6.義妹
執筆そして投稿スピードが遅く、読者の皆様には大変ご迷惑をお掛け致しております。申し訳ございません。今回は少し長めに執筆致しましたので、少しでも楽しんで戴けたらと思っております。では、ごゆるりと------
源 あゆむ。それは私の兄であり、この世で最も尊敬している人物。そして、この世で最も感謝している人物。私にとってはいなくてはならない存在。かけがえの無い存在。もしも自分の兄が、「源あゆむ」それ自体でなくなっていたのであれば、自分の存在が打ち消され、「人間」として成り立たなかったであろう。
------唯一無二
他者に兄弟愛と言われ様が関係ない。自分の兄を超える人格を持った人間は、この世に存在しない。例え、自分に取り得が無くとも、今は自分の兄の事だけは誇る事が出来る。
幼少期の自分が、もしも今の自分の心境を知ったら首を傾げるかも知れない。なにせ私、源 理紗子は兄である源 あゆむの事が大「嫌い」だったのだから……
◇◆◇◆◇◆
寝ても醒めてもあの時の事ばかり考える。両親から相手にされなくて、いじけていた、悩んでいた、怯えていた、そんな感覚に苛まれていたあの時。お父さんは仕事の関係で海外へ出張。お母さんは単身赴任。故に私の回りには兄しかいなかった。小学校にいて普通に過ごして、友達や親友は大勢出来たけれど、空虚な毎日だった。「愛」が無かった毎日だったと言い換えても差し支えは無い。
求愛された事は幾度もあった。自分自身、そんなに魅力的なのかどうか疑問であるが、「告白」は一ヶ月に一度は必ずあった。
------「好きだ!」
言葉の終わりには必ずこう発して締めくくられる。他の人はこんな言葉に胸が締め付けられるような思いをするという。しかし、私はそうは思わなかった。
------使い古された言葉
新鮮さが無かった。私の心が全くと言っていいほど潤わなかった。愛が足りてないのだから、恋人を作ってその隙間を埋めれば良いではないか。そう思っていざ付き合ってみても2日と持たなく別れてしまう。当然だ。私はその人を愛して等いないのだから。いや、そもそも愛そうという事すらしなかったと言っても過言ではない。
------何故なのであろう
そう考えてはみるものの、一向に答えは出なかった。
心に侘しさを感じつつも毎日を過ごしていった。しかし誰もそれを埋めてはくれなかった。例外なしに……。
あの時、兄はいつも帰りが遅かった。だから兄が帰ってくるまで家にはいつも私だけ。リビングのソファにいつも膝を抱えて誰か(・・)を待っていた。侘しさを、心の隙間を埋めてくれる誰か(・・)を、待っていたのだ。しかし、誰も私を救ってはくれなかった。自分の身内も、一番近くにいた兄でさえも交友関係で私の事等見向きもしなかった。
「ただいま」そう聞こえてくる時には私はもう床についていた。泣いた。布団の中で必至に体を縮こまらせた。涙や鼻水で濡らした膝を誰も拭って等くれなかった。両親が仕事柄帰って来ない故、私には兄しかいなかったのに……。愛が欲しいと祈り、願ったのに……。それでも私の心とは背反して、兄のつま先は私の部屋には向いてくれなかった。日増しに高まってゆく期待を、兄は知る由もなく簡単に踏み躙る。妹の、家族の、源理紗子を裏切った。そんな風に日を追う毎に私の兄への嫌悪感が強まっていった。
そしていつしか、誰も心配等してくれない。私の存在すら認めていない。
------私は空気なんだ
そう思うようになった。だったら……
------消えてしまおう
誰も気にしないし、泣いてくれもしない。私がこの世からいなくなっても、友達も家族も兄も笑って過ごす時を経てゆくのだろう。だからそういう考えに及んだ。そしてあの出来事は起こった。
私は誰もいないリビングでいつものように膝を抱えていた。他人が帰ってくるまで、ひたすら自分の存在を縮こまらせた。
