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アリスは外の世界へ行きたいようです  作者: 吐 シロエ
4章 クリーク帝国編
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☆番外編 「海の幸、星の空とエトワール」

 知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。


――来たことなんて一度もない。エタンセル王国とかいう名前も初めてだ。


 だというのに。

 少女『アリス』の心は浮足立っていた。



◇◇◇

 

 これは、まだジェリエナが記憶喪失だった頃。クーデターが始まる少し前の話。


 うだるような暑さの中、アリスの唐突な問いから始まった。


「ねぇ、この辺に海ってないの?」


「突然どうしたんだ、突拍子もないこと言い出して」


 従者のラパンが口を開く。


「あんた涼しい顔してよくこの暑さに耐えられるわね!? はっきり言って、この街の昼の暑さはおかしいわ!」


「俺は慣れているからいいんだ。うちわで扇いでやるから、それで我慢しろ」


「ありがと……って、私は海に行きたいの! うちわでしのげると思ったら大間違いよ」


「肝心の海がないとどうにもならないけどな」


 はぁ、と呆れ顔でラパンはため息を吐く。

 ここまで正論を言われると、アリスも反論を返せなくなった。


「あのー、海ならありますよ……?」

「ちょっと、それ本当!?」


 反射で首根っこを掴みそうな勢いでアリスは詰め寄る。

 

「ほ、本当です! 急にやめてくださいよ、心臓が飛び出るかと思った……」


「しょうがないでしょ。珍しくテンションが上がっちゃったんだもの」


「全く、貴女って人は……。今日の昼ご飯は朝市で買った、新鮮な魚を使おうと思ったんだけどなぁ」


 居候とはいえ、毎日顔を合わせれば相手の気持ちは大抵わかる。アリスもその一人だ。


 ……ただ、目を潤ませるのは卑怯ではないだろうか。


「あーもう、分かったわよ! お詫びに手伝うから、それでチャラにしなさい」


「はい! ありがとうございます!」


「アリス、魚なんてさばけるのか? ましてや料理なんて、まともにやった試しがないだろう」


 ラパンの言葉が針のように突き刺さる。


 事実、アリスは料理どころか包丁すらまともに持ったことのない、典型的なお姫様なのだ。


「うっ、うるさいわね。私だって、やるときはやるわよ」


「……本当か? 後で俺に泣きついてきても知らないからな」


「えぇ、久しぶりに休んでくれたって構わないのよ?」


「……。そういうことなら、休ませてもらおう」


 言うなり、ラパンはドサッとソファに寝転がった。


「絶対に驚かせてやるんだから」


 ゴスロリの袖をまくり、決意を固めて見せる。


 ……が、ものの数分でその決意は叫び声に様変わりしてしまった。



◇◇◇


「はい、できたわよ。私とシリアーバ特製カイセンドン!」


 魚の触感を乗り越え、気前よくアリスは机の上に人数分の丼ぶりを乗せる。

 色とりどりの刺身は歪なれど、なんとか形になった一品だ。


「カイセンドン? うわっ、なんだこのゲテモノ! 気持ち悪いぞ……」


「これは望月(もちづき)の国に伝わる、海鮮丼と呼ばれる文化料理です。生の魚をそのまま切って、ご飯に乗せるものだと聞きました」


「だからこれはゲテモノなんかじゃなくて、れっきとした食文化ってことよ」


「なっ、望月の国だと!? エタンセル王国と交流があるのか……!?」


「は、はい。ありますよ。長くなりそうなので食べながら話しましょうか」


 促されて、全員で食卓を囲んだ。


 白米の上にはマグロやサーモン、イクラなど。昼食には申し分ないラインナップだろう。


「それで、望月の国ってなんなのよ。海があるのと関係があるの?」


「もちろんです、大有りですよ! “望月なくして発展なし”と言われるほど、(あきな)いに強い国はありません!」


 ジト目で睨むアリス。シリアーバは咳払いをして


「商人の教訓なんですっ。……話戻しますよ?」


 アリスとラパンは顔を合わせてうなずく。

 そうして、シリアーバは改めて話し始めた。


「この町に朝市と夜店があるのは知っていますよね? エタンセルと望月の国は、お互い貿易をして成り立っているんです。海をまたいでの貿易なので、『海がある』というのは当然なんです」


「なるほど……。でも、王国が貿易をしてるなんて意外ね。どこの国にも頼らないのかと思ったわ」


「望月の方から話を持ち掛けてきたんですよ。皇子から直々にオファーなんて来たら、誰も断りませんよ」


 シリアーバの言葉で突然、ラパンが口元を抑えてむせ出した。


「ど、どうしたのよ。あんた、刺身が喉に詰まったの?」


「いや……知り合いだから驚いただけだ。苗代(なわしろ)のやつ、真面目に商売してるじゃないか」


東雲(しののめ)さんと知り合いなんですか!?」


「俺はアルザス家の一員だから、面識はある。あっちは勝手に友人なんて言うけどな」


 そんなこんなで話は盛り上がり、昼食は幕を閉じる。

 

――今日のは悪くなかったわ、と自然に笑顔が(ほころ)んだ。



◇◇◇


「地図は描いたので、後はお二人で楽しんでくださいね。僕は店番があるので」


 シリア―バから渡された手描きの地図は、彼の土地勘もあって非常に分かりやすいものだった。


「本当に行かなくてもいいの?」


「えぇ、海なんていくらでも行けますし」


 高波にさらわれないでくださいね、と彼は言う。


「そう。じゃあ、行ってくるわね」


「はい。行ってらっしゃい、アリス」



 道に迷うことなく、アリスとラパンは真っ直ぐ海を目指す。

 日は暮れて、波打つ特有の音が近づいてきた。


「これが、海……」


 ぼう、と立ってアリスは呟く。


「確かに、いい眺めだ」

「ラパン、少しこれ持ってて」


 アリスはおもむろにロングブーツを脱ぎ、ラパンに渡した。


「別にいいが……ちょっ、おいアリス!」


 声を無視してアリスは砂浜を走ってダイブした。

 この際、ゴスロリだろうが気にしない。


「ラパン、こっち来なさいよー! この砂、ふかふかよ!」


「ったく、誰がお前の服を洗濯すると思ってるんだ……」


 ひとしきりはしゃいだ後、二人は砂浜の上に寝転がる。


 柔らかい砂に、溢れんばかりの星。

 意外にもエタンセルは、自然と幸せが満ちあふれていた。


「……星が綺麗だな」


「そこは『まぁ、お前の方がもっと綺麗だけどな』とか言っておきなさいよ」


「誰が言うか……いや、そうでもないな。エトワール()も、お前も、綺麗だ」


「やけに素直ね。明日は雪か槍が降るんじゃないの?」


「ふ、はは。そうだな、そうだと少しはマシになる」


「……どういうこと?」


「お前と似た人が言ってたんだ。アリスと一緒で、賢い人が」


「ふぅん。じゃあ、あんたは少なくとも私を認めてくれてたのね」


「いや、それは……」

 

 何を(にご)すことがあるのか、ラパンの返事はない。


「ラパン?」


「……やっぱりお前は、星の名の元に生まれて来たんだな」


 悲しさと嬉しさが混ざった笑顔で彼は言う。


「はぁ? どういう意味よ、それ」


「いつか分かる。お前が記憶を取り戻した時に、必ず」


――一筋の光が星となって瞬いていく。


 エトワールの名を持つ彼女は、今もその意味を知らないままでいる。

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