいうやつで、たしか戦国武将の真田幸村が甲冑に、いつ死んでも渡れるようにと六文銭を模った飾りをつけていたはずだ。


しかし、もちろん僕はそんなもの持っていない、


「お婆さん、僕お金なんか持ってないです」


「む?

六文銭を持っていないと?」


「はい」


「むう、面倒なことになったのう」


「持ってないと渡れないんですか?」


「いや、三途の川事情もいろいろ変わってな、六文銭を払わずとも渡れるんじゃが、、、」


「そうなんですか?

ならそれでお願いします」


「あんたさん、ビットコインで払う気じゃろ?」


「ここビットコイン対応してるんですか?!」


「そうじゃよ。

まったく進歩が著しくて、この老婆にはついていけん。

ビットコインでの清算の仕方はいまいち分からんのじゃ。

まあ良い、とりあえず、ビットコインで払いなされ」


「いやいや、持ってないですそんなの」


「ほ?

じゃあもしかして、あんたさん無銭で渡ろうとしとるんかい?」


犯罪者を見る目を向けてくるが、お金なんか持っていないんだから仕方がない。


「そんな目で見られたって持ってないものは持ってないんだ。

お婆さん、タダで向こうまで渡る方法はないんですか??」


「むう、、、

あることにはあるぞ」


「本当ですか?!

なら早くそれを教えてくださいよ!」


「お前さん、泳ぎは得意か?」


「却下で」


冗談じゃない。

こんな先の見えない川を泳ぐなど常軌を逸している。

しかもここは三途の川、一体水の中に何があるのかも分からないのだ。


「お前さん、しかしそうは言ってもこれは決まりじゃからーーー」


僕は素早い動きで舟のオールを取り上げた。


「お婆さん、僕が今これを折ったらお婆さんも僕も向こうには行けないってことだな」


「わかった、わしのツケで渡ろう。

じゃから、早まるな」


料金に関してはこれで綺麗に片付いた。


これでようやくあの世へ行けるというわけだ。


舟に乗り込み、さあ今からあの世へ向かおうというときに、老婆が


「おやおや、忘れておったわい」


と、突然河川敷に降りた。


まだ何か問題があるのだろうか。

あまり聞きたくないが、この状況はどう考えても避けることはできない。


「どうしたんだよ。

まだ何か問題があるのか?」


「いいや、そうじゃない。

一つ、三途の川を渡る時の決まりごとを忘れておったんじゃよ」


そう言うと、老婆は着物からリモコンのようなものを取り出した。


「三途の川も現代技術に染まってるな、、、」


「そんなこと気にせんでいいんじゃ。

ほれ、これを見るが良いぞ」


老婆が空中にリモコンを向けてボタンを押すと、そこに映像が浮かび上がった。


「なんだそれ?

どうなってるんだ?」


「あの世の技術を侮るでないぞ」


しばらくノイズの音と砂嵐しか映らなかったその画面に、ようやく何かが映り始めた。


一体僕は何を見せられるんだろう。


何だ、人が映っているな。

にしても何だか見覚えのある人間だ。

それに周りの風景もなんだが知っている気がする。


「僕じゃないか」


そこに映し出されていたのは僕の映像だった。


「そうじゃよ。

これを見て、最後に自分の人生を振り返るんじゃ。

人はそれぞれいろんな人生を歩む。

あんたさんは一体どんな人生を歩んできたんじゃ?

よーく見て、懐かしんで、そして次の世界へと進むが良いぞ」


そうか、本当に僕は死ぬんだな。


ようやくその現実の重さに気付き始めた。

自然と涙が溢れてくる。


生きている頃は何一つとして気付くことは出来なかったのだが、死んだ今ならよく分かる。


人生とはこんなにも尊いものだったのだ。


失わなければ分からないというのは、実に愚かなことだ。

しかし、僕らは失わなければ分からない愚かな生き物なのだ。


この愚かさすらも愛することが出来たのなら、僕はもっと素晴らしい人生を描くことが出来たのだろうか。


今になって後悔したところでもう遅い。


ここでの気付きは次の世界で大切にしよう。


溢れる涙を拭い、僕は今までの人生を振り返ってくれるこの映像を見ることにした。


あの時は気づかなかったけど、今だからこそ気づける幸せをきっとたくさん味わっているのだろう。

そんな過去を振り返って、この人生にけじめをつけるとしよう。



なんだろう、家の中の様子が映し出されている。



「兄ちゃん!

そのクッション梨李に返せ!」

「は?これは家族共用だろ?

お前はあっちのフローリングにでも行ってろ。

ん、あ、手があたったな。ごめん」

「あ!ぶったな兄ちゃん?!

