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第六話 ビリーブの葉

 奇跡は起きない。魔法のようなものはこの世にはない。

 自室で学生服を脱ぎ捨て、クローゼットから出した魔法少女の衣装に袖を通す佐雄也はそれを誰よりも知っている。

 世の中には、どれだけ頑張ってもどうにもならないことが混在していることを佐雄也は忘れない。

 それでも彼は魔法少女を名乗るのだ。奇跡は起きると、魔法はあると歌うのだ。

 亡き妹と交わした最期の約束を守るため、彼は己の心を抉る言葉を吐き続けると誓った。

 薄桃色の自作の魔法少女衣装を身に纏うと、姿見もないのに額に綺麗に同色のリボンを蝶々結びで結わい付ける。

 そして、凛とした面持ちで勉強机の上に置かれた未亜とのツーショットの写真に目を向けた。

「未亜……お兄ちゃんは必ず本物の魔法少女になってみせるからな」

「無理だな」

 固い決意に水を差す声が部屋の隅から聞こえてくる。そちらに視線をやれば、どこから侵入したのか悪魔のような形相のヨーグッドが床に座っていた。

「何遍も言わせんじゃねえよ、小僧。男は魔法少女にはなれねえんだ」

 凄みのある低音に底冷えるような圧力のある気配。しかし、佐雄也はそれと対峙しても彼は揺るがない。

「不可能を可能にするのが魔法少女だ」

「小僧。テメエ、完全体のマリシャス・ミラージュから母体を救ったことでのぼせ上がってんじゃねえのか? 確かに本来の殺すしかなかった母体を救ったのはテメエが初めてだ。だがな」

