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第八話 曲げられない綺麗事

 福田の吐き出すような叫びを聞いていた佐雄也だが、夜の空を羽ばたく異音が近付いていることに気が付き、そちらに目をやる。

 そこには空を飛んで近付いてくる巨大な梟の化け物が居た。

『シンジ、ナイ……ダレモ、シンジナイ……』

 不快な人語を紡ぐその化け物を見た佐雄也は、それが福田を母体としたマリシャス・ミラージュであることに気が付いた。

「な、何だ。あの化け物は……」

 福田目掛けて、鉤爪を生やした脚を突き出して下降する瑪瑙の梟。

 あまりにも非現実的な存在は目撃した者を硬直させる。

 ユウもまた、目に映るその巨大な瑪瑙の梟を信じられずに呆然とした。

「危ない!」

 この資材置き場で動くことができたのは佐雄也一人だ。

 福田に駆け寄り、腕を引いて地面擦れ擦れに超低空飛行するオウル・ミラージュの爪を避けさせた。

 巨大な目玉を動かして瑪瑙の梟は怒気を見せるが、地面には着地できないようで空へと舞い上がる。

「……梟のマリシャス・ミラージュか。これが来たということは麻衣子ちゃんも向かっているはずだ」

 一旦の危機を避けたことに安堵し、周囲を見回して麻衣子の姿を探した。

 すると、すぐに中空を飛行するヨーグッドの姿が見つかる。

「小僧……テメエはよくよくマリシャス・ミラージュの母体と縁があるな」

 麻衣子と居る時とは違い、惜しげもなく悪魔の如き真の姿を見せたマスコットは呆れた風に言った。

 佐雄也はそれを見て、近くに麻衣子が来ていないことを察したが、念のために聞く。

「同感だよ。麻衣子ちゃんは来てないのか?」

「麻衣子は敵の魔法少女とやり合ってる。こっちに来るのはもうちょい掛かりそうだ」

 敵の魔法少女という単語に聞き返したくなる佐雄也だったが、上空を舞うオウル・ミラージュがこちらを睨んでいるので、その疑問は呑み込んだ。

 福田は状況に着いて行けずにサバイバルナイフを握ったまま、佐雄也とヨーグッドを交互に眺めて困惑している。

「小僧。この状況でベストな選択肢を教えてやる。そこの母体を殺すことだ。そうすれば、あのマリシャス・ミラージュは消滅する」

「それは却下だ」

 ヨーグッドの冷徹な提案を佐雄也は間髪入れずに一蹴した。

 それでもヨーグッドは譲らない。ここでこの男さえ死ねば、今起こるであろう最悪の破滅は回避できるのだ。

「記憶なら消してやるし、ここで起きたことは完全に隠蔽してやる」

「そういう問題じゃない。それが魔法少女のやり方だとは思わない」

「こいつを生かして置いて、何の意味があるんだ? どうせ、警察に捕まれば何人もガキ殺してるこの野郎は死刑を免れねえ? 違うか?」

 結局、殺されるはめになるのなら同じだとヨーグッドは言う。だが、その意見に佐雄也は絶対に賛同しない。

「ここで殺されるのと、死刑で死ぬのはまったく違う。人の死を決めるのは魔法少女の役目じゃない。法の役目だ」

 佐雄也は思う。勝手な個人の判断で人の生死を決めるのは間違いだと。

 その人間の罪を裁くために、裁判があり、法律がある。

 それは人が、人の中で生きるために作られたルールだ。例え、多くの子供の命を手に掛けた殺人鬼だろうと、人の輪の中で死んでいく権利を持っている。

 故に佐雄也は福田を手に掛けることはない。

 そうこう話している間に、オウル・ミラージュは大きく翼を開き、佐雄也目掛けて空を滑るように降りて来る。

『シン、ジ、ナイ……ダレモ、シンジナァイ……』

 平たく鋭い翼は刃となって、佐雄也を襲う。

