4.協議
長々とお待たせ致しました。
今回は少し長く仕上げました。皆様にアクセス戴けました事を、心より御礼申し上げます。
今までの生活に拘泥していた訳でも、執着していたのでもない。しかし……
――――――愛着
これが湧いてしまうが故に、前の生活に回帰したいとも思ってしまう。言うならば
――――――我儘
これが渦巻いていると言っても過言ではないだろう。しかし、言いかえればこの言葉は
――――――自決
とも取れなくもない。過去にあの人に抗い、諍い、その果てに捥ぎ取った我儘と言う名の自決。それがこれから揺らぐのは必至。もしかしたら過去そのものが打ち消されてしまうかもしれない。
ボク、いや。源 あゆむはそれを受け止める事が出来るのだろうか。それをよしとした場合、過去の源 あゆむという一個人を捻じ曲げて消失させてしまうのではないか。否、そんな事はあの人の前には風の前の塵に同じ。だから受け止めなくてはいけないのだ。しかしそれは強制的にではいけない。あくまでも自発的にそうするのだ。心の中のある感情が出来ている今だからこそ、その決意が出来るのであると思う。
◆◇◆◇◆◇
「ごめんなさいおにいさま、案内するのはここまで」
大きく重厚そうな漆喰のドアの前で妹の理沙子はそう口語する。その扉の上に方には黄金色に輝くネームプレート。書かれているのは「CEO」の文字。少し俯きがちに口をへの字にしている彼女は、何か憂いを帯びている顔をしている。先ほどまでの明るい彼女とは対照的だ。何が彼女をそうさせるのであろう。心当たりはある。恐らくはボク達が幼少期の時のあの出来事だ。しかしボクもどちらかといえば加害者側のサイドである。それをここまで改善出来たのは……。
理沙子はあの時「私、大丈夫だから」と言った。あの言葉から早2年。少しでも良くなっていればと祈っていたが、実質そうではないみたいだ。なんとか修復出来ないものか。
「分かった。ここまで連れて来てくれてありがとう。態々、熊本行きを取りやめてまでこうして来てくれて兄さんは嬉しい…」
「私、おにいさまの為だったらなんだって出来る。今まで本当に感謝してるんだから」
理沙子は何かを思い出すように左頬に手を当て、その内、顔を弛緩させる。
こうしてみて見ると先程まで考えていた事を少し訂正した方が良いと思えてきた。あの人はあの人なりに努力しているみたいだ。
「感謝、か。それならボクだってしている。理沙子……ボクの妹でいてくれて、心からありがとう」
理沙子にはボクに数え切れない程の事をしてくれた。ボクの事を色々気遣ってくれた。故に出てきた言葉だった。しかし、それと同時に心に翳りが差してくる。
――――――『理沙子、許してくれ』
そう心の中で囁き続けている。過去の、理沙子に―――
「おにいさま……」
理沙子は何かを言おうとして顔を上げるも、余韻を残しつつ、後に言葉が出てこない。場はやがて閑散。
その沈黙という間に、理沙子の本来続ける筈だった言葉が理沙子の瞳を通じて伝わってくる。
――――――『おにいさまも、私の兄でいてくれて心からありがとう』
自意識過剰などではない。過去とは背反している現在だからこそ、理沙子の気持ちが通じる、理解できる。それはもしかしたら、罪滅ぼしの延長線上で得た代物なのかもしれない。
そう、以心伝心という代物は罪滅ぼしという所作から生まれ出でたもの。それは揺ぎ無い事実。しかし、今は愛情という感情がそれを維持している。まるでバトンを受け継ぐように――――――
ボクは頷くだけで返事をすると、理沙子も少し首を縦に振って踵を返してもと着た道を戻ってゆく。
ボクは重厚な扉のドアノブに手を掛けた。金属特有の冷たさが手を伝う。その温度と自分の温度を融和させるが如く、ドアノブを強く握り締める。心なしか握り締めた手が赤らんでいるように見える。それが朱色に変遷した時点でドアノブから手を離して、扉をノックする。数秒後、中から甲高いベル音が一鳴りする。
それが合図と認識して、再度ドアノブに手を掛けて
「失礼します」
そう言って扉を開ける。
