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アリスは外の世界へ行きたいようです  作者: 吐 シロエ
4章 クリーク帝国編
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☆番外編 「星が零れ落ちる前に/下」

「おやすみなさい、お兄様」


「あぁ、おやすみ。良い夢を見るんだよ」


――愛しい妹。と、最後に言おうとしたが、やめた。あまり情を移し過ぎると眠れなくなりそうだから。

 それに。なんだって、妹の笑顔を消したくはない。


 ドアが閉め切られたと同時に、レイは深く息をついた。


「……妹の前だからって、強がりすぎたかもしれないな」


 うん、少しばかり頑張りすぎた。途端、げほごほとせきが出る。咳は呼吸を整えようとするたびに酷くなる。


 うん、かなり無理をしてしまった。


 死という言葉が頭をよぎる。少なくとも、今日か明日辺りには必ず自分は死ぬ。

 半端な『星読み』でも分かりきったほど、死の濃度は上がっていくのだから――。


「よう。邪魔するぜ、兄貴」


 せきが落ち着いた頃、(ヘンリー)が部屋に入ってきた。

 少しはねた黒い髪とアメジストの瞳。それと性格の悪さをひとつまみしたのが、ヘンリー・エトワールを作りあげている。


「……敬語。もしくはお兄様と呼ぶんだな。お前さんはいつまで経ってもマナーがなっていないね」


「兄弟だから別に良いだろ? ()()()


「全く、お前っていう奴は……」


 弟……ヘンリーの態度にはほとほと呆れる。いくらエトワールの次男であろうとも、ヘンリーは()()悪癖がある。


「今日はあんたをからかいに来たわけじゃあない。悪いニュースか嫌なニュース、どっちを先に聞きたい?」


 あぁ、もう、なんだってこいつは――相変わらず趣味が悪い弟だ。


「……悪いニュースで」


「兄貴、あんたは今日か明日には必ず死ぬ。それも取り返しがつかなくなるくらいには」


「取り返しがつかなくなる、っていうのはどういう意味だい?」


「言わないし、()()()()


 言えない。妙な言い回しに、ざらりと舌を転がす。

 大抵の場合、どちらとも判別出来ない言葉は考えても仕方ない。

 意味が、無い。


「……。嫌なニュースというのは?」


「近いうちに戦争が起きる。それで、この国は崩壊して終わりだ」


 間を空かず駆ける事実に一瞬、沈黙が走る。


「――全部、『星読み』で見たのかい」


「あぁ。見たぜ、今日の昼に。というか、あんたも若干見れてはいたんだろ、兄貴」


 もう一度、レイは息を吐く。


()()()()。自分自身が死ぬことも。これから起きるであろう戦争で、国が火の海になることも。

 お前は半端で弱い僕とは違って、完璧な後継者だから余計鮮明に見れた。そうだろ?」


「……。全部兄貴の言う通りだよ」


「エナには?」


「言えるわけないだろ。兄貴が着けてたアメジストの首飾りがないのを見た時点で()()()()()