外からの街灯やイルミネーションが家の中に入ってくる時間になっても、電気をつけなかった。そして暗闇の中、他人は帰ってきた……
玄関から足音が聞こえてきて、リビングのドアノブに手を掛けて同じ空間に入ってきた。「理紗子、いるのか?」そういいながら電気を点けた瞬間、私は立ち上がって刹那の内にベランダに裸足のまま出る。そして塀に背中を向けて、呆然と立ち尽くした他人に向かって「源理紗子なんて人間は、この世にいません」そう呟いて、自分の腰を塀に掛けて背中に体重を加圧し、空中を舞った。
------お兄ちゃんなんて、大っ嫌い
マンションの10階から落ちる時、そう思った。謂わば地獄から奈落の底へ堕ちて逝こうとする、そんな感覚。そんな感覚の中、私が見上げたもの、目にしたものそれは……。ミステリーやオカルトではこのような時に回り灯籠が見える場合があるなんて説があるけれど、私がその時見たものはそんなものではなかった。
◇◆◇◆◇◆
腕がひんやりしている、それに額がなんだか……。そう意識し始めた時、正面から声が聞こえる。誰だろう……。
「ょう、---ちょう、ちょう、みな---いちょう」
次第に意識が鮮明になってゆく。話し掛けてきているのは、いや私を呼んでいるのは声高のソプラノボイス。しかも口語尾が窄むといった特徴を持っている。つまり、あの子だ。
「源会長」
そうはっきりと聞こえた時点で、漸く机に突っ伏していた状態から顔を上げる。さっき腕がひんやりしていたのは私の額の重さで血の気が引いていたのね、と自分の冷え切った腕を見ながら冷静に思う。腕にシュワシュワと炭酸が弾けるみたいな感覚を憶えている最中、目の前の淑女は口を開く。
「どうかなさったのですか? ご気分が優れないようでしたら係りの者を呼んで付き添わせますが」
そう心配そうな表情で私に問いかける。
常時光潤で大きな目を彼女は持っている。言ってみれば、自分のする事成す事全てに自信を持っている様な瞳の持ち主だ。
「い、いえ。それには及びません。単に寝不足なだけですから」
すると彼女は安堵した面持ちで胸に手を当て息を漏らした。そして自分の座席に向かい、腰を下ろす。
「ミス・ヴェラフェリーチェに何かあれば学園中が騒動になりますわ。くれぐれも無理は為さらぬ様御願い致します。えと、それから……なんでしたっけ、何か言おうと思っていたのですが…」
ミス・ヴェラフェリーチェ。学園で一人しか選ばれず院生の模範となるべき存在。成績優秀、頭脳明晰、文武両道、素行良好が基本選考条件。そして他校に比べ異様と思える2月学年始めの全校集会の際に候補者の選挙が行なわれる。そこである一定の厳しい条件を潜り抜ければミス・ヴェラフェリーチェとしての一年を過ごす事が出来るのだ。学費大幅免除、ミス・ヴェラフェリーチェと在校生からは尊敬され、憧憬の念で見られ、学園からは「特別待遇」を受けられる。
「そうですわね、皆様に選んで戴いた以上、任期中の不具合等許されませんものね。御気遣い下さってありがとう、柚葉」
「会長…」
所はSt.Veraferith女学院6階、いやここでは呼称名が違う。各階を上階から下階に向かってFL/A→B→C→D→E→Fといった風に呼称されている。従って正しくはFL/A。別名Nonaggression Floor、不可侵階。普通であれば1フロアを26区画に仕切り、約500人程度の院生が犇く様に収まっているのであるが、この不可侵階だけは別。全校院生1603名中の入室を許可された5名が1フロアを占有出来るのである。つまり裏を返せば私達5名以外は例外無しに入室出来ないのだ。ではその限られた5名とは一体学院でどんな存在なのかという疑問が当然浮かんでくるが、それについては私が「ミス・ヴェラフェリーチェ」とは呼ばれず「会長」と呼ばれる所以から立脚している。
「どうぞ」
