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アリスは外の世界へ行きたいようです  作者: 吐 シロエ
4章 クリーク帝国編
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☆番外編 「星が零れ落ちる前に/上」

――これは、十年と数年と少し前の話。()が最後まで戦った、愛おしくも哀しいゆめのはなし。



「おはようございます、レイ様」


 日差しがさし始めたばかりの頃。エタンセル王国の城で最も広い部屋に、聞き馴染んだ従者の声が響く。


「あぁ、おはよう――レクス。今日は晴れてよかった。綺麗な星空が見えるからね」


 ベッドから身を起こし、「楽しみだ」と顔をほころばせるのはエトワール家の長男、レイ・エトワールだった。


 肩まで丁寧に切りそろえられた黒髪とアメジスト色の瞳。()()()()()()()()と、白いフリルの服にどこか憂いを帯びた雰囲気は、まさに星のように形づくられている。


「貴方は本当に星が好きなのですね。研究でもしたらどうでしょうか」


「研究はしないよ。僕は天体望遠鏡より肉眼で見るのが好きなのさ。そりゃあ、星に関する本でも書けたら御の字だけれど。レクス――お前は分かって言っているだろうに」


「ふふ、申し訳ございません。貴方なら、そう……『短い一生の中で一番心安らぐから』とでも仰られるかと」


「まさにその通りだよ。お前さん、ついに読心術でも得たのかい?」


「えぇ、少しだけ。とは言ってもまだ序の口ですが」


 くっ、と笑みを隠しながらレクスは言う。


「……気味が悪いな。それは自分の力で? それとも自慢の『恩恵』かい」


 レクス・アルザスには産まれた時から年に一、二回ほど自動的に何らかの能力が得られるようになっていたのだ。

……原因は不明だが。


「いえ、自力でなんとか。(ラパン)のおかげで鍛えられましたよ」


「……ラパンか。あの子も心中察するよ。ときに彼、目元に酷いくまが出来ていたじゃあないか。あらかた仕事とお前のせいだね」


「く、あははっ。貴方には負けますよ、レイ様」


「世辞はしなくていい」


 言葉を断つようなレイと違い、レクスはついに笑みを隠さず微笑んで


「――いえ、本当に仰られる通りなのですから」



◇◇◇


 レイが朝食のフレンチトーストと紅茶を召し上がった頃、再びレクスがレイの元へと訪れる。


「レイ様、食後のお薬のお時間です」


「…………。また薬かい。……いいや、理解してるんだけれども。この時間ばかりはどうしても鬱屈うっくつとなってしまうね」


 レイ・エトワールは虚弱きょじゃく体質――つまり、生まれついての病弱だった。酷い時は一日中ベッドから離れないこともあるほど、喘息ぜんそくや病に悩まされている。


「お気持ちは分かりますが、飲まないとどうにもなりませんよ」


「そんなの、僕が一等分かってるよ」


 薬を舌に乗せ、一気に水で飲み干してやった。すると偶然、誰かが部屋のドアをノックしてくる。


「レイお兄様……? わたしです、ジェリエナ・エトワールです」


「あぁ、エナか。レクス、扉を開けておくれ」


「分かりました」


 レクスが白手袋越しにドアを開くと、そこには妹のジェリエナ・エトワールが待っていた。


「レクス、お前は下がっていい」

「……レクスはあっちに行って」


 同時にレイとジェリエナの声が重なる。これにはレクスも空気を読んで二人に一礼し、庭の方へと向かっていった。


「お兄様、今日はおからだの調子がよくてなによりです。あっ、あと天気もいいので、いっしょに散歩と天体観測してもよろしいでしょうかっ」


 六歳いもうとうわずった声を、静かにうなずいてレイは聞いていた。


「あぁ、いいよ。お前も僕に似て星が好きだねぇ」


 レイが優しくジェリエナの頭を撫でる。その時の彼女はとても嬉しそうに笑っていた。


「あ、あのっ、お兄様。いっしょにお散歩行きませんか?」


「あぁ、行こう。良い歩行訓練リハビリになりそうだからね」


 妹の手を借りてベッドから立ち上がる。一瞬だけ目眩を覚えたが、ジェリエナのためならば軽いものだ。


「――うん、確かに今日は散歩日和だ。お前のおかげで身体が軽くなったよ」


「ほ、ほっ、本当ですか……!? それは……えと、何よりですっ」


 自分と比べた小さな手は暖かく、何かに縋るようにレイを包み込む。


 ――あと何回、彼女と手を繋げられるだろうか。そんな楽観的な夢を、見て、