 そこでヨーグッドは一旦、言葉を区切って宙に浮かんだ。

「それは成功したからよかったようなモンだ。失敗した時のリスクをまるで考えてないケツの青いガキの行動に過ぎねえ。第一、下手したら死んでたんだぞ、テメエは」

「それで人の命が一つ守れるなら、俺の命くらい安いものだ」

 自分の命など、ものともしない佐雄也にヨーグッドは大きく裂けた口を開いて怒鳴る。

「馬鹿野郎が! 世の中には死にたくもないのに死ぬ奴が五万と居るんだ。テメエの命だからって軽く扱ってんじゃねえ!」

「知ってるさ。そういう人たちを俺は何人も看取ってきた」

 ヨーグッドは佐雄也の瞳の中に死の暗さを感じ取る。化け物相手にその身を犠牲にしてまで、立ち向かう男なのだ。この街で起きる事件や事故にも首を突っ込まない訳がない。

恐らくは魔法少女としての奉仕活動を続けている過程で、救えない人たちの最期を見てきたのだろう。

頭の悪い格好しているのは、背負い過ぎた絶望を隠すためのカモフラージュのようにヨーグッドに思えた。

 説得は無駄だ。生半可な英雄願望などではなく、それによって自分に降りかかる苦痛も危険も全て覚悟した上で魔法少女を目指している。

 今更、当たり前の説教をしたところで何の効果もないだろう。

「……狂ってるぜ、テメエ」

「魔法少女のコスプレをして街中を駆け巡る男がまともな訳ないだろ?」

 事もなく、明るい笑顔でそう言うと佐雄也は麻衣子たちが待つ、一階に降りるために部屋を出ようとした。

「……っ!? ちょっと待て、小僧!」

 狼狽えた声に呼び止められた佐雄也は振り返る。

 そこには勉強机の上に置いてある写真を凝視しているヨーグッドの姿があった。

「どうした? まだ文句があるなら聞くけど」

「……ここにテメエと写ってるガキは誰だ?」

 未亜の姿を小さな指で指し示す彼に佐雄也は、怪訝な顔で答える。

「俺の妹の未亜だが、それがどうしたんだ?」

「小僧の妹? なら、このガキは……」

「ああ。もう七年も前に死んだ」

「死んだ? 確かに七年前に死んだんだな?」

 前にも話したことを確認する彼に佐雄也は、不審に思いながらも、首肯した。

「そうだけど、何なんだよ?」

「いや、そうか。なら違うな……悪いな、知り合いに顔が似てたモンで気になっただけだ」

 一人勝手に納得して、佐雄也に謝った。ヨーグッドが自分に謝罪を述べたことに驚いたが、口にすると面倒なので心の中にしまう。

「未亜に似た可愛い子と知り合いなんて、幸せ者だな。ひょっとして過去の魔法少女アリスの一人とかか?」

「……小僧には関係のねえことだ。次に下らないこと言ったら、その口縫い合わすぞ」

 冗談ではなく、本気でやるとばかりに血走らせた眼球を向けてくるので、佐雄也は彼にそれ以上の追及を止めて、部屋を出ていく。

 ふと、ヨーグッドも訪問に誘おうかと思い、部屋の中を振り返るが、もう彼の姿はどこにも見当たらなかった。

「神出鬼没だな、あいつ……」

 気を取り直して、佐雄也は一階への階段を駆け下りて行く。

 居間に戻ると、何やら麻衣子たちはガールズトークに花を咲かせていた。

「二人とも楽しんでいる様子で悪いんだが、そろそろ行く準備をしてほしい」

 麻衣子は佐雄也の方を見ると、何か言おうとして口を開きかけたが、そのまま何も言わずに閉口した。

 彼女の代わりに風美が微笑えんで答える。

「分かりました。それから、クッキーとても美味でした」

「そうか。それなら、良かった。実はこれ養護施設の子たちにも持っていく予定なんだ」

 満足そうに頷く佐雄也に麻衣子はさっきとは違う理由で押し黙り、申し訳なさそうに言った。

「え……全部食べちゃいましたけど……」

「あはは、流石に持っていく分は出してないよ」

「そ、そうですよねー……一瞬焦っちゃいました」

 美味しく食べてもらえて嬉しいと軽く笑って、佐雄也は冷蔵庫からクッキーの入った袋を五、六取り出した。

「それにしても、残るだろうと思って一袋分皿に出したんだが、まさか二人で全部食べ尽すとは思ってなかったよ」

 感心したような発言に、三分の二以上を一人で食べ尽した麻衣子は頬を羞恥で染める。

「食べ盛りなもので……」

「いや、それくらいがちょうどいいと思うよ」

「そうですよね! 普通は食べちゃいますよね!」

 佐雄也に肯定してもらい、元気になる麻衣子だったが、風美はそれにからかうように言う。

「麻衣子さんは少し食べ過ぎだと思いますよ。このままだときっと太ってしまいますね」

「ちゃんと運動してるから平気ですよ! 風美さんの意地悪!」

 じゃれ合う二人を佐雄也はここに未亜も居たらと(せん)なきことを思い、寂しげな笑みを零した。


 ***


 夢見市の児童養護施設、『ビリーブの葉』に到着した麻衣子たちは、施設長に挨拶しに足を運ぶ。

 施設はそれなりに広く、小奇麗な場所で建物のも含めて麻衣子の感想は大きな保育園だった。

 既に何度か訪れている佐雄也は、職員の児童指導員や保育士たちと顔なじみのようで、通りかかる彼らに軽く挨拶を交わしていた。

 彼のことを知ってからというもの麻衣子は彼の交友関係の広さに驚かされるばかりだ。

 施設長の部屋の前まで来ると、佐雄也は麻衣子と風美を連れ、ノックをしてから入室する。

 扉を開いた先には、大きめの机の後ろに六十台くらいの老婆が椅子に腰かけていた。

 彼女は佐雄也を見ると顔を綻ばせて、声を掛けてくる。

「あらまあ、佐雄也君。いらっしゃい。待っていたわ」

「どうもこんにちは。()()さん」

 施設長らしき彼女は挨拶の後、佐雄也の背後に立っている二人の少女が気になったようで佐雄也に眼差しを向ける。

「紹介しますね。この二人は今日の活動を手伝ってくれる麻衣子ちゃんと風美ちゃんです」

 彼の言葉の後、二人はそれぞれに自己紹介を行なった。

「初めまして、稲月麻衣子です。本日はよろしくお願いします」

「雪川風美と申します。よろしくお願い致します」

「まあ、可愛らしいお二人ね。佐雄也君の後輩かしら? 私はビリーブの葉の施設長を務めている()()梅子(うめこ)と言う者よ。気軽に呼んで頂戴(ちょうだい)