そう言われて、私のデスクの上に優しく置かれたのはアイスミルクティだった。コースターの上に乗ったそれは、解け終わっても薄くならない程の適量の氷、飲み易いようにストローまで付いている。彼女の気遣いの程度が窺い知れる。
笠霧 柚葉。学院2年生。つまりは私の一つ下の後輩。背中まで届きそうな艶や光沢のある黒髪に大きな赤リボンが特徴的で、均整の取れた顔立ち。加えて気立てが良いとあって学院では注目の的である。謂わばこの学院の院生から羨望される一人。
「ありがとう」
私がグラスに口をつけるのと同時に彼女は口を開く。
「ミルクやガムシロップの程度がイマイチ把握できてなくて、目分量で入れたのですが…如何でしょう。もしかして、甘すぎます?」
「いいえ、とても美味しいわ。ミルクとガムシロップの調度が取れていて、とても私好みの味よ」
「良かった…」
「柚葉も私と同じアイスミルクティでいいかしら」
そう問いかけながら私はグラスをコースターの上に置いて、立ち上がる。そして自分がカードキーを使って入室してきた扉の方を見据えて、一歩前に踏み出す。向かうは扉横に設置された給仕コーナー、言い換えればお菓子・ドリンクコーナー。概念的にはよくファミリーレストラン等にある様なドリンクバーみたいなものなのだが、実際には高級な調度品に入れられたジュースやどこぞの王室御用達のティーセットだの茶葉だのが沢山あるようなブースである。
「そ、それには及びません。私が自分でやりますので、会長はそのままでいて下さい」
少々驚きつつ、腰を椅子から上げる彼女。私はそれを受けて右手を差し出して、それを制す。
「私がやりたいのよ。いいからそのまま座っていらっしゃい」
「でも…」
「座っていらっしゃい」
私がそう言うと彼女は不服そうに腰を下ろした。そして俯いたまま
「は、はい」
私はその返事を聞くなり首を縦に振って、ドリンクブースに向かう。そしてそこにいくつも重ねてあるグラスから一つを取り出し、同時にティーポッドを用意する。ティーポッドには紅茶の茶葉をすりきり三杯入れて、お湯を入れる。そして、茶葉が開ききった瞬間に氷の入ったグラスに静かに注ぎ込む。最後にミルク、そしてガムシロップの代わりに蜂蜜を入れてマドラーでかき混ぜストローを差し込む。それが済むと私は踵を返して、お手製のアイスミルクティーを彼女のデスクにそっと置く。
------「感謝」って人間にとって大事な事だとボクは思うんだ。
そう言ったのは私の兄、源 あゆむだった。
私は過去に人間として決してやってはいけない事をしてしまった。過去の「罪」はどうしても拭う事は出来ない。だからせめてこれからは人間として善くあろう、人がされて喜ぶ事をしよう。兄の言葉が私をそんな気持ちにさせた。そして私の「決意」、その根底にあるものは……
------源 あゆむが誇れるような、そんな「義妹」で在ろう
そんな狭持が私を今の人格へと変化させた。そう、院生は私、源 理紗子をこう呼ぶ。
------「ミス・ヴェラフェリーチェ」……と
「ありがとうございます。会長に給仕して戴くなんて光栄余って、恐縮です」
「いえいえ、私がしたいと思った事をしただけよ。私の我儘を通しただけなのだから、そんなに畏まらなくていいのよ」
そう微笑み投げ、私は自分の席にゆっくりと戻ってゆく。席に着いた時点で辺りを見渡してみる。自席は入り口と相対していて、左と右には2席ずつ各々相対する様に位置している。従って形で言えば凹上、と言える。私から見て右手前、私の席の近くに座っている彼女は私が先程注いだアイスミルクティを飲んでいる。それ以外、つまり空席3つは未だ埋まらない。どうしたのだろう……、そう思っていると
「お、美味しい」
目を大きくしながらそう呟く彼女に意識が向く。私の昔から好きなアイスミルクティ、どうやら気に入って貰えた様だ。そう思うと口元に笑みが綻ぶ。今まで他の人には飲ました事のないそれを、初めて飲ませて、初めて褒められた。後輩ながら、いや後輩だから嬉しい。恩を礼で返して心に報いが還ってくる。
