三十三話 「束の間の平穏」
「着きました。ここが、クリーク帝国です」
ヴァイオレットの声でジェリエナの目が覚める。空は曇り、煙臭さが鼻にまとわりつく。
商売でにぎわうエタンセル王国とは違い、帝国の街は鉄の臭いで塗り潰されていた。
「空気が全体的に重いわね」
「貴女達との戦争以来、ずっとこうなんです。ついには監視のためにボクを使う羽目にもなって大変なんですよー」
「そのわりには笑顔ね、あなた」
「えぇ。国に使われることが嬉しいんです、ボク」
国のために尽くす。心から嬉しそうに笑うヴァイオレットには、分かりやすく書かれていた。
「命令されてやっと、『生きていてもいい』って実感が湧くんです。戦うことしか能はありませんが、国はそれを許してくれた」
ヴァイオレットの笑みに唇を噛む。それじゃあ本当に『兵器』ではないか。
「エナ、ヴァイオレットのことは気にかけなくてもいいぞ。こいつもこいつで、『欠けてる』からな。兄さんと一緒だ」
ラパンが言うには、やはりヴァイオレットはそういう人間らしい。
「む、ボクをレクスと一緒にしないでください。レクスは自覚が無いのです。ボクにはありますのでー」
「お前……そうだったのか」
「なんですかその哀れみの目は。自覚がない、おかしな男に見えましたか?」
見えるわけないだろう。大きく息を吸い込んで、ジェリエナはヴァイオレットに言い切った。
「おかしくはないわ。あなたは『兵器』じゃない、人間よ。あなたにはまだ希望がある」
「……は。はは、ふふっ。貴女がそれを言いますか! いやぁ、こんな偶然あるんですねー」
「偶然って?」
「初めて坊ちゃんと出会ったとき、貴女と同じようなことを言ってたんです。もうボク本当に嬉しくて、泣いちゃったんですよー」
笑顔を軽く流すヴァイオレットは、薄い紙のように思えてしまう。ディリットも冷酷だと言われてはいるが、まだ優しさが残っているなんて。
そんなことが頭によぎり、思わぬ言葉がジェリエナの口からこぼれた。
「へぇ……。私とディリット皇子は似た者同士かもしれないわね」
「やめろ。
冗談でも、それだけは言うな」
ラパンの目には怒りが宿っていた。怒りで煮えたぎりそうな赤い瞳は、戦争の苦い思い出がよみがえってくる。
「……悪かったわ」
ジェリエナは後悔した。例え思ったことでも、口にしない方が良かったのだと。
微妙な空気を察して、ヴァイオレットは口を挟んだ。
「……で、そろそろ城の方へ行きたいのですが。どうしますー? 遅刻して怒鳴られるのは勘弁ですよー」
「待って」
止めたのはジェリエナだった。
「私、新しい服が欲しいの」
「服、ですか? そんなものは後からでも買えますよー」
「乙女心が分かっていないわね。一方的に婚約されたとはいえ、身だしなみはちゃんとしないと。失礼になってしまうわ」
「私にお熱なお坊ちゃんは、たとえ私が遅刻をしても許すはずよ」
「……。分かりました、今回は特別ですよ」
ヴァイオレットはため息を吐き、魔法道具で電話をかけた。
自分の手が震えているのは武者震いというのだろうか。今までこんなことはなかった。
「どうした、エナ。具合でも悪いのか?」
ラパンの声で我に返る。
本当は怖いなんて言いたくない。記憶なんてまだ不確かで、完全に思い出したわけじゃないのに。
ジェリエナはそれでも意地を張って微笑んだ。
「……えぇ、そうね。こう見えて、緊張してるのよ? 私」
「お姫様でも緊張するんですねー」
ふいにヴァイオレットが顔を出してくる。
「それはもちろん……って、なんで受話器が浮いてるのよ⁉」
「あれ、知らないんですかー? これは『ケータイ魔法道具』と言って、帝国が流行させたアイテムです。魔力がなくても、自由に浮かせられるんですよー」
