三十八話 「宿に着いたら」
「はぁ、やっと着いた……。さすがに徒歩で宿まで行くのはきつかったわ」
疲れた体をほぐしながらジェリエナは言う。ヴァイオレットが手配してくれた宿は洋風で、少なくても高級志向だということは傍から見ても分かるほどだ。
「これくらいで何を言ってるんですかお姫様。その発言は帝国中の軍人を敵に回しますよ」
「回したところで全部倒すわ。ラパンとヘンリーお兄様がいれば敵なしだもの」
「冗談でも戦争をほっぽり出す気満々ですね! いやー、そして身内の過大評価も凄い!」
ははは、と笑うヴァイオレットを差し置いてジェリエナはふさわしくもない、良くない笑みをこぼす。
「過大評価ですって? 残念、わたしは事実を言ったまでよ。冗談でもそれは変わらないわ。お兄様とラパンは強いもの」
「言いましたね? 抗争になっても知りませんよー」
「その時はその時よ。もしそんな展開になったのなら、よろしくお願いするわ」
そんな冗談では済まされない会話をしていると、噂をすればフミという少女が宿の入り口からやって来たところだった。
「あ、皆さんお疲れ様です。改めまして、私はフミと申します。見ての通り軍人でヴァイオレット様の部下です。魔法はまだ慣れませんが、刀の扱いならまぁ人並みというか……。とっ、とにかく! 頼りないかもしれませんが、よろしくお願いしますね?」
頭を下げ、困ったような顔をするフミはジェリエナとは正反対の少女に見えた。身長も年齢もフミの方がジェリエナより上だが、何よりへこへこする人間性というのがこびりついて染み込んでいるようだ。
「ジェリエナ・エトワールよ。フリーデン王国の第一王女でエトワール家の長女。それでこっちは従者のラパンと、兄のヘンリーお兄様よ」
「あぁ、ジェリエナ様や皆さんのお名前と人柄等はどういうものなのかは存じております。まぁ、実際話さないと分からないところも多々ありますが……」
「さて、クリーク帝国へようこそ。皆様、歓迎しますよ。ふかふかのベッドとお食事等、最高のサービスでもてなしますのでどうか良いひと時を。では、皆さん私に着いてきてください。僭越ながらご案内しますので」
フミの姿を見ると彼女は美しい藤色の短髪で、灰色の瞳に黒い軍服を着ていた。そして彼女はカタナという見慣れない武器でこの国の均衡を守っているらしい。
後でカタナという物を触らせてもらえないだろうか。さっきから直感が反応して手がうずうずしているところなのだ。多分、きっと素晴らしい武器なんだろうな、と勝手に感傷に浸りこんだ。
「じゃじゃーん、ここが皆さんが泊まるお部屋です! 少々お値段は張りますが、ヴァイオレット様が手配されているのでそこはお気になさらず!」
「おお……!!」
フミに案内された部屋は清潔で、何より洗練された高級感あふれる場所だった。リビングらしき部屋はほとんどが白や調度品、木材の家具で統一されており宿というより屋敷にも思える。
「ふん。お前にしてはいい宿を選んだじゃないか、ヴァイオレット」
「あはは、もっと褒めてくれてもいいんですよー? ……というのは置いといて。これがボクに出来るおもてなしです。ボクからも、協定を組んだからには皆さんにはゆっくりしてほしいので」
主であるディリットに褒められて嬉しいのか、彼の笑みは心から花を咲かせてるようだった。元の薄っぺらい笑顔は無くなり、本当の素が見えたような気がした。
「ではでは、ここからは自由行動ということで。各々観光しても良し、休憩するも良し、話し合いするのも良し。とにかくご自由にお過ごしください。あ、私は今日非番ですので随時質問等受けつけてますよー……って、そんな物好きな人なんていませんよねー、とほほ……」
「その物好きがここにいるわ」
「えぇはいそうですよね……って、ジェリエナ様!? そんな、一介の軍人である私を気遣わなくてもいいんですよ!?」
「気遣いも何も無いわ。わたしはただの好奇心でこの結果に至ったの。気にしないでちょうだい」