ボクを乗せたリムジンがある一つの建物の前に停車した。大理石で出来た立石には筆記体で、でかでかとこう刻まれていた。
――――――『M&H Sky Tree Usukikobai Regency Hyatt Hotel』
名前だけの事はあって、天にまで伸びている巨大な樹木のように聳え立つ摩天楼。
リムジンから降り立てば、理沙子は有無を言わせずボクの手を取って摩天楼の中へ。中は華々しい程に飾り立てられた生花や、高級そうなソファ、一面赤い絨毯が敷き詰められ、上方から注ぎ込むシャンデリアの光。奢侈且つ豪華な内装であった。理沙子は無言でエレベータの方面にただただ歩みを進める。そんな中、疑問に思うことが唯一つ。
――――――こんな場所に何故に呼び出すのか
そして気になる事が唯一つ。それはエレベータに乗り込んだ時の事。エレベータに乗り込むとエレベータガールの様な人が、理沙子を見るなりこう言ったのだ。
――――――『ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。本日の御用向きはCEOとの面会で宜しいでしょうか』
理沙子は笑みを浮かべて頷いた。
お嬢様? 誰がだ。周りを見渡すも、当然理沙子しかいない。でもそう考えると、理沙子=お嬢様になってしまう。
それにCEOとの面会? 一体それは何だ。そもそもボク達はお父さんに会うためにここにやってきたハズ。誰とも知らない、何処ぞのCEOなんかに会うために着たんじゃない。しかし、そんな事は理沙子も十分に理解している筈だ。という事はそれが導き出す答えは一つ。
しかし、それは信じられない事であった。まさか、お父さんが……。
エレベータガールは丁寧な態度で理沙子に了承の意を述べると、ボタンを押し、左右から扉が閉まってゆく。外界の景色が徐々に狭くなってゆく、そしてやがて消滅。
その光景は今までの生活との決別の様な感情を抱かせた。
扉を開けた先には20畳はあるのだろうか、それほど大きな部屋がそこにはあった。右側には都会の景色が一望出来、開放感のあるガラス窓。そして左側には床から3メートルぐらいある天井までの、高さのある本棚が立ち並んでいる。向かって中央には、相対する横長のソファ。あとは、さり気無さを醸し出しながらも、海辺を描いた大きな絵画が中央奥に飾ってあった。
それを背後に大きなデスクに備えられたチェアに腰を落ち着かせているお父さん。ボクは一度下を向く。先程の事で凡その予想は出来ていた。しかし、分かっていても多少衝撃を受けるものである。なんとか嘆息して、心を落ち着ける。もう一度お父さんを見やるとデスクに肘を突いて手を組んで額を乗せている。何か考え事でもしているのだろうか。
そう感じると同時に、ここまで冷静にこの状況を見れている自分に驚いていた。先程エレベータ内で予想していた出来事が現実に今ここにある。流石にそれを予想していた時はまさかとは思ったが、視野に入れることで適応出来ていたらしい。いやしかし、適応できているのはお父さんが唯CEOという職業上の立場にあるという事だけだ。何故彼がこの事をボクに黙っていたのか。どういう経緯でこういう状況になったのか。そもそも何故ここに呼び出したのか。
「お父さん、あゆむです」
お父さんは顔を上げると目を大きく見開いて、勢い良く立ち上がった。その所為で椅子が中央奥の壁に音を立ててぶつかる。そんな事は気にも留めず、そのままボクの方に歩んで来て、やがて大きく手を広げて抱擁。
「あゆむ~。あゆむ、あゆむよ。2年ぶりか、え? あゆむ。大きくなったな、父さん、嬉しいぞ」
抱擁しながら、オーバーにもボクの頭を撫で回し、ぐちゃぐちゃにする。ボクの頭は嵐が過ぎ去ったように毛が乱立していた。
「う、うわぁ、お、オーバーですって」
その声に心のスイッチがオフになったのか、お父さんはボクから体を離し、ボクを下から上まで笑みを浮かべながら嘗め回す様に見る。その様子がどうも薄気味悪くなって、居心地が悪くなった。
「大きくなった、ココも」