「箱入り娘だから知らなかったのよ。いいわね、私にも一つ貸してちょうだい」
「嫌でーす。お姫様ってばガサツそうですし。信用できませーん」
「誰がガサツですって⁉」
「冗談です。というか、ずいぶんと余裕ですね。ボクとお話して楽しいですかー?」
つい口車に乗せらてしまう、とは言いたくなかった。ジェリエナはそっぽを向いてラパンに指示をする。
「ラパン、最短ルートで服屋を案内しなさい」
「了解した。……と言いたいところだが、あいつに聞かないと分からないぞ」
なんということだ。予想外の返事にジェリエナは顔をしかめる。
結局、面倒くさいことは自分に返ってきてしまうのだった。
◇◇◇
歩いて十数分、煙の臭いから離れたところに服屋はあった。
目につく物はフリルやリボンが多く、高級だがジェリエナは気にせず手に取っていく。
「ラパン、私が気に入った物は買うように」
「もちろんだ。金は有り余っているし、ちょうどいい」
ジェリエナはぎょっとする。ラパンのポケットから出てきたのは、札束で膨らんだ封筒だった。
「あなた、そんな大金持ってたの!?」
「小切手だと無くしそうでな」
「アルザス家の次男坊だけありますねー。お小遣いを持て余すわけです」
からかうように笑うヴァイオレットをラパンは睨みつけて、
「ヴァイオレット、お前……俺が兄さんの権威を笠に着ているとでも思ったか?」
「違いますよー、レクスから聞いたんです。『ラパンは滅多にお金を使おうとしないから心配だ』って」
聞いて、ジェリエナの眉が八の字に曲がる。
「はぁ? 本人に聞いたの? どうやって」
ラパンの兄、レクス・アルザスはジェリエナの国を守る『英雄』だ。彼がヴァイオレットに構うほど暇ではない。
しかし、ヴァイオレットは幼さが残る笑みで言った。
「ボクとレクスが親友だからですよー。ボクも一応貴族の出ですから、家同士のお付き合いもそれなりにします」
「何よそれ、初耳なんだけど」
「貴女のようなお子様に、大人のパーティーは早いですからねー。知らないのは当然です」
ヴァイオレットの挑発には腹が立つ。反論するのも気に食わないので無視をしてやった。
「ラパン、買うものが決まったわ。早く買って、さっさと城に行くわよ」
「あ、あぁ。エナ、本当にこの服でいいんだな?」
ジェリエナが渡した服はシンプルなものだった。黒いリボンがあしらわれた真っ白なフリルのブラウスに、白いフリルが付いている黒のスカート。むしろ今着ているゴスロリの方が豪華なはずなのに。
「欲しいからいいに決まってるじゃない。あと、適当な宿にでも配達させて」
「それなら、ボクが用意した宿に送らせましょう。貴方達にぴったりの部屋を用意させたので」
「招待状に加えて宿の手配……。ディリットなら、野宿しろと言わんばかりに思っていたが、まぁいい」
そういうと、ラパンは店員にお金を渡して宅配するようにと伝えた。
「よし、これで出発――」
できるとジェリエナが踏み出した途端、頼りない叫びが辺りに響いた。
「ヴァイオレット様~~! 伝令です、早く客人を連れてこいと皇子が!」
「あ、あなたは」
現れたのは軍服を着た女性だった。藤色の髪が美しく、ジェリエナよりも二つほど年上に見える。
「わたしはフミと申します。ヴァイオレット様の部下で……って、自己紹介をする暇はありません!」
「ジェリエナ様、早急にお城へ。ディリット様がお待ちです。それに皇帝陛下が来るのも時間の問題かと!」
「皇帝ですって……!?」
「そうです陛下がです! ジェリエナ様、ラパン様、緊急のためどうかお許しを!」
まばゆい光が視界を包む。フミは呪文のようなものを唱えて、ジェリエナとラパンを強制転移させた。