とっさに横に避けようとするが、傍に福田が居ることを思い出し、彼を掴んで引っ張る。そのため、体勢が崩れて避けきれなかった。

真っ直ぐに飛ぶそれは佐雄也の右腕を簡単に切断する。肘から離れた腕が血を巻きながら地面に落ちた。

「小僧!」

「お兄ちゃん……!?」

 ヨーグッドとユウが声を上げる。福田はそれを呆けた顔で見つめていた。

 オウル・ミラージュは資材置き場の材木やアルミ片を真っ二つに斬りながら、空へと舞い上がった。

 佐雄也は膝を片突くが、それでも痛みに引きつった笑みを二人に浮かべて見せる。

 額に巻いていたリボンを片手で解くと、右腕の切断部分のすぐ上を縛り、大雑把な止血をした。

「取りあえず、この人の心の負の感情を消さない限りはあのマリシャス・ミラージュは居なくならない……なあ、あんた」

 佐雄也が福田の方を向いて、話そうとした時、彼の腹部に何かが突き刺さる。

 それはサバイバルナイフの先端だった。

 福田が佐雄也を刺したのだ。

「へへ……何が起きてるのか僕には分からない。でも、お前にはこうしないと駄目だ」

 相好を崩して、福田はそう言った。

 深々と刺さったナイフの刃を引きずり出し、後ろに下がると踵を返して逃げ出す。

「そこで囮になってくれよ、魔法少女さん……」

 彼はそもそもオウル・ミラージュが自分が狙っているとは思いもせず、負傷した佐雄也を襲うだろうと浅はかな考えで事に及んだ。

 佐雄也は刺された腹部を押さえ、走り去ろうとする福田の背に叫ぶ。

「あの梟の化け物は、あんたを狙ってるんだ!」

 だが、その声が福田を理解する前に降下してくるオウル・ミラージュの嘴が大きく開かれた。

 福田の姿がずるりと丸呑みされて、瑪瑙の梟に口内に消えていく。

 それと同時にオウル・ミラージュの身体は肥大し、十メートルほどに膨れると銀色へと色彩を変えた。

 ヨーグッドは佐雄也に吐くように問う。

「これでもまだ、あの男を助けるつもりか?」

「ああ、当然だ。魔法少女は、人を見捨てない」

「っ! 綺麗事を吐くんじゃねえ、小僧! あの男は正真正銘の悪党だ。前の捻くれた不良とは訳が違う、本物の人殺しだぞ?」

 佐雄也はヨーグッドに口角を上げて立ち上がり、当たり前のように答えた。

「魔法少女が綺麗事を言えなくなったら、世も末だろ?」

 別段、彼は性善説を信じている訳でない。むしろ、その逆。

 道理を弁えない真性の屑や、吐き気を催す人間性の輩を幾人も知っている。

 しかし、それを知った上でなお、綺麗事を口にするのだ。

 ひとえに魔法少女の在り方を貫き通すために。

 あまりに堅固で強靭な信念。これを崩せる言葉をヨーグッドは持ち合わせてはいなかった。

 完全体へと昇華したオウル・ミラージュは銀の翼をはためかせて、夜空へ昇る。

 己の主たる無意識悪意の集合体『マリス』をこの世界に招待しようとしていた。

 それを顎で指し、佐雄也へと目を向ける。

「なら、どうする? あのマリシャス・ミラージュは銀の門に成長するぞ! そうなりゃあ、この街だけじゃねえ、世界が終わる!」

「解決する方法ならまだある」

 前に佐雄也がボア・ミラージュから井上を救い出したように、母体になった人間の負の感情を拭い去る。

 そうすれば、マリシャス・ミラージュは形を維持できずに消滅するはずだ。

 だが、それは並大抵のことではない。

 良く知りもしない人間、まして連続殺人犯の負の感情を消すことなど不可能に近い。

 顔を顰めたヨーグッドは佐雄也を詰った。

「馬鹿か、できる訳がねえ。あの不良のガキとは違うんだぞ? 積もった悪意の総量も段違いだ! それを今日会ったばかりのテメエがどうにかできるっていうのか!? ああ?」