「そう? そう言ってもらえて嬉しいわ。それはね、私の兄が昔よく飲ませてくれたのよ」
「会長にお兄様がいらっしゃったんですか、意外です。てっきり兄姉いらっしゃらないのだろうと思ってました」
そう頷いた後、私が淹れたアイスミルクティから濁音が聞こえる。
「何故そう思ったの?」
そう問いかけると、彼女は私の目を真っ直ぐ見て照れながら口を開く。
「だって、会長はしっかりしていらっしゃって、気立てが良くて、博識で、運動も出来て、礼儀礼節がしっかりしていらっしゃって……。そんな方のお兄様やお姉様なんて想像出来なかったのです」
「私はそんな超人ではないわ。でも、私の兄は超人よ。私なんか到底及ばないくらいの…私にとっては雲の上の存在なの」
私は二つの仮面を付けている。「ミス・ヴェラフェリーチェ」という仮面。そして源 理紗子というあゆむの「妹」という仮面。双方の表性格は真逆。しかしどちらも私には必要なんだ。そうでないと私が私で無くなってしまう。だから私は今「ミス・ヴェラフェリーチェ/会長」の仮面を被り、理想の院生を装わなければ。
「雲の上、それって神様じゃないですか?」
「フフ、そうね、そんな感じかしら」
そんな風に話に花を咲かせていると、私の机の上のアラームが甲高い音で鳴る。
------会議開始10分前
欠席・遅刻連絡はこのアラームまでとなっている。それをしてこないという事はつまり
「もうすぐ会議の時間ですね。でもまだ皆さん集まってらっしゃらないですね。皆さんどんな御用なんですか?」
「それが、何も聞いていないの」
「えっ」
彼女は驚きの声を上げて、アラームから私へと焦点移動する。
「恐らく忘れている、という事よ。裏を返せば昨年の終業式から3ヶ月、会議が今日の始業式後というのを憶えていたのは私と柚葉だけだったという結論に至らないかしら? 新入生は初参加だから仕方ないとしても、あのお惚けさんは全くどうしたものなのかしらね」
私はふと左手前の無人のデスクに目を向ける。その視線を察知したのか、柚葉は少し困った様な表情をして言葉を紡ぐ。
「確かに…、では本日の会議はどうなさいます?」
「そうね、そうしたら今日のかい」
そう口語しようとしたその時に正面の自動扉からピっという機械音が聞こえ、扉が左右に開かれる。
「皆様、ごきげんよう」
そう堂々且つ優雅に入り口から入ってきたのは、空席の持ち主の内の一人。茶髪でセミロングの巻き髪、肌が程よく白く、顔が人よりも小顔且つ睫が長い特徴を持った女の子。学院一年生 百合河崎 愛癒。
右手で自分の髪を耳に掛けながら、そうご機嫌を伺う愛癒さんに私達上級生は呆気に取られていた。
その証拠に柚葉は口を小開きにして見つめている。私もあまりの衝撃に声が出ない。
そんな私達を他所に愛癒さんは空席を見渡した後、正面に座っている私に目を向ける。そして私の目の前までゆっくりを歩みを進めて止まる。
「初めまして、ミス・ヴェラフェリーチェ。私は百合河崎 愛癒。この前入学してきたばかりの学院一年ですわ。この度は淡紅梅地区ヴェラフィン司教様からのご推挙により、当学園のこの后玉会に入会させて戴く運びとなりました。これから宜しく御願い致します」
私のデスクの一番上段の引き出しには一つの封筒が閉まってある。差出人は『淡紅梅地区ヴェラフィン司教 エレクトリア・グレゴリウス』。彼女からの封筒の中身は2枚の通知文と1枚の紙だった。その通知文には今回入学してくる学院1年生から、この后玉会に入会させる2名の名前や家族構成、電話番号、得意科目、趣味、司教からみた対象の人物像などが記載されてあった。故に感覚的に人物像を予想したのだが、結果予想と現実がかなりかけ離れていたといったところであった。