お父さんはあろう事かボクの股間を鷲摑みにして数回揉みしだく。
「な、何やってんですか」
「突っ張ることが男の、たった一つの勲章ってな」
「ソレ、意味履き違えてますから」
そう吐き捨てた風に口語した後に呆れた様に嘆息。お父さんの手を制して離させる。するとお父さんは意味不明にも残念な顔をして
「なんだ、なんだ。ほんの余興じゃないか」
ボクはギロリとお父さんの事を睨むと、今までおどけていたお父さんも一歩引いて、米神を人差し指で掻き、斜め上を向きながら
「じょ、冗談。じょ、じょーく、そう、ジョークじゃないか。今流行のアメリカンジョークっ」
「流行ではありません。現実をしっかりと見据えてください。お父さんの勝手な妄想で、アメリカと言う国家をクリエイティブしないでください。アメリカに失礼です。第一、アメリカで同姓同士を対象に股間を揉む風習でもあると、お父さんはそう仰りたいのですか? 現実的に考えてみればそれゲイじゃないですか、しかも行き過ぎたゲイ。勿論セクハラで捕まりますがね。まぁ、確かに犯罪率が高い国家ですが、もしかしなくてもそのシェアの中に『股間を揉む』人はいないでしょうし、第一ビジュアル的にどうですか? ボク、そんな国家に決して行きたくないです。昼、揉んで揉まれて、夜、揉んで、揉まれて、朝、揉んで、揉まれて、行く先は突っ張ることが男の勲章ですか。アメリカ人はさぞ心外でしょうよ」
「わ、若気の至りだっ」
「いきなりの転換ですね。分かりましたよ。なら、完膚なきまでに行かせてもらいます。問題一。若気の至りであれば、お父さんの言う男の勲章を揉んでもいいのか。問題二。お父さんはそもそも今年で47歳、それは若気の域なのか。そもそも、まずアメリカ人にお詫びして下さいよ」
「はぁ~……。くだらない話だとは思わないか、あゆむよ。そんな下ネタを親子で話したくなんかないぞ」
「お、お父さんが言ったんでしょうよ! え、というか、下ネタの中にアメリカ人は含まれているんですか、いないのですか……」
少しの間目と目が合い、その内お父さんは大きな声で豪快に笑った。
「ハハハ、久しぶりで父さんは嬉しいんだよ」
そう、確かに2年ぶりであるからして、お父さんと顔を合わせるのは久しぶりである。お父さんの顔立ちは2年前と変わらず。息子の立場として、これはおかしな発言かもしれないが、お父さんは47歳にしては若いと感じている。キリっとした顔立ちで、なにより目元が男らしい。ダンディという言葉が相応しかった。背も高く、昔は運動神経も良かったので女子からのラブコールが絶えなかったそうだ。そんなお父さんが黒のワイシャツに紫のネクタイをしてサスペンダーをしている。唯一大きく違ったのは頭である。ジェルでオールバックにしてワイルドに仕上がっていた。
「桃尻よ」
お父さんは感じ入っているボクにそう呼びかけた。しかし、その呼びかけにボクは応じずそっぽを向く。するとお父さんはボクに歩み寄ってきて、密着。そしてまたも、あろう事かボクの尻に手を当て、撫で回す。
「桃尻、Wo、桃尻よ、どうして君は桃尻なんだ」
そこで勝手にオリジナリティ付けないでください。原作に迷惑ですから。第一、その問いにボクはどう答えればいいんです? 「はい、幼い時からおしりの形が崩れないように、締め付けが気になるのでブリーフはあまり履かないようにしていました!」とでも答えれば満足ですか。息子のそんな告白聞いて喜ぶのか聊か疑問ではありますがね。
「お父さん、いい加減にしてくださいませんかね?」
「桃尻、Wo、桃尻よ、どうして君は桃尻なんだ」
「 ……」
お父さんは何故か気分を良くしたのか更にボクの尻を撫で回し、更にはスナップを利かせてボクのソレを叩く。マゾ、マゾなんですか、あなたは。
「す、スナップを利かせないでください、スナップを。てか、もうやめてくださいよ」
「ハハハ」
またも豪快に笑う。マゾですね、マゾなんですね、あなたは。今はっきり理解しました。
ボクは再度ギロリと睨みを利かせると、流石に嫌がっているのが分かったのか体を離す。