 佐雄也はそれに即答できずに口を噤む。

 そう、致命的なまでに佐雄也は福田のことを知らない。せいぜい、過去の信頼していた人間に裏切られたであろうことを推測した程度だ。

 あまりにも情報が欠如している。彼が何を真に求めているかも分からない状況。

 五里霧中としか言えない中、おずおずとユウが佐雄也たちへと歩み寄って来る。

「コスプレのお兄ちゃん……大丈夫なの?」

「ユウちゃん、ごめんな。すぐにでもビリーブの葉に帰してあげたいんだが、今はまだ待ってくれ……」

 片腕は肘から切り落とされ、腹部の大きな刺し傷からは今も血が流れ出ているのというのに、自分の怪我よりもユウへの謝罪が出るあたりがどうしようもなく彼らしい。

 やせ我慢もあるのだろうが、傷だらけの我が身よりも救うべき人の命の方が重要なのだろう。

 死ぬ一歩寸前でも、佐雄也は他者を気遣うことを止めない。そういう人間なのだ。

 ユウは怪我について触れるのを止め、佐雄也に言った。

「あのおじさんを助けるんでしょ? ボクも協力する」

「ユウちゃん? 気持ちは嬉しいんだけど、君を巻き込む訳にはいかないよ」

 危険の渦中にただの小学生であるユウを巻き込めないとやんわりと彼を拒絶する。

 だが、ユウはそれでもなお食い下がった。

「でも、ボク、コスプレのお兄ちゃんよりもおじさんのこと分かるよ。さっき、テントの中で話を聞いたし、それにボクもあのおじさんに似た想いを感じてた」

 佐雄也はユウが自分たちの話を聞いていたことに気付いた。確かに人間不信で悩んでいた彼の方が福田のことを理解しているだろう。

 ユウの助力がこの状態を打破する鍵になるかもしれない。

 しかし、佐雄也にはユウを巻き込むことに抵抗が拭えなかった。

 二人の会話に口を出したのはヨーグッドだ。

「いいじゃねえか。魔法少女アリスがこの場に居ない今、猫の手も借りてえところだ」

「ヨーグッド、お前……」

「どの道、マリスが顕現すりゃあ、この世は終わりだ。それとも手段を選べる状況か?」

 そこを突かれれば、反論に困る。

 佐雄也はユウの瞳を覗き込んだ。彼は強い覚悟を秘めた眼差しを返す。

「ボクもお兄ちゃんの力になりたい……」

「……分かったよ。ユウちゃん、俺たちに協力してくれ」

 その瞳を信じ、佐雄也はユウの助力を受けることに決めた。

 すぐに思い付いた作戦の説明をユウとヨーグッドに簡潔に行う。

「……ユウちゃん。君にはあの梟の化け物の中に居るあのおじさんに語り掛けて欲しいんだ」

「でも、あの梟は空を飛んでいるよ。ここから大声で言って聞こえるかな?」

 オウル・ミラージュは空高くを飛翔している。叫んだところで反応する以前に声が届くかどうかも怪しい。

「何とか俺が誘き寄せてみる。ただ、ずっと地上に引き留めているのは難しいが……」

 マリシャス・ミラージュには物理的な干渉ができないという点が非常にネックだった。

 向こうに掴みかかることさえできないので、押さえ付けている内に説得するといったことは不可能。

 そこでヨーグッドは佐雄也の案に付け加える。

「それで構わねえよ。俺がそのガキを背負って、あのマリシャス・ミラージュにしがみ付く。それなら、あいつが空を飛ぼうと関係ねえ」

 マリシャス・ミラージュは外部からの物理干渉を絶対に受け付けない上に、自分からは自由に鑑賞できる特性を持つ。

 だが、それには例外ある。それは魔法少女アリスとその武器。

 そして、魔法少女マリスをサポートするマスコットであるヨーグッド。

「俺はマリシャス・ミラージュに触れられる」

「それ、初耳なんだが……」

