十話 「青年が見た夢Ⅲ」
あの少年を預かって数日が経ち、少しずつ彼のことも分かってきた。
少年の名前はルアと言い、孤児で一人さ迷っていたところを施設の人間に保護されたのだという。
少し性格に難があるらしく、相応の覚悟はしていた。しかし、いざ世話をすると鬱陶しくて仕方がない。毎日欠かさずラパンの後ろを、金魚の糞のようにべったりとついてくるのだ。
「兄さん」
「……」
「ねぇ、兄さん」
「……何だ」
「呼んでみただけ!」
と、ルアは満面の笑顔を見せているが、ラパンは相変わらず仏頂面だった。かれこれこの動作を一時間は繰り返している。
それに毎回引っかかるラパンも鈍感なのか彼の優しさなのかは定かではないが、さすがにラパンにも相当のストレスが溜まっていた。
仕事である上司や依頼人からの任務はもちろん、ルアの分も含めた食料の買い出しや調理。ぬいぐるみ遊びに付き合ったりなど様々だ。
その中でラパンが特に面倒くさいと思っているのが、上司から直々に奢ってやると誘いが出た時である。愚痴を聞かされ無理やり酒を飲まされ、挙句の果てには上司が酔っ払うまで付き合うことだった。
さらに陶酔した上司を、彼女の私室にまで運ぶ必要がある。おかげでラパンは翌日には必ず胃もたれと頭痛が続いている。
まともな睡眠もつけず、寝不足で最悪の朝を迎える羽目になるのだ。
事情を全く知らない人間が、ラパンとルアの様子を見れば本当の兄弟のように仲良く見えるだろう。だが、ラパンはルアのことを弟としてではなく、ただの他人だと線を引いて壁と境界を作っている。
そう、結局はただの他人同士なのだ。同僚達に勝手に押し付けられ、虐待されていた身寄りのない幼い少年を引き取った。などという理由で、兄さんだの家族だの言われる筋合いはこれっぽっちもない。
もし本当の兄弟だったとしても、仲良くできるとは到底思えない。一方的にルアが遊んでほしいとねだり、玩具を取り上げればわんわん泣きわめくだろう。
それにラパンには実の兄と、幼少期から父親同然に自分を育ててくれた人。それに同じ年齢くらいの弟のような存在がいる。ルアとは違い、完全に独り身というわけではないのだ。自分にだって当てはある。
「このやり取りもうやめにしないか……。俺は疲れた……」
あくびを噛み殺し、脳に酸素が行き届いてないような感覚に陥る。
ここ数週間、ルアがラパンにハンバーグやオムライス、カレーなどラパンに作らせていた。ルアは満足そうに食べるが、ラパンはルアを引き取る前と同じ質素な食事を続けている。
乾燥して固くなったパンや、味付けも何もつけずに焼いた握り飯をもそもそ食べている。
ベッドでは元々寝ないせいもあって、ベッドはルアに譲った。そして、自分はソファで寝るという相変わらずな生活を送っていた。
稼ぎは少なくない。むしろ多い方だ。人と関わるのを極力避け、集団行動での任務もたった一人でこなしている。
もっとも、暗殺者の組織に所属したばかりの頃は上司の命令にも背き、グループに群れることもなかった。
命令違反だの、空気の読めない奴だのと疎まれていたが、今では誰もがラパンのことを認め、人目置かれている存在になっている。
「おい貴様ら、さっきから何をしている? 報告してきた情報とは違って随分と仲がいいじゃないか」
噂をすれば何と言っただろうか。ラパン達の上司が長い金髪を揺らしながら、ロングブーツのヒールを鳴らして微笑ましい表情で歩いてくる。
彼女の名前はメルロー・シュトルツ。長い金髪と豊満な胸、薄いピンクの瞳と口紅が特徴的だ。白と金を基調とした裾の長い上着とスーツ、ズボンを身にまとっている。
体術にも長けており、彼女の蹴りにかなう者は誰一人としていない。そして責任感も強く、組織の部下達をまとめあげている。
飲み会や奢りになれば酒を何合も飲み干す酒豪で、起き上がれないほど酒を飲むのが彼女流の飲み方なのも部下達の間で有名になっていた。
この暗殺部隊の組織に所属している者ならば、一度は聞いたことのある名前。
だが、一人の少年は知るよしもない。
「ねぇ、お姉さん誰?」
「私の名前はメルロー・シュトルツ。ここの部下達をまとめる、リーダーみたいな者だよ。
……それにしても驚いた。報告には聞いていたが、こうして直に見ると改めて何も知らない、無垢な子供だと実感できる。だからこそ皆に疎められ、恐れられていたのだな……」
メルローはルアを哀れむような目で見ているが、ルアには当然、どういう意味なのか分からなかった。
今は知らない方が賢明だ。知らなければいいことなんて、この世には山ほどある。
メルローは目を閉じてため息をつくと、いつもの仕事の顔つきに戻った。
その顔はとても凛々しくて高い。まるでこれから獲物を狙い、狩りをする鋭い眼光を放つ鷹のような瞳だった。
「『白ウサギ』ラパン・アルザスと、『三日月ウサギ』ルアに命令する。ここ一帯に張り付いている敵のスパイを殲滅しろ。ただちに任務を遂行し、目的地へ向かえ。分かったな?」
「……分かりました」
「分かりました!」
テンションの高低差は違えど、交差する二人の声に安心したのか、メルローは安堵の表情を浮かべる。
「この調子で、積極的にこの二人を任務に同行させなければいけないな……。……こいつらのためにも」
その呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
メルローは二人の部下に背を向ける。長い金髪を揺らしヒールを鳴らしながら、メルロー・シュトルツは廊下を後にした。
しばらくの間、アリ外の更新が遅くなります…!詳しい情報は活動報告、またはあとがきに書く予定です(2017,10月11日)




