四十二話 「いざ、闘技場にて」
「おはよう、皆」
「おはよう、エナ」
「おはようございます、ジェリエナ様」
「おはようございまーす」
「いやー、今日もエナは可愛いな! 寝起きなんか特に最高で」
「はは、兄は妹にご執心ってか? ヘンリー・エトワール」
「これが俺の通常スタイルなの! いちいちツッコむの止めてくれませんかねぇ?」
「朝から元気なのは褒めてやるがな」
「それ、お前心から褒めてないだろ!」
……朝から賑やかなのは喜ばしいことだが、自分のことでこうもバトルフィールドが展開されるとは思わなかった。休止符として一人ごちる。
「お兄様、わたしを愛でてくれるのは結構だけど、度が過ぎないようにしてほしいわ」
「あー、それは加減してるつもりだったんだけどなぁ。妹というお前を見ると、つい愛でたくなって頭でも撫でてやりたくなる」
「なっ、子ども扱いはやめてほしいわ。わたしももう撫でてもらうっていう歳でもないでしょうに」
「違うなぁ。妹という存在ならいくつになっても甘やかしてやりたいんだよ」
兄の顔があまりにも真面目でカッコよく言うものだから、朝から耳まで赤くなる。卑怯にもほどがあった。
「……ズルいわ、お兄様ってば」
◇◇◇
朝ご飯を皆で食べ終え、落ち着いたところでジェリエナはフミとヘンリーに昨夜のことを伝えた。主にハイド・カベルネ・ウィリアムを倒すための方針や、今日の昼に闘技場に行って力量を測ってもらう、と。
「ハイドに至っては俺達の最終課題みたいなものだからなぁ。まぁ、そいつを倒すために今日の闘技場で様子を見ると」
「うぅ……。私なんかがヘンリー様やラパン様に刃を交えてもよろしいのでしょうか。緊張と不安でどうにかなりそうです……」
「心配することはないわ、フミ。大丈夫よ。あなたならきっと、秘められた力を存分に発揮することだって出来るんだから」
「じぇ、ジェリエナ様~! フミ、感激で泣きそうです!」
「もう泣いちゃってるじゃない。全く、フミはしょうがないわね」
言って、フミの頭を撫でてやる。フミの方が年上だというのに、彼女に対する庇護欲があふれ出てたまらないのだから仕方ない。
「ぐすっ……ジェリエナ様、こんな人間の頭を撫でる価値なんてありませんよぅ。たまにはこう、その気丈さで私にピシッと言っちゃってください」
「そんなこと、言うわけないじゃない。ほら、立って支度なさい。わたしも闘技場に行く準備をするから」
「は、はいっ。うっ、分かりました……」
すると、フミは涙を流したまま支度をし始めた。すんすん言いながら刀の手入れをし、部屋に上がって寝間着からいつもの軍服に着替えていく。部屋から広間に来た時は、泣き顔が晴れて調子が良さそうな表情に戻っていった。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「そうだな。鈍った腕を慣らすいい機会だ」
「弟さん、やけにやる気ですねー。その力を存分に発揮してほしいところです」
「俺も戦うのは久しぶりだなぁ。スピードスターと謳われた速攻が潰えてないといいんだけど」
「す、スピードスター……! 追いつけるか心配になってきましたぁ……」
「ふん。そんなもの、オレの一撃で仕留められるんだがな。今回は話が別だ」
「そんなこと言って、実は逃げてるだけなんじゃないの? 負けるのが怖いとか」
「そんなわけないだろう、ジェリエナ・エトワール! お前、オレを無駄に怒らせて楽しいか? 相変わらずエトワールは良い趣味してるな」
「そこまで変な趣味はないわよ! 全く、こっちまで無駄な体力使わせたじゃない」
「はっ、ざまぁみろだ」
「なんですって!?」
「はいはーい。お二人とも、喧嘩はやめてくださいねー? じゃないとロワさんに怒られるのはボクなのでー」
今日も変わらずニコニコ笑顔のヴァイオレットが場を仲裁する。彼に場をおさめてもらったのは何度目だろう。
「……悪かったわよ。さぁ、闘技場まで歩いていくわよ。今度こそは疲れたりはしないんだからっ」
「ふふ、楽しみにしてますねー」
お約束とも言える会話を交わしながら、ジェリエナ一行は闘技場へと向かっていった。
ジェリエナ一行は無事に闘技場へ着くことが出来た。ジェリエナはへばることなく息を整え、余裕まで見せてみる。クリーク帝国は曇り空が多かったが、日ごろの行いのおかげか珍しく晴れ模様を覗かせた。
「帝国が晴れるなんて久しいですねー。誰のおかげでしょうか?」
「わたしに決まってるじゃない」
「はてさて、どうでしょうか?」
笑いをこらるヴァイオレットに、ジェリエナは蹴りを食らわせようとする。無論当たることは無かったが、いつものことだと思うと笑い飛ばすことが出来た。