 元々、子供が好きな人柄だというのもあるのだろうが、信頼されている佐雄也が連れて来た人間ということもあり、利瀬は二人を好意的に歓迎する。

 それを見て、佐雄也は二人を連れて来てよかったと思い、微笑む。だが、何気なく見た机の上に新聞紙が広げられていることに気付いた。

 それだけなら気に留めるほどのことではないのだが、その中に気になる記事が目に入る。

 『連続児童殺傷事件、またも起こる』と大文字の煽り文。

 その下には起きた場所は隣町で、幼い子供を狙って行われた卑劣な犯行と書かれていた。

 嫌な気分になり、佐雄也は表情を歪める。

 それに気が付いた利瀬は視線を下げ、暗い顔を見せた。

「怖いわよね、その記事……小さな子を狙うなんて犯人は何か恨みでもあるのかしら」

「そうですね……あ、そうだ。これ、職員の皆さんと召し上がってください」

 沈みかけた雰囲気に佐雄也は話題を変えるべく、持っていた水色のナップザックから手作りクッキーを一袋差し出す。

「あら、いいのかしら?」

「たくさん作って来たのでどうぞどうぞ。でも、最近はこういう部外者からの差し入れって持ち込んじゃいけないんでしっけ?」

「大丈夫よ。佐雄也君の作ったお菓子なら皆食べたいって言うに決まってるもの」

「愛と真心と魔法を籠めましたので、そう言って頂けると嬉しいですね!」

 左手を腰に当て、右手でピースした右手を顔の横まで持ってきて、自信有り気な顔で謎のポーズを決める佐雄也。

 それを見て、利瀬はおかしそうに笑い出した。

 一瞬にして暗い顔を笑顔に変えた彼に麻衣子は改めて、尊敬の眼差しを向ける。

「佐雄也さん、そろそろ……」

 風美は佐雄也に移動したした方がいいのでは、と言葉少なく目配せする。

 佐雄也はそれに頷き、利瀬に軽くお辞儀をしてから、二人を連れて彼女の部屋を後にした。


 麻衣子たちは佐雄也に導かれて、大きめの「プレイルーム」と書かれた部屋に入る。

 中には幼稚園から小学生くらい子供たちが三十名ほど遊んでいた。

 彼らは各々、ブロックや積み木などの遊びで遊ぶ者も居れば、奥にあるトランポリンなどで身体を動かす者も居る。

 だが、佐雄也が現れるや否や、顔を輝かせて入口の方に群がって来た。

「コスプレのお兄ちゃんだ!」

「わー、コスプレのお兄ちゃーん!」

「変態のお兄ちゃん!」

 子供たちは口々に佐雄也に抱き着いたり、ふざけてスカートの中に入り込もうとする。

 それを明るい笑顔で迎えながら、それぞれ彼らに対応していった。

「こらこら、俺は魔法少女マジカルマロンだぞ。おっと、そこ、スカートをめくるな。パンツが見えるだろ」

「ねえねえ、早く一緒に遊ぼうよ。コスプレのお兄ちゃん」

 甲高い声で嬉しそうな顔の子供たちは、心から佐雄也の訪問に喜んでいる様子で、麻衣子は思わず圧倒される。

 ほとんどテーマパークのマスコットキャラのような扱いだ。

 やはり人気があるのだなと改めて感心していた麻衣子は、子供たちの視線の何割かが自分や風美に向いていることに気付く。

「おねーちゃんたちはだぁれ?」

「私はお師……マロンさんのお手伝いをしに来た稲月麻衣子です。よろしくお願いします」

「同じく、お手伝いさんその二の雪川風美です。皆さん、気軽に風美と呼んで下さいね」

 自己紹介をすると二人にも子供たちが寄って来る。

とはいえ佐雄也とは違い、どこか探るような目で見てくる彼らは麻衣子たちを多少警戒しているように思えた。

 佐雄也と戯れる姿を見て、忘れていたが彼らは理由あってここに居るのだ。

「えっと……」

 無数の幼い眼差しに囲まれ、言葉に詰まる麻衣子だが、風美の方は屈んで彼らに目線を合わせた。

「ん? どうしました、皆さん」

「あ、あの、お姉ちゃんも一緒に遊ばない?」

「いいですよ。何して遊びましょうか?」

 にっこりと微笑む彼女の麗しい見た目に、男の子はもちろん、女の子でさえも見惚れて警官心を解いていく。