「は、はぁ……。ですが、本当に私に質問があるのですか?」
「えぇ、色々とね。ラパン、もしものためにわたしの後ろへいて」
「了解した」
もしもというのは戦闘になった時のためだ。会話は出来ても、質問によっては戦闘になる場面もありえなくはない。
「で、質問なんだけど。あなた、何歳なの? 私は十六だけど」
「じゅっ、十八です。ジェリエナ様より二つほど上ですね」
意外だ。フミはてっきり二十歳を超えているかと思っていたのに。良い意味で大人びて見える、そんな女性なのだろう。
「あとあなたってこの国の人なのかしら? 名前の語感といい、武器といい、異国の感じがするもの」
「はい、当たりです。私は帝国の人間ではありません。望月の国と言う、異文化で異国の地からやって来た者です。私は元より東雲様に仕える身。この刀も東雲様より下賜された物ですから……それはもう、時を見て大切に使わないといけないのです」
無下に扱うと罰が当たります。十割の方が私に。と、照れながらフミは言った。
「無下に……というか、命をかけて本気を出さなきゃいけない時になったら、あなたはどうなるの?」
「……。その時はちりとなって消えるでしょう。比喩でも誇張でもなく、本当に。実は私、とっても強い必殺技があるのですが……それは隠された奥義中の奥義。東雲から伝わる秘技とも言えるでしょう。それをやらないといけないのですから、その時はお別れですね」
――お別れ。その言葉を聞くと、無性に寂しくなって切なくなる。不意にヘンリーのことを思い出して、思わず目が涙で滲むところだった。
「……はっ! すみません、ほとんど初対面なのに湿っぽいこと言っちゃって。今のは水に……流せませんね。まぁ、一端の軍人が死のうともこの国にとってはどうでもいいことなんです。東雲様には申し訳ないですけど……東雲様なら私の死を労ってくれるでしょう」
「あなたにとって東雲っていう人は良い人なのね」
「はい。それはもう、良くしてくださっておりますので」
困ったような顔で笑みをこぼすフミは、今にも消えそうで儚い存在のように見えた。それがいつ来るか分からないが、きっと――彼女は死力を尽くして国のために死ぬのだろう。
「あっ、あと。これはわたしの好奇心からなんだけど」
「はい、何でしょう?」
「その……カタナ? 触らせてもらえないかしら。あぁ、でもさっき大切な物って言ってたから」
「いいですよ」
「えっ、いいの!?」
「はい、これも異文化交流ですし。鞘が付いている状態ならオッケーです。さすがに刀身は触らせませんけどね。危ないですし」
そう言って、フミは腰にかけている刀をジェリエナの方に向けた。鞘が付けられたフミの刀は全体的に黒く、ツヤがあるように見える。
「これが私の愛刀、『梅丸』です。元は東雲家に伝わる由緒正しい刀だったとか。そんな凄い刀をなぜ私に下賜されたのかは不明ですけど……。東雲様がこんな私に素晴らしい物を貸し与えるのは、相応の信頼があるのだと私は思うのです」
「……そうね。きっと、そうだと思うわ」
お互いに微笑みながら、内容はどうであれ会話を楽しんだ。何せジェリエナには同年代の女子と話すことが皆無と言って等しいほど、会話をしたことが無かったのだ。
過去には自分より年上の兄や従者に囲まれていたし、自らの人見知りもあって会話に花を咲かすことは無かった。
そんなこともあって、ジェリエナの心は正直言うと浮足立っていた。当然だ。今は戦争のことも忘れられることが出来たのだから。
これから起きるハイドとの戦いが終わったら、一緒にフリーデンの城でお茶会に誘ってあげようかしら、とふいにそんな考えがジェリエナの頭によぎった。
けれど、そんな幸せな『たられば話』は心の奥に閉まっておくことにしよう。
――だって、言葉に出したら彼女が消えていきそうな気がするから。
ジェリエナは『その時の終わり』まで待っているのだった。