「おい、置いていくぞ。エナ」
受付が終わったらしいラパンに呼び止められ、ジェリエナが彼の元へ駆けていく。たとえどんな戦いになろうとも、見届けるためには覚悟というものを揺るがないでいた。
「闘技場の中って広いのね……」
ジェリエナは中に入ると思わず感嘆の声を上げた。闘技場の内装はさながらコロッセオと言うべきか、円を囲むように観客席という席が埋まっている。その中には国民はもちろんん、ヴァイオレットが出ると聞いたのか軍人達も何割か席で埋め尽くされていた。
「何をしている、ジェリエナ・エトワール。見物人はこっちだぞ」
ディリットに言われて上を見ると、特別席に繋がる階段を彼は登っていた。恐らく皇帝や皇子、その来賓達が座る場所なのだろうと直感した。
「言われなくても分かってるわよ」
少女は皇子に言われて階段を目指していく。これから始まる竜虎相博の如き戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
十数分すると準備が整ったようで、フミと相対しているのはヘンリー。その隣のヴァイオレットを睨んでいるのがラパンだった。右側がクリーク帝国。左側がフリーデン王国と言った方が早いだろう。
「どんな戦いが始まるのかしら」
「見れば分かる。瞬きなんてつまらないことはするなよ? 一瞬でことが終わるかもしれないしな」
「お兄様とラパンはそこまでヤワじゃないわよ。なめないでちょうだい」
「は、どうなることやら」
ディリットの発言は無視して、ジェリエナは階段の下――地上を見守る。ラパンはナイフを取り出し、ヘンリーは二本の剣を掴んでいる。一方、フミは刀を手に取り、ヴァイオレットはというと手ぶらでラパンを笑っていた。
戦闘の合図となる笛が響く。それと同時に観客は騒ぎ出し、戦う者たちは各々武器を取り出して戦を始めた。
誰よりも早く動き出したのはヴァイオレットだ。魔法でどこからともなく剣を左手に出現させ、それと同時に右手に銃を構える。三発弾丸を放したかと思うと、銃はどこかに隠し大きく打って出てラパンを斬ろうと躍動する。
「初動がその程度か、ヴァイオレット――!」
ラパンが叫ぶ。重ねるように弾丸を避け、ヴァイオレットの剣をナイフで受け止める。そして間髪入れずに蹴りを入れ、剣を一度弾き出させて相手の視線を一瞬だけ剣に移させる。
それを好機だと伺ったのか、ラパンは数多もの蹴りを再び入れてナイフで切り刻んでいく。
「人間が魔法使いに敵うとでも? 甘すぎる嗜好は毒ですよ弟さん。でも――そうですね。その練り上げられた体術は純粋な人間を凌駕していると言っていいでしょう」
「他人を分析するほど余裕があるとはな。それが実力ナンバーツーの恩恵か?」
「何を仰る。少なくともボクは貴方よりも戦いの経験があるし、死線もくぐっています。そして何より、貴方の兄……レクスとは何度も戦っていますので」
「……言うじゃねぇか。だけどな、ヴァイオレット。お前は一つ間違いを言っている。戦いの経験があるから? 死線をくぐっているから? お前、それでも元『処刑人』かよ。戦いって言うのはな、本当の死を見てからが本番なんだよ――!」
その時、ジェリエナは初めてラパンの違う笑顔を見た。喜びが、怒りが、楽しみが腹の底からマグマのように煮えたぎるような、そんな酷く優しい笑みを。
彼は嗤っている。心の底から軽蔑している。彼の口からつい笑いが漏れていく。
「あぁ、そうだ。俺は戦いが楽しいと思ったのは初めてだ」
視界からラパンが消える。それと同時にヴァイオレットも笑みを漏らす。
「全く、貴方達兄弟は本っ当に人間離れしていて気持ち悪いですよ……!」
まさか、一番人間たらしめていたラパンがこうも離れていたとは。ジェリエナは恐怖よりも先に驚きの方が勝っていた。
気がつくとラパンはヴァイオレットの後ろにいた。気がつくのが一歩遅かったヴァイオレットはマントを一部斬られるという被害に抑え込んだ。が、ラパンはそうはさせない。
「兄さんは初動で地形を変えさせる。剣を一振りさせて、だ。そしてその次は精神魔法で俺の心を弱らせる。次に腹を蹴り、地を変えさせた剣で俺を斬る。あろうことか剣の雨を降らせたこともあったな。それくらい兄さんは隙を与えない。
それがどうだ。お前は余裕しゃくしゃくな顔をしてほとんど隙を与えるどころか、後ろを敵に取らせる。こんな従者で皇帝は泣いているだろうな。残念だ」
「……今、何て言いました?」
ヴァイオレットのスミレ色の瞳が光る。空気が重くのしかかる。
一番怒らせてはいけない相手を怒らせてしまったのだと、ジェリエナは察した。




