13話 雅くんの開戦
海道は僕の言ったことがいまいち理解できなかったのか、その場に立ち尽くしたまま何も出来ずにいる。
それもそうだ。
海道からは、急に僕が身代わりになろうと決意を決めたように見えるだろう。
自分至上主義である僕がそんなことをするはずはないのだが。
呆然とする海道を尻目に迫り来る化け物の方へと振り返る。
巨大生物ぶつけ作戦が功を成したのか、奴と僕らの距離は想像以上に開いていた。
これならば海道が逃げるための時間は充分に確保できるだろう。
「...何してるの」
ようやく開いた口から溢れた言葉はそれだった。
戸惑っているのだろう。当然だ。
僕が今から何をしようとしているのかを改めて理解し、そして、僕がそんな行動のできる人間ではないと知っているからこその戸惑いだろう。
もちろん僕は我が身を捨ててまで他人を助けることなんて出来ない。
どうして自分じゃない誰かのために自分のこれから先全てを犠牲にしなければならないんだ、と思う。
しかし、そうは思っていても実際にそんな瞬間を迎えると、存外考えてることは大したことではない。
物語を映えさせるような覚悟も、後々まで語り継がれるような勇姿もここには無い。
僕はただ、今日の失敗を払拭したい。
それだけだ。
「逃げろ」
ただそれだけを口にして、僕は奴へと向かって歩き出した。
イメージした舞台は、最終決戦。
伝説の勇者がヒロインを逃がし、邪神の待つ神殿へと一人で入って行くシーンだ。
だからもちろん、
「ダメよ!そんなのダメ!!」
海道は僕の手を強く引っ張った。
ここでヒロインの悲しみを振り払ってやるのがど定番。
「一緒に逃げようよ!大丈夫だから!絶対に逃げ切れるから!」
そんな海道の悲痛な叫びにも僕は一度も振り返ることなく、海道の手を振り払い、歩き出す。
この姿に全てのプレーヤーが涙を流すのだ。
僕が振り返らないのは、絵的に一度も振り返らない方がカッコいいというのもあるが、1番の理由は、今の自分の状況に酔いしれて完全にニヤけてしまっていた顔を見られたら全てがぶち壊しになるからだ。
一度、湧き上がる興奮と渦巻く自己陶酔を落ち着けて、諭すように。
「僕が時間を稼ぐ。だから海道はその間に逃げろ」
「何を言ってるのか分かってるの?!それじゃあ雅くんがーーー」
「これしかないんだ。弱い僕が大切なものを守るためには、こんな方法を取るしかないんだ」
こういう言葉がさらに人の心を揺り動かすーーー。
「ねえ冗談はやめて。
あんなにカッコつけてたのに転んだことなんて全然気にしてないから!」
「自暴自棄になってるわけじゃねえよ!」
そんなに伝わってないのか?
心に一抹の不安を覚える。
どうして海道はこんなにかっこいいはずのシーンをぶち壊すようなことを言ってくるんだ?