「何でコスプレ馬鹿野郎に俺がいちいち説明する義理があんだよ」

 麻衣子との交流にも文句を言わなっていたので打ち解けたのだとばかり思っていたが、佐雄也には相変わらず心を許していなかったらしい。

 複雑な気持ちになるも佐雄也はヨーグッドの提案に異議を唱える。

「その案はユウちゃんの身に及ぶ危険が大き過ぎる。空から落下した死ぬ可能性だってあるんだ」

「時間がねえんだよ、つべこべ言ってんじゃねえ! おい、ガキ! やるか、やらねえかはテメエが決めろ」

 時間がないと言いながらも、ヨーグッドは無理強いをしなかった。

選択権をユウに任せ、視線だけで問う。

 ――お前はどうする、と。

 ユウからすれば、正体不明の人語を喋る奇妙な生物でしかないヨーグッド。

 こんなよく分からない生き物に命に関わる提案を出されれば、少し前の彼ならば絶対に信用しなかっただろう。

だが、今は違う。少なくとも佐雄也の知り合いである以上は多少信じることができた。

「……ボク、やってみるよ」

「ユウちゃん!? 本当にやる気なのか?」

 驚愕して佐雄也は左手をユウの肩に手を乗せて、彼の顔を覗き込む。

「大丈夫だよ、それにボクが落ちたら、お兄ちゃんが助けてくれるでしょ?」

 はにかむような顔で佐雄也に上目遣いを向けた。かつての懐疑心に満ちた目はそこにはもうない。

 心を開いて信じる無垢な眼差しに佐雄也は否と答える訳はなかった。

「……ああ、そうだな。何が起きても俺が助けるよ」

「じゃあ、平気だね」

「話は纏まったな。何度も言うがうだうだしている時間はねえ。銀の門になる前に終わらせるぞ」

 佐雄也はヨーグッドの言葉に頷き、行動を開始する。

 夜空に半月を背景に羽ばたいているオウル・ミラージュを見上げた佐雄也はその場で大きく息を吸い込むと踊り出す。

「マママ、マ~ジ~カル! マママ、マ~ジ~カル! 魔法をか~けたい! 希望をあ~げたい!」

 彼の十八番、魔法少女マジカルマロンの歌を歌い、リズムよくダンスを始めた。

 右腕が肘からないせいでバランスを上手く取れずに多少ぎこちなさがあるが、それでも気合を籠めて振り付けをこなす。

「信じるち~からが、ゆ~めを叶える! 想いのつ~よさは、む~げんだ~い! 信じて、叶えて、幸せになろ~う!」

 ちぎれた腕も、腹部の傷も無視して柔らかい弾んだ歌声を空へ向けて響かせていく。

 激しい動きのせいで出血と痛みが激しくなるも、まったく表に出したりしない。

他人(ひと)を信じ~て、自分を信じ~て、皆を信じ~よ~う! それが~、それが~、愛な~んだ~!」

 佐雄也の歌声に乗せて送られた「信じる」という単語。それを聞いたオウル・ミラージュは巨大な眼球を真下に居る存在を凝視した。

 憎悪の籠ったその視線は精確に佐雄也を射抜く。

『シンジ、ナイ……。ダレモ、ナニモ、シンジナイ!』

 銀の門になるために力を備えていたオウル・ミラージュは、その単語を許せず、地面へと降下してくる。

 耳障りな言葉を吐く者の首を狩らんと、刃の翼を手向けて佐雄也へ目掛けて舞い降りた。

 佐雄也はそれでも歌と踊りを止めない。ギリギリまで引き付けてなければ、ヨーグッドたちが奴の背に乗ることはできないからだ。

 相手は化け物とはいえ梟。視界は広く、夜目も聞くだろう。

ヨーグッドが背中に貼り付く前に気付かれてしまえば、矛先がそちらに移るかもしれない。

だからこそ、佐雄也は歌だけでなく、ダンスまでしているのだ。

怪我をおしてまで激しく踊り続け、自分以外の動く存在を注目させないようにしている。

 貧血と激痛で鈍りける意識を奮い起こして、佐雄也は手や足を大きく振るい、高らかに歌った。