「ええぇ、初めまして。私は后玉会の会長を務める事になった源 理紗子。こちらこそ宜しくね、愛癒さん」
「愛癒で結構です。色々と至らない点があるとは思いますが、ご教授の程お願い致しますわ、ミス・ヴェラフェリーチェ」
愛癒は自分のドレススカートの布をちょこんと摘まんで軽く会釈をする。
「愛癒」
そう横から呼んだのはさっきまで呆気に取られて凝固の状態にあった柚葉だった。柚葉は立ち上がって愛癒の元まで近づいてきて面と向かい、口を開く。
「まず『出席・欠席連絡は開始時間10分前』というのは勿論ご存知よね? 司教様から召集された際に后玉会会則集を戴いたハズだわ。一年生だからといって甘やかされる訳ではなくてよ」
腕組をしながらそう問いかける柚葉。
「それは申し訳ございませんでしたわ。えっと…」
「当学院2年生笠霧 柚葉といいます。后玉会においては財務長を務めております」
「あら柚葉様、糸くずが付いていらっしゃいますわよ」
「え?」
愛癒はそう言って柚葉の髪に付いた糸くずを取り、目の前に持ってきて見せる。
「はい、取れましたわ」
「あ、ありがとう、貴方優しいのね」
「いえいえ、当然の事をしたまでですわ。それより柚葉お姉様?」
「お、お姉様ッ?」
柚葉は後輩からの思いがけない言葉に驚き、照れている様に見えた。もうこの時点で当初の勢いを失い、完全に愛癒のペースに呑まれてしまっている。尻を丸め込まれるとはこの事ではないだろうか。
------ある意味この後輩、末恐ろしい……
「私のデスクはどちらになりますの?」
「え、あっ、そうよね。後輩の席を直ぐに教えて差し上げないなんて、私ったら。愛癒の席は私と対角線上の入り口に近いあそこの席です。一応事務用の文具や必要になるであろう道具は揃えました。それでも何か足りないようでしたら、私に仰って?」
柚葉はハッと何かに気付いたように目を見開き、次第に語気を弱く、いや優しく話し始める。
「えっと、足りないというか何と言うか……」
愛癒は右耳の付け根を触りながら、言葉を濁した。目が斜め下にいっている、何かまるで先を尋ねろという意思表示のよう。
「どうしたの? なんでも私に仰ってくれていいのよ」
その言葉を待ってましたと謂わんばかりに、顔を上げて先輩である柚葉の目を直視する。
「折角のご縁です。私の席は柚葉お姉様のお隣がいいなと。私図々しいですわよね?」
刺そうとしている。何かが刺さる寸前、私に言われた訳ではないのに、何かが私の心に、突き刺さる手前の様な気がする。他人がこのように思うのだから、言われた当人は……。
「い、いいえ。全然図々しいなんて事はないです。どうぞ、お座りになって♪」
柚葉は後輩が座る座席を引いてあげて、愛癒が座るのを待っている。先輩にここまでさせる事が出来る後輩……他にいる、かしら? しかも柚葉はそんな事を気にしている素振りは全くなく、むしろ喜んでいた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、当然の事よ」
愛癒は先輩が引いてくれた座席に腰を下ろし、デスクの横のカゴに自分の鞄を入れる。そして一息ついて今度は私に向き直る。---目標決定。
「ミス・ヴェラフェリーチェ」
「愛癒、あのね、ここ后玉会では源 理紗子先輩は『ミス・ヴェラフェリーチェ』ではなくて、『会長』と呼ばなくてはいけないのよ」
さっきまでとは対称的に、柚葉は横からそう穏やかに注意する。
そう私はこの后玉会では「ミス・ヴェラフェリーチェ」ではなく「会長」と呼ばれている。何故か。それにはこの学院生徒が信仰しているヴェラフィン教との関わりがある。
「何故です? 学院生徒は皆さん『ミス・ヴェラフェリーチェ』と呼んでいらっしゃるではないですか」
当然返って来るであろう疑問に、腕組をしながら柚葉は口を開く。
