第七話 助けを求める者
ユウは自分の行いを心底後悔していた。
ビリーブの葉から五時以降、無断に外出することは本来許されていない。
しかし、ユウはこっそり施設の職員の目を盗んで一人外へと抜け出していた。
理由は一つ、佐雄也に会うためだった。
本当はクッキーを作ってきてくれたことも、自分の好物がリンゴだと覚えてくれたことも嬉しかった。
断った後に実はあのクッキーも、利瀬から分けてもらってちゃんと食べていた。
美味しかったと、ありがとうと、その一言が言いたくて抜け出したのだ。
しかし、佐雄也の住所を知らない彼は道に迷い、路地裏に入り込んでしまった。
そこで黒いパーカーを着込んだ男と出会った。
その男はユウを見つけると、嬉しそうな声を上げて近寄って来た。
お菓子は要らないか、玩具は欲しくないか、そう不自然な猫撫で声で擦り寄って来る男にユウは恐怖した。
そこに巡回してきた警察官がたまたま来て、男とユウの間に割って入ったのだが、警察官は男が隠し持っていたサバイバルナイフで脇腹を刺され、蹲ってしまう。
悲鳴を上げたユウだったが、黒いパーカーの男に無理やり脅され、その付近のパイプテントの中に連れ込まれた。
人気の少ない通りに面した資材置き場は乾燥した木材やアルミの廃材の臭いがして、吸い込んだ肺が苦しくなる。
だが、突き付けられたサバイバルナイフの鈍い光が眼前に広がっているユウにはそんなことを気にならなかった。
頭にあるのは死の恐怖と自分の迂闊さに対する後悔のみ。
黒いパーカーを着込んだ男は蕩けるような眼差しを座らせたユウに向けて、笑っている。
パーカーのフードを外した男の顔は、三十代くらいに見えた。薄暗いパイプテントの中でも分かるほどふっくらと太っている。
ユウの瞳には男の顔があたかも肥えた梟のように映った。
「そんなに怖がらないで。……おじさんは君を幸せにしに来たんだ」
男は目を細めて、サバイバルナイフの先端を緩やかに動かす。
「子供はね、大人にならない方が幸せなんだ。嘘や欺瞞に塗れる前に死んだ方がいい。信じて裏切られるのは辛いからね」
君だってそう思うだろう、と穏やかに尋ねてくる男だが、ユウに答えを求めているというよりも、独り言のように聞こえた。
ユウもまた、怯えながらもその言葉を自分の中で反芻する。
信じて裏切れるのは辛い。その点に置いて男の言葉に同意だった。
ユウは両親に虐待を受けていた。だが、それは自分が悪いせいであり、両親は自分が良い子になれば優しくしてくれると信じていた。
だが、結果は違った。どれだけ親の言い付けを守っても、虐待が止むことはなかった。
何が気に入らないかも未だに理解できなかったが、両親は躾と称して時折火の点いたタバコをユウの腕に押していた。
どれだけ泣いても、嫌がっても、両親はそれを許してはくれない。
ユウはそれから何かに期待することを止めて、心を閉ざして生きることにした。
市の役員の働きで児童養護施設に引き取られ、両親から引き離されても、タバコの焼き印と共に付けられた不信感と猜疑心は消えることはなかった。
だが、そんなビリーブの葉の職員も手を焼くユウの前に現れたのが魔法少女を名乗る一人の愚者だった。
彼はどれだけ拒絶しようとも、必ずユウに話しかけて、仲良くなろうとしてきた。
それに期待してしまっている自分が、途方もなく嫌だった。信じて裏切られるあの思いをするくらいなら、誰も信じない方がずっといい。
でも、とうとう今日、期待に動かされてしまった。自分の好みに合わせて、お菓子まで作ってくる佐雄也に心を許してしまった。
だから、こんなことになったのだ。
硬く心を閉ざして、動かなければこんな目に合わずに済んだのだ。
「……ボクも、そう思う……」
男はまさか肯定が返ってくるとは思わなかったようで、一瞬驚いたが、すぐににやつく嫌な笑顔を浮かべる。
「そうだよね。うんうん、君は賢い子だ。おじさんの目に狂いはなかった」