 己の大人びた美貌の利用方法を完璧に理解している風美に麻衣子は(したた)かさに感服した。

 だが、麻衣子は自分にはできない種類の対話術を見て、真似しようとは思わない。自分は自分なりのアピールをすればいい。

彼女は、すうっと息を吸い込み、声を張り上げて注目を引く。

「皆さん! 私、麻衣子は今日皆さんとお友達になりたいと思って、ここに来ました! ぜひ宜しければ仲良くしてください!」

 年長者としてのプライドをかなぐり捨てて、彼らに自分を知って欲しいと叫ぶ。

 佐雄也のようなマスコット的人気でも、風美のような年長者としての魅力でもなく、等身大の自分を元気よくアピールする。

 それが彼女のやり方だ。

 最初はいきなり声を大きくした麻衣子に驚いた子供たちも、徐々に彼女に興味を持ち、警戒を緩めていった。

「へー、麻衣子っていうのかー」

「じゃあ、こっち来てライダーごっこに付き合えよ」

 手を引かれ、麻衣子も佐雄也たちのように子供に混ざって遊びに入れてもらう。

 これで自分も少しは佐雄也のように奉仕活動で貢献できると思ったのだが、元気があったのは最初の数分だけだった。

 元気な子供の相手は、体力ではなく精神力が消費されるようで、一時間も経つ頃には精神的疲労で彼女はへとへとになっていた。

 幼い子供特有の過剰なテンションに着いて行けず、運動量とは別に心のエネルギーが消費されていく。

「……ちょ、ちょっと休ませてください」

「何だよ。麻衣子は駄目だなー」

 文句を言いつつも、彼女の頼みを聞き入れ、ヒーローごっこ遊びは一旦終了した。

 ブロックや積み木に付き合っていた風美もそれを見て、麻衣子の方に来る。

「大丈夫ですか? 麻衣子さん」

「はい。大丈夫です……」

 元気で活発な子たちと遊んでいた麻衣子と違って、風美は静かに遊ぶ子たちと一緒に居たせいか、まったく疲れている素振りを見せていない。

 さらに言うと子供に軽く下に見られている麻衣子だったが、風美の方は優しくて綺麗なお姉さんとして慕われているようだった。

 その差が女としての美貌の差だろうかと複雑な表情を見せるが、傍で子供たちと元気よく踊りを踊っている佐雄也を見ると、それも違うような気がした。

 ふりふりの魔法少女のコスプレという、笑い者にしかならない格好をしている彼だが、子供たちに一切馬鹿にされている様子はない。

 理由は一つ。彼が子供たちと遊ぶことに真剣だからだ。

本気で自分のことを楽しませようとしている人を子供は自然と尊敬する。

子供だからと侮ることなく、幸福になってほしいと願いながら接する佐雄也を見下すほど、ここの子供たちは捻くれてはいない。

「やっぱり凄いな、お師匠さんは……」

 つい口を突いて出た言葉に、誰かが反応する。

「すごくないよ。あんなぎぜんしゃ……」

 声のした方法を見れば、壁際に一人十歳くらいの少年がこちらを睨んでいた。

身体を丸めるように座り、吐き捨てた彼は麻衣子に言う。

「いい人に見られるのが、すきなだけ。ほんとはボクらのことなんてどうでもいいに決まってる。あんたらもそうなんでしょ?」

 擦れた瞳には、凝り固まった不信感が浮いていた。

「えっと……そんなことはないです」

 お前たちを信じない、と頑なな姿勢でこちらを見上げる彼に麻衣子は戸惑う。

 拗ねているのとは違う、明確な隔意。

 そこに踏み込んで行くには、麻衣子は人生経験が足りない。せいぜい、口先だけで否定するのがやっとだ。

 風美は何も言わずに、視線だけを少年に向ける。長袖シャツの袖口から手の甲に掛けて包帯が巻いてあった。

 その包帯と先ほどの発言から察するに、何らかの肉体的虐待を受けていた子だと彼女は推測する。

 過去に虐待に似たものを受けていた友達が居た身としては、彼の態度に同情するところがあり、否定ではなく優しく問いかけた。

「どうしてそう思うんですか?」

「ご褒美がないと人間は誰かのために動かないから」

