10.モラルの所在
その日はやはり雪穂さんと同じ車で通学をしていた。ところでこの日本国での象徴とされる天皇陛下のお乗りになられる御領車について話しておくことから始めようか。
おそらく日本国民の大部分がご周知の事かもしれないが、天皇両陛下のお乗りになられる御領車の運転手というのはただ運転が上手ければいいのではない。運転席以外のシートに蝋燭等を立てて運転し、その蝋燭が倒れないような運転をして始めて天皇両陛下のお乗りになられる御領車を運転することができるのだ。
さてこの前置きを踏まえたうえで言おう。平賀さんはどうやらその運転ができるらしい。そのためスピードの上下変化問はず常に安定した走行が可能だ。故にボク達の乗るこの車は不安定になる事などはいままにでなかった。しかし今日はそれが突如起きた。
車にぶつかったようだ。幸いなことに若干コツンと前方の車両に当たったらしい。
「うっ」
平賀さんは少し前につんのめった。雪穂さんとボクも含めて何が起こったのかと目を大きくしながら前方を見ていた。
「どうしたんですか」
ボクは平賀さんにそう尋ねる。
「車にぶつかってしまったようです……、お怪我はございませんか」
まぁさっきの衝撃からそれは分かったけど。
「ええ、大丈夫です」
「ボクも平気です」
平賀さんが一呼吸おいてから応答した。
「前方の車が信号が黄色になってギリギリで進み通すかと読んでいたのですが、急ブレーキをして停まりました。申し訳ございません、お嬢様、あゆむ様」
平賀さんが前方から後方に視線を移して頭を下げた。すると運転席側の窓からコンコンという音が聞こえた。一同はその音のほうに目をやった。するといかつい顔をして白のタキシードを着た男が立っていた。平賀さんは窓のオープンスイッチを押した。
「どこを見ておられるのですか? お陰で御車のバックバンパー付近にキズがついてしまったではないですか。これではお坊ちゃまに示しがつきません」
雪穂さんは不安げな面持ちで二人を見つめる。平賀さんは何も言わない。どうしたのだろう……。
「大体、この御車が何方ご所有の物か分かっての狼藉ですか」
平賀さんは俯いた。ボクの想像してた平賀さんの人格っていうのはこういうことには誰に対しても強気だと思ったんだよね。それどころか今回は平賀さんから聞いた話からすれば相手に過失があるんだから黙ってないで言い返せばいいのに。何故黙ってるんだろう……。
信号機は赤から淡い青色に変わり右左方の車線から車が前へと流れ出す。後方を振り返る。ボク達の騒動により後ろの車たちはクラクション鳴らしまくり。後ろの運転手の人が顔を顰めている。眉間にも皺が寄っているような気がする。
クラクションのピッピーという頭に残りそうな音が前頭葉に響き渡る。雪穂さんは黙って二人を見つめていた。
「木野城家と言えば知らないはずはないでしょう」
その白いタキシード姿の男の人がその名前に自信を持っているかのように誇張気味に言った。しかし木野城家なんて聞いた事がない。
「雪穂さん」
ボクは黙って二人を見つめている雪穂さんに向かって声を小さくして呼んだ。雪穂さんはゆっくりとボクの方に顔を向ける。やはり心配なのだろうか、かすかに唇が震えているのが見て取れた。
「なんでしょう」
「木野城家って聞いた事ありますか」
「ええ、私達と業界は違えどPC業界としては最大手の会社の社長の姓です。私も何度かパーティーでお会いした事があります」
「そうなんですか……」
視点を二人に戻す。少し間を置いてから再びその白いタキシードの男は口を開いた。
「大体どこの馬の骨かも分からない人の車に木野城家の車がキズをつけられるなんて……」
すると前方の車の後部座席から誰か出てきた。どうやら長身の男性のようだ。よく見るとボクと同じ制服を着ている。明らかに同じ学校か。ノートパソコンらしきものを片手に抱えている。その人が段々こっちに近づいてくる。そしてその白いタキシード姿の人の前で立ち止まりその謎の男の人は自分の眼鏡を中指でクイッと上に上げた。
「少しは慎んでくれ、吉永」
するとそのタキシード姿の男の人は頭を下げ始めた。
「ですがこの運転手は木野城家の所有物にキズをつけたのですぞ」
「吉永……まだ気づかないのか?」
「はい?」
白いタキシード姿の男の人は何を言ってるのか分からないといったように首を傾げていた。ハァーと深い溜息をつきその謎の男は今度は視点を平賀さんの方に向けた。その後
「申し訳ない」
深々と頭を下げゆっくりと謝罪した。平賀さんは驚いた様子だった。
「坊ちゃま! 何故このような者達に謝罪するのです?」
「吉永!!」
少し強い口調で名前を呼ばれた白いタキシードの男は少々ビクンと身体に衝撃を受けていた。
「あっぁ、えっ……」
何がどうなっているのか分からないのだろう、言葉が見つからないらしい。頭を下げたままその謎の男は首だけその白いタキシード姿の男の人に口を開いた。
「悪いのは私達だ。黄色信号ギリギリで進みきろうとしたが無理だった。しかもスピードも結構出ていた。なのにかも関わらずこちらが被害者である方に怒りを差し向けるなど腹違いもいいところじゃないか」
「……」
「頭をお上げください。私にも過失はありますからこちらこそすみませんでした。修理代は後ほど木野城様保有の本社に送ります」
平賀さんは畏まって言葉を発した。そしてその謎の男は頭を上げる。
「ありがとう、恩に着る。こちらの運転手の教育不足で迷惑をかけた。こちらで再教育を施すので、あしからず」
そしてその男の人は今度はボク達に目を向ける。
「もしかしてそちらにいらっしゃるのは詩条雪穂さんかな?」
その男の人は平賀さんに問いかけた。
「ええ、詩条雪穂様です」
「後方の窓を開けてくれるかな?」
その要望にすぐさま平賀さんはオープンスイッチを押して応じた。
「ありがとう」
そう言って今度は後部座席の方に歩いてきた。そしてその窓から覗き込むように奥の方にいる雪穂さんの方を見つめる。雪穂さんは前の膝の上に手を重ねるように置いて淑やかに座っていた。先ほどの一件が安堵の方向へと落ち着いたからであろう。
「お久しぶりです。雪穂さん」
「久しいですね、晴紀さん」
そして目を細めるようにしてボクの方を見る。すぐさまその視線は雪穂さんの方に移り変わり
「こちらのお方は」
そう雪穂さんに訝しげに尋ねた。雪穂さんは手先をボクの方に向けて
「こちらは私の友人の源 あゆむさんです。訳があって私の家に居候しておられる方です」
「居候?」
ピッピーというクラクションが鳴り止まない事はない。というか次第に罵声が飛んでくるのが聞こえた。このまま事が進み警察が来て事を荒立てるのは思わしくない。そこでボクは学校へ行きましょうと呼びかけようとした時
「まぁ、後ほど話は伺いましょう。今はこの後ろの渋滞をどうにか解消しなければならないようですからここで話してても思わしくないでしょう。ではこの辺で失礼します。吉永、車を出してくれ」
ボクはこの人は教養のある人かもしれないと心の中で思っていた。そういって次の信号が青に変わった瞬間に再び走り出し、ボク達も後を追うように学校へと向かっていく。
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