☆番外編 「エトワールが記すべきもの」
アリ外2周年おめでとう!! 2019.6.26
これは、十数年前のとあるお話。平和主義を貫くフリーデン王国の城にて。
アホ毛のある黒い髪にアメジスト色の瞳。第二王子のヘンリー・エトワールが、妹であるジェリエナ・エトワールについて大きな独り言を呟きながら、一人で廊下を歩いていた。
ヘンリーは普段、知的で冷静なのだが、妹のことになるとシスコンっぷりを発揮する青年だ。
「今度こそ、可愛い『ジュエリー』……。じゃなくて、エナにお兄ちゃんって呼ばれたい! あぁ、もう。なんでお兄ちゃんじゃなくて、お兄様って呼ぶんだよ~。そういうお年頃なの? 俺の妹。少しでも好かれるために、エナが好きそうな服着てるんだけどなぁ」
ヘンリーの言うとおり、彼の服装はいささか女性寄りに偏っている。真っ白な服はフリルが多く、同じく白いズボンをはいていても女装に近いものだった。実際ヘンリーには髪の長い時期があったのだが、それはもう姉と見間違えるほどだったらしい。
「ヘンリー様は本当に姫様がお好きなのですね。分かりますよ、その気持ち」
「……レクスか。確かに、同じ兄弟だからかな? その辺りの共通点は、俺も君に近いものを感じるよ」
向かい側から従者のレクスが歩いてやって来て、妖しげな笑みを浮かべる。ヘンリーもまた、レクスに笑顔を返した。
「まぁ、君の愛と一緒にされたくはないんだけれど」
「ここまで意見が合うなんて珍しいですね。私も、貴方のそのシスコンっぷりにはどうかと」
ヘンリーとレクスの間に火花が散りそうなほど、笑顔の睨み合いが始まる。しかし、彼らも大人なので十数秒ほどですぐにやめた。
「そういえば、姫様……。ジェリエナ様なら、いつものように部屋へ閉じこもっていますよ。私は嫌われものですので、すぐに追い返されましたが」
レクスがほんの少しだけ、悲しそうに笑った。それを聞いたヘンリーは、『鳩』としてのスイッチが入る。
「そのくらい推測済みだ。君はさんざんもてはやされてるのに、どこか欠けている。どんなに完璧な人間でも、やはり欠点はあるものだな」
「……えぇ。人間とは、そういう風に作られていますから」
「へぇ。さすが英雄は違う。それじゃあ、俺は愛しの『ジュエリー』のところへ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ。ヘンリー王子」
◇◇◇
ヘンリーがジェリエナの部屋である、洒落たドアの前に立った。このドアの前に立つと、いつも重苦しい気配がまとわりつく。魔法や呪い、呪術といった類いのものではない。『魔女』としての一面を持ち、ジェリエナが人見知りと他人を拒むせいで、ドアそのものが彼女の『心の壁』になってしまったのだ。
「エナ、俺だ。お兄ちゃんだ。開けてもいいか?」
ヘンリーはドア越しに言葉を投げ掛ける。そのままドアノブに触れると、『心の壁』が拒絶して相手を気絶させるので注意しなければいけなかった。
「…………どうぞ」
か細い少女の声が聞こえた。それと同時に、自動でドアノブが回ってヘンリーを歓迎する。見渡せば相変わらずぬいぐるみだらけの部屋だった。カーテンは閉め切られ、光が射さない薄暗い部屋はジェリエナの心そのものである。
「隣、いいか?」
「えぇ、お兄様……」
大きなベッドに座っているジェリエナの隣を、ヘンリーが腰掛ける。彼女はうつむいていて、まだどこか病んでいるようだった。アメジスト色の瞳もすっかり光を失っている。
「……。エナ、外の世界へ行こう。自分だけの世界に閉じこもっちゃいけない」
「そんなの、わかってる」
ジェリエナは今にも泣きそうな顔で言った。ジェリエナが泣き出すのも時間の問題だろう。
「じゃあ、エナ。――君は今から『アリス』だ」
「……へ?」
「そして俺は君を救いに来た仮面の王子。そうだな……『ジャック』にしよう。心配なんてしなくていい、これはただの『おとぎ話』だ。
あぁ、これはなんてことない設定。可愛い妹が、身内の俺にすら心を開いてくれないんだから」
「ご、ごめんなさい、お兄様……」
震える声でジェリエナは謝った。涙をこらえ、手を握りしめながら。そんなジェリエナを怒るでもなく。馬鹿にするでもないヘンリーは、やわらかく包み込むように妹の頭をなでた。
「気にするな。エナは何も悪くない」
「でも……」
ふさぎこむジェリエナに、ヘンリーはすかさず話題を変える。巧みなトーク術を持つヘンリーにとって、ムードメーカーはお手の物だった。
「そうだ! 気分転換に、二人で星を見に行かないか? 綺麗な夜空を見れば、きっとエナの心も晴れるかもしれないな」
「星を……?」
「そう、ここだけの秘密な。そこでお兄ちゃんの楽しい話から大事な話まで、何だって話をしよう」
ヘンリーが目を伏せて、穏やかな笑みで呟く。