「これスキンシップじゃなくて、虐待でしょうよっ!」
「なんだ、なんだ。ほんの余興じゃないか」
前、後ろを弄る事が余興ですか。とんだ破廉恥ですね。それも救いようのない破廉恥。将来、新聞の見出しにこの人の名前が載らない事を切に祈る。
「堂々巡りになるんで、以下省略。はい、終了。ボクは聞きたいことがあるんです」
ボクがそう切り出すと、お父さんは真剣な眼差しでボクを見つめてきた。やっとここから本題か、お父さんもちゃんと弁えのある人間なんだな。キリっとした顔でボクを見据え、やがて口を開く。ボクもその空気に一度心を緊張させる。
「あゆむ……、好きだっ!」
「はい?」
「お前の全てが好きだっ!」
「だから何を言って…」
「上から下まで好きだっ!」
「えぇ、だから」
「受け止めてやる、さぁ、父さんの胸に飛び込んで来~いっ!」
「わはぁ~い、パパぁ~」的な展開を期待しているのですか? え? ご所望ですかお父さん。えぇ、やってやりませんとも、意地でもやってやるもんですか。というか、ボクが緊張させたあの時間を、真剣になったあの時間を今すぐに返してください。
「もういいです。ボク、帰りますから。失礼します」
そう言って踵を返すと、お父さんは慌てて取り乱した形で
「あゆむ、まて待て…、あぁっ」
後ろで何か鈍音がしたので振り返ってみると
「お父さん……」
靴が片方脱げた形で、豪快にすっ転んだであろうお父さんが、床に頬をつけながら悶えている。何とも憐れだ。
そう思っていると、何の予兆もなくお父さんは顔を上げて、スッと立ち上がる。そしてさっきの痛みは何処へやら、痛いという素振りさえ見せずに、真剣な眼差しでボクを見てくる。
「とまぁ、短い余興はこれくらいにしておこう。あゆむ、ここからは真面目な話だ」
そう切り出して、近くのソファに片手を広げるようにして誘導させる。
あぁ、はいはい。お父さんにとって今までのは短い余興だったんですね。ボクにとってはとても長く苦痛なセクシュアル・ハラスメントでしたよ。大体、前後のセクハラ=短い余興ですか……、しかも息子の、男のこのボクに。
――――――お父さん、どうぞ、ゲイバーへ
ボクは無言で頷き、ソファに腰を落ち着ける。そして相対するようにお父さんもゆっくりと座り込む。先程までとは違う、緊迫した雰囲気に徐々に飲み込まれてゆく。
お互い目を見合わせながら暫し無言。そんな中、お父さんの眼差しはこう語り掛けている様に思えた。
――――――『父さんがこれから言う事を受け入れられるのか』
お父さんは大きく一息吸って、膝の上に両肘を乗せて、手を組む。
「あゆむ、単刀直入に言う。父さんの会社を継げ」
「はっ、はい? 話を端折り過ぎです。経緯から教えるのが筋というものなのでは?」
ボクは想定外な事をお父さんからいきなり告げられて戸惑いながらも、なんとか話の概要を理解しようと、自分の心を隠して敢えて冷静にそう問いかける。
「それもそうだな。何から話せば良いか、そうだな。まず、源家は江戸時代から代々続いてきた貿易会社を営んでいる。当時は本当に小規模な貿易しか行っていなかった。しかし1990年代のバブル時に急成長してな、一度も規模を縮小することなく、拡大し続け、現在ではそれがワールドワイドになっている。更に詳しくすれば全国に207ヶ所我が社の営業所がある。更に我が社の系列は他産業にも進出し、コングロマリット化している。現にこのホテルだって我が社の系列のサービス産業屈指の会社、リージェンシーハイアットを傘下に従えて建てたものだ。ほら、名前にもあっただろう? M&Hって。Mは源のM。Hはリージェンシーハイアットのプレジデントの樋口氏のHを取ったものだ。先程傘下とも言ったが、一応共同開発となった為両氏のイニシャルを名前に入れた。まだ交渉がうまくいってなくてな、源のシェアがハーフから上がらないんだ。まぁ、あそこもシンガポールのホテル業界から撤退したから、今までの強硬な姿勢を崩してくるから、心配はしていないのだが……」
お父さんはボクに全てを理解させるつもりがないのか、流れるように口早に説明した。