 佐雄也の頸部(けいぶ)を狙い、銀色の刃の翼が迫る。その瞬間、長い耳で背中にユウを結び付けて、待機していたヨーグッドはオウル・ミラージュの背後に飛び付く。

 その姿を確認した佐雄也は思い切り、身体を後ろに反って迫る刃の翼を回避した。

 鼻先数センチを巨大な翼が風圧と共に擦過し、空へ帰っていく。

 ここから先は自分ではなく、仲間に任せる他ない。佐雄也は背中から地面に倒れ込み、ユウたちへと託した。


 ヨーグッドの小さな体に掴まるユウは彼と一緒に銀の梟の背に居た。

 ぬいぐるみのような腕でオウル・ミラージュの身体に貼り付くヨーグッドだが、風圧のせいで今にも振り落とされそうになっている。

「くっ……早くしろ、ガキ。いつまで持つか分かんねえぞ」

「う、うん。分かってる」

 急かされたユウも暴風に晒されているが、危険を覚悟でここまで来た彼は不満など口にしなかった。

 気を落ち着け、恐怖を跳ね除けて、ゆっくりとオウル・ミラージュへ語り掛ける。

「ねえ。聞こえる? おじさん。ボクはさっき、おじさんが殺そうとしてた子供だよ」

 ユウの言葉に己の背に貼り付いた二人に気が付き、オウル・ミラージュは振り落とそうと身体を左右に揺らして飛び始めた。

 ヨーグッドは低く呻き、指先に力を入れて落とされまいと踏ん張り続ける。

「ふん、ぎぃぃぃ……」

 両目を血走らせ、鋭い牙を剥き出しにした彼は悪魔の形相をさらに凶悪なものに進化させているが、それを指摘する者はこの空には居ない。

「おじ、さん! 言ってたよね、信じて裏切られるのは辛いって! でも、それより辛いのは、裏切られるかもしれないことを分かってるのに期待している自分に気付くことだよ!」

 オウル・ミラージュが僅かにその言葉に反応し、首が動いた。

 必死で言葉を紡ぐユウには、それに気付く余裕もなく、叫ぶ。

「少なくてもボクはそうだった! 信じて期待してる自分に気付くたびに、惨めな気持ちにされられた! 口では散々斜に構えたこと言ってても、いつだって心は誰かが手を伸ばしてくれることばかり考えてたよ! それが悔しくて、恥ずかしくて……辛かった!」

 心を閉ざしたつもりになっても、微かに残っていた期待や希望が蝕んでいた。

誰も信じられないと思っても、信じたいという願いは消すことができなかった。

そして、当たり前のように裏切られて傷付く。その度に期待していた自分を知って、後悔と怒りと羞恥の感情が脳内で暴れ出す。

「おじさんもそうだったんじゃないの? だから、期待していた自分を誤魔化すために、その時の自分と同じ子供を殺して慰めてたんじゃないの?」

『ダレモ……シンジナイ……』

「おじさんのことは嫌いだし、怖いよ。でも、ボクも少しだけ! 少しだけおじさんのこと分かるもん!」

 ヨーグッドはオウル・ミラージュが動揺していることを察した。掴んでいる銀色の羽毛が揺らぎ、中に居る福田の後ろ姿が透けて映る。

「グゥ……いいぞ。効果があるみてえだ」

 耳で縛られているユウのせいで顔が後ろに仰け反りそうになるのを堪え、ヨーグッドは笑った。

 顔の皮が後ろに引っ張られ、上唇がめくれた彼は歯茎が露出し、人智を超越した邪悪な表情になっている。

どの角度から見ても、醜悪な化け物のそれだった。この場に麻衣子が居たら発狂していただろう。

 そんな悍ましい顔のマスコットに掴まり、風に煽られる中、ユウは声を大にして語り続ける。

「でもね、ボクには信じられる人ができたんだ! どれだけ拒絶しても、冷たくあしらっても、その人はボクのことを嫌わなかった! すっごい人だよ! 馬鹿みたいに優しくて、格好いいんだ!」