「本気なんだな、兄貴」


「本気だよ」


 妹のためならばなんだってやる。それこそ自分の命を犠牲にするならまだ軽い。同情も、あわれだと嘆くことも、惜しむ言葉も必要ない。


 文字通り、自分という星が流れ散ったって後悔などされてたまるものか。

 そう感じる心さえ、自分にはいらない。


「エナにあげた、あの首飾りは魔力がこめられていてね。いざという時の逃げ道代わりにはなってくれるはずさ」


「逃げ道?」


「――精神魔法だよ。僕が唯一出来る魔の力。ずっとずっと思い描いていた、箱庭の世界。そこへエナに過ごしてもらう。

 空は青くて、白いイスとテーブルがある箱の世界。あとは少しの本棚と」


「ちょ、ちょっと待てよ。どうやってその世界で生き抜くっていうんだ?」


 自分ですら引いてしまう口ぶりに、ヘンリーはたまらず焦った。

 自然、笑みがこぼれる。


「大丈夫、彼女には立派な従者がいるからね。()には懐中時計を渡している」


「その懐中時計にも何か仕込んでいるのか?」


「うん、当たり。こればかりはレクスに手伝ってもらったのだけれど、世界を出来る特殊な魔法道具を作った。

 これが出来る最高の最善策。あの子(エナ)には申し訳ないけれどね」


「――もう覚悟は出来ている。だから、ヘンリー。

 僕がいない間、エナを頼んだよ」


 しんの底から出た願いは、強い結びつきを持って約束へと変わる。運命の赤い糸とは程遠い、けれども固い絆で繋がれた、流れ星のような誓い。


「あぁ、分かってる。そんなの、言われなくても……俺、が――。守るから……!」


 言葉よりも先に、いつの間にかヘンリーに腕を伸ばす。そして、愛おしさについ頭を撫でた。


「お前は本当に偉い子だ。この僕より、世界の誰よりも。――お前さんは、賢いねぇ」


 涙がほろほろ流れても気にしない。ただ妹と同じように、つい頭を撫でてしまう。

 ふと、幼少期を思い出した。


 この子は、星のようにきっと昇進する。


「お前は立派な『後継者』だ。僕がいなくても、お前は生きていける。安心して。お前さんほど、自慢できる王子は他にいないのだから」


 あぁ、かなしいな。ゆめのおわりがもうすぐきてしまう。

 

 せめて、お星さまだけはのこって――。



◇◇◇


 翌日。レイは何事もなく朝を迎えることが出来た。しかし、時間制限(タイムリミット)は少ない。


 レイに言わせれば、順番が早かっただけの話。『遅かれ早かれ人は死ぬ』。そんな死生観の中、彼は十九年間生きてきた。


 だから彼には十分過ぎるほどの人生を歩んできた。もう立ち止まってもいいくらい、幸せで穏やかな日々を過ごしていて。


「良い人生だった。なんて、言うわけないよな?」


 一瞬ヘンリーかと思えた()()は、気配もなく現れた。髪も目も真っ暗闇で、服は上下とも白い。


「ハイド・カベルネ・ウィリアム……! 『鬼火』の悪魔……!!」


「フルネームで呼んでくれるなんて思わなかったな。それにヒトを悪魔呼ばわりだなんて。『俺』は悲しいよ」


「何が“悲しい”だ……! 聞いたよ、王家のソミュールの姉に手をかけた癖に。

 お前は人の皮を被った悪魔だ。正真正銘の外道め!」


「まぁそう怒るなよ。声を張っただけで息が上がるのは見苦しいぜ?」


 ……指摘されて初めて気がついた。


「うるさい。お前だけには絶対、言われたくなかった……!」


 左胸を押さえつける力が強くなる。同時に息も苦しくなって、呼吸のリズムが狂ってきた。


「それより一旦落ち着かないか? 『()』も見て哀れんできたからさ」


 いつもより大きく深呼吸した。不覚にも苦しさはなくなって、楽になった。


「落ち着いたか? なら本題といこうじゃないか」


「何をしに来――」


 瞬間、視界が黒くなる。どろりとした()()むしばんできた。


 気持ち悪い。苦しい。また息のリズムが狂ってくる。

 その全てを吐き出したいが、そんな生ぬるいのはダメだと体が訴えてくるほどに。


「あーあ。お前は選ばれなかったか。俺にとっちゃ、せいぜい『鍵』の役目で終わると思ってたんだけどな」


――何を言っているのか分からない。何だ、何だ()()は。


 選ばれなかった? 『鍵』の役目?

 分からない。理解出来ない。奴の意図がつかめない――!


「ど、ごぼっ。どういう、ことだ……!」


 口から黒いどろのような液体がこぼれる。そのせいか思わず咳き込んでしまった。


「どういうことも何も、お前は運命に選ばれなかったんだよ! 無様で哀れだな、えぇ?」


「ぐっ」


 こいつ、手で首をめようとしてきた……! ただでさえ苦しいのに余計に痛くさせる……!


