4話 三薙野くんの前触れ
ようやくクーラーの効いた部屋でくつろぐことが出来る。
僕はリビングのソファーに寝そべったまま、手に持っている棒アイスを一口、また一口と、ゆっくりゆったり堪能していた。
結論から言うと、僕は死ぬ直前だった。
意識は朦朧とし、喉は干からび、立つことすらままならなかった。
視界だって、よく強盗が被っている目と口と鼻だけ穴が空いているあのマスクを被っているのかと錯覚するぐらい狭かった。
念のために今世の自分の過ちを懺悔し、来世にしたいことまで一通り考え終えていた。
来世はなんでも出来る天才かつ大金持ちになって、この世のありとあらゆる欲望を叶えたい。
両脇には常に見目麗しい美女たちが甘ったるい香りを振りまき、艶やかな視線を僕に向けている。
そんな彼女たちの鼻先をちょんと人差し指で押したあと、僕はこう言うのだ。
「おいおい、君の夜の出番はまだ3日先だぞ?」
彼女を待たせておきながら、
今日の夜はこれまた別の美女と共に豪華でいやらしい夜を過ごすのだ。
夢のようだ。
でも来世はきっとそうなるだろう。
だって今世がこんなにも惨めなんだから。
ところで、僕という身内を死の間際まで追い詰めた恐ろしい妹はというと、僕がリビングに入ってくるなり何食わぬ顔で、
まるで何事もなかったかのような表情で、
「あ、兄ちゃんおかえり」
という声を浴びせてきやがった。
まったく、僕はお前のせいで家に入った当初はまるで大災害から生還してきた男のような出で立ちだったというのに、どうしてこの子はこんな態度がとれるのだろうか。
母親だって、
「何をしてるのまったく」
と笑うだけで、妹を咎めようとはしない。
僕の家族は狂っている。
こんな夏休みのスタートを切った僕だったのだが、今はこうしてアイスクリームを頬張るほどには回復できた。
いや、夏休みというのは始まってみると予想通り大したことでもないが、これはこれでなかなか苦しゅうない。
それにしても美味いなこのアイス。
結局、気を利かせて母親が僕たちの分まで全部買ってくれていたのだ。
親には感謝してもしきれない。
アイスクリームのチョイスとしては、あまり見ないパッケージだったので少しばかり不安を感じていたのだが、これはどうやら大当たりだ。
今度また自分で買ってたべようとすら思える。
リピーターになるというのは企業に踊らされているようで癪に触るところではあるが、これだけの味を作り出したのなら仕方ない。
踊ってやろう、激しくサンバを踊ってやろう。
「兄ちゃん」
カチカチとスマホの画面と指がぶつかる音。
口でアイスを棒から奪う時の音とクーラーの機械的な音。
日常の中で溢れている様々な音がそのときだけピタリと止まった気がした。
どうしてそう感じたのかは僕には全く分からないが、運命的なことであったからと、そう言い聞かせることにした。
「最近、この街で何人か行方不明になってるんだってー。怖いね」
言葉に含まれていた感情とは裏腹に、無表情でケータイを触り続けている妹。
しかし、一方で僕は背筋に悪寒が走るのを感じていた。
こういうことが怖いとか別に思わない性格だ。近くで事件が起きているぐらいなんてことない。
若干の強がりもあるが、この程度のことで心臓を握られているかのような緊迫感を感じるほどのビビりでは無かったはずなのに。
どうしてだ、なんでこんな感情になるのだろう。
理由なんか分からないのなら自分でこじつけてしまえばいいんだ。
そうか、これはあれだ。
ジャンケンをする前から負ける気がしてた、そういう類の感情なんだ。
、、、ん?
それって何かまずくないか?