まだ友達のお父さんにもぶたれたことないのに!」

「友達のお父さんにぶたれる状況は絶対にお前に非があるだろ、てーーー

ぐはッ!!」




ん?

あ、そうかそうか。

確かに、妹の暴力は僕の人生においてまあまあ大きい位置を占めてるからな。まあいいだろう。


そこで映像は切り替わり、次に映ったのはまたも家の様子。



「ただいまー」

「あ、兄ちゃん遅かったね」

「ああ、受験の勉強が忙しくてな」

「あんまり遅いから兄ちゃんの夕飯食べといたぞ」

「何いッ?!

お前ふざけるなよ!すぐに吐き出せ!

僕の夕飯を返せッ!」

「あ!ぶったな兄ちゃん?!

まだボブサップさんにもぶたれたことないのに!」

「ボブサップさんにぶたれたらむしろ光栄だろ、てーーー

ぐはッ!!うぼぼぼべぇぇー、、、」



あれれ?

何かの手違いだろうか。

引き続き映像にかじりつく様に見入る。


これまた家の様子だ。



「兄ちゃーん、ごめん、本当にごめん」

「ん?どうしたんだよ。梨李が僕に謝るなんて珍しいな」

「兄ちゃんの自転車壊しちゃったんだよ、、、」

「はあ?どれどれ。

、、、て、何だこれ。

僕の自転車は爆撃でもされたのか?」

「トラックとぶつかっちゃって、、、」

「何だって?!梨李、お前大丈夫なのか?!

もしかして僕が見ているこの梨李は亡霊なのか?!」

「いやいや、梨李は大丈夫だったんだけど、この通り自転車は壊れちゃった」

「この通り自転車が大破する事故でよく無事に帰ってこれたな。

兄ちゃん、こんな状態の自転車を見れるのはゴミ処理場だけだと思ってたぞ」

「だからさ、ほら!

新しい自転車買ってきたの!

だから許して?!」

「ん?

うわ!これめちゃくちゃ良い自転車じゃないか?!

高かったんじゃないのか?!」

「うん、8万した」

「おいおいどこにそんな金があるんだよ!

もう友達と遊ぶお金もないんじゃないか?

弁償しようという気持ちは嬉しかったから、遊び代ぐらいなら兄ちゃんが出してやる。

いつでも言えよ」

「え、兄ちゃんにそんなお金ないよ?」

「は?」

「だって、この自転車は兄ちゃんの預金口座から降ろしたお金で買ってきたんだもん」

「はぁ?!

お前これ僕のお金で買ってきたのか?!

8万円って言ったら、僕が今まで貯めてきた全部じゃないか?!

何してくれるんだよ!!」

「喜んでくれないの?」

「喜ぶかこのやろう!!!」

「あ!ぶったな兄ちゃん?!

まだガン○ムさんにもぶたれたことないのに!」

「ガン○ムさんにぶたれてたらもう人生が終わってるだろ、てーーー

ぐはッ!!!

燃え上がーれーッッ♪♪」




「だぁーーーーー!!!!!

何だこの映像は!!

妹に殴られてるところしか流れないじゃないか!!!」


どんなに見続けてもすべての映像が妹に殴られて終わる。


「おいババア!!

これは一体どういう嫌がらせだ!?!?」


老婆へとつめより、肩をガタガタと揺らした。


「そんなこと言われてもワシには分からんわい!!

この画面に流れるものは全てお主の人生の主要な部分じゃ!

じゃから、、、その、、、」


「つまり僕の人生は妹に殴られるためにあったと?!?!」


「まあ、、、そうなる、、、」


「そんなわけあるかーッッッ!!!」


こんなことあってなるものか。

もう一度画面に顔を思いっきり近づけて、一つのコマも逃すまいと注視したのだが、


「ない、、、ない、、、

一つもない、、、

僕が妹に殴られない動画が一つもない、、、」


そうしているうちに画面は真っ暗になり、やがてその存在が薄くなっていくと、何もなかったかのように姿を消した。


残ったのは残酷さを帯びた沈黙のみ。



「まあ、、、

これがお前さんの人生じゃ」


「ふざけるなー!!!!!

ばかやろうばかやろうばかやろう!!!

認めないぞ!!僕は認めない!!!」


「落ち着けお前さん!

そんなに暴れてももう遅いんじゃ!」


「うるせぇー!!!

死ぬもんかー!!!こんな人生で終わるものかー!!!!」


「やめるんじゃ!!

こら!!

あーーー!!!!」


河川敷での僕の記憶はここまでだ。




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