二十九話 「凡人と魔法使い」
「おい、カルテ。お前、アリスに何て言った? もう一度言ってみろ」
後ろで見ていたラパンが口を挟む。当然だ。ラパンはアリスの従者で、夫婦になろうと告白した張本人だ。それをなぜぽっと出の男に奪われなければいけないのか。
「お前が……お前らのせいだ……」
カルテは肩を震わせて静かな怒りを燃やしていた。ラパンの質問などお構いなしに呟く様子は国民達を不安にさせ、騒がしさが伝達していく。
「ねぇあんた、さっきからおかしいわよ。大丈夫なの?」
「僕に触るな!」
「きゃあっ!?」
心配したアリスがうつむいているカルテに近づけば、アリスの白く柔らかい手を振り払う。すかさずラパンが駆け寄ったおかげで怪我はなかったが、カルテは徐々に様子がおかしくなる一方だった。
「お前……ついにアリスに手を出したな!」
「黙れっ!! 元はと言えば全部お前ら赤目のせいだ! お前達のせいで、どれだけ僕の大事な物を奪われたと思っているんだ!」
「知るか! そこまで言うなら話し合いの余地もない。アリスに手を出したこと、積年の恨みを晴らしてやる!」
ラパンがアリスをかばうように前へ立ち、ブレザーの内ポケットから暗殺用のナイフを取り出した。どちらの殺意も色濃く醸し出しており、怒りの火花が散りそうである。
「積年の恨み……? 笑わせる! 僕の怒りと恨みを身をもって思い知るがいい!」
その直後、カルテが消えた。
「あいつ、どこへ行ったの!?」
アリスの悲鳴を皮切りに王都も衝撃が焼き付いて離れない。不安は混乱に変わり、人々はざわめく。
「上だ、カルテは上空にいる!」
ラパンの叫びで、ほとんどの人間が一斉にカルテを見る。すると瞬きもしないうちに地面が悲鳴をあげた。
天変地異をも思わせるそれは魔法というより天災に近いものだった。こんな芸当をやってのけるのは、この世界の人間なら確実に三本指に入る代物である。
「……消えろ」
「おい、逃げるぞ!」
「ひゃっ!?」
魔法が発動するまでの隙を狙い、ラパンはアリスをお姫様抱っこして走り出す。突然の出来事にアリスの心臓が高鳴り、みるみるうちに顔が赤くなって乙女さながらだ。
「な、何してるのよあんた! 緊急事態だからって女子を軽々しく運ぶんじゃないわよ!」
「あの八つ当たりは尋常じゃない。お前ならカルテを大人しくできると思っていたが、今は無理だ。そこまで言うのなら今すぐ降ろしてやろうか!?」
「嫌に決まってるでしょ! ……って、なんで止まるの? わ、私が悪かったわよ。今度からちゃんと」
アリスは本当にラパンが走るのを止めて心底焦った。しかし、ラパンが足を止めていた理由は別にあった。
「くそ、魔法のせいで階段までの道が壊れてやがる。結界もなしに暴れるからこんなことに……」
「あ――」
アリスは崩れ落ちそうな瓦礫を見て、燃え盛る戦場の記憶――。おそらく、あの時の記憶が少しだけフラッシュバックした。
「どうした、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫よ。ほんの少し昔の記憶を思い出せたの。でも、今はそれどころじゃないわ」
アリスは呼吸を整えて、主としてラパンに告げる。
「私を守りなさい、ラパン・アルザス」
「……了解した」
その瞬間、ラパンは地面を蹴って宙を舞ってみせた。身体強化魔法を使えるのならまだしも、ラパンはただの人間だ。しかし、ラパンの血のにじむような努力はある意味魔法へと昇華する。
「いいか、一度しか言わないからよく聞け。俺は兄さんの真似事をした。それ以上は聞くな」
「は、は、話なんて聞けるわけないでしょ!? 私、高いところが苦手なのよ! どうしてくれるのよ!」