ユウの返答で気分を良くした男は聞いてもいないことをべらべらと話し出した。
「おじさんもね、君くらいの時、信じてた人に騙されたんだ。本当に大人ってずるいよね。勝手に期待させて裏切るんだもん。……だ・か・ら、おじさんは決めたんだ。おじさんみたいな可哀想な大人をこれ以上生まないように子供のままで死なせてあげようって」
勝手な理屈を、さも高尚な理念のように男は語る。自分の行動に、欠片も疑問を懐いていない。
狂人という名に相応しい男は、ユウの頬に刃を当てる。
「ヒッ……」
小さく叫ぶユウに男は笑う。
「大丈夫。君はきっと天国に行けるよ」
男は気が付いていない。その両目が加虐の悦びに濡れていることに。
どれだけ、屁理屈を重ねようとも、心の根底に潜む悪意は変わらないのだ。
男の名前は福田吾郎。彼もまたユウと同じように幼い頃に虐待を受けて育った人間だった。
両親は共に酒浸りで、彼の顔を見てはその都度蹴る殴るの暴力を加えていた。
ユウと違うのは親ではなく、小学校の教師に期待したという点だ。
信頼していた教師は福田のことを途中で見捨て、彼を裏切った。
その時に感じた失望と憎悪は彼の内で醸造され、二十年以上経った今でも彼を満たしている。
「おじさんと違って幸せになれるよ」
福田は己のやっていることが両親のやっていたことと大差ないことに未だ気付いてない。
歪んでしまった心を鎮めるために、虐めを自分より弱いものに垂れ流し続ける。
ユウは涙を零し、哀れなまでに震えて小便を漏らした。
暴力とは違う、明確な殺意は心を閉ざすことさえ許してはくれない。
「いやだ、よ……助、けて……」
助けを求める声が口から漏れ出した。
目の前の男にではない。ユウの知る、最も愚かで、最も優しい青年に向けられた声だった。
「だぁぁめ!」
加虐の愉悦に満ちた福田はユウの呟きを踏みにじるように、その手に持ったサバイバルナイフを大きく振り上げた。
ユウは恐怖に身体を強張らせて、両目を硬く瞑る。
目蓋の裏には、あの薄桃色の魔法少女衣装に身を包ませたあの青年の姿が不思議と浮かんだ。
しかし、ユウ目掛けて振り下ろされた刃はユウの身体を傷付けることはなかった。
「な、なんだ。お前は……」
福田の狼狽えた声が耳に響く。ユウは恐る恐る目を開くと大きな腕がサバイバルナイフからユウを守るように突き出されている光景が目に入る。
薄桃色の衣装から生えたその腕の持ち主をユウは知っていた。
「通りすがりの魔法少女だ。覚えておけ!」
突如としてパイプテント内に飛び込んできた佐雄也は腕を刃で抉られながら、その反対の拳で福田の顔面を打つ。
鼻先を正拳で殴られた福田は、一瞬の激痛に怯むも、その衝撃を利用し佐雄也の腕に刺さったサバイバルナイフの刃を無理やり引き抜いた。
刃が蓋をしていた傷口から、どっと血が流れ出す。
「ま、魔法少女? 何を言ってるんだ、お前……頭がおかしいのか?」
己のことを棚に上げて佐雄也を詰る福田だが、彼は現れた巨漢の青年の登場に焦っていた。
予定では早急にユウを殺してから、前以って調べていたルートを通り、警察の目を掻い潜って逃げるつもりでいた。
途中警官に出会ったのは想定外だったが、十分致命傷を負わせていた上、人通りの少ない場所で犯行だったので、あのまま応援も呼べずに死ぬだろうと高を括っていたのだ。
佐雄也は福田から一切目を離さずに、背後に居るユウに話しかける。
「まさか、連れ去られた子がユウちゃんだとは思わなかったよ。怪我はない?」
「う、うん……大丈夫」
「それなら良かった」
ユウの安否を知り、ほっと胸を撫で下ろした佐雄也は、鋭い眼光を福田へと向けた。
「お前が連続児童殺傷犯だな?」
「違う。僕は子供たちを救う救世主だ! 断じて、そんなものと一緒にしてくれるな!」
サバイバルナイフを大きく振るい、刃に付いた血液を飛ばす。それは目潰しとばかりに佐雄也の顔へと飛散した。
その間に福田は身体を前傾に曲げて、次の動作に移る。