 きっぱりと少年はそう言った。

 損得勘定だけで周りが動いていると確信している声だった。

 酷く現実的で、厭世的な物の見方。恐らくはそうなるほどに嫌な目に合ってきたのだろう。

 ――未亜のように。

 ぼうっと風美の意識が過去に飛び始めかけるが、隣の麻衣子の声で我に返る。

「風美さん?」

「あ、何でもないですよ」

 心配されるほどぼんやりとした顔をしていたのかと、風美は少年を改めて見つめる。

 暗い淀んだ目でこちらを見上げる彼は中性的な顔付きをしていた。

「お名前、聞いても宜しいですか?」

「ユウ」

 無視をされるかと思ったが、意外と素直に答えてくれた。

「ユウさんと仰るんですね。いいお名前です」

 風美や麻衣子も同じように名前を教えようとしたが、彼は首を小さく横に動かす。

「いいよ。さっき、聞いた」

 風美との会話を横で聞いていた麻衣子は、ユウが完全に人との対話に興味がない訳ではないと感じた。

 こうやっている間も、彼は麻衣子たちの顔を見ているし、尋ねれば返答もしてくれる。

 自分の世界に閉じ籠っているのではなく、しっかりと観察した上でユウは不信感を露わにしている様子だ。

 言葉を重ねても、きっと彼は納得しない。彼の目でそれを感じ取れるまではユウは麻衣子たちを絶対に信用しないだろう。

 どうしたらいいのかと困っていると後ろで佐雄也の声が響く。

「おーい。皆、クッキー配るから並んでー」

 魔法少女ダンスを周りの子供たちと踊り終えた佐雄也は、置いていたナップザックからクッキーの入った袋をいくつか取り出した。

 砂糖に群がるアリのようにそれぞれに居た子供たちが彼の前に整列する。

 これが初めてはないようで子供たちは順々に並んでいた。下手な大人よりもよほど行儀が良く、躾が行き届いている。

「一人三枚だぞ。食べ屑を零さないようにな」

 袋のリボンを解くと佐雄也は彼らに三枚ずつクッキーを渡していく。

 ただ、ユウだけが壁際に体育座りでまったくその場から動こうとしなかった。

「ユウさんはお師……マロンさんのクッキー、要らないんですか?」

「要らない」

「美味しいですよ?」

「要らないって」

「ほっぺた落ちますよ?」

「麻衣子さん……その辺にしておいた方が」

「しつこいな……ボクは要らないって言ってるでしょ!」

 しつこく勧める麻衣子に痺れを切らして、ユウは鬱陶しいとばかりに声を荒立てる。

 それ以降は顔を背けて、会話すら断ってしまった。

 不味いことをしたと思った彼女だが、そこにクッキーを配り終えた佐雄也が傍に寄って来る。

「麻衣子ちゃんたちもお疲れ様。さっき、食べたとおもうけど」

 最期の袋から麻衣子と風美に三枚ずつリンゴ風味のクッキーを手渡した。

「ありがとうございます」

「頂きますね」

 そして、ユウにもクッキーをそっと差し出す。

「はい。リンゴ風味のクッキー、ラスト三枚」

「要らないったら。そんなもの」

 出されたクッキーに目もくれず、そっぽを向いて拒否の意志を示した。

 佐雄也はそれに気分を害した素振りも見せず、彼に尋ねる。

「あれ、ユウちゃん。リンゴ味が好きだったんじゃなかったっけ?」

 その言葉に一瞬だけ、佐雄也の方を見て驚いた様子を見せたユウだが、また顔を背ける。

「……嫌いだよ。大嫌いだ」

「そっか。じゃあ、今度は作るお菓子の参考のために、好きな物教えてくれるか? それなりに料理は得意なんだ」

「あんたの作るものなら全部嫌い」

「うーん。そうか、参ったなぁ」

 後頭部をぽりぽり掻いて困ったような言い方をするが、彼の表情には一点の曇りもない。

「それじゃ、ユウちゃんが食べたくなるようなお菓子探して、作ってみるよ」

「……しつこいな。あんたも」

 先ほど麻衣子たちと喋っていたよりも数段、拒絶の意志を強くするユウ。

 それにもめげずに佐雄也は笑顔で何度か話を振っていた。

 麻衣子は止めた方がいいのではないかと思い口を挟もうとした時、施設内にチャイムの音が鳴り響く。