「兄ちゃん、自首したら?」
「誰が犯罪者だ!」
この女は、、、。
「だいたい、今日はなんなんだよ。
家から締め出したり、そして次は警察に出頭させようとしたり。
そんなに僕を家から追い出したいのか?」
「冗談だよ、バカだなー。
兄ちゃんが居なくなったら、自分でコンビニ行かなくちゃいけなくなるじゃん」
妹にとって兄の存在意義はパシリだけのようだ。
「で、行方不明って、
それ犯人は捕まったのか?」
「それがね?!」
話になってくれたのが嬉しかったのか、ケータイを置いて体ごと僕の方を向いた。
声音は上がり目も少しばかり大きく開いている。
無意識だろうか、距離が近い。
「あの、梨李さん。興奮しすぎです」
「あれ」
キョトンとした表情を浮かべると、冷静に距離を取る梨李。
そうそう、これが人と人の会話の一般的な距離だ。
「ごめんごめん、だって普段は兄ちゃん梨李の話なんか全く聞いてくれないじゃん!
だからなんか珍しいなーと思って嬉しくなってさ!」
おや、そうだろうか。
彼女からしたらそうだったのか、これは悪いことをしていたな。
僕と同じように彼女にだって不満の蓄積はあったのだ。
人間関係って難しい。
だけど、
「そうかそうか、それは悪いことしてたなー。
兄ちゃん、面白くない話は耳に入らないようになってるんだ」
「パーンチ!」
「ごふっ!!」
妹に素直に謝るのは柄じゃないしポリシーに反する。
だからこうして妹にも嫌われて殴られることになるのだが、
「分かったよ!
今度からはもっと面白い話を持ってきますよお兄様っ!!」
と、どうやら妹は兄ちゃんと会話をしたい様子。
可愛いところもあるな。
だが、
「行方不明事件って一体なんなんだ?」
僕はこの話が気になっているんだ。
妹とのじゃれあいも悪くないが、今はこっちが無性に気になる。
妹はチラリとこちらを一瞥すると、
「ふーん、聞きたいの?」
と、悪そうな笑みを浮かべた。
「兄ちゃんが話を聞いてあげるから、
ほら、話せよ」
「タダじゃだめ」
「は?」
「だから、タダじゃだめだって」
「タダじゃだめってどういうことだよ」
「は?当たり前でしょ?!
貴重な情報なんだからタダであげるはずないじゃん!」
この子はいつの間に情報屋稼業を始めたのか。
だが、こうなると事件の話を聞くために乗ってあげるしかない。
気は進まないが、本当に気は進まないのだが、妥協しよう。
「で、僕は何をすればいいんだ?」
「おおー!乗ってくれるのね!」
思いっきり目を見開き、眩いほどの笑顔を向けられると、なんだか何でもしてやりたくなる。
まだ僕の兄としての精神は腐り落ちていなかったようだ。
しかし何だろう、想像すると非常に怖い。
サンドバックにされるのだろうか。
それとも、簀巻きにされて自転車で引きずられるのだろうか。
一体何をさせられるのかと身を強張らせていると、
「なんだよそんなに身構えて。
別にそんな大したことじゃないよ」
と、鼻で笑われてしまった。
確かに大げさな態度をとってしまったのだが少々腹が立ったので、
夕飯の配膳時に、妹の箸の片方を別の種類の箸にして置いてやることで復讐としよう。
そんなことを考えているときに、彼女は唐突にこう言った。
「兄ちゃんさー、彼女いるでしょ」
ニマニマと笑う妹。
彼女はなんだか確信をついたと言わんばかりに笑っているが、これは全くの勘違いだ。
僕には彼女なんかいない。
友達すらいないのに彼女を作るなんかステップをすっ飛ばし過ぎている。
「いや、いないけど、、、。
もしかしてその質問が条件なのか?」
僕の言葉に妹は驚愕の表情を浮かべると、すぐに不満気な顔をしてもう一度詰め寄ってくる。
「はぁ?!
そんなわけないじゃん!!
だって、、、その、、、
聞いたよ、、、?」
聞いた?
何を?
どうやら梨李もてきとうに言ったわけではなく、何かしらの根拠があってこんなことを言ってるらしい。
だが、聞いたとはなんだろう。
噂でも出回っているのか?