血が佐雄也の目に入ればよし、それを防ぐために顔を隠して隙ができればよしの二段構えだ。
だが、佐雄也はそのどちらのパターンにも嵌らない。
彼は福田と同じように瞬時に身を屈ませ、血の飛沫を避ける。それと同時に右足で踏み込んで袈裟切りに手刀を見舞う。
福田もまたそれに反応し、サバイバルナイフを振るうがその刃は彼の鍛え上げられた手刀の動きに一歩遅れた。
普通ならナイフ相手に腕を振るえば、切り付けられることを恐れ、心理的ブレーキが動きを鈍らせる。
しかし、佐雄也は己の怪我など微塵も恐れない。例え手足が切り落とされると分かっていても、そこに恐怖など感じない。
人を守り、幸福にできるなら佐雄也は命すら放るのだ。今更、怪我の一つや二つで動じることはまずあり得ない。
「がぁっ……」
佐雄也の手刀が福田の首筋へと決まり、彼はもんどり返ってテントから転がるように出て行く。
佐雄也もまたその刃を腕に掠めたせいで、血管が切れて更に出血した。
最初に刺された腕の傷は深く、動脈まで傷付けていたようで焼けるような痛みを発していたが、それよりも犯人の確保を急ごうとパイプテントから飛び出す。
ユウはまるで過激なドラマでも見ているような心地になり、放心しかけるが、佐雄也の後に続いて外へ出た。
佐雄也は両腕から血を流しているものの、むせ込みながら立ち上がる福田とは違い、裂帛の覇気に満ちている。
武器を構えているのは福田だが、佐雄也の気迫に気圧されているのはユウの目にも見て取れた。
「何で……何で、お前みたいのが居るんだ!? お前は何なんだよ」
「さっきも言ったはずだ。俺は魔法少女。魔法少女マジカルマロン。この街に住む人たちの平和と笑顔を守る者だ」
それを聞いた福田は、両目を皿のように見開き、吠えた。
「そんな奴が居る訳ないだろう! 人は誰もが自分のことだけしか考えていない! 助けてくれる奴や守ってくれる奴なんて一人たりとも居ないんだ!」
血走った眼球は佐雄也の存在を許さないと強烈な悪意を持って睨み付ける。
佐雄也はそれに目の前の男もまた、他者に傷付けられ、誰にも助けてもらえなかったのだと理解した。
「……お前も誰かに助けてほしいかったのか?」
地雷だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。このまま、力づくで押し切ることも可能ではあったが、それは彼が思う魔法少女のやり方ではない。
もしも、この男が真に救いを求めているのなら、彼もまた佐雄也が手を伸ばすべき人間だ。
「ふざけるなよ! 僕が助けを求めてるって? 違う。僕は救世主だ。救う側だ! 可哀想な子供が裏切りと絶望を知る前に殺すことが僕の使命だ!」
血を吐くように叫ぶ福田のその姿は、実に滑稽で、哀れで、そして、何より救いを求めているように見えた。
***
佐雄也が一人で福田を追うために走っていた後、麻衣子もまた動いていた。
それは佐雄也の後を追うためではなく、彼女本来の仕事、即ち魔法少女アリスとしての役目を果たすためだった。
「ヨーグッドさん。本当にまた、新たなマリシャス・ミラージュが生まれそうなんですか?」
既に中学校の制服から、赤茶色のエプロンドレスに変身している麻衣子は空中を飛行するヨーグッドに問いかけた。
「もちろんだヨグ。この前のよりも強大なマリシャス・ミラージュが生まれる気配がするヨグよ」
何もこんな時に現れなくともと麻衣子は歯噛みするが、少なくともこちらの方を優先するより他にない。
麻衣子はヨーグッドに従って、マリシャス・ミラージュが発生しようとしている場所へ急行する。
「ここヨグ!」
ヨーグッドがそう言って指差した前には暗い穴のような場所が宙に浮かんでいた。
街の中だと言うのにその周辺にはまったく音がせず、人気も完全にない。
空間が捻じれたように背景が歪んだその場所には酷く嫌な雰囲気が充満していた。
「ここがマリスと繋がった場所ヨグ」
「この穴が……」