「俺とエナは大切で大事な兄妹なんだから」
「ヘンリー様。地下図書館の準備ができました」
今度はラパンの声がドア越しに聞こえた。ラパンはドアを触れるつもりはないらしく、ヘンリーとジェリエナを静かに待っている。
「さぁエナ、行こう。エナの好きなラパンも待ってる」
ジェリエナの手を優しく引き、ヘンリーはもう片方の手でドアノブをひねる。ジェリエナには兄に聞きたいことが山ほどあったが、ラパンに会えることや地下図書館の好奇心が勝ったため、導かれていくことにした。
――久しぶりに歩いた外の床は、石造りでごつごつしていた。
◇◇◇
ヘンリーたちが木造の階段を降りると、そこは歴史書や有名な童話などを取り扱う地下図書館であった。真っ昼間だというのに室内は暗く、三人はランタンを灯して図書館を見渡した。
「すごい……! お兄様、これ全部エトワール家の物なの……!?」
「もちろん。気になるんだったら、片っぱしから読んでもいいんだぜ?」
ヘンリーが得意気に言うと、ジェリエナは駆け足で真っ先に童話の本を読みに行く。先ほどの暗さもどこか飛んでいって、目を瞬かせている。
「……。いいんですか、あれで」
「あぁ、いいんだよ。何はともあれ、エナには居場所を増やしてもらわないとな」
「はぁ……」
いまいちピンと来ないラパンは、何とも言えない顔をした。ラパンにも確かに居場所はある。だが居場所が増えるたびに苦労するのは、良くも悪くも彼の悩みごとだった。
「さてと。俺はちょいと調べものだな~。ラパン、『エトワール』に関係する本を適当に選んでくれ」
「分かりました」
そうして、ラパンは手近な本を何冊か持っていってヘンリーに渡した。
「ありがとな。あと……大事な話をするから、エナも呼んできてくれ」
「……? 分かりました」
ヘンリーの言うとおりにラパンがジェリエナを呼び出す。すると、他の従者ならあんなに嫌がっていたのに、ラパンだとすぐにやって来た。
「お兄様、お話ってなあに……?」
ジェリエナは不安そうで、両手に持つ本を抱え込む。そんな妹も可愛いものだが、ヘンリーは自重して咳払いをした。
「この家の、エトワール家について話をしよう」
「わたし達の、家について……」
ジェリエナが生唾を飲み込み、ラパンは聞いておいた方が得だろうとヘンリーの話を待っている。
「そう。まず、エトワール家は王族の家系だ。けれど、ただの王族の家じゃない。エトワール家には必ず、『星読み』と『魔女』が産まれるらしい」
「星読みと魔女……」
ジェリエナが繰り返すように呟く。確かにエトワールはその名の通り星を意味するが、星を見て未来余地するなんてことは聞いたこともない。ましてや魔女なんかもそうだ。この家には、悪い魔女など一人もいないはず。
「エナ……。この機会だからしか言えない。お前は『魔女』として産まれた王女。そして俺は……『星読み』の加護を持って産まれた王子だ」
「わたしが魔女で、お兄様が星読み……?
そんな……! そんなの……。わたし、悪いことなんて何もしてないのに。どうして私が……!」
ジェリエナには悲しみと怒りが混じっていた。大粒の涙を流し、うずくまる。物語に出てくる魔女は、悪者で酷いことをする。こんなことは絶対にありえないはずだ。
「違う、違うんだエナ。聞いてくれ。確かにエナは魔女だけれど素質は無いんだ。一応魔力はあるけど……。君は良い魔女なんだ」
「本当……?」
「あぁ、本当だ。お兄ちゃんを信じてくれ」
今日でジェリエナは何回泣いたのだろう、とヘンリーはため息をつきそうになる。だが、兄として妹を勇気づかせるためにも、ジェリエナの頭を優しくなでた。
◇◇◇
ヘンリー、ジェリエナ、ラパンが地下図書館から出ると、そこには見渡す限りの星空が広がっていた。乳白色の柱と柱の間から零れ落ちそうなほどだ。すると、ラパンは一言ヘンリーとジェリエナに告げる。
「俺はこれから仕事へ向かいます。では、良き夢を」
それだけ言い残して、ラパンは本来の職業とも言える暗殺者の施設へと向かっていった。ラパンを見送った二人は向き合い、ジェリエナの方から口を開いた。
「お兄様……。わたし、お兄様のこと、信じる。それに……お星さまも、なんだかわたし達のことを見守っているような気がするの」
「俺もそう思うよ、エナ。……辛いことや悲しいことはたくさんあるけれど、一人で抱え込んじゃダメだ。今度から、俺や城のみんなを頼ってほしい」
「……うん、わかった。ねぇ、お兄様。わたしのこと、愛してる?」
この時、ヘンリーの瞳にはこれから起こる未来が映っていた。城は燃え盛り、妹のジェリエナは涙ですくんでいる。けれど、今視点を向くのはそちらではない。
「愛してるよ、エナ。世界で一番可愛い、俺の妹」
ヘンリーはたった一人の妹に寄り添い、星空を見ながら手を繋いだ。