「……ッ!?」


 ほんの一瞬、ノイズに紛れて何かが『見えた』。倒れている誰かと炎、そして――。


「お兄様?」


「……なんてことないさ。ほら、散歩に行くんだろう? お前の手で導いてくれないか」


「……! 分かりました!」


 秘密の場所を見つけたんですよ、とジェリエナは言う。三日ぶりに浴びた日差しは暖かく、空気も心地良い。


 ジェリエナと手を繋ぎ、壁伝いに歩いていると庭の方でヘンリーがぼう、と突っ立っていた。


「ヘンリーお兄様、いったい何を見つめているのでしょうか?」


「いいや、あれは見つめてなんかいない。()()()()()()()んだよ、彼は」


「どちらも同じように感じるのですが……」


「そう思うのも無理ない。何せ、()()()()見ているのだから仕方ない」


「えっと……??」


「要するに、心配しても意味がないってこと。ただの杞憂きゆうにすぎない」


 そう、たとえヘンリーがどんな光景や未来を見ようが関係ない。『後継者』になり損ねたレイは、ヘンリーよりも微弱で半端なモノでしか見ることが出来ないからだ。


「きゆう……」


 ジェリエナの間が抜けた言葉が空に溶けていく。


「お前は心配症だからねぇ。気に負うことはないよ」


 そんな話をしつつ、レイの朝は終わりを告げた。



◇◇◇


――夜になった。外からの明かりは星と月の光だけ。


 普段なら寝る時間帯だが、レイはジェリエナと星を見るためにずっと起きていた。


 あの子のためなら頑張れる。何せ、たった一人の妹なのだから。


「えと……お兄様、星を見に来ました」


「あぁ、待っていたよ。ランタンを持ってきて正解だった」


 窓際にランタンを置いて、隣り合うように座る。なんと心地良い時間なのだろう。


「今日は晴れて本当に良かった」


「はい、とても綺麗です。星に手が届けばいいのに……。願いが叶うのなら、お兄様とずっと一緒にいたいです」


 ジェリエナは小さな手をかざす。そんな妹を見て、笑みがこぼれていって。


「僕もそう思うよ。けれどね、エナ」


「なんですか?」


 その願いは叶わない。と言おうとして、やめた。


「お前さんの方がよっぽど綺麗だよ。どんな星よりもお前が一番美しい」


「なっ――わ、わわ、わたしですか!?」


「そうさ。お前さん以外の他に誰がいると言うんだい?」


 ジェリエナの前ではついからかいたくなってしまうほど、いたずらな笑顔が横切る。


 まぁ、なんせレイにしては事実なのだから仕方ない。


「……そんなのズルいです、お兄様」


「僕は事実を言ったまでさ。お前は星に愛されるべき存在なのだから」


 レイは時々――いや、多少なりとも詩人のように語る節があった。

 冗談なのか真実なのか分からないそれは、ジェリエナを余計に混乱させた。


「ふ、あははっ。これは僕が悪かった、ごめんな」


 ジェリエナの頭を優しく撫でてやる。そうして、しばらくの間しあわせな現在いまを過ごした。


――が、今日は多くも出来ない日だ。未来の彼女にとっては酷かもしれないが、チャンスは今しかない。

 

「……エナ、これから大事な話をする。僕とお前にとっても、大切なんだ。

 一つ、約束してほしいことがある」


「はい、なんでしょう?」



 ――カチャリ、と音がした。


 レイが首元にかけてあったチョーカーを外してしまう。しかも瞳と同じ色をした、宝石のアメジストの首飾りを。


 彼にとって何事にも代えられない、大切なもの。


「お前にはまだ早いと思っていたのだけれど。これを――預かってくれないか」


「な、えっ――それは、それは……」


「レイお兄様がお母様にもらった、大切なものじゃないですか……!!」


「……いいんだ。僕はもう、守られる側じゃあないからね」


「お兄様……」


 ほら、と言ってジェリエナの首にチョーカーをかけた。あくまで平静を装って、笑顔を向ける。


――これでやっと決心がつく。後はもう、自分の死期を待つだけしかなくなった。


 悲しさはない。けれども、何より寂しさが胸の奥から剥がれない。

 死んだらどうなるのだろう。無の世界にずっと、ずうっと眠ってしまうのだろうか。


――分からない。でも、これだけは分かる。


 残された遺品(モノ)を妹に送るのは、これで最初で最後だということを。

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