三十六話 「救いを。」
お久しぶりです、約1年越しの更新です…!お待たせしました 2021.8.25
「――わたしは、間違ってなかったのね」
胸を撫でおろし、ジェリエナは笑顔を浮かべた。
本当は不安だったのだ。自分が変わってしまっているという焦燥感が、心の隅にうごめいていたから。
「あぁ、エナは大丈夫だよ」
そう言って、兄のヘンリーも笑ってくれる。そうして、お互い皇帝ロワに視線を向けた。
「私達がハイドの呪いにかかっていると言うのか。ヘンリー・エトワール」
「はい。断言します」
「して、その証拠は? いくらお前でも場合によっては処罰を考えるが」
「……皇帝陛下は覚えていらっしゃらないのですね」
「何?」
「十年前、ハイドと接触した時から陛下はご様子が優れなかったようで。それが呪いで操られているとは、思いも知りませんでしたよ」
ヘンリーの笑みが歪んだ。おかしいのは百も承知だが、心臓が浮いたような危うさが周囲に張り付いていく。
「私が今まで奴の操り人形にされていた、とでも言うのか」
「その通りです。と言っても、ハイドは戦争を起こすきっかけが必要だったみたいで。私と貴方の国が協力を結んだと同時に、彼は貴方に狙いを定めた。
――そう、私達が出会った時から始まっていたのです。今こうして敵対し、争いではなく対話で解決しようとしているのも、奴の思惑通りに沿っているのだと」
城中が沈黙する。よほど事実とは受け入れがたく、呑み込むことができない。
――酷い夢を見ているようだ。
「それで、次はハイドの計画についてお話したいのですが。この話は妹に」
「――待ってください!」
黒いローブが動く。ヴァイオレットだ。
「ボクがあの外道に呪いをかけられたのは覚えています。でも、ボクの信じる方が――ボクに人間性を教えてくれた方が、そんな」
「変わってしまうんだよ。自分一人を救ってくれても、大勢の他人を間接的に殺すくらいには」
魔法の恐ろしさはそこにあった。ある時は国の発展にもなるが、同時に脅威へとなり得る。
長年言われ続けた代償が、今になって降りかかってしまった。
唇を噛みしめ、それきりヴァイオレットは口を閉ざした。
「……では、ここからは妹に話してもらいましょう。ハイドの計画について、です」
ヘンリーがこちらを見てうなずく。『お前なら出来る』と言われた気がして、ジェリエナはうなずき返した。
「兄に引き続き、お話しします。ハイドの計画についてですが、彼は確実に十年前と同じことをするでしょう」
「ジェリエナ・エトワール、お前も憶測だけでモノを言うつもりか」
「いいえ。エタンセル王国でのクーデターで、わたしとラパンはハイドに出会いました。魔法を……呪いを解くつもりはない。そう彼の口から聞いたのです」
「ラパン・アルザス。この証言は真か」
「はい、従者として保証します。もし嘘があるのなら、俺達の結婚をあなたの権限で取りやめても構いません」
「ちょっと!? もしかして、あの人に認められないと駄目だって言ってたのは」
「あぁ。そういうことだ」
ラパンの目がより一層鋭く細くなって、彼は言い切った。
「はっ、私に委ねると来たか。いいだろう、お前達を見定めるいい機会だ」
「ジェリエナ・エトワール。ラパン・アルザス。両者を私の名において、我がクリーク帝国と再び協定を結んでもらう」
「協定!?」
「そうだ。息子のディリットと従者のヴァイオレットを貸してやる。最終的に、お前達がハイドを殺せるようにな」
ロワの提案で城にいる全員が息を呑んだ。いくら彼でも正気とは思えない。ジェリエナでさえも、開いた口が塞がらないほどだった。
「……それは、本当によろしいのでしょうか。提案はありがたいのですが、わたしは……まだあなたを信じることができない」
震える手をジェリエナは握りしめる。うつむいたまま、十年前の炎が重なって動けない。
「わたしにとって、あなたは敵です。たとえハイドに操られていたとしても、あなたが今までやってきたことのせいで、わたしは過去を乗り越えられない。今もあなたと向き合えることは――あり得ない」
「あり得ない、だと? なら、お前でも分かるように教えてやる」
なんとロワが玉座から立ち上がり、ジェリエナの方まで直々に降りてきたのだ。
視線は交わらず、ジェリエナは震えていた。それを――
「ジェリエナ・エトワール。今のお前では、二人の兄を救えなくなるぞ」
「なっ……!?」
「お前を庇った兄達の約束を破るつもりなのかと言っている」
ロワの眉間にシワが刻まれ、静かな怒りが浸透していく。
「もうこれ以上の慈悲は無いぞ。十年も経ったのだ、これでも私は丸くなった方だからな」
吐き捨てるようにロワが言う。そして、ジェリエナに背を向けて再び玉座へと戻っていった。
「わたし、わたしは……」
もし、ロワの言い分を守らなければ、兄であるレイとヘンリー二人を見殺し同然になってしまう。
死んだ人間は帰ってこない。一度離れたらもう二度と会えるのかは分からない。
ジェリエナはその事を一番理解している。その瞳で、見てしまったのだから。
「わたしは、あなたを信じます――ロワ皇帝陛下」
涙で滲んだアメジストの瞳が光る。泣きそうな顔で縋るように、ジェリエナは一つ礼をした。




