三十五話 「真実」
「あなたが、ロワ皇帝……!」
驚くよりも、体は勝手に相手を睨んでいた。
――王国を滅ぼした元凶が、目の前に立っている。
「生身で会うのは何年ぶりだ? ジェリエナ姫。赤ん坊の頃に顔合わせをした以来だぞ」
「あ、赤ん坊⁉」
「今とは遠い昔話だがね。滑稽だと思わないか? 今やお前の家族は死に、片や兄は帝国のモノ同然だ。守ってくれる存在はそこの従者しかおるまい」
「それは……そうだけど、私はラパンと共にいることに決めたの」
「……理由を聞かせてもらおう」
争わず、話し合う方向はロワも同じらしい。その事実にジェリエナは安堵し、飲み込んだ。
「理由なんて簡単よ。私とラパンは主従関係。昔は……その、家族みたいに思っていたんだから当然でしょう? ラパンと結婚することくらい、あなたなら」
「許さない。そもそも、私はお前達のことを認めていない。私を納得させる“何か”があれば、戦争の件や政略結婚のことも水に流してやろう」
「何かって、全部あなた達が仕組んだことじゃない! 尻拭いまでしろって言うの?」
「いいや、違う。帝国と王国の話し合いに、第三者がいたのを覚えていないのか」
「……第三者?」
「ハイド・カベルネ・ウィリアム。仮面の国出身の王子だ。私達とフリーデン王国の縁を結び、壊して戦争にまでこじつけた男の名だがな」
思い出した。いつか自分を誘拐しかけて、殺されてもなお生き返った男だ。
過去にはハイドに故郷を焼かれ、両親を殺された。因縁という言葉では片付けられないだろう。
「――あいつ、だったのね。確か、ハイドは『運命を与える』魔法をカルテのお姉さんに教えた。
運命の魔法は危険なものだから、『死神』? とそこにいる『警察官』が部屋ごと燃やした、ってエタンセルの女王に聞いたけど」
「ボクでもそんな惨いことはしませんけどねー。お姫様、言っておきますがそれは間違いです。
当時、ボクが駆けつけた時には遅かったんですよ。なぜか城の部屋が燃えていて、必死にカルテ王子が姉であるステラ姫を助けようとしていた。
遺体は跡形もなく消えていましたよ。残っていたのは灰だけです」
「灰って……! 運命を与えられたのに、どうして灰にされるのよ!」
「お前が一番分かっていることだろう、ジェリエナ・エトワール」
「え……?」
記憶は全部思い出した。戦争のことも、自らの国が燃やされたことも覚えている。
そう、全て思い出したはずだ。
「――レイ・エトワール。お前のもう一人の兄だ。運命に選ばれず、呪いに侵され灰になって死んでいった男よ」
「あ――」
心が崩れていく。呼吸が浅くなっては視界がぐらつく。頭がサイレンを鳴らしているのが、自分にでも分かる。
思い出すな、思い出してはいけない。
内に秘めた心が閉ざしていたように、開いてはいけない扉を覗いてしまったのだ。
炎の爆ぜる音。大切な人の笑顔が張り付いて離れない。
『大丈夫、少しだけのお別れだ。……泣くのはお止め。お前の端麗な顔が台無しだよ』
最後に触れた手は少し欠けていた。四肢の端から、灰が風に乗って消えていくからだ。
大事なジェリエナを残して去っていった、可哀想な人。
「ショックで記憶が抜け落ちたのか? 何、混乱してもおかしくはない。今回ばかりは同情する」
吐き出したい思いをこらえる。
「……記憶喪失になっていたの。戦争で逃してくれた日から、エタンセルのクーデターが解決するまでずっと」
「貴様ァ! 記憶が戻っていたのならいいもの、もし戻っていなかったらどうするつもりだった!」
ディリットが吠える。父親のロワが言うよりも先に、ジェリエナが言葉を吐いた。
「馬鹿ね。そんなこと、全部ラパンに吐かせる腹積もりだったわ。もう少し考えてから言いなさいよ」
「はっ。エトワール如きが、オレをコケにして楽しいか」
ジェリエナの前をラパンが通る。やはりこの男、殺しておくべきだったのか。
「――ディリット。それ以上の言葉は許されない。口を閉じろ」
「お前はいつもそうやってオレの意見をはねのける……! 従うことしか能のないお前が、オレを――」
「……あー、はいはい。二人ともお口チャックですよー。皇帝さまが怒らなかっただけマシです」
ヴァイオレットが手をつまむような動きをすると、文字通り彼らの口はふさがれてしまった。お約束とも言える呆れる光景に、思わずため息が出た。従者とは言え、血の気が多すぎるのではなかろうか。
「話を戻すけど。戦争が起きたのはハイド・カベルネ・ウィリアムのせいで、彼の魔法が私のレイお兄様を殺したわけね。……一回殺したいくらい腹が立ってきたわ」