「それはね、私も愛癒も信仰しているのはヴェラフィン教でしょう。ヴェラフィン教の聖典である『Victus』には知っての通り、こう記されているの。ヴェラフィン教徒はいかなる場合においても、自らが尊敬する人物には最大の敬意を表す事。この条文はご存知かしら?」
「えぇ」
柚葉は後輩の当然の反応に、先の言葉を紡ぐ。
「ではここで私から質問ね。貴方は出席していないけれど、司教様から聞いていると思うから問いかけさせて貰います。当学院のミス・ヴェラフェリーチェとはどのような存在で、どのように選出されるのでしょうか?」
柚葉はそう問いかけ終わると、後ろに手を組み、徐に自分の席に戻り腰を落ち着ける。愛癒の回答を待ちわびるかのように、柚葉はデスクに肘をついてちょこんと顎を乗せる。
「まずVeraferith女学院においてのミス・ヴェラフェリーチェの存在。それは3学年を通して一人しか選ばれない名誉。その中身は当学院の院生像とされる慈愛・友愛・献身を持ち合わせる院生の手本となる理想院生に足る存在ですわ。選出方法は有効投票数60%以上、加えて教師一人以上の認可状が必要となります。もしも決まらない場合は、他に票を獲得した候補生から票の譲り渡しが行なわれ、60%を越えた時点で決定される。こんな感じの説明でよろしいでしょうか?」
「ええ、その通り。でもここで問題なのは『ミス・ヴェラフェリーチェ』の拘束力よ。確かに『ミス・ヴェラフェリーチェ』はヴェラフィン教徒である私達から選出される。今年で言えば会長は約71%の獲得票だったわ。けれど裏を返せば約29%の人達は支持しないって事でしょう。『会長』は院生の統括象徴であり、絶対権威なの。だから少しの人にでも支持されていないなんて持っての外。しかし『会長』は教皇閣下から任命状を戴くの。考えてごらんなさい、教皇閣下という事はヴェラフィン教の中で絶対権威、誰もが崇拝しているの。その人が認めたという任命状を貰ったのだから当然、ヴェラフィン教徒である以上支持しなければならない。要するに普通に生活する分には『ミス・ヴェラフェリーチェ』と呼んでもいいけれど、こういう仕事の場においては絶対権威である『会長』と呼ぶのが道理なの。お分かりになって?」
柚葉は後輩に懇切丁寧に一言一句切りながらそう問いかける。そして数秒沈黙が続き、笠霧さんは頷く。すると徐に腰を上げて空になったグラスを持ってドリンクサーバーの方に向かう。
「つまり『ミス・ヴェラフェリーチェ』は単なる象徴であり、院生から見れば憧憬の存在であると。逆に『会長』は院生を仕切る后玉会のトップとして絶対権威を持っていなければならない。どの院生においても従わせなければならない、拘束力・強制力・発言力どれもが必須であると。そう仰りたいのですか?」
後輩の的確な説明に笠霧さんの給仕の手が一瞬止まる。そして少し振り返りながら
「え、えぇ、概ね網羅されています。故にここでは『会長』と呼ばねばなりません。『会長』が単なる憧憬や象徴であってはならないのです」
それを聞くや否や、愛癒はゆっくりと私の方に顔を向けて口を開く。
「では改めまして『会長』、お尋ねしますが、何故ここにいらっしゃるのですか?」
そう微笑みながら優しそうに問いかける愛癒に恐怖の念を抱いた。突然、何の脈絡もなく問われたその言葉。そう、本来ならば私はここにはいない事になっている。何故ならば私が所属する茶華道部では毎年この時期にお茶会が花見スポットで開かれているからである。今年の場所は熊本。故に熊本に向かっているハズの私が、ここ学院のAFに居ること自体おかしいのだ。でも奇妙だ。2年生の柚葉から指摘されるなら未だしも、まだ入学したての、しかも私の事を概要しか知らない彼女が私の所属する部会の行事を知っているなんて……。恐ろしい…。
少しの間沈黙が続く。熊本に行かなかった理由。お兄様がこの淡紅梅に移り住んでくるから、その出迎えに会いたくて迎えに行ったから部会を欠席した、なんて…言えようもない。