 他人に心を許さず、荒んでいたユウに佐雄也だけが何度もしつこいくらいに手を伸ばしてくれた。

 それでも裏切られるのが怖くて、期待するのが嫌で、今までずっと逃げ続けていた。

 しかし、今日ユウは初めて勇気を出して踏み出した。結果的に恐ろしい目に合ってしまったが、自分の信じたものに間違いはなかったと断言できる。

「おじさん! 信じてみてよ! あの魔法少女のコスプレしたお兄ちゃんは絶対に誰も見捨てない! おじさんの心も救ってくれるよ! だって、だって……こんな捻くれたボクを助けてくれた人なんだから!」

 目蓋をぎゅっと閉じて思い切り、心の底から想いを声にしてぶつける。

「手を伸ばせば、絶対に抱きしめてくれるよ!」

 少年の心からの嘘偽りない叫び。本心からの衝動にも似た響きにオウル・ミラージュは――連続児童殺人犯は聞き返した。

『ホン、トウ……? ホントウニ……シンジテモ、ウラギラナイ……?』

 不信と懐疑と拒絶を貫いていた男の心に、ユウの叫びは届いた。

 それに僅かに驚きを見せたユウは、すぐに笑顔で答える。

「うん! 魔法少女は裏切らないよ!」

『ソウ……ナン、ダ……。シンジ、タイナ……シンジタイ……シンジ……』

 体表が剥げ、ぼろぼろと零れた。崩れた欠片は次第に霧散して消えていく。

 ユウの無垢な想いの籠った声が福田の心を溶かした。不信感が凝り固まって生まれた梟は己の核を失い、形を保てずに消滅する。

いつしかヨーグッドの掴んだ指先は福田のパーカーに変わっていた。

 だが、これで一件落着という訳には行きはしない。

 ここは地面から数十メートル離れた空の上。浮力を発生させていたオウル・ミラージュが消えれば当然、重力に引かれ、落ちて行くのみ。

「ぐ、ぐおおおおおおおおおおお!」

「わあああああああああああああ‼」

 どうにか飛ぼうとするヨーグッドだが、背中に少年と手には中年の二名を抱えているため、せいぜい落下の速度を僅かに和らげることぐらいしかできない。

 オウル・ミラージュから出た福田は既に気絶しており、もがくことがなかったのが唯一の幸いだ。

「助けて、お兄ちゃん!」

 切羽詰まったユウが真下に居る佐雄也に向けて泣き叫ぶ。


 上空で起きたことを察した佐雄也だが、ユウとヨーグッドだけならまだしも、福田まで入るとなると片腕では受け止めるのは難しい。

 屈強な精神力で耐えているが、佐雄也とて重傷なのだ。出血量のみで言うなら、ボア・ミラージュの時以上に流れている。

 意識を失わないだけで十分に驚異的だ。

 貧血により、回らなくなった頭をそれでも何とか動かし、下へと落ちて来る三名を助けるために奔走する。

 何度も躓きそうになるも、佐雄也はそれに耐え、奥歯を噛み締め、懸命に脚を動かす。嚙み過ぎた奥歯は割れ、口の端から唾液に混じった血が垂れるが意識だけは決して手離さない。

