四十話 「お別れ式」
一通りの話し合いを終えて、自由時間となった。ジェリエナは誰に話そうかと椅子に座りながら考えているところだ。
はてさて。ディリットかフミ、どちらを先に話そうものか。
「ねぇ、ディリット」
「なんだ? ジェリエナ・エトワール」
「夜か深夜。どちらでもいいのだけれど、お話してもよろしいかしら?」
「何を言うのかと思えば。別に構わないぞ。お前とはまた違った視点で話をしたかったからな」
「そう。それは良かった。じゃあ今日の夜十時、ここに従者と一緒で集合ね。忘れないでよ?」
「分かっている。今日の十時だな? お安い御用だ」
じゃあな、とディリットは言い二階の部屋へ戻っていった。案外スムーズに事が進んだので、ジェリエナは若干の驚きを残す。
「やはりジェリエナ様は肝が据わっておられるというか、ディリット様相手でも動じないのは素晴らしいことですね」
「フミ。いえ、こういうのは慣れというか、わたしにとっての自然な対応と言うべきか」
「それでも凄いです、ジェリエナ様! 尊敬します。えぇ、それは心の底から」
きらきらした笑顔で、フミは柔らかく細い手でジェリエナの手を掴む。
「ほ、本当? まぁ、褒められたからには悪い気はしないけれど」
「私はいつでもジェリエナ様の肩を持ちますので!」
「ありがとう、フミ。改めてあなたとは良い友人関係を結べそうだわ」
「はいっ! ありがとうございます」
藤色の髪が揺れる。一瞬彼女の髪に目を奪われたような気がして、アメジストの瞳も揺れていった。
フミの手は暖かい血が通っている。いつまでも手を握ってほしくて、ジェリエナは手を握り返す。
「ジェリエナ様?」
「いいえ。あなたとはいつまでもこうしていたいと思って、つい」
「はいっ!?」
衝動的にフミの手が離れていく。ぬくもりが消えていく。しまった。いくらなんでも度が過ぎてしまっただろうか。
「ぁ……。あ、申し訳ございません、ジェリエナ様っ! 突然の告白につい焦ってしまって……。とっ、とにかく申し訳ないですっ!」
ヘドバンのごとく頭を下げるフミに、思わずあっけにとられてしまう。彼女はいつもこんな風だから、従者になれば毎日のように続くのかしらと一抹の不安がよぎる。けれどそんなのはただの杞憂で、何一つ気にすることはないというのに。
「そ、そんな謝ることはないわよ、フミ。唐突に言ったわたしが悪いのだから」
「いえ、この私が悪いのです! 時間の許す限り貴女と手を繋ぎますのでっ」
「そっ、そこまでしなくていいわ。わたしはただ、あなたのぬくもりを感じていたかったの」
一瞬、フミが固まる。そして耳まで赤くなって、うつむいて
「あぁ、それはなんと――なんて、嬉しい」
泣きそうな、消えてしまいそうな声で、フミは顔を綻ばせた。
◇◇◇
「あら、ラパン。そこにいたのね」
ジェリエナも二階の部屋へ赴くと、そこにはラパンがいた。
部屋割りはディリットとヴァイオレット。一人部屋でフミ。もう一つ二人部屋にジェリエナとラパン。そして最後に一人部屋のヘンリーといった構成だ。
「俺達は二人部屋だとよ。どうやら主従と独り身で分けているらしい」
「へぇ、そうなのね。今更だけどわたし達も夫婦になるんだし、これくらいのことは慣れておかないと」
「……ついに認める日が来たのか、エナ」
「まぁね。昔から二人でいたんだし、どうって言うことでもないのだけど。今更意識したところで恥ずかしいってものよ」
「まぁ、そうだな」
言葉を濁すラパン。しかし、ジェリエナにとっては些細な心変わりだったのだ。記憶を取り戻した今、あんなに拒否していたラパン(元白ウサギ)のことだって些末なことにすぎないのだから。
「……。ずいぶんとフミと仲良くなったな。エナには同年代の女性と話すこともなかったし、返って新鮮じゃないのか?」
「えぇ、新鮮も何もとっても楽しいわ。フミと出会って人生がときめいたくらい」
「そこまで来るか。……俺もエナに出会って人生が変わったから、同じような感情なのだろうな」
「きっとそうよ。わたしもラパンと出会ってから変わったわ。頼れる相手が出来たということは、それ相応の人生の対価をもらう、ということになるもの」
ジェリエナが放った言葉はもっともな正論で、ラパンにとって何物にも代えがたい言の葉だった。
「と、話はここまでにして。ラパン、お願いがあるの」
「なんだ?」
「――わたしの髪を切ってほしくて」