その為か、一語一句漏らすことなく聞くことは出来なかった。しかし、お父さんの言った言葉を注意深く聞く事で要点を纏める事が出来ていた。もしもここで再度お父さんに同じ事を聞くことは、何か自分の弱みを見せてしまう様で嫌だったのだ。何故それを厭わしいと思うのか。それはやはりと言うべきか、ボクの幼少期のあの出来事が原因なんだと思う。
それでも概要を例え凡そ把握しようが、心の中では焦燥感で一杯であった。自分の想定していた事と今回の出来事はかけ離れていたのだ。
まさか、会社を継げなんて言われるとは夢にも思わなかった。ボクは自分の予想の範囲外に起きる事がなんとも気持ち悪く感じてしまうし、同時に自己嫌悪に陥ってしまう。実際今焦燥感に加え、それらも交じり合っている訳で、なんとも歪な形の気持ちが心の中に存在している。早くそれを取り払いたい、そう思うと更に焦燥感が増してしまって逆効果。
でもそれを表に出すことは決してしたくはない。あくまで冷静沈着でありたいのだ。言い換えれば、「弱み」を誰にも見せたくない、その一心であった。例えそれが親族であっても、いや、親族だからこそと言った方が正しいか。
「えぇ」
そうボクは冷静に相槌を打つ。するとお父さんは、首を傾げてボクの方に身を乗り出す。
「あゆむ相槌を打つのはいいが、大丈夫か」
お父さんから発せられたその言葉は、ボクの中の何かを抉って行った気がした。
――――――『内心驚いているんじゃないのか?』
疑われている。いや感づかれているのかもしれない。心に針を刺されたような衝撃を受ける。一種の「キャラ化」を施していた昔にスポットが当てられ、ボクを同一化、重ね合わされているような気がする。嫌だ、そんな風にボクを見てくれるな。今はもうパーソナリティに溶け込んで、浸透しているのだ。今更表面上に浮き上がった「キャラ化」のレッテルをボクに貼るんじゃない。二度とあんな事は、だからボクは……。心の中で囁く。―――「弱みは見せない」と
「お父さん、気にしてもらうのは有り難いですけれども話の趣旨が逸れています。戻りましょう。つまりお父さんの言いたい事はこのことだと思います。源家の代々続いてきた会社を貴方の息子であるボクに継いで欲しいと、そういう認識で良いのでしょうか?」
今決意が更に固いものとなった。その為にボクは頭をフル回転させる。摑まなくてはいけない、掌握しなければならない
――――――主導権
考えなければならない。予期しなければならない――――――お父さんが今考えている事を
改善してやらねば、良い方へ導いてやらねば――――――理沙子と……
だからこそ、こんな事で、いや、どんな事でも源 あゆむが動揺する事なんて許される訳がないのだ。
「やけに冷静だな。父さんがこれを聞いたときにはもっと…。あぁ、そうだな、その通り」
「そして先程、『源家は江戸時代から代々続いてきた貿易会社を営んでいる。』とお父さんは言っていました。加えて『会社を継げ』と。この二つだけにスポットを当てて考えてみると、経営者の自分の跡を息子に継がせるという風習が代々続いているのではないかと考えますが、如何でしょう?」
「ま、まぁ言葉の通り、だな」
「えぇ。でもそうなると疑問が生じてはきませんか?」
「疑問?」
「はい。これもお父さんが先程言ってました。『小規模な貿易からワールドワイドになった』と。『成長し続けた』と。それは前提として経営者としての資質がなければ成し得ない賜物ですよね。逆に考えれば、今までの源家の経営者の資質があったという事。しかし、幾代にも渡って、例え遺伝と言えども限界があります。お父さんは源の会社の経営者として何代目ですか」
「正式に言えば、Minamoto Ltdの第29代CEOだ」
「29人もの経営者全てに資質が備わっている。奇跡としか考えられません。いえ、まぁこれは一方的な見方をすればですが」
「……、一方的な見方というのは?」