「どうしたもこうしたも、怖いなら俺にしがみついてろ! 下は絶対見るんじゃねえぞ、俺から離れるな!」
この時、アリスは本気でラパンに惚れた。今までぼんやりと抱いていた恋心が彼の一言で確信した。
――ラパンに恋をしたのだ。胸が高鳴り、頬が色づくのは意識してしまう証拠だ。
「僕の……。僕のアリスなのに、何自分の物アピールしてるんだよ。ムカつくんだよ、お前のそういうところ!」
しばらく大人しいと思っていたカルテが、逃亡しているアリス達に向けて炎魔法を放つ。燃え盛る炎は人を簡単に飲み込めるくらいの大きさで、時には怪物のような形になってラパンを追った。
「ひいっ」
ラパンが避けるたびにアリスは震えて短い悲鳴をあげる。震えるアリスを抱きしめながら、ラパンは煽りをまき散らす。
「お前も『僕のアリス』ってうるせえんだよ! 俺とアリスは夫婦になるんだ、いちいち口出しすんな!」
「……このっ、野ウサギがぁ!」
カルテの絶叫とともに次々とラパン達へ魔法が襲ってくる。炎の次は大地が泣き、雷鳴が鳴り響く。極寒の結晶が空気を凍らせ、果てには重力で叩きつけられてしまう。
「ラパン、あんたボロボロじゃない! それにその目……どうしたっていうのよ!?」
アリスが見たラパンの姿は傷だらけで、ところどころ服が焼け焦げていた。腕の力も弱まり、息も酷く上がっている。だが、目につくのはそれらだけではない。
「あぁ、これか……。お前には、俺の目のことは言ってなかったな」
抱えていたアリスを下ろし、ラパンは前髪で隠してきた左目をあらわにする。痛々しく悲惨な状態で、アリスは声をあげることもできなかった。
「俺は友人のラネオンに左目を切りつけられた。なぜそうなったかは言いたくない……」
言ったきりラパンが膝から崩れ落ちる。重度の疲れがたまったせいで、立ち上がることすらもままならない。
「……そう、そんなことがあったのね。今は休みなさい。後は私がなんとかするから」
「なんとかって……! 大丈夫だ、俺はまだ動ける! 兄さんよりは全然マシなんだ。だから」
一呼吸置いて、アリスが焦るラパンに言い放つ。
「もう一つ、主として言うわ。あなたは一刻も早く休むべきよ。いいえ、休みなさい。
主を信用しなさい。それとも、私がまだ『お子ちゃま』だから信じられないのかしら」
「……。俺も働き過ぎた。少しだけ休む」
アリスの冷たい視線から逃げるようにラパンは片膝を立てて眠った。ラパンが寝たのを確認して、アリスはカルテのもとへ動き出す。
「やっと来てくれたね、アリス」
今までのカルテとは訳が違う。カルテは瞳に憎しみと怒りを宿し、近くには魔法の源であろう相棒の炎の精霊もいる。
「えぇ、来たわ。さっそくだけど話をしましょう」
「……。いくらアリスでも今の僕だと君を傷つける。話し合いでは解決できないんだ」
「そんなのどうだっていいわ。何を言おうともあんたを説得させる」
アリスは一歩前へ踏み出すがカルテは一歩下がる。もう一度距離を縮めても、カルテと遠のいていくばかりだった。
「少しは歩み寄ろうとしなさいよ、この臆病者!」
気づいた時にはアリスの視界は炎で埋め尽くされ、飲み込まれる寸前だった。カルテが涙をこらえて悲痛な叫び声をもらす。
「これ以上、僕の目の前に現れないでくれ!」
「っ……!」
「はいはーい。ここは『警察官』さんの出番ですよー。火遊びしちゃあダメですからね?」
炎がアリスを飲み込む瞬間、熱風とともに消えていった。赤髪にスミレ色の瞳をした青年、ヴァイオレット・ノワールが魔法で消し去ったのだった。
来月の11月でクーデター編を終わらせる予定です! 2019、10、29