「……は?」
「だから、わたしの髪を切ってほしいの」
「そ、それは理解できるが……。なぜ今なんだ? いや、今だからこそなのか? どういう心変わりだ、エナ。今まで髪を切ってほしいなんて、そんな願い」
「なかったから言ってるの。この十年間の喪失と別れてほしいから。十年間の寂しさと悲しみに、わたしは終止符を打つの」
ジェリエナの言葉でラパンはあっけにとられた。こんな心境を今まで彼女は抱えていたのか、と生唾を飲み込む。
「ちょうどいいところに姿見と椅子があるわね。くしも髪切りばさみだってある。わたしの準備はもう出来ているわ。あとはあなたが決めることよ、ラパン」
そう言って、ジェリエナは姿見の前にある椅子へと座る。彼女の覚悟は十分に決まっているようで、また前のような目の鋭さに戻っているのだった。
「わ、分かった。お前の髪を切る。何、切ることは得意だからな、俺は」
「頼もしくて嬉しいわ。さぁ思い切ってやってちょうだい」
まずラパンは優しくジェリエナの髪をくしでとき、絹のように柔らかい髪を一層滑らかにさせた。ジェリエナの髪は腰の辺りにまで及ぶ。彼女の髪質は柔らかく、細い。ジェリエナ自身の心を映しているかのようだ。
一通り髪をくしでといた後、今度こそラパンは髪切りばさみを手に取る。
「じゃあ、切るぞ」
ラパンの言葉にジェリエナはうなずいた。それが合図となったようで、ラパンは彼女の髪を切っていく。
ぱさり。ぱさり。
次々にジェリエナの髪が落ちていく。流れ落ちる星のように消えていく。
ラパンの手つきは変わらずに、どんどん彼女の髪が切られていく。
しゃく。しゃく。
切る長さがもう半分にまで到達してしまった。しかし、失うものは何もないという顔でジェリエナは目を見据える。
「もう引き返すことは出来ないぞ」
「えぇ、分かってる。続けてちょうだい」
しゃきん。しゃきん。
今度こそ残りの半分を切っていくラパン。髪を切るごとに昔の記憶が引き金となって思い出されていく。脳裏には懐かしいジェリエナの笑顔が浮かんだ。
「よし、出来たぞ」
しゃきん、と最後の一房を断ち切る。瞬間、前髪はそのままに、あれほど長かった髪があご下辺りまで綺麗に揃えられているものだから、ジェリエナは目を輝かせた。
「す、凄い……! さすがラパン。あなたが従者で良かったわ」
「このくらいどうということはない。見ろ、エナの喪失とは別れを告げたぞ」
後ろを振り向くと、そこには散髪してもらった自分の長い髪が残されていた。
「これが、わたしの髪だった物……」
床に散らばった髪を改めて見る。すると、これまでの悲しみや憎しみ、喪失感が流れ切って離されたような感覚に陥った。
「ありがとう、ラパン。おかげでスッキリしたわ。あなたのおかげで何とかやっていけそう」
「それはどうも」
ラパンが微笑む。ジェリエナもつられて笑みがこぼれていった。
「それでラパン。この間店で買った服は届いているかしら。せっかくだから今のうちに着替えようと思って」
「そのゴスロリはもう着ないのか?」
「えぇ、多分ね。何か思いれでもあったの?」
「その服を選んだのは俺なんだが……」
気まずそうにラパンは目を逸らす。さすがのジェリエナも空気を合わせて
「えっ!? そうだったの!? それは悪かったわ。また今度着るから、そんなばつの悪そうな顔しないでよ!」
◇◇◇
「じゃあわたし、着替えるから。ラパンは部屋の外にいること」
「了解した」
そうしてラパンはドアを閉めて部屋の外に待機する。ジェリエナは長年着ていたゴスロリを脱いで、真っ白なフリルが似合う服と黒のスカートに身を包んだ。
姿見で全身を確認する。まるで十年前の自分をそのまま持って帰って来たかのよう。
うん、自分で言うのもなんだが似合っていた。つい顔が綻ぶ。
「ラパン、もういいわよ」
今度は自分からドアを開けた。すると当然目の前にはラパンが立っていて、彼は思わず目を見開いた。
「エナ……? なんだ、十年前とほとんど変わらないぞ!」
ラパンが驚くのも無理はない。何せ顔色と身長以外、十年前のジェリエナにそっくりだったからだ。
「そ、そうかしら。でも、少しくらいは身長伸びたわよね? 顔色だって『あの時』より断然良いし」
「あぁ、そうだな。昔のお前に会ったのかと思って驚いたぞ」
そうしてジェリエナとラパンは笑い合い、ジェリエナの髪とゴスロリのお別れ式は幕を閉じた。