お父さんは身を引いて、ソファに凭れ掛かった。そしてその内、足や腕を組み始める。ボクはそれを見るなり少し安堵していた。一種の障壁信号だ。そう認識出来るとなると、今までの心の中の歪な形の気持ちが取り払われた気がして、何故か心地よかった。
ボクは間髪を入れた後、息を吸ってゆっくりと肺に溜まった二酸化炭素を吐き出す。それとなく二酸化炭素と一緒に何か出て行ったようだ。そんな感じがした。
「それは、そのままの素質が光っているという前提の下での見方ですよ」
お父さんは目を大きく見開き、一旦俯く。そうかと思うと、低音の唸り声が聞こえる。
ボクはその様子を見つめながら、お父さんが顔を上げて目が合うのを待っていた。
お父さんはボクのその態度に気付いたのか、目を合わせようとはせず顔を横に向けて、背後の外界の風景を見やる。しかし、暫く経つとその行為に飽きたのか、観念して顔を上げてボクの目を見据える。そして、吐息して口を開く。
「聞こうか」
お父さんの声は何か観念したような声だった。
「これはあくまで仮説なのですが……。外的にノウハウを熟知、活かせる為の教授を受けさせる。はたまた、無理難題と思える事をやらせて乗り越えさせるとか、ですかね。つまり、代々受け継いできたノウハウを伝授してゆくか、能力を強制的に上げさせるかのいづれかではないか、という事です」
ボクは一旦ここで話を区切って、足を組む。そして右の掌で髪を逆撫でするように梳る。
お父さんはボクの声を聞くと、勢いよく立ち上がり背中を向けてデスクの方に向かってゆく。
「お父さん正直な、…あゆむがここまで頭の働く人間だとは思っていなかった。2年ぶりに、こちらにお父さんからあゆむを呼び出す理由が分からないまま来ると思っていたんだ。やっぱり変わったんだな。お父さんが知らない間に。……あの一件があったからか」
これを持ってお父さんが何故ボクにこの事を黙っていたのかなんとなく理解できた。
ボクも立ち上がってお父さんのすぐ後ろに足を進める。
「…、どうでしょう。でも変化の無い毎日が、あの日を境に終わったという事は言えると思います。理沙子には、申し訳ない事をしましたから、ね」
ボクの視界には、ボクよりも背が高く存在感のあるお父さんの背中が映っている。その視線をお父さんの後頭部に向け、凝視。
「分かっている、分かってはいるんだ」
そのお父さんの声には先程までとは違う、何か思いを込めた一言に聞こえた。
「今からでも遅くは無いんですよ。きっと心の底では理沙子は、お父さんに」
「あぁ、責任は感じている。理沙子がお父さんに近づきがたいという現状を作り上げたのは、紛れも無くこの源 雄司なのだから。打破したい。そう思ってみるが、恥ずかしながらお父さんは、理沙子に声をあまり掛けられない。口と声が伴わないんだ。ほんと、情けない父親だよ」
罪の意識を感じている、そこまではお父さんと一緒だった。しかしそこから我々は分岐したのだ。一方は、それを償おうとある決意を固め実行。他方は、その罪の重圧のあまり、償えず足掻く事さえも出来ない。まるで地から天を見上げていた一人が、足を踏み外し、闇に落ち行くように。
恐らくお父さんは理沙子に対して、先程ボクに取った豪放磊落な態度はないのではないだろうか。そう、2年前と変わらないまま……。いや、不変と言うのは間違いだ。変わった事がある。それは、父親と言う立場としての自覚を持とうと努力している事だ。しかし、それではまだ足りない。努力とは結果の過程に過ぎない。故に、ボクはお父さんの努力を価値付ける為、協力してあげたいと思う。
「お父さん、ボクは理沙子の兄としてこう祈願しています。愛し、そして愛されて欲しいと。だからこそボクはその為に協力したいと思っています」
その声に反応したのか、お父さんは後ろを振り向いて、ボクの目を見つめる。その目は、まるで何かに感慨深さを感じたようなであった。
「あゆむ……」
「その為にボクはどうすれば良いですか?」
一歩踏み出そうとしている人間には、その背中を少しだけ押してあげるだけでいい。それだけでその人は一歩踏み出す勇気を手に入れられるはずだ。
「会社を継いで欲しい」
