33.執事の過去
辺りが薄暗くなってきて日が今にも沈みそうな頃に平賀さんの車が停留所に辿り着いた。ゆっくりと近づいてくるその黒塗りの車はどこか平賀さんの気持ちを投影しているようだ……。そして車のエンジン音が鳴りやみ運転席から平賀さんが降りてくる。
ボクの目前まで歩みを進めてきて頭を下げた。予想通りともいうべきか、平賀さんはボクより先に雪補さんを送り届けてから来たらしい。休みなくボクを迎えに来てくれたのか首筋からは少々の汗が垣間見える。
「お迎え遅くなりまして誠に申し訳ございません、いくらお嬢様を先にお送りしたからとはいえ執事に有るまじき事でした。お許し戴きたくお願い致します」
平賀さんはそう言って頭をボクに下げる。遅れた事なんて大した事ではないし、雪穂さんを送ってきたのだから平賀さんに非は一つもないにも関わらずここまで気にしているのはやはり自分の職務に対して、いや、自分に余程厳格だからかもしれない。
「あまり気にしない事です。あまり自分に厳しくしすぎると後々疲れてしまいますから……。頭を上げてください」
「あゆむ様がそう仰るなら、分かりました……」
平賀さんは額を少し上げてボクの顔を少し伺い、それから頭を上げた。
ボクは車の後部座席の方まで近づいて行ってドアを開けた。その後運転席のドアをゆっくりと開く。
平賀さんは驚いた表情を浮かべつつボクの方まで駆け寄ってる。
「あゆむ様」
「こういうのもたまにはいいんです。それにこれが当然の事とか思いたくないんですよ。平賀さんにドアを開けてもらうのが当たり前、運転してもらうのが当たり前、迎えに来てもらうのが当たり前、ボクに良くしてくれるのが当たり前、そんな事に胡坐をかいて日々を送りたくはありません。だからこれはボクの気紛れみたいなものです。やはりあまり気にしないでください。まぁ、まだ免許を持っていないのでボクが運転する事はさすがに叶いませんが……」
平賀さんは両目を瞑って一瞬顔を上空に向けた。そしてボクを見据えながら平賀さんは後部座席のドアに片手を添える。
「さぁ、お乗りください。安全運転で屋敷までお送りさせて戴きます」
「ええ、御願いしますね」
平賀さんはボクがシートに腰を落ち着けたのを確認してからドアを閉め運転席に乗り込んだ。そしてエンジン音と共に車は前方へと走り出した。
◆◇◆◇◆◇
「もしも平賀さんが自分の友達に嫌な事、自分の許せない事をされたらどうしますか、やっぱりその人を許しませんか?」
ボクはハンドルを握り前方をしっかりと見据えている平賀さんにそう問いかけた。
「そうですね……、私だったら例え許せない事をされてもその人を許すと思います」
「それはどうしてですか?」
ボクはバックミラー越しに平賀さんの顔を見つめる。
「『許さない』というのは客観的な感情だとは私は思っていないからです。と言いますのも『許さない』とは主観的な感情だと思うのです。つまり『許さない』のではなくその人を『許したくない』だけなのではないかと私はそんな風に考えています……」
平賀さんは言葉を切った。バックミラー越しに平賀さんの口元を良く見てみると若干震えている。この人はまだ言いたいことがあるんだ……。
「……そんな事をされた事があるのですね?」
ボクはゆっくりと平賀さんにそう問いかけた。平賀さんは首を縦に振る。若干の静寂が訪れ、その後平賀さんがゆっくりと口を開く。
「 ……ええ、実は私は小学・中学・高校と苛められていました。周りの方からは私の外見をみて恐がられる方がいるのですが、それは詩条家にお仕えしてからで、それまではひ弱な体系に加え精神の弱さが尾を引き先の申しました事をされていたのです。私の父は13の時に他界し、詩条家にお仕えしましたのは18の時、つまり高校を卒業した直後の母が他界した頃です。
父の生前、旦那様の部下で非常に目を掛けて下さっていました。しかし、父が他界したため資金援助の方を残された私と母にして戴き、遂には後に残された母までこの世を去ってしまった事により私はとうとう一人になってしまいました。勿論大学になんていける訳がありませんでした、資金的にも、精神的にも……。何処へ行くともなく放浪しようかどうか、正直精神も壊れかかっていました。
その時に今までの自分を回想したんです。苛められているのはその悪友のせい、そもそも両親が私より先に他界したのもこの自分の心身ともに弱さが祟ってのここではないのか? 日頃の行いが悪いから天が私を罰しているんだ。と共にその悲しみは憎しみにかわり悪友に思いをぶつけました。色々画策し仕返しを試みましたが逆に返り討ちにあいました。
流石にもうダメかと心も折れかかり最後の手段を自分に講じようとしたその時に旦那様が救いの手を差し伸べて下さったのです。私は決めました、こんなにも私や両親に良くしてくれた旦那様に一生この身を捧げる事を……。そのためには自分の心身を徹底的に鍛えなければならないと思い、様々な武道、花嫁修業のようなもの、一時グリーンベレー隊に所属し戦地に赴いた事もあります。