 室内の時計を見ると、時刻は五時を差していた。

「麻衣子ちゃん、風美ちゃん。そろそろ、お暇しようか」

「あ、はい」

「そうですね」

 二人に帰ろうと促すと、再び佐雄也はユウを見る。

「今度は気に入りそうなお菓子持ってくるよ」

「勝手にすれば……」

 佐雄也はそれに頷くと、他の子供たちにも別れの挨拶をした。

 麻衣子たちもそれに続いて別れを告げつつも、ユウのことが気になってついそちらの方に視線が吸い寄せられる。

 彼はもう何も見ておらず、俯いて自分の足先を無言で眺めていた。

 最後に利瀬の方に寄って、断りを入れてからビリーブの葉から出て行く。

施設から離れてから、しばし黙っていた麻衣子は前を歩く佐雄也に何気なく聞いてみる。

「あのお師匠さん、ユウさんのこと何ですけど、少し聞いてもいいですか?」

「まあ、話せる範囲ならいいよ」

 佐雄也もまたそれについて聞かれると分かっていたらしく、すぐにそう返した。

 風美も直接口出しはしないものの気になっていたようで、二人の話に耳を傾けている。

「お師匠さんのこと、すごく嫌っていたように見えたのですが、何かあったんですか?」

 すると、佐雄也は首を横に振った。

「あれはね、嫌っているんじゃなくて、怯えてるだけなんだよ」

 答えになっていないような彼の発言。麻衣子と風美は意味を把握できずに訝しげな表情を浮かべる。

 それを捕捉するように佐雄也が加えて話し出す。

「あの子は……まあ、色々あってビリーブの葉に来た子で誰かに信頼するのが出来なくなっているんだ。だから、拒絶する。信じて、裏切られて心が傷付く前に遠ざけようとする」

 誰も信じないことで自分の心を守っているのだと佐雄也は言った。

 その彼の声と口振りから風美は、佐雄也がユウに未亜を見たのだと理解した。

「ユウちゃん。人の話を無視したりはしなかっただろ? それでいて、きっぱりと言葉と態度で拒絶と不信を示してる。あれは心の中で『信じたい想い』と『信じたくない想い』がせめぎ合っている状態なんだよ」

 麻衣子は佐雄也の言葉とユウの態度に合点がいく。確かに彼は反応した上で拒否を示していた。

 それが本当は信じたい裏返しなのだと言われれば、あの矛盾した態度にも納得できる。

「流石お師匠さんです! 魔法少女は人の内心にも理解があるんですね!」

「あはは、そんな大したものじゃないって」

 謙遜する佐雄也に麻衣子はますます、彼に対する尊敬の念を強めていった。

「まあ、ユウちゃんのことは少しずつ進めていってるけど、やっぱりまだ難しいよ。信頼関係は早急に作り上げられるものじゃないから」

 今回のリンゴ風味のクッキーもユウがリンゴが好きだと利瀬から聞いたので作って来たのだが、無下に断られてしまった。

 だが、佐雄也としては僅かだが、ユウの心に近付けている気がしていた。

 佐雄也は次に来る時は何のお菓子を作ろうかと考えながら歩いていると、前から自転車を走らせる警官の姿に気付いた。

「あれ? 尾張さんだ」

「終わりさん?」

 佐雄也の言葉に麻衣子はややイントネーションのずれたオウム返しをする。

 三人の前に来ると警官の尾張は自転車を一旦停止させた。

「栗山……お前はまたそんな格好で街中を徘徊しやがって、しかも制服の女の子まで連れて」

「いやー、これが俺の正装なもので。それより、巡回ですか?」

 親しげに警官と話す佐雄也を見て、本当にこの夢見市で知名度があるのだと麻衣子は何度目かになる感想を懐く。

 呆れた顔付きで佐雄也に話かけた尾張だったが、すぐに表情を硬くして真剣に言う。

「お前、今日の夜もいつもの徘徊をするつもりか?」

「まあ、そのつもりです」

 夕方だけではなく、深夜にも佐雄也はパトロールをほぼ毎日行う。実際、そのおかげで犯罪を未然に防いだこともあるので、尾張も文句は言うもののあまり強くは否定しないのだが、この日は違った。

