34.懺悔
一ヶ月以上お待たせを致しました。ユニーク40,000ありがとうございます。これも偏に読者の皆様方のお陰でございます。
車内は非常に閑散としていた。お互い何も言葉を交わすこともなく雪穂さんのいるらしい病院との距離だけが縮まってゆく。また、先程の雪穂さんの事を聞いて普通車の速度を上げてもいいと思うのにも拘らず、平賀さんはそうしようとせず一定のスピードで走っている。いささかボクは疑問であった。
さっき『急ぎます』と口語したはずなのに……。若干の苛立ちを覚えながらもボクはそれを平賀さんに問いはしない。しかし自分の膝に置いている人差指の微動は早まるばかり、雪穂さん一体何が……。
しばらくしてようやく病院が見えてきた。やはりお金持ちのご令嬢が搬送されるに相応しい巨大な大学病院が見て取れる。やけにだだっ広い車寄せはこの病院の規模を表しているのだろうか? 左棟・中央棟・右棟とそれぞれが連絡階段で連結しているモダンな創りでとてもここが病院とは思えないほどであった。建物に着色されているのは白を基調としたホワイトクリーム、車寄せの中央部にはしっかりと区画整備されたスペースに植物が植えられていいてとても清潔感が溢れている。
平賀さんはそこから少し離れた左棟に面して設けられた駐車場に車をゆっくりと止める。辺りには一台も車が止まっていないようでボク達だけだった。平賀さんは運転席から降りて、ボクがいる後部座席のドアを開けた後頭を垂れる。そしてボクが降りるのを確認するや否や『では』と言っていきなり駆け出してエントランスの中へと向かっていった。ボクは慌ててそれを追ってゆく。目を見張ったのは平賀さんが自動ドアを通ろうとした時、僅かに開きつつあるドアの隙間に手を差し込んで左右に押し開いたのだ。あぁそうか、平賀さんはボクの事を案じて急ぎたいのを我慢して此処まで安全運転で来たのか……。先程の自分の思想がなんと浅はかだったことか身に沁みて良く分かった瞬間である。嘆かわしい……。
「おっ、おおお嬢様は何処におられるっ」
平賀さんはナースステーションのカウンター越しにそう尋ねる。平賀さんは少し息を切らしつつも真剣な眼差しでカウンター越しの中年の女性を見据えた。カウンターに置いた掌はいつの間にか握り拳に変わっていて、紫色に変色しているように見える。それほどまでに雪穂さんを……、圧倒されてしまう……。
「え、えええ、えとおおお嬢様とは一体誰のこ」
中年のナースは平賀さんの目力に圧倒されてしかもそれが睨んでいると思えたのでやけに緊張してしまっていた。カウンターの裏側に設置してある緊急通報ボタンに手を掛けていたが
「詩条 雪穂さんという方です」
ボクがひょっこり平賀さんの前に出てきてそう申し出るとナースは安堵の面持ちでボタンから手を離した。そして口から軽い一息を吐き出すと脇の患者リストボードを目で追う。
「……ええと、処置室ですね。2階の208号室に、ってあれ」
ボクが後ろを振り返るとそこには平賀さんの姿はもう無かった。ナースは辺りをきょろきょろと見回して戸惑っていたが
「大丈夫です、ボクのパパなんです」
そう言うとナースは口元を綻ばせて愛想笑いをボクに向ける。ボクは一礼して平賀さんの後を追う。
◇◆◇
「お嬢様っ!!」
そう腹の底から叫びつつ思いっきり引き戸を端に寄せる。
「平賀……」
雪穂さんはあまり上等とは言えないぞんざいな寝台に横になって平賀の方に目を向けた。
中には医者がカルテにペンを奔らせていて、レントゲン写真ホルダーの照明の青白い光が頭の方に差し込んで左手で額の方に手をやっていた。どうやら処置は終わったようで且つ外傷的重症ではなくてとりあえず安堵。しかし、雪穂さんはとても辛そうだった。頭が痛いのか額の上辺りに手を当てている。
「お嬢様っ」
そう雪穂さんの存在に気が付くと足早に寝台に向かって膝をついた。医者は椅子を回転させつつ平賀さんの方を向く。そして
「単なる貧血だったようですね……。疲労が祟ったのでしょう。十分な睡眠をまぁ、2日ほど取られるとすっかり良くなっていると思います」
そう言い慣れた様に医者から言葉が出てくる。
「どうもありがとうございます……」
平賀さんはそのまま首を下げて医者を見据えた。医者は立ち上がって椅子を二席程ボク達に差し出して『落ち着いたら退室ください。入院するほどのものではありませんでしたので……なにかあればまた来て頂ければ処置いたします。では』と言って部屋を後にし、部屋の中には後から入ってきたボクを合わせて3人となった。
平賀さんは再び雪穂さんに優しい眼差しを向け、雪穂さんの呆けている右手を取って強く握り締めた。
「あぁ、お嬢様……よくぞご無事でいて下さいました……」
「大げさです……平賀ったら……。単に貧血だっただけじゃないですか? ……心配掛けました……」
平賀さんはその言葉でついに抑えきれなくなったのかその握り締めた手を自らの眉間に持ってきてから、涙を一粒流す。涙の一粒は寝台のシーツに染み込み小さな斑が出来ている。ボクはただただ呆然として平賀さんを見つめていた。