その後心身ともに鍛えあがり、詩条家に仕えたというような経緯です。そして数年後やっと心に余裕も出てきたのか多くの事を外観的に捕らえることができるようになりました。その時にやっと心の奥に留めてあった『苛め』について再考しました。それまで許す事の出来なかった悪友に対して初めて許そうと思えたのです。『許せない』のではない自分が『許したくない』だけなのだとそう思いました。かといってその悪友の所業を肯定している訳ではありませんけれども。……もう着いたようですね」
平賀さんの見つめる先には詩条家の巨大な門扉。平賀さんは先程の悲壮さを感じさせる表層から一変顔に微笑を浮かべてボクの方をバックミラー越しに見つめる。こんなに壮絶な過去が平賀さんにあったとは……知らなかった。
「なんか、すみません……踏み入ってはいけない事に触れてしまいました……」
「謝らないで下さい。私は決してそういうつもりで言ったのではないのですから……。あゆむ様に私の事を知りおきしておいて欲しかったのです。過去があったからこそ現在がある。この世に許せない事なんて本当はないんです。許せない事それは単に自分が許したくないだけなんです。あゆむ様もそう思っていらっしゃるのでしょう?」
そう言って平賀さんはボクの座っている後部座席に身を乗り出して紙がはさんであるバインダーを差し出す。ボクはそれを受け取り紙の文面を見やる。驚く事にそこには『生徒会メンバー推薦用紙』がはさんであった。平賀さんはなんでもお見通しなんだ、ボクが何でこんな事を聞いたのかも、そしてこれからボクがどうするのか、本心はどう思っているのか分かる、恐れ入る存在なんだ……。
「はい」
「でしたらもう迷う事はありません。ご自分の思った通りに実行なさるのがよいでしょう。そしてそれに間違いはないと私は思います」
「あっ、ありがとうございます……」
「私はあなた様の執事でもあるのですからなにもお礼などされる事はしていませんよ」
平賀さんは身を引いて運転席に戻った。そして門扉は開け放たれ車は再び発進される。辺りはもうすっかり暗くなって詩条家の様々なライトアップによるイルミネーションが一際この景色に映えていた。ボクは過ぎ行く景色を見つめつつも平賀さんに目をやる。この人にはやっぱり頭が上がらないな……。相談して本当の意味で良かったと思う。
「はい、もしもし」
ふと平賀さんの胸ポケットから携帯音が鳴り電話を取る。数秒無言でそのまま電話を切ってしまった。一体どうしたんだろう……。ボクはその時なにかただならぬ雰囲気を平賀さんから感じ取った。
「平賀さん……?」
平賀さんは終止無言で俯いていた。後に車はまだ屋敷まで達していないにも関わらずUターンをし、そのまま屋敷から出て行く。明らかにおかしい、何が起こったというのだろう……。
「平賀さ」
「おっ、お嬢様が……御自室で倒れられ、現在搬送されているとの報告が……、急ぎ病院に向かいます」
ご閲覧戴きましてありがとうございました。
前回にお伝えしたとおりに投稿できませんで誠に申し訳ございませんでした。この話は欠かすことの出来ないストーリーでしたので間に組み入れる事に急遽決定致した処で、読者の皆様には期待をさせてしまい申し訳ございませんでした。
加えまして、今話のシリアスさは尋常ではありませんでした。その点についてご不満に感じられている方にはやはり謝辞申し上げたいと思います。今後も所々そうなるかと思いますのでご理解戴ければ幸いです。
感想・評価・投票ランキング等して戴けると励みになります。
〜評価・感想欄につき〜
★Special Thanks;ライクス様、月奏様
それではまた次のストーリーを読んで戴ければ幸いです。
※追記(7/4)
新話の方、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。まだ掛かりそうですが、今月の上旬中には投稿したいと思います。加えまして前々から申し上げていた当作品の前半部分の大幅改編を今月・来月で踏み切ってゆきたいと思います。それと平行して新作のファンタジーの方ですが現段階では4話まで仕上がっているのですがプロットをもう少し詰めたいので未だ投稿する事が出来ない状態です。これが10話ほど溜まり、プロット構成がある程度できた時点で投稿したいと思います。それにしてもファンタジーって物凄く難しいですね……。様々な文献を読まなければならないし、多様に絡み合う展開を書かなければならないので今以上に難しい分野ですが頑張ってゆきたいと思います。予定としては来月上旬には投稿出来るかと思いますので並行して読んで戴ければ幸いです。
〜評価・感想欄・他につき〜
★Special Thanks;まもう様 バリトン様