「今日は……というより、ここしばらくは止めろ」

「……それは隣町で起きた連続児童殺傷事件と何か関係がありますか?」

 新聞記事のことを思い出し、尾張に問うとあからさまに嫌そうな顔をした。

「はあ。お前、本当に勘がいいっていうか……。そうだよ、その犯人がこの街に来てる可能性がある。だから」

「ならなおのこと、パトロールする必要がありますね」

 夢見市に危険人物が入り込んだのなら、それこそ佐雄也は家でじっとなどしていられない。

 尾張はこうなるだろうことが長年の付き合いから分かっていたので、額を押えた。

「あのなー、お前は学生だ。魔法少女を名乗ろうが、単なる一市民だ。危険に飛び込むような真似は止めろ」

 だが、彼がそんな台詞で止まるような人間ではないことを尾張が一番良く知っていた。

「それは聞けません。俺は魔法少女マジカルマロン、街の平和と笑顔を守るために活動している魔法少女ですから」

「はあ……どういう育ち方をしたらそうなるんだよ……」

「俺を鍛えてくれた尾張さんがそれを言うんですか?」

 旧知の仲らしい二人の会話を黙って聞いていた麻衣子はそこで佐雄也に聞いた。

「え? お師匠さんを鍛えたって……このお巡りさんがお師匠さんのお師匠さん、なんですか?」

 麻衣子はお師匠さんと何度も言い過ぎて舌を噛みそうになるが、最期まで言い切る。

「止めろ、俺はただ道場で空手の稽古付けてやっただけだろうが。……あと、お前、こんな女の子にお師匠さんなんて呼ばせてるのかよ」

 尾張は佐雄也を複雑そうな眼差しを向けた。

 十年前に身体を鍛えてほしいといって、実家の空手道場の門を叩いた貧弱そうな小学生は、今では身体付きも自分より大きなっている。

 どうして身体を鍛えたいのかと尋ねた尾張に「魔法少女になるためです」と答えた馬鹿は、本当に昔から変わらない。

 高校生でも泣いて逃げ出すような鍛錬に、血反吐を吐きながらも一滴の涙も零さずにこなした少年。

 度を越した根性を持った少年は、青年になってもその愚かなまでに真っ直ぐな目で尾張を見つめてくる。

「栗山、本当に昔から変わらないな……」

「それなら、俺が聞き分けのない馬鹿だってところも変わってないって知っていますよね?」

「……ったく。いざとなったら警察呼べよ」

 諦めたようにそう言った尾張は、また自転車を動かして巡回に戻っていく。

「本当に顔が広いんですね、お師匠さんは」

「七年間も魔法少女のコスプレしている人ですからね」

「まあな」

 風美はくすりと小さく笑い、それに佐雄也が照れたように頬を掻いた。

 その後、風美を家まで送り届けた佐雄也は麻衣子に聞く。

「麻衣子ちゃんも家に帰らなくて大丈夫か?」

「お母さんには前以って友達と遅くまで遊ぶって伝えてますから平気です」

 今日の朝、母親にそう伝えた時は心配されるかと思ったが、真面目すぎる帰来のある麻衣子は、友達との深い付き合いができていないと思われていたようで、逆に安心されてしまった。