「私は両親を無くしてからというもの身寄りがいません。しかし有難い事に身寄りのない私をあなた様方は快く引き取ってくださいました。そこで私は亡くなった両親に誓ったのです。自分の主を何があってもこの命果てるまで守り抜く事を……、ですからどうか無理はしないで下さい……。あなた様は私の希望であり生きる理由です。ですから私はあなた様や我が主の為であれば何でもする所存なのです。なにかお悩みになっている事があったら私に何なりと申して欲しいのです。確かに自惚れているのかもしれません、しかし何かを溜め込んで吐き出さないままそのまま放置する事は自分を痛めつけてしまいます。私はそんな事をお嬢様にはして欲しくないのです。何卒分かっていただきたく……」
雪穂さんはゆっくりと起き上がって額に当てていた手を平賀さんの手の上に乗せて包み込む。平賀さんは顔を上げると平賀さんに雪穂さんは微笑み投げ
「……本当に迷惑掛けました……。貴方がそんなに私の事を考えてくれてたなんて、ごめんなさいね」
平賀さんの顔は赤くすりなし頬には涙が蔦っている。サングラスで瞳は見えないがきっと目にいっぱい溜め込んでいるのであろう……。
「あゆむさん、貴方にもわざわざご足労賜ってしまって申し訳ないと思っています。ごめんなさい」
雪穂さんはボクの方にゆっくり視線を合わせる。
「い、いえ。ボクは何にもしていません。ただただ雪穂さんが心」
ボクはここで言葉を一回切って平賀さんに視線を移した。平賀さんはポケットからハンカチを取り出して涙を拭っている。
ボクは自分が恥ずかしい……。
「ありがとうございますね……」
「は、はい……」
その後平賀さんが立ち上がり『外で待っている』という事で退室した。
部屋には2人きり、しかし残念ながら何の言葉を掛けていいのやら思い浮かばない。今まで微妙だった関係性がここで露呈し自分に突きつけられた気がした。
「私は晴紀さん側につきました……」
唐突にも雪穂さんが沈黙を破る。
「ええ……、分かっています」
「裏切り者だと思いましたよね」
そう言って雪穂さんは目を落とした。
「い、いえ、第一雪穂さんは誰のモノでもないじゃないですか? 自分の意志のままに思ったとおりにすべきだとボクは思います」
「自分の意志に従うまま……ですか、そうですね、この度は私の意志でやった事です。あゆむさん……すみません……」
どんどん雪穂さんの声色が弱くなっていって遂に涙声になってしまい最後はかすれ声になりボクに謝った。
「ど、どうしたんですか? 雪穂さんは何も謝る事無いじゃないですか」
ボクは自分が持っているハンカチを雪穂さんに差し出し、雪穂さんはそれを徐に受け取って頭を垂れる。
「違うんです……私は白々しいかもしれませんが……あゆむさんの方につきたかったのです。しかし、晴紀さんの心の闇やあとは……」
雪穂さんは口を噤み頬をハンカチで拭う。
「あとは?」
「あゆむさんのお父さんに御願いされたんです……、あゆむさんのために敵対勢力のほうについてくれって。でも勘違い、しないでください。最終的に決めたのは紛れもなく私なのですから。あゆむさんのお父さん曰く、あゆむさんは必ず私を頼るだろうからその出鼻を挫いて欲しいと、私は考えました……。どうすべきか、悩んだ末、晴紀さんの支援者になる事にしたんです……、」
雪穂さんはゆるゆると言葉を紡ぎ寝台から起き上がって外を眺める。
雪穂さんには感謝しなければいけないな……。お父さんにも、もしそんな事を御願いしなければボクは雪穂さんとなんの障害もなく選挙を切り抜けていただろう。
「ボクは学校生活で雪穂さんに頼りすぎていました……。何か壁にぶつかると雪穂さんを当てにして自分で決めるという選択を捨てていました。ですから今回の一連の事はボクは大切な事を学ぶ良い機会だったと思っているんですよ。今でも、恐らくこれからも雪穂さんはボクにとっての大きな存在であると思います。しかし雪穂さんに頼りすぎることなく少し自分に厳しくしてやっていく事を自分の戒めとして生きたいと思うんです。ですから、ボクを成長させてくれた雪穂さんにも感謝を……、ありがとうございました」
ボクはその場で深々と頭を下げた。
若干の沈黙が流れ
「……っず、ずるい、です……。あゆむさん、もっと責めて下さい……。何故苦しい時にあゆむさんの側にいて差し上げられなかったのか、何故そっけない態度であゆむさんと接していたのかと、私という……詩条 雪穂という存在をっ……どうか責めて下さい……」
そう言いながら雪穂さんは声を押し殺して溢れる程の涙を流す。
ボクは罪悪感を感じてしまった。ボクこそどうしてこの人をこんな苦しい思いをさせてここにいるんだろう……後悔は後を絶たない。
「最初に出会った事も覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、バス停で声を掛けてもらって」
「……あれは、私は貴方を知ってワザと近づきました……」
「 ……」
言葉が出なかった。雪穂さんが発したその告白はボクの脳にはすんなり理解できなかったのである。……、故意に近づいた……? 雪穂さんが?