ボア・ミラージュの時は既に発生し終えた後で対峙していたので、麻衣子は生まれてくるところは見ることはなかった。
この穴がマリシャス・ミラージュを生み出す穴だと言うのなら、今攻撃を加えて壊してしまえば、その発生を止められるかもしれない。
麻衣子は魔法の杖、ハンプティ・ダンプティを握り締め、その穴の前に立つ。
「これを壊せばいいんですか?」
ヨーグッドにそう尋ねたが、彼が答えるよりも早く、女の声が聞こえた。
「それを壊されると困るわね」
「……! 麻衣子ちゃん、避けるヨグ!」
ヨーグッドに叫ぶに反応して、麻衣子はさっとその場から飛び退く。
風切り音と共に麻衣子が居た場所に巨大な黒い剣が振り下ろされた。
その剣を握っているのは黒い喪服のようなゴシックドレスを着た一人の少女。
ベールの付いた帽子を被っているせいで、顔は見えないが、身長や体格からして麻衣子とはそう変わらないように映る。
「初めまして、魔法少女アリス」
「あなたは……?」
声も僅かにノイズが混じっており、聞き取りづらかった。
宙を移動し、麻衣子の隣にやって来たヨーグッドは麻衣子に教える。
「あれは『魔法少女マリス』……マリスの分身であり、マリスをこの世界に顕現させるために存在する悪の魔法少女ヨグ……」
「悪の魔法少女……そんなものが居たんですか?」
初耳だったが、ヨーグッドは一度に説明すると麻衣子が混乱してしまうことを加味して、今まで黙っていたのだと申し訳なさそうに言うので、文句をぐっと堪えた。
「マリシャス・ミラージュも彼女が生み出していたヨグ」
「それも初耳なんですが……今はそんなこと言ってる場合じゃないですね」
ベールの下で魔法少女マリスが笑った気がした。
その笑みに一瞬に身が竦みかけたが、麻衣子はハンプティ・ダンプティを構え、後ろに大きく跳ねた。
「『ハンプティ・ダンプティは姿を変える ハンプティ・ダンプティは弓矢に変わった』」
距離を取りつつ、杖を弓矢に変える。相手の武器が大剣なので、間合いに入らず攻撃を行なえる矢を選択したのだ。
弓の弦を引き、後ろに跳ぶと同時に魔法少女マリスに向けて矢を放つ行為を繰り返す。
大剣で防がれようとも、距離を取り続け、隙を見て倒す腹積もりだ。
大ぶりで大剣を振り続ければ、必ず間隙ができると踏んだ麻衣子だった。だが、その戦法は脆くも崩された。
「『ジャバウォックの尾は敵を弾く』」
魔法少女マリスの言葉と共に大剣の刃は蛇腹状に変わり、うねるように伸びて、次々に矢を撃ち落としていく。
「あっちも武器の形状を変えられるんですか!?」
「魔法少女マリスの剣『ジャバウォック』は、その形状を三段階に変化させられるヨグ」
麻衣子に付かず離れず宙を舞うヨーグッドはそうアドバイスをした。
彼の話によると、形をほぼ自在に変えられる麻衣子のハンプティ・ダンプティよりは自由度は低いそだが、向こうも武器の形を変えて戦うのだと言う。
蛇腹状になった剣は一度しなると、麻衣子の方へと鎌首をもたげて伸びてくる。
麻衣子はそれに防ぐために弓矢を盾へと変化させた。
「『ハンプティ・ダンプティは姿を変える ハンプティ・ダンプティは盾に変わった』」
楕円形の赤茶色の盾に変えて、その一撃を弾く。蛇腹剣の切っ先が盾の正面を打つが、その衝撃は盾を横にスライドさせることで上手く逃がした。
重たい一撃を正面から受けない。
これは前のボア・ミラージュとの戦闘で学んだことだ。
麻衣子もただ佐雄也の後ろを付いて回っていた訳ではない。自分の失敗を、次の成功に変えるために日々精進しているのだ。
「へえ、ならこれはどう? 『ジャバウォックの牙は敵を砕く』」
弾かれた蛇腹の刀身が一瞬にして無数の刃へと別れて、宙を飛ぶ。
まるで大きく開いた竜のアギトのように、刃たちは盾を構えた麻衣子に迫った。
盾だけでは防ぎきることは不可能だと悟った麻衣子は武器の形状を変えた。
「『ハンプティ・ダンプティは姿を変える ハンプティ・ダンプティは剣に変わった』」