「ぐうぅぅうううぅうう……おおおおおおおお!」

 落下予測地点に到達した佐雄也は両足をバネに跳んだ。

 空中で落ちて来る三名を左腕と腿を使い、強く強く抱き留める。

 何があろうと離さないように腕を回した彼は、足の裏を地面に叩き付けた。足の骨と関節が砕ける鈍い音が聞こえる。

 だが、その甲斐あって、どうにか三名を無事に受け止めることに成功した。

ヨーグッドの悪足掻きにより速度が減速したのが大きかった。

「た、すかったの……」

 呆然とユウは佐雄也を見つめる。抱き抱えたまま佐雄也は微笑み、そっと三名を降ろした。

 流石に出血量が限界に来たせいもあり、膝を突いて前のめりで倒れ込む。

「お兄ちゃん!?」

「無茶した代償だな、ちょっと待ってろ」

 ヨーグッドはユウを縛っていた耳を外し、地面に転がっている佐雄也の右腕を拾って持ってきた。

 それを彼の切断面に押し当てつつ、両耳の内側の模様を反時計回りに回す。

 佐雄也の身体の時間は傷付く前に遡り、右腕と腹部、それから歯茎の出血までも元通りに再生した。

「まったくよう。テメエのことは認めたくねえがよ……本当にすげえ奴だよ、小僧」

 落下から助けた件だけではない。関わった人間を成長させていくそのある種のカリスマ性にヨーグッドは感服する。

 悔しいが、こいつの生き様こそ本当の意味で「魔法少女」なのだろう。

 断じて認めたくはないが、麻衣子が佐雄也に弟子入りした気分が少しだけ分かった気がした。

「そいつはどうも。魔法少女のマスコットに褒められたなら、本物の魔法少女までの道程は近いかもな……」

「言ってろ、アホが」

 改めて打ち解け合った佐雄也とヨーグッドの傍で気絶していた福田が小さく呻いて、目を覚ます。

「あ、おじさん……」

 ユウが呼びかけると、福田はうすぼんやりとした目で周りを見回した。

「ここは……そうか。あれは夢じゃなかったんだね」

 憑物が落ちたようにすっきりとした顔の彼はユウを見つめて、感謝を述べる。

「ありがとう……って僕みたいなのが言うのもおかしいかな? でも、君のおかげで少しだけ自分を苛んでいたものが何だったのか気付けた」

 それから佐雄也の方に目をやった。

「あの、君には何て言ったらいいか分からないんだけど……」

 困ったように頬を掻いて、戸惑う様子はまる人見知りの子供のように佐雄也には見えた。

 立ち上がると佐雄也はそんな福田を両腕で抱きしめる。優しく、慈愛を籠めた母性ある抱擁だ。

「あんたが犯してきた罪は許されないと思う。それでも、俺の腕の中では思いの丈を吐き出していい」

 しばらく、ぽかんとしていた福田は佐雄也の台詞を理解すると、ぽろぽろと泣き出し始めた。

 それから、辛かった幼少期の出来事を涙交じりで話し出す。

 佐雄也はそれを黙って聞いていた。時に相槌を打ち、時に福田の背中を優しく撫でながら、彼の苦しみと懺悔を受け止める。

 ユウは彼らの傍でじっと座って、佐雄也と同じように福田の話に耳を傾けた。

 ヨーグッドはそれに付き合わず、麻衣子たちの方へ戻っていく。佐雄也を見る目は呆れではなく、どこか羨むような目をしていた。


 ***


 何度目かの剣劇を交わした後、魔法少女マリスは跳ね上がり、空に居るオウル・ミラージュの方を愕然とした目で見つめて呟いた。

「そんな……またマリシャス・ミラージュが……」

 銀の門になることなく、崩れて消えていくオウル・ミラージュに魔法少女マリスは動揺を隠せない。

 対する麻衣子はそれを見て、ヨーグッドと……そして佐雄也がまたどうにかしたのだと理解した。

「この街には誰よりも魔法少女らしい人が居ます。私やあなたなんかみたいに武器を振り回すことしかできない魔法少女じゃない、本物が。多分、その人がどうにかしたんでしょうね」

