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みやびな神隠し  作者: くろがね潤
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1話 この人が三薙野 雅という男の子。

ある晴れた日のことだ。

その晴れというのは、太陽が出ていて周りの景色が眩しいということ、綺麗な水色の空に真っ白な雲が浮かんでいるということではない。

この晴れの定義はそういうところには存在しない。

もっと内面的なことだ。

というのも、今日という日は僕、三薙野 雅の心が清々しいほどに晴れ渡っているということだ。これはもう本当にものすごい晴れで、表すなら春、もしは秋のような、心地よい季節の中でも特に気持ちがいい気候の日の晴れだ。こうも気持ちがいいと人間の感情というものは隠すことが出来ないもののようで、自然と顔がほころんでしまっていたらしい。通りすがる人々からやたらと奇怪なものを見る目で見られていた。中には女子校生もいたようで、

「ヤバくなーい?」

「ヤバイねー」

なんて言いながら、新種の動物を見つけたかのように半分嬉々として、もう半分は恐々としてこちら側にケータイを向けていた。

だが、その程度のことは何一つとして気にならない。このときは、たかだか女子校生の笑い者、蔑みの対象になるくらい別になんとも思わないと強がっていられるぐらいに僕の心は晴れ渡っていた。さすがに交番の前で職務質問を受けたときは動揺もしたが、おかげ様で、今自分が社会において、いかに不適合で奇妙な笑みを浮かべていたのかが理解できた。

しかし、これはどういうことだ。僕はただニヤけていただけだというのにこのような仕打ちをうけることに不満を覚える。

「ニヤける」と言うと、何かいやらしいような、あたかも変態であるようなのように聞こえるが、僕はただ笑みを浮かべていらだけなのだ。

人はしあわせだったり楽しかったりするときに笑みを浮かべるが、その笑みをばかにして、「ニヤける」というような不名誉なニュアンスを植え付けるなど、下劣であり外道、非情であり残酷である行為なのだ。だからこそ、今日のように幸せいっぱいの僕の表情を「ニヤける」などという無情な枠に当てはまる世の中に対して不愉快だとは思いつつ、一方で日頃のしっぺ返しかとも思うわけで。

思い出してみれば僕にもよく馴染みのある言葉であった。

高校入試の頃、見事合格したやつに言った

「にやけるな気持ち悪い、不祥事をでっち上げて退学にしてやろうか」

という花向けの言葉。

好きな子に告白をして見事OKを貰ったやつに言った

「ニヤけるな気持ち悪い、あの娘おまえより前に13人も彼氏いたから、中古の女だから」

という祝福の言葉。

好きなアイドルの握手会に行けるチケットが当たったやつに言った、

「ニヤけるな気持ち悪い、その娘、あの俳優と付き合ってるんだってよ」

という気遣いの言葉。

ああ、やっぱり前言撤回。「ニヤける」を使う人間は優秀な人が多い。ほら、観察力があるということだから、、、。

こじつけもいいところだ。これだから僕には友達が少ないんだ。

しかし、もちろん普段からずっと毒ばかり吐いている僕ではない。第一志望に受からず、女の子とも話せず、アイドルに関しては本当にそれで落ち込んでしばらく体を壊した人を知っていたからの気遣いなのだが、要はなんとなく嫉妬の部分があったからこそ言ってしまった、という若気の至りなのだ、許してほしい。という言い訳を記しておく。

というか、どんなことを考えようが僕の勝手なのだ。どんなに都合のいい解釈をしようとそれを人にさえ言わなければそういう人間だとは思われない。だからこそ、僕はこの脳内思考が外にこぼれ落ちてしまわないように、理性をダムの水門にしてせきとめているのだ。そうしなければ普通の人とは思ってもらえない。本当に普通の人とは思ってもらえないのか?と疑問を抱く人もいるかもしれないが、僕の中学の頃のあだ名が「奇人」であることから察して欲しい。

そんな奇人の僕が一体どうしてここまでご機嫌なのか。その理由はたった一つ。

明日から夏休みが始まるのだ。

かといって夏休みに何か予定があるわけでもないのだが、夏休みという凄まじく開放的な時間がもう目の前にあるというこの瞬間ほど素晴らしいときはなかなか無いだろう。だが、ここでも言わせてもらうが、もし夏休み前に夏の予定を思い浮かべてワクワクしているような人間がいるなら、僕はそういう人々に対して、「その態度は間違っている。」と言いたい。なぜなら、その夏休みの予定の数々は、いま僕が感じているような夏休みに前に感じる巨大な開放感によってべったりと厚化粧が施されているからだ。こんな、あれよあれよと塗りたくられた予定を楽しみに待っていても、いざその当日になると、綺麗でお人形さんのような顔のお姉さんのすっぴんを見たときの、あのなんとも言えない負の感情に陥るのだ。だから僕は胸を張り、夏の予定をワクワクしながら待つタイプの人々に悲哀と救済の気持ちをこめて、