おかしい、絶対におかしい。
もしかして気づいているのだろうか。
気づかれているのだとすればとんでもなく無駄なことをしていることになる。
こんな危険な役を買ってまでカッコつけてるのに、それでもまだこの子の心には響かないのか。
それとも、海道 日奈三には三薙野 雅という人間の行動は響かないのか。
これでダメだというならもうもはや不可抗力である。
ここで死んでも、
「私ザオルク使えないんだけど?!」
とか言われそうで怖い。
だが、こんな時でも心に余裕のある海道のおかげで、おかしなことだが、この瞬間が日常の中の一幕にまで思えてきたのだ。
そんなはずはないのだが、こんな事態が日常だったら何回連続で亀のモンスターの甲羅を踏み続けても命が足りないのだが、それでも不思議なくらいに自然体になれた。
海道がここまで普通に接してくれているのだから、あまり取り繕うのもよくないな。
ここからは僕も素直な言葉を紡いでいこう。
「海道、僕は今ものすごく気分が楽なんだ。奴相手に時間を稼ぐって言っても、ここに自己犠牲の気持ちなんて全くない。
考えても見ろよ、僕が人のために命をなげうつことが出来る人間に見えるか?」
「...確かに、雅くんが人のために命をかけるなんてタンポポが人を食べるぐらいありえないことだけど」
おい、確かに自分から言ったがそこまでえぐれとは言ってないぞ。
まったく、僕のことをどこまで薄情者だと思ってるんだ。
こんな冗談まで言えるのなら、海道もだいぶ落ち着いてきただろう。
...本当に冗談だよな。
僕はいつのまにか笑顔になっていた。
さっきまでのようなナルシスティックなニヤケではなく、心からの清々しいもの。
後ろからクスクスと笑う声が聴こえてきて、海道も笑顔なんだと知る。
僕らはいつのまにか笑顔になっていたのだ。
依然として危険は目と鼻の先だ。
それでも僕らは笑っていた。
僕の笑顔は自信から。
そして、海道の笑顔は信頼から。
今の僕は、見栄など一つも張っておらず、海道が床に落とした鉛筆をかわりに拾ってあげるとか、そういう気持ちで怪物と対峙していた。
海道だってきっと同じはずだ。
もう僕の手を引っ張ることは一切しない。
その代わりに、僕の両肩に手を置いた。
「信じてるから」
僕は後ろを振り返ることなく、右肩に置かれた海道の手に左手を重ねた。
「ああ、この貸しはしっかりと返してもらうからな?」
「ええ?!それはズルいよ!」
海道はおどけた声でそう応えると、また静かになった。
肩におかれた海道の手にぐっと力が入る。
「待ってるから」
そして、離れていく足音。
僕は目を閉じてそれを見送る。
これでよかったんだ。
海道の手に重ねた左手を目の前に持ってきて、そして、握りしめた。
顔を上げると、数メートル先で包帯人間が立ち止まり、こちらの出方をジッと伺っていた。
もしかして、僕たちが未知の存在を恐れたように、奴にとっても人間というのは未知の存在なのかもしれない。
そして、そんな未知の存在である人間が恐いのかもしれない。
であれば、ここに活路があるはずだ。
海道にかけた言葉に嘘偽りはなく、僕は本気でこの窮地を切り抜けるつもりだ。
まあ、具体的な作戦を思いついているわけではないが、それでも心の奥底で煮えたぎるエネルギーのようなものが僕を奮い立たせるのだ。
この感覚が意外に気持ちよく、運動部の人はいつも試合のときにこんな感情に浸れるのかな、とか場違いな憧れを抱いたのは秘密の話。
僕は負けない。
ずっと逃げ回った相手だが、今こうして向かい合っていても、恐怖は生まれてこなかった。
そのとき、木が揺れた。
葉が舞い散り、草がそよいだ。
風だ。
風が全てのしがらみを攫い、ここにあるものを僕と怪物の二人だけにした。
もはやここに介入できるものはない。
目に映すのは敵の姿。
想像するのは勝利の余韻。
「お主、何者であるか」
それは低く、くぐもった声。
包帯越しに発せられたその声は間違いなく怪物のものだ。
奴は喋れたのか。
コミュニケーションをとることができたのならもっと別の方法もあったかもしれない。
だが、そんなことは今更どうでもいい。
闘いを前にして、殺伐とした空気が僕らを包み始めた。
永遠にも感じられる荒涼とした静寂。
息を吸うだけで頭の中がぐらつく。
火蓋を切るのは果たして誰だ。
浮かぶ疑問は一つではないが、全てを我が身に任せよう。
無数に舞い散る落ち葉の中に、ひときわ輝くものが見えた。
光に包まれているわけではなく、僕の心がその落ち葉に光を宿しているのだ。
輝きが地に落ち、同時に、僕は言葉を返す。
コミュニケーションは大切にしたい人間なんだ。
友達は少ないけど。
「僕は、三薙野 雅だ」
これを皮切りに、僕は奴へ向かって走り出した。