何かの信念が篭もっているかの様な、そんな声をしていた。表層も眉根を詰めたような、真剣な顔をしている。
『会社を継げ』と先程いきなり言われて、多少それに適応出来てきているとはいえ、即座にここで『あぁはいそうですか、分かりました』等と言え様も無い、それは本心である訳で。しかしながら、ボクの心の中には理沙子とお父さんの関係をどうにかしたいという本心も存在している。
「それは先程聞きました。しかし、理沙子とお父さんの緩衝役になるのとその件はどう関係しているんでしょうか?」
「 …関係ならしている。知っての通り、お父さんにはあゆむと理沙子の二人の子供がいるだろう。源家の会社は代々第一子息である長男が受け継いでいる、第一継承権としてな。しかし考えても見てくれ、あゆむがこの会社を継がなければ誰が継ぐ事になる? そう、第二継承権の存在だよ。つまりは、理沙子が……」
「正気なのですか?」
「あぁ、これは絶対条件なんだ」
お父さんはため息を付きながら、視線を下げる。
「絶対条件とは?」
「……この会社を立ち上げる際の事だ。資本金がどうしても足りなくてな、支援者が必要になったんだ。そこで創始者はある方にお願いにあがったんだ。その方は当時絶大な権力者でな、今や世界中に根を下ろしている人物で……、その方と誓約を交わしたんだ。『会社の維持は永年源が勤めなければならない』と」
「もしも、それが守られなければ……?」
それは一線を越えた質問であると、面を上げたお父さんから感じられた。
「社は破綻させられ、何百万という労働者が路頭に迷い、第二次世界恐慌に陥ることは必至だ。そんな重圧を娘に押し付けて、お父さんは娘に普通に接することは出来なくなる」
――――――まるで罪に加圧が為され、押し潰されてしまうかのように
そんな、それほどに源の会社は世界に影響力があるという事なのか。つまりは、ボクの一存で全てが決まる訳である。その全ての中には勿論、理沙子の事も。もしも、ボクがここで会社を継がない等と言ったとしたら、理沙子が強制的に会社を継がされる。それはボクの尻拭いであり、当然我侭である。そんな事は理沙子にはさせたくはない。それに、お父さんと理沙子との溝が深まりでもしたら、今の自分に対して本末転倒を投げつけるようなものである。
しかし、考えてもみよう。もしも、ボクが社を継いだとしたら何百万という労働者の生活を支えなければならない。そんな多大なる重責に耐えられるのか。いや、双方を天秤に掛けた時点で答えは見えている。
――――――ボクには選択権など、存在しようもないのだ
即座に答えられる訳が無いと言う先程までの自分が、何やら愚かしく感じてしまっていた。
「 …えぇ、了承しました。社を、源 雄司からのバトンを引き継ぎましょう」
それを受けて、次いでお父さんは口を開く。
――――――『こちらの高校に転校してきなさい』と
外は相も変わらずの曇天模様。しかしその一面の灰色に一筋の光が差し込む。それを受けていくつも分裂を起こし、どんどん千切れ雲になってゆく。しかし、その雲雲が消えることは無かった。
御閲覧戴き誠にありがとうございました。
今回は、理沙子とあゆむ、雄司の過去の事を起点に話を進めています。追々、その真相が分かってくるかと思いますが、次話ではきっと学校に……
しかし、今回の「セクハラ」は如何なものなのでしょうか。執筆中に、「あらあら、こんなにしてしまってもいいのかな」なんて思っていました。親子のスキンシップ……には絶対含まれません、よね。というか、もしもそんな事された日には、雄叫び上げて回し蹴りとかしていいんですよね?「セクハラです」って、民事裁判、やり過ぎか。いやでも、やり返すのは……ね。ビジュアル的に、というかそんな感覚味わいたくないです……。
~Special Thanks~
●ライクス様 ●月奏様
また次のストーリーもお読み戴ければ幸いです。
一度、昨日更新する等と「あらすじ」欄に書きまして、実質今日になってしまい誠に申し訳ございませんでした。平にお詫び申し上げます。