まさか、そんなはずがない。
妹は僕と同じ学校にはいるが、そもそも僕のような友達のいない人間の噂が出回ることなどない。
噂なんかエンタメみたいなものなんだから、噂の対象がつまらなければそもそも噂など生まれないのだ。
確かに僕が、道端で猫を焼いて食べてたー、とか、雀をボールにしてリフティングしてたー、とかそんなことならすぐに出回るだろうが、もちろんそんなことはしてないが、
ましてや、僕のような人間の恋愛事情ほどつまらないエンタメはない。
「ほんとだ。
僕には彼女はいないし出来る気配すらないよ。
咲くことのない桜って言ったら、ちょっと悲しい物語みたいで趣きがあるだろ?」
しかし、妹はまったく納得のいかない様子。
それどころか急に口数も減り、なんだか尻込みをしているような感じで、目もなかなか合わない。
一層謎は深まる。
「おい、梨李。
お前、一体何を聞いたんだ?」
「へ、、、?」
なんだか返事もあほっぽい。
こんな妹は初めてだ。
何か言いたげなのは分かるのだが、なかなかそれを切り出そうとしない。
そんなに酷い噂なんだろうか。
5組のブタ子さんと付き合っているとでも言われてるのだろうか。
「僕を気遣ってくれてるのか?
なんだ、優しいところもあるんだな。
でも、兄ちゃんはたかだか悪い噂ぐらいで傷ついたりはしないよ」
「いや、噂じゃなくてさ、、、」
「噂じゃない?
じゃあなんだよ」
「うん、よし!」
急に頰を両手でパシンと叩くと、意を決したかのように彼女は話し始めた。
「この前の夜にさ、兄ちゃん、部屋で彼女と電話してたでしょ?
内容は、、、その、、、
なんと言いますか、大人びてたけど、、、」
おや。
「まあ、その、兄ちゃんは私よりも2つも上だし、やっぱり年相応の恋愛をしているんだなーというか、いや、でもやっぱり、兄ちゃんの歳でもまだ若いのかなーとは思うけど、
そこには口出しはしないよ?
普段は兄ちゃんに酷いことしてるかもしれないけど、梨李だって兄ちゃんの恋愛を邪魔するほど野暮じゃないんだからさぁ!」
おやおや。
「でも、やっぱり、2つ下って言っても、
梨李だってちょっと気になるというか、なんか変な感じになるからさ、
出来れば、そのー、電話の前に梨李に声をかけて欲しいなー、なんて。
そしたら!そしたら、1階に降りるとか、そういう気遣いはするから!」
おやおやおや。
さっきから冷や汗やら脂汗やらが止まらない。
とにかく、今ぼくは最終確認をしなくてはならない。
怖い。それをするのは怖いが、避けては通らない。
たった今、僕は被告人として裁判に臨んでいる。
シチュエーションは最終局面。裁判長が結論を下すときなのだ。
さあ、裁決を下さなくては。
「梨李、電話を聞いたのはいつだ?」
判決は、
「、、、おとといの夜だよ」
被告人を、死刑とする。
ああ、、、。
梨李、それは電話じゃない。
アダルトビデオの音だ。
だが、都合のいいことに彼女はそれをあろうことか電話だと勘違いしているのだ。
妹がバカでよかった。
今さら恥ずかしそうに顔を赤らめている妹はなんだか可愛い。これでバカなのだから尚更かわいい。
電話だと勘違いしているのならAVがバレるよりはまだ傷は浅いものだ。
だって相手がいるのだからリア充なんだもの。
1人でごそごそやってるよりは2人でごそごそやってるほうがまだまだロマンチックだ。
こんなに可愛い妹を騙すのは些か心が痛むが、
僕のメンツをまもるためなら仕方がない。
何度でも騙してやろう。
「、、、聞かれてたか。
悪いな梨李。お前だけにはいうけど、僕には彼女がいるんだ。
あいつ、自分で言うのもなんだけどけっこう僕のことが好きでさ。
付き合ってからというもの、結構な頻度であんな電話をしてるんだ」
「結構な頻度で?!」
「それはもうあいつも僕も無我夢中でさ。
まだ若いのにこんなことして良いのかってお互い気持ちの迷いはある。でも、この胸に抱いてる彼女への熱情が、
また艶やかで情熱的な夜の電話へと僕たちを誘うんだ」
「艶やかで、、、情熱的な、、、」
高校1年生の女の子には少し生々しすぎただろうか。
梨李の顔は真っ赤で今にも爆発しそうだ。
これは面白い。
もう少し続けよう。
僕がこうも一方的に妹をいじめられる時なんかほとんどないのだから、これは堪能しなければ。
「ああ、そうだ。
僕たちの愛の形は世間から間違っていると言われるかもしれない。
だけれど、僕たちはもうこの欲望の渦から抜け出せないんだ。2人はもうこの背徳感という快感に目覚めてしまったんだから」
「え、、、え、、、
ちょ、、、ストップ、、、」
「電話のときはいっつも声だけじゃないんだぞ?
