三十四話 「話し合い」
光に包まれたのは何度目だろうか。
ジェリエナとラパンが目を開けると、重々しい黒い扉が二人を出迎えていた。
「魔法で飛ばされたみたいね……」
「しかもご丁寧に門の前と来た。フミ……律儀な奴だ」
「……そうね」
ジェリエナの表情が曇る。
「……。そういえば、お前は昔から心配性だったな。記憶が戻ってきたからか?」
ラパンの問いにうなずき、ジェリエナはぽつぽつと言葉を絞り出した。
「多分、そう。私……記憶を取り戻してから、ずっと変な気持ちに憑りつかれているの。なんだか、頭の中がふわふわしていて……。わたし、どうしたらいいか……」
「大丈夫だ、エナ。いつも通りのお前でいい。エナは俺の主で、エトワールの誇りだ。なら、何も心配する必要はないだろう?」
なんて、ラパンは珍しく微笑んだ。この光景が懐かしくて、ジェリエナも笑みを綻ばせた。
「私、心配しすぎたみたい。ありがとう、ラパン」
「どうってことはない。ディリットの野郎に一泡ふかせてやれ」
ジェリエナの手がドアノブに触れる。瞬間、ドアは自動的に開き、相対すべき黒髪の男が玉座に座っていた。
「――来たか、ジェリエナ・エトワール」
男は黄金色の瞳でジェリエナを睨む。
「えぇ、あの時の返事を言いに来たわ」
言って、ジェリエナはアメジストの目を細めた。
階段を隔てた謁見の間は、静かな怒りで満ちていく。
「まずは名乗るべきでしょう、坊ちゃん。お姫様も、本題はそれからでいいですよね?」
「ヴィオ、口を挟むなとあれほど――!」
隣に控えていたヴァイオレットの声で、男の堅い表情は崩れてしまった。
――身内に弱いのかしら。ジェリエナは、あくまで冷静に口を開く。
「私はジェリエナ・エトワール。フリーデン王国の第一王女よ。従者はラパン・アルザス」
一礼して微笑み、ディリットに視線を向けてやる。
「ディリット・サングリア。クリーク帝国の第一皇子だ。従者はヴァイオレット・ノワール」
ディリットの笑みには強さゆえの余裕があった。
特徴的な黒髪に軍服。踏みつぶすと言わんばかりの鋭い目つきは、『カラス』をも思わせる。
「遠路はるばるご苦労だった。オレを待たせたのは気に食わんが、まぁいい。久しぶりの再会だ、許してやろう」
「あなたも丸くなったのね。殺されるとばかり思っていたわ」
「交渉だからな、話くらいは聞いてやる」
ジェリエナは驚いた。ディリットは本当に、血を流さず話をつけるらしい。
ディリットが淡々と話し始める。
「今から約十年前、帝国はお前にオレとの結婚を申し出たが、お前の兄であるヘンリー・エトワールが断った。それをきっかけに戦争が起き、今の休戦状態となる」
「本来ならとっくにお前はオレの妻になっていた。戦争の際、ヘンリーがお前を逃がしてさえいなければな」
「……お兄様はどうなっているの」
最悪のケースが頭をよぎった。
「ヘンリー・エトワールは捕虜として、離れの部屋へ幽閉させた」
――幽閉? ディリット・サングリアがそんな生易しいことをするはずがない。
彼の冷徹さはこの目で見てきた。何十、何百と人を殺した指示を聞いた。
「その話は本当かしら。あなたがそんなことをする人間とは思えないけれど」
どす黒い言葉を吐き出しそうで、心を殺してなんとか耐える。
「そう思うのも無理はない。だが、これだけは約束する。ヘンリー・エトワールは生きているのだと」
「……。分かったわ、あなたを信じる。けれど、もしお兄様に傷の一つでもあれば、あなたの国はないと思ってちょうだい」
フリーデン王国には絶対的な力を持つ『英雄』がいる。国を打ち滅ぼす力を持つ切り札が、ジェリエナには残っていた。
「……レクス・アルザスか。まぁいい、話はここまでだ。改めてお前の答えを聞かせてもらう」
「ジェリエナ・エトワール、オレの妻になる気はないか?」
息を吸って、視界をシャットアウトする。
――ディリットの言葉『は』偽りのない、真っ直ぐなモノだった。
「お断りするわ。あなたの妻なんて、死んでもなりたくないもの」
「……理由は?」
怒りが重くのしかかろうとも、ジェリエナには関係ない。わがままを貫き通すだけだ。
「簡単よ、私はラパンと結婚するの。主従がなんだと言われても関係ないわ。
――私は、ラパンのことが好きよ。気づくまでは遅かったけど……。とにかく、ラパンは私の従者で婚約者。どう、文句でもある?」
城内が静まり返る。自分から言ったくせに、なぜか顔が熱くなった。
「言わせてみれば小娘が! ラパン・アルザスと結婚だと!?」
「えぇ、これが私の答えよ。話も済んだことだし、私達はお暇させてもらうわね」
遠吠えにかける言葉などあるものか。
背を向き、ジェリエナはラパンの元へ歩いていく。
「エナ、本当にあれで良かったのか? 蹴りの一つくらい入れてもいいんだぞ」
「そうしたいのは山々だけど、問題になりかねないし。おしとやかな私のイメージが台無しになるじゃない」
「もう手遅れだと思うがな」
「なんですって!? ラパン、あなた――」
「伏せろ、エナ!」
「きゃあっ!?」
途端、ジェリエナの目の前に剣がかすんだ。すんでの所でラパンに抱えられていなければ、どうなっていたか。
「あーらら、避けちゃいましたかー。残念です」
ヴァイオレットは襲い掛かってもなお、ジェリエナとラパンに笑みを向けた。
「一応これでも命令なので、大人しくしてもらえると助かります。そのほうが痛く済みませんので。ねぇ、坊ちゃん?」
「もちろんだ、ヴィオ。なんたってこのオレが、あいつらを見定めてやるのだから」
「――やれ。魔法は使ってやるなよ」
その時、ヴァイオレットにまとっていた何かが外れた。
彼が剣を出現させるほんのひと時、ジェリエナは死を悟る。
「……ラパン」
「あぁ、分かっている!」
ラパンが一歩下がり、蹴りを放とうとしたその時。
「そこまでだ、ヴァイオレット。私がいない間に暴れようとするな」
パチン、と音が鳴った。男の声だ。
「なっ、ロワさ」
言い切る前に、男は拘束魔法でヴァイオレットの動きを封じ込めた。
「不出来な息子と従者が、迷惑をかけて申し訳ない。どう謝罪すればいいのやら」
そう言って男は自嘲気味に笑う。
「もしかして、あなたは」
麗しの黒い髪に黄金の瞳。軍服の上にローブを羽織った男は、淡々と言葉を紡ぐ。
「ロワ・サングリア。帝国を治める皇帝だ」