「…何のためにですか?」
「あゆむさんが、転校なさった理由というのは何でしょう?」
雪穂さんはまだハンカチを目元に当てている。
転校の理由?
「突然父が学校を変えると言ったからです。ボクに拒否権はなく従うだけでしたので鵜呑みにするしかありませんでした……」
「試練の始まり……」
雪穂さんはそう言葉を切って
「あゆむさんのお父さんが考えた事なのですが、同意し決行したのは全て私、です。あゆむさんがもし誰も友達がいない学校に転校したらきっと不安になるはず、です。そこで、私を媒介として、つまりあゆむさんのお友達として仲を睦まじくする、すると生徒会長選挙の時には必ず私を頼りにしますよね……それを挫くための、試練の始まりの布石だったの、です」
雪穂さんはボクの立っているほうにゆっくりと歩み寄る。ハンカチを手に握りながらボクの目と鼻の先まで来て足を止めた。
顔を赤くすりなし、まんまる潤んだ瞳をボクに向ける。身長がボクより若干低い雪穂さんの髪からはフローラルな匂いが仄かに香りボクの脳を更に刺激する。雪穂さんの腕なども見てみると非常にか細い腕で力を入れると折れてしまうようなそんな感じがした。
「……軽蔑ですよね……、私は最低な女なんです。関係を崩して、あゆむさんを教育しようとでもしたんでしょうか……私は欺瞞、今までの言動も全てあゆむさんのお父さんが言ったからという理由をもみ消そうとしてとってつけたような言い草、偽善も」
「やめてくださいっ! どうして自分を傷つけるんですか? ボクはそんな事は気にしませんっ」
「罵って下さいっ! 普段から八方美人で誰にでも愛想を良くして、偽善者とっ、欺瞞人とっ! 罵って……」
雪穂さんは力なく泣き声を上げて両膝を床につけた。
雪穂さんは此処まで悩んでいたのか? 苦しめていたのか? ……自分が憎くて、仕方がない。
ボクはしゃがみ込んで雪穂さんの顔を覗き込みながら言う。
「雪穂さん……、そんなに悩まないで下さい、苦しまないで下さい。考えても見てください、雪穂さんは何も悪い事をしていません。雪穂さんがやった事はボクに対する中立関係に位置しながら及ぼす裏返しの協力という名の一つの『好意』『支援』です。雪穂さんは選挙時、ボクの『支援者』だったんですよ。だからさっき言ったじゃないですか……『感謝している』と。それに雪穂さんがそんなに苦しんでいると、ボクも辛いです。こんな状態にボクがさせてしまっているって考えるだけで旨が張り裂けそうになります。自分が憎くて憎くて堪りません」
雪穂さんはスッと顔を上げる
「あゆむさんは何も悪い事はしていませんっ、悪いのは」
「誰でもありませんよ……。それとも雪穂さんはボクに自分を憎んで欲しいですか?」
「い、いえ」
「だったらこの件は水に流しましょう……、ねっ?」
ボクがそう言って口を綻ばせ雪穂さんに微笑みかけると、雪穂さんは自信を取り戻したのか
「はい……」
しっかりとした返事で言い、ボクは立ち上がって雪穂さんに手を差し出し、雪穂さんも立ち上がった。
「では平賀さんが待ってますから行きましょうか……」
そう言ってドアの方に向かい手を掛けて雪穂さんの方を振り向く。目がもう一度合ったところで
「今後もう自分を傷つけることは言わないって約束してください」
ボクは小指を差し出した。雪穂さんはゆっくりと首を縦に振って
「はい」
そうして小指を絡めて指きりげんまんをした。
ドアを開けて廊下に出た時、蝉の鳴き声が響き渡る。
「夏ですね……」
雪穂さんがしみじみとそう呟く。先程赤くすりなしていた顔ももうすっかり良くなって今ではしっかり前を見据えている。
「ええ、これから忙しくなりますね?」
ボクは含みを持たせた言い方で雪穂さんにそう投げかける。
「はい? どういう事ですか?」
「一緒に生徒会やりませんか?」
夏の夜はこうして過ぎ行くのだった。
ご閲覧戴きありがとうございました。
かな〜りシリアスな場面でしたが局面を迎えたと言ってもいいくらいの部分じゃないでしょうか? 読者の皆様がどう感じたかは非常に作者として気になるところです!
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では次のストーリーもお読み戴ければ幸いです。