あれはただの通話じゃなくてテレビ電話なんだ。
お互いの姿が見えているんだけど、梨李、、、。
いつも彼女がどんな格好で僕と電話をしているか想像してごらん」
「え、、、いや、、、
もしかして、、、その、、、」
もう妹はふらふらして、
完全にのぼせてしまっている。
さあ、とどめを刺そう。
「そう、彼女は衣服一つ身につけずにあられもないーーー」
「このバカやろう!!!」
「うごっ!!!」
訳が分からなかった。
どうして僕は急に彼女から腹に前蹴りを喰らわせられたのだろう。
「いや、、、
どうしたのかな、、、梨李ちゃん、、、」
うずくまる僕は、見上げるようにして梨李の顔を覗き込む。
なんだか凄く機嫌が悪そうだ。
「なんだよ兄ちゃん。見損なった!
彼女を裸にするなんて!」
「一体、どういう風の吹き回しだ!
さっきまであんなにじっくりと話を聞いていたじゃないか!
急に僕の話に善悪の判断をつけるなんか間違ってるだろ!」
「別に善悪なんかつけてないよ!
ただ、そこで彼女に血だらけのゾンビの格好をさせるとか、血吸いたてのドラキュラの格好をさせるとか、そういう気遣いはできない訳?!
じゃなきゃ彼女さんだって兄ちゃんとの電話で心の底から気持ちよくなれないじゃん!!」
僕は今、一体何を説教されているのだろうか。
だけどこれだけは言えるよ。
お母さん、あなたの娘、変な性癖に育ちましたよ。
一通り言いたいことは言ったようで、落ち着いた様子の妹。
まあ、曲がりなりにも僕が夜な夜なアダルトビデオでうはうはしてたことは隠せたし、行方不明事件の開示条件も満たせた。
一石二鳥ってやつだ。
いや、妹の性癖という弱みも知れたし一石三鳥か?
とりあえず、この弱みは後々に嫌というほど使いまわしてやろう。
「ところで、そろそろ行方不明について話してくれるか?」
そう声をかけると、
「仕方ないなー」
と、素直に応じてくれた。
「私も噂でしか聞いてないんだけど、どうやらまだ犯人が捕まってなくて、手がかりすらもないらしいの」
「そんなはずないだろ?
何人もいなくなってるんだったらそれはもう大事件じゃないか。
警察だって本気で動くんだから、何かしら手がかりは見つかるだろ」
そう言いながら、僕は昼間に受けた職務質問の意味を理解していた。
あれは今この街が厳重警戒態勢だったからこそ起こったわけで、僕のニヤけ顔が職務質問レベルの気味悪さだったということではないらしい。
安心した。
「まあ気をつけはするよ。梨李も防犯ブザーとか持っとけよ」
だが、梨李は気に食わなさそうな顔をしている。
なぜそんな態度を取るのか考えてみたが、梨李が僕に対して注意を促したかったとしか思えない。
「なんだよ。
もしかして、今度は僕に行方不明になれって?」
「そうじゃないよ。
いくらなんでも兄ちゃんに居なくなれとまでは思わないよ?