「――それに可愛い妹を誘拐しようとして、失敗した。その後レクスに殺され、最近だとヴァイオレットにも殺された。だけどなぜか生きてるみたいだし……。あいつ、人間じゃあないと思うぜ。お前はどう思う、エナ」
「……おにい、さま?」
およそ十年ぶりの再会だった。麗しい黒髪に、同じアメジストの瞳。変わらずフリルがあしらわれた服を着て、彼は微笑んでいる。
「あぁ、そうさ。ヘンリー・エトワール、フリーデン王国の第二王子。ちょいと無理言って部屋から出させてもらった」
「ですよね? ロワさん。貴方にはお世話になりましたし、ここでようやく貴方への借りが返せるわけです」
「お前が父上に借りだと? どの口が言う! 相変わらずお前はおべんちゃらな奴だな」
「君は本当に変わっていないな、ディリット。俺はこの十年、ただ暇を持て余していたわけじゃあないんだぜ。
俺は全部知っている。ハイドの計画も、『運命を与える』魔法のことも。今まで研究してきたのさ」
「なっ、どういうことだ! 父上、それは本当なのですか!?」
「……私がお前にヘンリーを捕虜にしろ、と言ったな。あれは今を見越して言ったことだ」
「お兄さ」
ヘンリーが肩を軽く掴んで耳打ちする。
「――再開の言葉は後にしよう。今は大事な話がある。そうだろ、エナ。ゆっくりでもいいから、覚えていることを全部言うんだ」
「――はい、お兄様」
二人とも微笑む。
深く息を吸って、吐いて。ジェリエナから真実が語られた。
「……私は、約十年前に帝国の婚姻を受けたわ。けど怖くて嫌だったから、ヘンリーお兄様に断ってもらったの。その後、私のせいで戦争が起きた。でも、問題は争いが起きる前にあった」
その日は今でも焼き付いて離れない。ことの発端は、カルテと同じく一つの火事から始まる。
「爆発音で目が覚めたの。最初は誰かが鍛錬で失敗したかと思ったけれど、そうじゃなかった。お兄様の……レイお兄様の部屋が燃えていて、城は当然大パニックよ。あの時は……そうね、ラパンがいなかったわ」
いつか、ラパンの親友であるラネオンが言っていた言葉が心をえぐる。
一番辛い時に、ラパンは傍にいてくれなかったから。彼の怒りは本当だったのだ。
「代わりにレクスが私を守ってくれて、部屋まで走ったわ。でも、着いた時にはレイお兄様は瀕死だった……。呼吸器官が弱い人だったから、なおさら酷い。しかも火と一緒にどろどろの黒い“何か”があって……。
わたし、何も出来なかった! わたしは『魔女』って言われていたのに、守ることすら出来なかった。魔力はあるくせに、素質がなかったから! レクスでも治せなくて。どうしようってなった時にあの人は、お兄様が……最後に、最期に――綺麗だ、って。それで、わたし」
流した涙は悲しみではなく、後悔だった。
クーデターの時、もう少しカルテと一緒に話せればよかったと心底思う。彼も同じ死因で家族である姉を亡くしてしまったのだ。
「――私、ハイドを許さない。あいつ、『運命を与える』魔法を解く気は無いの。魔法自体が役割を選ぶ化け物とも言っていたし。……そんなやつ、野放しにしておけるわけがない」
ハイドの悪業は人の死に関わる。彼なら十年前に起こした非道をもう一度する、などと言いかねない。
何か、取り返しのつかないことが起こるのは明白なのだから。
「その『運命を与える』魔法について、俺から話がある」
ヘンリーの声で、この場にいる全員が息を呑んだ。
「言ってみろ、先読みの星」
この時、ヘンリーの瞳が王族のソレに変わった。
ジェリエナよりも前に立ち、兄の背中を見せる。
「アーシュ。かけた相手に直接干渉し、蝕む呪い。運命を捻じ曲げられ、適応しなければ死ぬ。それが奴の操る魔法です」
「ハイドはラパン以外にこの魔法をかけました。とは言っても、戦争に関係のある人間――。私、ジェリエナ、レイ。レクス。ディリット、ヴァイオレット……そして、ロワ皇帝陛下。カルテとその姉、ステラも含まれていますが……彼らは戦争より前の別件です。どちらにせよ、奴は私達に呪いをかけた」
城が静まり返る。
魔法をかけられた覚えがある、ないに限らず、それぞれが事実をかみ砕いた。
「……わたしが記憶喪失になったのは必然だというのですか、お兄様」
「あぁ。遅かれ早かれ、呪いは進行する。大して変わらない人もいれば、別人のように変わる人もいるぜ」
ヘンリーの答えが身に染みる。しがらみが解けたような気がして、笑みが綻んだ。
誰よりも温かな、優しい笑顔を浮かべて。
「――わたしは、間違っていなかったのね」




