☆番外編 「少女、剣となりて。」
「一体、こんなところでどうしたのでしょう。もし、そこの貴女。起きていますか?」
望月の国と呼ばれる辺境で、少女は気を失っていた。美しい藤色の髪は雨に濡れ、目の光はなく、体も芯の底から冷え切っている。
そんな雨ざらしの中、ほんの気まぐれで皇子がやって来た。本来なら二度と会えるか分からない、少女の元に。
「……。女中さん。彼女を宮殿へ保護した後、風呂に入らせて適当な服に着替えさせてください。彼女には拾った恩として、私の従者にさせることを忘れずに」
言われた女中は深く礼をし、少女を抱えて牛車へと乗せていった。
「身なりは良かったですが、この辺りだと貧民街の生まれでしょうか。私が言えた義理ではありませんが、出身というのは時に残酷ですねぇ」
皇子は呟き、駕籠の中に乗って宮殿へと向かった。
◇◇◇
「……あれ、ここ、どこだろう……?」
少女が目覚めると、そこは見慣れない部屋の中にいた。やけに寝心地が良い布団の上に寝かされていたようで、微睡んだ気分になる。
「……知らない場所。でもなんだか、落ち着くような……」
「――目覚めましたか、見知らぬ人」
「ぴゃあっ!?」
「あ――あ、ぁ、えっ? お、おお、おっ、皇子……様?」
「いかにも。望月の国の第一皇子、東雲家次期当主の東雲苗代とは私のことです」
「ひゅっ」
心臓が止まりそうになった。ついでに目眩もしてきて、目の前の状況が理解できない。
「おや、気絶してしまいましたか?」
「しっ、してません! 断じてしてません! おお皇子様のご尊顔で目がやられそうになったのですっ!」
我ながら酷い言い訳をついた。少女は苗代の細く美しい視線に(悪い意味で)負けそうになったけれど、何とか持ちこたえてみせる。
「私の視線に耐えるとはなかなかの手練れですね。私の瞳に射抜かれれば最後、耐えきれなくなって自白してしまうというのに。何か訓練でもされていましたか?」
「……いえ、特に何も。他人より忍耐強いのが私の取柄ですので」
「ほう……。これはこれは、私も面白い人材を拾ったものです」
「あの、それはどういう……?」
「はい、貴女には私の従者になってもらいます。拾った恩としては当然ですよね」
「えっ?」
「考える猶予は与えます。私はどこかの帝国の皇子じゃありませんから」
「え、えっと……」
自分が皇子の従者に? とんでもない。他にも良い人は山ほどいるのに。頭の中がくらくらしてきた。軽い目眩すら覚えてくる。
けれど、こんなチャンスは二度と訪れないだろう。これを逃せば一生地べたを這いつくばって、過酷な仕事に耐える日々に戻ってしまうから。
――それだけは、嫌だ。
「なります。苗代様の従者に。貴方様のためならば、私の力を全て捧げると誓います」
「いい返事です。では私の部屋に来てください。貴女を正式に私の従者であることを決めるので」
「は、はいっ!」
立ち上がって苗代の後ろを歩く。謁見の間までの長い廊下は望月の歴史を思わせた。
「そういえば、貴女の名前を聞いていませんでしたね。名は何というのでしょう?」
「フミと申します。家は恥ずかしながら貧民街の出で、弟がいます。弟は私と違って賢いので。少しでも良い学校に通ってほしいと勉学もろくにせず働き通して、ついに倒れてしまい今に至るのです」
「そうだったんですか。しかし貴女の判断は素晴らしいものですよ。弟のために即決し、身を粉にして働いていたのですから。でももう無理に働く必要はありません。仕事にもよりますが、貴女は今より数段マシな地位に就く」
「拾っていただき、誠にありがとうございます。これ以上のご恩はありません」
深く、深く礼をする。苗代はその心意気が気に入ったのか、フミの頭を撫でた。
「ひゃい!?」
「おや、驚かせてしまいましたね。そんな貴女も愛いものです」
「ひ、ひぇ……」
頬どころか耳まで赤くなる。こんなに恥ずかしくて嬉しいことは初めてだ。素直に喜んでいいのか分からなくて、脳がぐらぐらする。
「話していたら着きましたね。では用意をするので少しだけ待っていてください。後で別の従者が知らせますので」
「わ、分かりました」
そう言って苗代は黄金色の襖を閉めた。しばらくすると男性の従者らしき人がやって来て、
「どうぞお入りください。苗代様がお待ちです」
「失礼します」
従者が襖を開ける。視界には見たこともない広大な畳と、その奥には上座に座った苗代がいる。彼は朗らかな笑みを浮かべて
「こちらへどうぞ」
と、手招きしてきた。
フミは近くまで歩き、跪く。
「この度は私を救っていただき、ありがとうございます。貴方様に拾われていなければ、私は息を引き取っていたことでしょう」
「ただの気まぐれですよ。ですが、優秀な人材を手に入れたのは喜ばしいことです。貴女は私の従者になることを誓いますか?」
「――はい、誓います。力の限り苗代様をお守りし、この国のために命を使い果たすと誓います」
「よろしい。では、貴女に渡したいものがありますので、これを受け取ってください」
「これは刀……ですか?」
「はい。名を『梅丸』と言います。東雲家から伝わる由緒正しい刀です。これは貴女に振るってもらわないといけませんから」
重責に思わず生唾を飲み込む。東雲家に伝わる刀なら、相当な価値と力があるはずだ。――本当に、この方には頭が上がらない。
「……。私で、よろしいのでしょうか」
期待に応えられるのかが怖い。恐ろしくて、申し訳なくて。声と刀を受け取った手が震えてしまう。
背筋に汗が伝う。目が合わせられない。気が動転して変な笑みを浮かべそう。
正直言うと、泣きたかった。逃げたかった。恥さらしと思いたくなくて、脳裏に切腹と言う文字が浮かぶ。冗談でもなく、本気で。
「私は、卑しい人間です。意地汚い人間です。今だって逃げ出したいくらい、怖いです。貴方様の期待に応えられるか不安で、もうどうしようもないのです」
つう、と涙が流れる。笑うことさえ上手く出来なくて、下を向いてうつむいた。
「弟を、家を。国を、苗代様を。守るというのなら、この身が散ってでも死力を尽くします。ですが、今のままでは貴方に顔を向けることなんて出来ません。私、私は――」
「顔を上げてください、フミ」
「は――ぃ」
顔を上げる。目と目が合う。吸いこまれそうな水浅葱の瞳に見初められて、息をのんだ。
「貴女は賢い。貴女のその判断力があれば、この望月の国を傾けることだって出来てしまいます。この国を守ることすら容易いでしょう。それほどまでに貴女は賢い頭と力を授かっているのです。不安がらないで。貴女は強い。
貴女は芯のある強さを持っている。それだけは忘れないでください。そして、それを胸に刻み込むのです」
それで、その言葉で、少女の肩の荷は降りた。
「――はい。忘れません。貴方のためなら死ぬことだって厭わない。この身を使い潰し、果たす時が来るまで、私は――貴方の剣となりましょう」