居なければ良かったとは思うけど」
「僕の存在を後悔するな!」
「とにかく、そういうことじゃなくて、
こんな不思議な事件、真相が気になるとは思わないの?!」
「いや、まあ気にはなるけど、そんなの警察の仕事だろ?
僕らなんかが考えても何にも分かりっこないし。
そのうち犯人だって捕まるだろ」
「もー、だから犯人なんかいないんだって!」
「は?」
いつものバカ発動だろうかとも思うが、
一応話しは聞いてみよう。
まだ賢い理由が飛び出してくる可能性はゼロではない。バカと天才は紙一重と言うし、まだ彼女が天才である可能性がある。
「手がかりも何にもないんだよ?
これは本当に異世界に行ったんだ!」
どうやら彼女はバカだった。
「あのなあ梨李、もう高校生にもなったんだから、そろそろ精神を中学2年生の頃の教室から呼び戻したらどうだ?」
「なんだとー?!
だってどんなに警察が捜査したって手がかりが1つも見つからないなんておかしいじゃん!
夜9時からあってる警察は絶対に犯人を捕まえてるのに!!」
それは捕まえなきゃ話にならないだろうが。
だが、すこし大人気なかったかも知れない。
梨李が未だにこんな空想や妄想を抱いてることに驚きはしたが、それを頭ごなしに否定されるのは僕だって嫌だった。
夢物語のようなことを信じるのはとても楽しいし、魅力的なことだ。
誰もがこれに魅了され、そして恋い焦がれる。
しかし、いずれは捨て去らなければならない時が来るのだ。それが大人になると言うことだ。
梨李は未だに捨てる覚悟がないと見える。
ならばここは兄として、彼女を一歩大人へと導いてあげなければならない。
一度咳をして、落ち着いた口調で話す。
「梨李、悪かった。
確かに好奇心を持つことは良いことだ。
だけど、行きすぎた好奇心は時として身を滅ぼす。
兄ちゃんはそう言いたいだけなんだ、分かってくれ」
「は、何言ってんのかさっぱり分からないんだけど」
このクソ野郎!!!
「もういいや、兄ちゃん。
梨李、今からちょっと外に出て来る。
お母さんにはコンビニに行ったって言っといて」
立ち上がる妹の手を即座に引っ張り、座り直させた。
「バカも大概にしろ!
お前は何を考えてんだ?!
僕たちだって行方不明事件の被害者になる危険性はあるんだぞ?!」
「被害者って!
それはそれで楽しそうだろ!?
だって異世界だよ異世界!!
どんな場所かワクワクしてきた!!!」
この子はほんとに異世界存在説を信じて疑わないな。
あったら楽しそう。
気持ちは分かるのだが、こればっかりは行かせられない。
人為的な事件である可能性の方が、異世界に飛ばされている可能性よりも何千倍もたかいのだから、ここでやすやすと彼女が外に行くのを許し、彼女が行方不明にでもなったらそれこそ寝覚めが悪くて仕方がない。
「ダメだ、絶対に外には行かせない」
「うーん、梨李は外に出たらダメなの?」
急に上目遣いと猫撫で声を駆使してきたが、それは愚かな手段だ。
僕は兄なんだから妹のハニー攻撃など一切通じない。
「ああ、ダメだ」
「梨李はダメなのね」
何だか含みのある言葉遣いだったのだが、とりあえず頷いた。
しかし、それは間違いだったようだ。
「分かった!
それじゃあ、梨李隊員、ただいまより外のパトロールをして参ります!」
「いや、隊員なら良いとかそういう問題じゃないから、て、うぉあ!!」
そこからの梨李の行動は早かった。
一目散に玄関へと飛んで行くと、靴を履いている途中に掴んできた兄の手を持ち前の腕力で捻り剥がし、勢い良く夕方の世界へと走り去っていった。