「その予定は何も楽しくない」と言う。

これは決して、自分に何も予定がないことから生じる僻みの気持ちではない。そういうことではないからこそ、愛をこめてもう一度言おう。

「その予定は本当に1ミリも心をくすりともくすぐらないぐらい何にも楽しくない!!!」

、、、虚しくなるのでここまでにしておく。

それにしても、この解放感という楽園は素晴らしい。特に夏の予定もない僕ですらここまで幸せな気分になれるのだ。でもよく考えてもみればメリットに見合うデメリットもあるわけで、この楽園というのがそう簡単に味わえるものじゃないことがわかってくるはずだ。説明すると、この素晴らしい楽園は全てが終わりもうなにもやることがないという、心の荷物を全て置いてきた故に生じるメンタルの軽さによって誘発されるのだが、人が本当になにもする必要がなくなるなどありえない。自分の胸に手を当ててみればすぐに分かることだ。つまり、この解放感とは実際は空虚な嘘偽りなのだ。この楽園は、学校に行かなければならないという自分の中での1番大きな責任という重りが取り払われた反動で飛び跳ねすぎた結果、まるで自分は今何の重りも背負っていないんだと勘違いしたことによって生み出されているのだ。

脳の錯覚、心の誤り、あらゆる間違いを駆使して必死に作り出された「夏休み前のエデン」。幸せは幸せだが、非常に繊細な部類に入るものなのだ。

しかしどうだ、今僕はそのセトモノの幸福を理解し味わっているのだ。僕の心には一切の淀みなどない。凄いだろう、褒めてもらっても構わないが、まあこの考えすらも僕は理性の水門でせき止められている。門外不出なのだ。だから、どうしても人から褒められることはできないのだが、自分で自分を褒めていたら幾分か気も休まってきた。

自分に褒められる場所がないと思っている人は、こういう風に自分で褒められる場所を作り出してやればいいのだ。そこを褒められなかったらなにくそと歯を食いしばりながら自分で褒めてればいい。僕が人生で褒められた部分は全てがでっち上げで、創作物だ。それでいい、それでいいんだ。みんながみんな何かの才能を持っているわけではないのだから。

確かに何かしらの才能が欲しかったと思うことはある。僕は勉強はもちろん、スポーツもそこまで出来るわけじゃない。だから、どんなにコミュニティを狭めても1番にはなれなかった。家族の中で考えてもそうだ。母親は高学歴、身長は父の方が高い。半泣きで妹と比べてみても、身長は妹、腕相撲も妹、足の速さも妹、学力も妹、バレンタインのチョコの数も妹、正月に届く年賀状の数も妹、家での権力も妹、あれも妹からも妹、、、。あ、パシられた回数は僕の勝ち。

「やめよう、、、」

嫌なことを考えすぎてしまったようだ。僕はどうやら妹よりも劣るようにつくられた劣化人類だったようだ。

それもそうだ、僕なりに納得はしている。僕が昔から何事にも無気力にてきとうに生きてきたのに対して、妹は何事にも活発に伸び伸びと生きてきたのだ。その結果として僕が妹に負けているのだから、ただ僕のこれまでの人生が悪かったんだと納得がいくのだ。

だとしてもだ。だとしても、僕の家庭内での権力が妹よりも小さいことは絶対に納得がいかない!そもそも日本というのは伝統的に昔から長男が偉くーーー

ということで俄然納得がいかない!

あいつはどうして兄である僕を尊長して、低姿勢で接してこないのか。あいつは僕のことをこれっぽっちも砂の一粒分も尊敬していない。尊敬している兄に対して、『今日、帰り道ついでに何か冷たくて美味しいものを買ってこい』などと言うだろうか。少し僕より腕相撲が強いだけで、少し僕より足が速いだけで、少し僕より学力が高いだけで、友達が多いだけで、モテるだけで、、、あ、パシられた回数は僕が勝ってる。

「やめよう、、、」

納得はいかない。納得はいかないのだが、現実は僕が妹よりも弱い生物であるという確固たる証拠を僕に叩きつけてくる。

だったら僕はそれに従うのか、それに泣き寝入りするしかないのか。

いいやそれは違う、断固として否定する。

歴史は良く知らないが、革命というのはいつだって弱い立場の者たちが立ち上がり、成し遂げられるもののはずだ。小さな力によって巨大な力を打ち倒すものなのだ。これは今の僕の状況にこれでもかというほどに当てはまる。

何もかも負けている弱い僕。そして、その弱い僕を蔑み、嘲笑う妹。僕の不満という着火剤は天にも届き海をも焼き尽くすほどに燃え上がっているのだ。今こそ進軍のときではないだろうか。今こそ、あの妹という強大なる極悪非道の極みを打ち倒すときではないだろうか。高3の兄が高1の妹を倒すときではないだろうか。

僕の決心はもう揺るがない。1番近くのコンビニはどこだろう。ちょっとトイレ行きたい。

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