「最期に遺言か質問くらいは聞いてやる。さぁ、その命どうしてくれようか」


「お前は……。お前さんは、()()()()なんだ……?」


「……く、くくっ。はははははっ! 俺はそちら側でもないし、僕はあちら側でもない! だが、いいぜ。気分が良いから俺が特別に教えてやるよ!」


「――本当の俺は()()()()さ」


 それで奴の声が聞こえたのは最後だった。

 もう聞こえない。痛くもない、苦しくもない、悲しくもない、この世をいつくしむこともない。


 産まれてから、失くしてばかりだった。元よりこの肉体は二十を満たないまま死ぬと、父親から告げられている。

 体力。体の丈夫さ。魔法の才能と実力。寿命の長さ。自分には足りない物だらけだ。

 

 実際、頭の良さと言葉を紡ぐことには自信があったのだけれど。

 そんなもの、ヘンリーの方が優れている。


 兄より優れた弟などいないと他人(ひと)は言うが、とっくに覆されていた。


「あぁ、ごぶっ、……そうかい。先に地獄でお前さんを待っているよ」 


 自分は両親より先に逝く身。後を追いかけるように父親と母親が来るだろう。


 けど、きっと突き放すだろうな。神様か自身の手か、分からないけど。


「あぁ――結局、そうなるのか」


 まだ、まぶたを閉じるのは許されないみたいだ。



◇◇◇


 気がつけばハイドは去り、自分の部屋も城もろとも燃やされていた。


 ろくに呼吸など出来やしない。部屋に満たされた炎と黒い液体は、これが事実だと言わんばかりに広がっていく。


「――お兄様!」


「私より先に触れないでください、ジェリエナ様! 貴方があの液体に触れると、何か起きるか分かりません!」


 ぐい、とレクスがジェリエナを外側に引っ張っていく。優しい、力を最小限に抑えたその手で。


「レイ様、会話は出来そうですか!? あぁ、もう! 意識が吹っ飛んでも知りませんよ!」


 レクスにしては珍しく荒い感情で回復魔法をかけている。

 それと同時に自分の息が――穏やかになって。


「……お前でも、その黒いものは取れない、よ」


「私は文字通り何でも出来る貴方の従者です! あの小物には、魔法で劣るだなんて絶対に言わせません!」


…………治らない。いくら高度な魔法を使ってでも、ハイドがかけた黒いものを取り払うことは出来なかった。


 こうしている間でも炎は容赦なく広がって、火の海になりかけている。時間すら、ない。


「……お前は偉いよ、レクス。今、まで僕の従者でいてくれてあり、がとう」


 レクスは無言でうなずいてくれた。あとは、そう。

 誰よりも愛しい妹に――。


「お兄様……本当に、死んでしまうのですか?」


「うん、ごめんな……そうなる、みたいだ」


「最後に、最期に……頭を撫でてくれませんか。いつものように……」


「……あぁ、お前がそう言うのなら」


 妹の頭を優しく撫でてやる。きぬのように柔らかい、流れるような髪を。


 もう二度と出来ない。会えない。触れられない。


 かなしい。かなしいな。もうきらきらのお星さまに会えないなんて。

 

 目から星という名の涙がこぼれ落ちる。自分すら消えていくなんて、ほんとうにあわれだなぁ。


「お前は、綺麗だ。きらきらで、きれいなんだ。ずっと思ってた。お前さんは本当に――綺麗だよ」


「お兄、様――」


 妹からも涙がこぼれていく。

 けれど己の指から灰になっていくのは、無様で笑えない。


 もうだめだ。本当に体の限界が来たみたいだ。


 目を閉じれば体がくちていくのが分かる。指先から心臓に至るまで、灰になっていくまで秒読みだろう。


「さぁ、お行き。振り返らずに、レクスと逃げるんだ」


「いや! 嫌です、お兄様を置いては行けない。お兄様がここで死ぬというのなら、わたしも一緒に燃えて死にます!」


「――駄目だ!」


 妹の肩が一瞬震えた。自分が妹に対して初めて声を上げたからだ。


「お前だけは、絶対に生き延びろ。逃げて、果てまで逃げれば必ずラバン(あの子)に会える、から」


「そんなこと、二度と言わないでおくれ……!」


「……はい。わかり、ました」


 目が鋭くなる。あぁ、この子は気高くて美しい子になるんだな、と直感した。


「…………。さようなら、お兄様。……あなたは、良い兄でした――!」


 背を向ける彼女はもう別人になりかけていた。そういう星のもとで生まれてきたんだ。


 でも自身の星はもう尽きる。光がなくなっていく。


 それは、自分の命だと言うのに。心はもうそれを受け入れていたみたいだ。

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