思い出のグローブ
永遠が通う5年2組の教室で、彼はちょっとした
『時の人』になっていた。
今まで『元村 永遠』だったのに、突然『待田 永遠』になったからだ。
担任の若い女の先生は、特に説明もなくこの事を教室の皆に告げたのだ。
あまり深い説明をすると、余計ややこしくなると、先生なりに配慮しての事だっただろう。
代わりに永遠は友人達から質問責めに会った。
『何で何で?苗字変わるってどういう事?』
「お母さんが再婚したから」
『再婚?って何?』
「一度結婚して、別れて、また結婚する事」
『んじゃあ、お前今 新しいお父さんと住んでるの?』
「うん」
『えーー!俺、無理‼︎よそのおじさんがお父さんとか……』
「僕だって……」
『お前、大変だな』
大変?そうかな……
そうなのかな……
そう考えたら、鼻の奥がツンとして、泣きそうになった。
ごまかすために、窓の外に目をやった。
「あっ!」
思わず声を上げた永遠の目に、あのデカい カラスの姿が写った。
びっくりしたおかげで涙が引っ込んだ。
「お前、こんな所に来ても、鯵フライはないぞ」
外に向かって突然喋り出した永遠に、友達はキョトンとしている。
『お前、誰と話してるの?』
「え?そこのデカいカラス」
『どこ?』
「そこ…… あぁ、行っちゃった」
永遠がカラスを指差した瞬間、飛び立ってしまったのだ。
あんなに大きくて かっこいいカラス、皆にも見て欲しかったのに残念だ。
その後も授業中、気がつくとカラスがやって来て、永遠の方を見ている
という事が幾度もあった。
でも決まって大声で皆に知らせられない時ばかり。
給食の時間に来ればいいのに。
皆、きっと おかずやパンを分けてくれるのに……
『カースケの奴……』
永遠は勝手にカラスの事をカースケと呼ぶ事に決めた。
家のおかずが鯵フライの時、決まってカースケはやって来る。
心なしか嬉しそうに、鯵フライをさらって行くカースケはの姿は
永遠の目に可愛く思えた。
いつの間にか、永遠は、カースケの訪問を心待ちにするようになっていた。
***
修了式を終え、明日から夏休み!
友達と遊んだ後、帰宅した永遠は、ふと思い出して、
しまっておいたグローブと、ボールを眺めていた。
亡くなった父との唯一の思い出の品……
忙しくて、なかなか相手してもらえなかったけど、合間を縫って
近所の公園で、キャッチボールしたのを覚えている。
もちろん、父は思いっきり手加減してくれているのだが、
うまくボールをキャッチできると、気絶するほどほめてくれたっけ。
「お父さんに会いたいな……」
永遠は心底そう思っていた。
『ただいま〜‼︎』
永遠がしんみりしている所へ、省吾が上機嫌で帰宅した。
だいぶ呑んでるらしい。
美和が慌てて水を持って行く。
美和からグラスを奪うと一気に飲み干し、
永遠の持っているグローブに目をやった。
『何かボロいグローブだな……それ、もう小さいだろ?
新しいの買ってやるから そんなの捨てちまえよ』
省吾はヘラヘラ笑いながらそう言った。
永遠の中で、何かが音を立てて壊れた。
気がつくと省吾目掛けて、ボールを投げつけていた。
省吾はボールをかわすべく、上体を斜めに反らした。
が、酔っているせいでバランスを崩し、下駄箱の角で頭を
強打した。
アルコールで循環が良くなっている血液が、傷口から
勢いよく流れ出す。
美和がタオルで傷口を圧迫するが、一向に血が止まる様子はない。
『救急車……救急車……』
美和がうわ言のように繰り返す。
『大丈夫だよ。これくらい……』
省吾は答えたが、美和は救急車を呼んだ。
到着した救急車にふたりで乗り込む。
『永遠、お留守番お願いね』
美和が言った。
『心配すんな』
省吾は笑いながら言った。
救急車を見送りながら、自分の手が、足が、身体が、
ブルブルと小刻みに震えているのに永遠は気がついた。
「どうしよう……」
怖くて不安で、居ても立っても居られなかった。
永遠は家を飛び出した。