今度は剣。守ることを止めて、襲い来る刃を剣で撃ち落としにかかる。
しかし、それは悪手。魔法少女マリスは無数の刃を自在にコントロールし、麻衣子の身体を切り付けた。
「うっ……」
彼女の振るう剣を避けるように動く刃の群れは赤茶色のエプロンドレスを刻む。
「麻衣子ちゃん!」
心配そうに叫ぶヨーグッドの声を無視し、麻衣子はあろうことか魔法少女マリスへと突貫した。
避けるも駄目、迎え撃つも駄目。ならば、直接、突っ込んでしまえばいい。
脳裏に浮かんだのは佐雄也の姿だ。彼ならば、ここでこうするだろうと麻衣子は思った。
傷や怪我など考えもせずに、真っ直ぐに突き進む愚直な行い。
それはきっと、麻衣子に欠けていた強さだ。
心のどこかで傷付くことを恐れていた。魔法少女アリスになってからも痛みを感じることを恐れていた。
麻衣子は佐雄也から学んだのだ。我が身を顧みず、魔法少女の姿を。
魔法少女マリスはまさか、相手が防御も取らずにその身を晒して、向かってくるとは思いも寄らなかった。
そういうことができる相手だとは想像もしてなかった。
「……っ、『ジャバウォックの爪は敵を裂く』」
個々で自在に飛ばしていた刃を自分の手元に戻し、再び大剣の形に戻す。
辛うじて、飛び込んで来た麻衣子の剣が自分に当たる前に大剣でどうにか防いだ。
衣装は当然ながら、頬や手などの向き出した部分も傷付きながら、麻衣子と魔法少女マリスは鍔迫り合いをする。
「……あそこで切り刻まれたらどうするつもりだったの?」
「急所への攻撃だけは防ぐつもりでした。……それ以外はすべて受けきればいいことです!」
覚悟の差。死地へと飛び出す勇気。
それが二人の魔法少女の攻防を左右した。
麻衣子はダメージを受けながらも、剣に変えたハンプティ・ダンプティでジャバウォックを弾く。
幼く、おおよそ争いごとに向いているようには見えない彼女の顔には戦士としての気迫が浮かんでいた。
魔法少女マリスはそれに圧倒され、一歩下がる。その隙を見逃さずに麻衣子は踏み込み、剣を振るった。
黒いゴシックドレスの肩口にあるレースが切り落とされる。
魔法少女マリスはひやりとしたものを感じるが、足を使って彼女を蹴り飛ばした。
「この前のマリシャス・ミラージュの時はあれほど情けない醜態を見せていた癖に……随分やるのね?」
「っう……見ていたんですか。お恥ずかしい限りです」
剣を振り下ろした時に腹を蹴られ、僅かに呻くが麻衣子は決して弱さを見せずに口元を拭う。
もはやヨーグッドが何かを言うことさえできなかった。麻衣子は初めて魔法少女アリスに変身した時よりも遥かに成長していた。
技量ではなく、精神があの時とは比べものにならない。
怯えも竦みもなく、自分の命さえ脅かす脅威と向き合っている。
これが佐雄也との魔法少女活動による賜物だとしたら、彼のことも馬鹿にはできなるだろう。
剣を構え、魔法少女アリスを見つめる麻衣子だが、対する彼女は大剣を担いで薄く笑った。
「私の勝ちよ。時間稼ぎに付き合ってくれてありがとう」
その言葉に麻衣子ははっとなって、宙に空いた穴を見る。その中から、瑪瑙でできた大きな梟が一羽這い出て、飛び去って行く。
「ま、待ってください。『ハンプティ・ダンプティは……』」
「そうはさせないわ」
ハンプティ・ダンプティで卵型の結界を張って、夜空に飛んで行く瑪瑙の梟を止めようとするが、大剣を横薙ぎに振るう魔法少女マリスに阻まれた。
「貴女はここで銀の門が生まれるまで私と踊っていてもらうわ」
「……くっ……ヨーグッドさん! あなただけでもマリシャス・ミラージュを追ってください!」
ここで彼女を退けるまで、梟のマリシャス・ミラージュの元へ向かえないと判断した麻衣子はヨーグッドに大声で頼んだ。
ヨーグッドは僅かに逡巡したものの、この場に居てもできることはないと諦め、梟のマリシャス・ミラージュ――オウル・ミラージュを追いかけた。