「っあ、そうですよ。会長は熊本に行っていらっしゃるハズ。さっきから何かが引っかかると思ってたらこれでしたわ。」
「そ、それは…」
思わず動揺して口篭ってしまう。なんと答えてよいのやら、いえどう潜り抜けようか、思考に思考を重ねてみるも思い浮かばない。どうしよう……
「考え得る理由は一つしかないのではないでしょうか」
そうあくまでも穏健に、そして優雅そうに話す愛癒。これから言おうとしているこの子の推察は私にとって、恐らく脅威。
愛癒は腕組をしながらにこやかに私を眺める。
「部会よりも后玉会が好きなのですね?」
「はい?」
結果、続答は予想を斜めにいった。
「ですから、茶華道部の定例実地会よりも后玉会の初回会議の方をお選びになって下さったのでしょう?」
そう私に問いかける愛癒の瞳は何故か私に向けられる事無く、隣の柚葉に向けられた。すると柚葉は何か思いついたように私の方を向いて目を見開く。
「会長、ありがとうございます。私、定例実地会が嫌だから仕方なくこちらに来ているなんて事を考えていましたわ。なんたる愚考。何卒お許しくださいまし。会長が部会より初回会議を后玉会を優先して戴いた事誠持って嬉しく存じます」
不思議。私を貶めようとしている様に感じられても、実際そうならない。でもなんだろう、いやな予感がする。その実態は分からないけれど、私の背筋が一瞬ゾッとしたのだ。彼女が柚葉に向いていた視線が、一瞬私に細目で私を蔑んだ様なそんな気がしたのだ。私の単なる気のせい、杞憂なのかしら。まぁいい。一応これで私がそうだと認めてしまえば一件落着。
「えぇ、そうなの。最初が肝心というじゃない?」
「そうですわね」
尊敬の瞳で私を見る柚葉。ごめんね、私あなたに嘘ついてる。しかし私自身がもう在るようで無い存在。私の生成要素は100%嘘と言っても過言ではない。そんな私が何を今更罪悪感に駆られ、懺悔しようとしているのだろう。烏滸がましいにも程がある。
「そうそう、もう一つ会長には言っておかなければならなかったのですわ」
またも突然、愛癒が思い出したように私に目を向ける。そう、私の中で愛癒が恐怖から畏怖に変わる瞬間だった。
「先ほどエレベーターの前に落ちていたんですが、宛名が会長でしたのでお渡ししますね」
そう言って私に手渡してきたのは一つの封書だった。
「えぇ、ありがとう」
私はそれを受け取ってすぐさま裏面を見てみる。何も書いていない。つまり差出人不明、消印不明。怪しい。この手紙は開けてよいものなのか、判断しかねる所ではあるが……。もしこの中に有毒な薬品を染み込ませた紙が入っていたら? しかしそれは杞憂でただのなんでもないイタズラなのかもしれない。どうしようか……
「開封しないんですか?」
私が悩んでいると目の前の愛癒がそう催促してくる。ここで悩んでいても仕方ないか。そう思い意を決し、腕を口に当て片手で鋏で封を切る。
中に入っていたのは------
「こ、これは」
私は眼を大きく見開きながら唖然とその場に立ち尽くした。
そう、その封書の中身は一枚の手紙------新聞の文字の切り張りで、読む事が億劫になるくらい血の気が引く怪文書だった。
『St.Verafelithの性別どっちかなぁ。そういえば知ってる? St.Verafelithにはお兄さんが居て、そのお兄さんは……妹の為に命を投げ捨てるの。あなたは、だあれ?』
御閲覧戴き感謝の言葉も足りません。本当にありがとうございます。更新スピードが遅い事この上なく、読者の皆様には申し訳ないと思っている所存であります。次のスパンは短く出来る様、最善を尽くしたいと思っております。
~Special Thanks~
●ライクス様
それではまた次のストーリーも読んで戴ければ幸いです。
P.S. その内活動報告にお知らせ等をUPするかもしれませんので、併せて御覧戴ければと思います。