「お母さん、私が真面目すぎるから友達居ないんじゃないかって心配してたみたいなんです」

「いいお母さんじゃないか。連れ回している身としては一度挨拶に行かせてもらうよ」

 もしもそうなれば、麻衣子の母親は娘が初めて男の子を連れて来たと喜ぶことだろう。

 その光景を想像して、少しげんなりしたが、気を取り戻して佐雄也と共にパトロールを始めた。

 ボア・ミラージュから新たなマリシャス・ミラージュは未だ現れてはいなかった。

 ヨーグッドも基本的にはマリシャス・ミラージュを探しているらしいのだが、最近はあまり顔を見せないので魔法少女アリスとしての仕事はしばらくしていない。

 そのおかげで佐雄也に魔法少女としての在り方を学べている訳なのだが、それでも唐突にマリシャス・ミラージュと戦うことになる可能性も十分に起こり得る。

 今度は前回の時のように後手に回ることは避けて、情けない醜態は見せずに倒したいと麻衣子は思っていた。

「一生懸命なのは麻衣子ちゃんのいいところだけど、あまり気張りは良くないよ」

 隣を歩く佐雄也は麻衣子の顔から心情を推し量ったようで助言をかける。

「すみません。でも、私も魔法少女ですから」

 麻衣子の方は佐雄也と違い、正真正銘の魔法少女なので、その発言は少しおかしく聞こえた。

 だが、佐雄也は彼女の言葉の意図を正しく受け取り、優しく微笑んだ。

「麻衣子ちゃんは十分すぎるほど魔法少女だよ」

「そうなんでしょうか?」

 彼に付いて回り数日間過ごしているが、魔法少女らしさを身に付けられているのかは不安だった。

「今日だって、ビリーブの葉の子たちと一緒に遊んで笑顔にしてあげられただろ? ああいうことの積み重ねが『魔法少女らしさ』なんじゃないかって俺は思うよ」

「お師匠さんにそう言われると、ちょっとだけ自信が付きますね」

 彼の言葉はいつだって麻衣子の心に染み込んでくる。硬くなっていた表情が少しだけ弛んだ気がした。

 その時、麻衣子の耳に絹を裂くような悲鳴が飛び込んで来る。

「お師匠さん、今の声……」

 佐雄也の顔を見上げると、彼もそれを聞いたようで顎を一つ下げた。

「ああ、近くだ。急ごう」

 声が聞こえた方へ二人とも駆け出す。細い路地を抜け、通りの裏手に回り込んだ。

 思った以上に現場は近かったようで数分もせずに到着した。

 そこには脇腹から血を流して蹲っている尾張と横に倒れている自転車が見える。

「尾張さん!」

「何があったんですか!?」

 すぐに駆け寄って声をかけると尾張は佐雄也に震える手で掴む。

「……栗、山」

 脇腹の傷を押さえていた手にはべったりと真っ赤な血がへばり付いていて、薄桃色の魔法少女衣装を汚した。

だが、佐雄也はそれを気にも留めずに何かを伝えようとしている彼の傍に屈む。

「……栗山。連続、児童殺傷犯が、出た……。奴は、小さな男の子を連れて、逃げた……服装は……黒のパーカー」

 そう言い終えた尾張は力が抜けたように佐雄也の服から手を放した。

「麻衣子ちゃんは救急車呼んで」

「は、はい……」

 彼の身体を支え、傷口を上にして横に寝かせた佐雄也はスマートフォンで救急車を呼ぶように指示を出してから、衣装に着いている太めのリボンを引きちぎり、傷口に巻き付ける。

 脇腹の傷は思ったよりも深く、応急処置くらいではどうにもならない。

「こんな時にヨーグッドさんが居てくれたら……」

 麻衣子の呟きに答えるようにぴょこんとウサギの耳が目の前に現れた。

「呼んだヨグか? 麻衣子ちゃん」

 どこからともなく現れたヨーグッドは彼女にボーイソプラノボイスで尋ねてくる。

「ヨーグッドさん! 良かった。そこに倒れているお巡りさんの傷を治してください!」

「お任せヨグ~」

 急に登場したヨーグッドは応急手当をしていた佐雄也を押し退けて、両耳の内側の目玉を反時計回りに回した。

 尾張の肉体の時間を数分ほど巻き戻し、傷口が生まれる以前の状態にする。

「これでこの人は大丈夫ヨグ」

 その言葉を聞くや否や、佐雄也はすくっと立ち上がり、麻衣子に言った。

「麻衣子ちゃん、警察にも連絡をしてくれ。俺は犯人を追ってみる」

「犯人を追うって……流石にお師匠さんでも無理ですよ。大体、既にここから離れているはずです」

 五分もあれば、それなりの距離に移動している。今更、追いかけたところで佐雄也に何かできるとは麻衣子には到底思えなかった。

 しかし、佐雄也は(かぶり)を振るう。

「ここですぐに殺さなかったってことは、多分、どこかで攫った子供を手に掛ける気だ。そういったことがしやすい場所はこの街でも限られている」

 それだけではない。子供とはいえ、無理やり連れて行けば目立つ。

 電車やバスなどの移動手段は使えない。そう簡単に遠くに逃げられるとは思えなかった。

 だが、仮にも警察の目を掻い潜って何度も児童を殺害している犯人だ。迂闊に逃げるよりもこの周辺で早急に子供を始末して逃げる可能性が高い。

 佐雄也は伊達にこの夢見市を魔法少女姿で駆け回っていた訳ではない。犯罪のしやすいポイントや事故が起こりやすい場所などを全てチェックして巡回している。

 ここから十分圏内で着ける場所で、なおかつ人目に付きにくい場所。

 佐雄也にはその場所に心当たりがあった。

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