 麻衣子は言葉と共に剣の切っ先を突き付けて述べた。

 佐雄也のように人に優しくすることこそ、魔法少女の行いだと。自分たちの在り方など魔法少女の姿ではないと。

 けれど、麻衣子は戦うことを拒絶しない。自分にできることが限られているのなら、それを全うすることが使命だと考えているからだ。

「さあ、決着を着けませんか?」

「……ふふ、あはははははは。そうね。私も貴女も紛い物だわ。傷付けて、壊すしかない破壊者でしかない。でもね、私にだって、守るものがあるわ」

 妖艶に微笑む魔法少女マリスは麻衣子にそれだけ言うと、黒い靄のようなものに包まれて、姿を消した。

「ま、待ちなさい!」

 麻衣子はとっさにその場に結界を張ろうとするが、彼女はこの場から去った後だった。

 魔法少女マリス。その存在を知ったのは今回が初めてだったが、ヨーグッドは彼女について知っている様子だった。

 マリシャス・ミラージュを呼び出しているのが、彼女だとするなら彼女を倒せば、この戦いは終わるのだろうか。

 ただ、最後に吐いた彼女の捨て台詞だけが、麻衣子の耳に妙に貼り付いていた。

 守るもの。この世界を滅ぼしてまで守るものとは一体何なのなのか。

 しばらく、その場に立ち竦んでいた麻衣子はヨーグッドの迎えが来るまでそれについて考えていた。


 ***


 福田がすべてのものを佐雄也に吐き出し終えた時、向かって近付いてくるパトカーのサイレン音が聞こえてきた。

 パトカーは資材置き場の前の細い通りに一旦停車させると、後部座席から二人の警官が降りて来る。

 警官の片方は尾張だった。

「福田吾郎。連続児童殺傷の容疑で逮捕する」

 佐雄也たちのすぐ前まで来ると、事務的にそう述べた。

「尾張さん……少しだけ待ってもらえますか?」

 尾張は佐雄也の頼みを無視し、目線だけで駄目だと訴える。

 彼一人なら融通が利いたかもしれないが、この場で無理は押し通せない。

 悲しげに佐雄也は福田を見たが、彼は首を横に振って笑った。

「いいんだよ、僕は人殺しだ。それも子供を狙った最低の部類のね。……でも、最後に君らに会えて本当によかった」

 両腕に手錠掛けられた福田は左右の脇を警官に掴まれ、パトカーの中まで連行される。

 ユウは佐雄也を黙って見つめた。これから福田の身に起こることを察してのことだろう。

 佐雄也は真っ直ぐに立つと声を張り上げ、魔法少女マジカルマロンの歌を歌い始めた。

「マママ、マ~ジ~カル! マママ、マ~ジ~カル! 魔法をか~けたい! 希望をあ~げたい!」

 それは福田に向ける最後のエール。複雑な想いを胸に佐雄也はパトカーの中にも聞こえるほどに元気に歌う。

「マママ、マ~ジ~カルパワーで、誰もが笑顔さ! もっと! きっと! 楽しくなれ~るよ!」

 ユウもそれに合わせて、重ねるように歌い上げる。二人の歌声は綺麗に合わさり、福田の耳にも届いた。

 彼はパトカーの窓に顔を押し当て、涙を零す。そして、彼らの真似をしてメロディーも朧げながら静かに歌った。

「マママ……マジカル……マママ、マジカル!」

 尾張はそれを咎めず、福田の嗚咽交じりの歌を乗せ、パトカーは緩やかに動き出した。

 やがて、窓から佐雄也たちが見えなくなると、福田はぽつりと呟く。

「魔法少女って……本当に居るんですね」

「さあな。俺が知ってるのは、魔法少女のコスプレした馬鹿野郎だけだが……凄い奴だよ」

 尾張は前を見たまま、そう面倒くさそうに返答した。

 福田はそれに頷き、頬に付いた涙を手錠の掛けられた手で拭う。

 いつの間にか、幼い頃から福田を苛んでいた苦しみは影も形もなくなり、酷く穏やかな風が心の内に吹いていた。


 ***


 魔法少女マジカルマロンこと栗山佐雄也は、魔法を使えない。奇跡も起こせない。少女ですらない自称・魔法少女のコスプレ男だ。

 だが、彼は人の笑顔を守るため、助けを求める人を救うため、己の身の犠牲を厭わず努力を続ける。

 最愛の亡き妹との約束を果たすため、彼は魔法少女を目指すことを止めはしない。

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