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第十二話 魔法少女とは

 佐雄也は囁く声の主を探し、周囲を見回すと未亜が彼を見上げていた。

 またマリスの幻惑かと佐雄也は警戒心を強める。

 だが、今度は彼が最後に見た七年前の幼い姿をしていた。

「マリス、じゃないのか?」

「難しいね。私も昔、マリスの一部として生まれた存在だから」

 七歳の未亜は少しだけ悩んだ後にこう付け加える。

「だけど、わたしはお兄ちゃんの味方だよ。それだけは自信を持って言える」

 その誠実な物言いを佐雄也は知っていた。未亜はどれだけ虐げられようとも他人に嘘だけは吐かなかった。真実に即した言い方を好み、嘘が混じりそうになる時は、可能な限り肯定しないのだ。

「未亜なんだな。本物の……」

「そうだね。それでもあの時、死ななかった未亜の残りカスみたいなものだから、まったくの一緒って訳じゃないけど」

 その言葉を言い終わるや否や、佐雄也は彼女の身体を抱き締めた。

 七年ぶりの抱擁は彼女が如何に小さな女の子だったのか実感させられる。

「……おかえり、未亜」

「別にわたしは帰ってきた訳じゃないんだけど……ただいま。お兄ちゃん」

 未亜はその小さな手で佐雄也の頭の後ろを優しく掻き抱いた。

 ずっとそうしていたい気持ちになるが、それでも一度離れて彼女を見る。

「どうしてここに居るんだ。ここは俺のマリシャス・ミラージュの中のはずだろ」

「逆だよ、お兄ちゃん。ここがお兄ちゃんのマリシャス・ミラージュの中だからわたしは出られたの」

 未亜は佐雄也に少しずつ話す。

 かつてマリスに殺された後も、夢の中で残滓になっていた彼女は意識もなく漂っていた。

 けれど、佐雄也がマリシャス・ミラージュと一体になった時を機に夢の世界から雪崩れ込み、マリスが消えるまで隠れていた。

 マリスによって佐雄也を篭絡するための理想の世界を作っていながらも、本当の現実を思い出す切欠が残っていたのは彼女が手を加えていたからだった。

「そうだったのか。でも俺はお前の最期の言葉をずっと理解できていなかった。本当は魔法少女になんてなりたくなかったんだろ?」

 妹のことを理解しているつもりで、実際のところ何一つ分かってはいなかったのだ。

 何よりもまずそのことを彼女に謝りたかった。

 しかし、未亜は首を横に振る。

「確かにわたしは魔法少女マリスになることを拒んで死んだよ。でも、お兄ちゃんと約束したのは、お兄ちゃんならわたしなんかと違う本物の、誰かを助けられる魔法少女になれるって思ったからだよ」

 未亜は自分が魔法少女に憧れた訳ではない。

けれど、佐雄也と約束を交わしたのは、佐雄也ならば壊すことしかできない魔法少女ではなく、アニメに出て来るような困っている人を救える魔法少女になれると信じたからだ。

そして、そこに間違いはなかった。

「お兄ちゃんは魔法少女として多くの人を助けてあげた。何一つ間違ってなんかないよ。ちゃんとわたしとの約束を守ってくれた」

「けど、俺は……」

 世界を滅ぼそうと企むマリスに利用されて、銀の門にされてしまった。

 これでは何のために未亜が死んだのか分からない。

「ううん。大丈夫、お兄ちゃんなら、魔法少女マジカルマロンならきっとすべてを救えるよ」

「俺は魔法少女なんかじゃない。未亜の死から目を背けるために必死で逃げてただけの弱い男だよ……」

 そもそも、その思いが最大級のマリシャス・ミラージュを作り出してしまった原因なのだ。

 そんな彼に魔法少女を名乗ることなどできるはずもなかった。

 だが、佐雄也に未亜は問う。

「本当にお兄ちゃんはわたしが死んだことから逃げるためだけに魔法少女活動を続けてたの? それ以外に何も感じなかった?」

「それは……」

 やり始めた当初は未亜の死からの逃避でしかなかった。

 だから、どれだけ嫌われても、疎まれても、唾を吐かれようと一向に構わなかった。

 好きでもない、どうでもいい連中に嫌悪されようが、拒絶されようが心は痛まないからだ。

 それが一年、二年と月日が流れるごとに少しずつ変わっていた。

 罵倒の代わりに感謝をされるようになった。石を投げられる回数が減り、お礼をされる回数が増えた。

 どうでもいい誰かの笑顔が、掛け替えのない人たちの笑顔へと変わっていった。

 いつの間にか、本当に心から人の幸福を願うようになっていった。

 気付けば魔法少女という肩書が、未亜の約束だけのものではなくなっていた。

 佐雄也の顔を覗き込む未亜はそれを見透かしたように笑う。

「お兄ちゃんは誰かの幸せを祈って、困っている人を助けられる本物の魔法少女になってたんだよ」

「俺には魔法なんて使えない。奇跡だって起こせない。おまけに少女ですらないんだぞ。それでも本物の魔法少女だって言えるのか?」

 佐雄也の質問に未亜は拍子抜けするくらいあっさりと答えてみせた。

「うん。言えるよ」

「どうして、そう言えるんだ?」

「逆に聞くけど、お兄ちゃんは魔法が使えて、奇跡が起こせる女の子なら誰でも魔法少女だって思うの?」

 その問いかけは佐雄也に魔法少女という概念を尋ねるものだった。

 しばし、無言で考えた佐雄也だが出した答えは既に決まっていた。

「思わない。俺はそれだけが魔法少女だとは思わない。魔法少女に一番必要なものは……」

 そこまで言って自分の中で魔法少女というものが明確に定義付けられていることを改めて思い知らされる。

「ああ、そうだ。魔法少女に一番必要なもの。それは誰かを思いやる心……誰かを幸せにしたいという気持ち」

 未亜はそれに頷く。

「わたしもそう思うよ。それならお兄ちゃんだって立派な魔法少女でしょ?」

 佐雄也は約束を果たそうとことばかりに気を取られ、魔法少女の本質を忘れかけていた。

 魔法少女は魔法が使えるだけの女の子ではない。

 その魔法を困っている誰かに、苦しんでいる誰かに差し伸べてあげるからこそ『魔法少女』なのだ。

「俺は魔法少女。そう、魔法少女マジカルマロンだ!」

 求めていたものはもう自分の中にあった。

 栗山佐雄也は魔法が使えない。奇跡も起こせない。少女ですらない。

 だが、紛れもなく魔法少女である。

 未亜は自分との約束を果たしてくれた兄に感謝の言葉を贈った。

「ありがとう、お兄ちゃん。わたしとの約束守ってくれたね。お礼にわたしも最後にお兄ちゃんに協力するよ」

 店の床に未亜が触れると、その場所に直径数メートルの穴が開く。

 穴から見える景色は悪夢のような世界で、そこに大量のマリシャス・ミラージュと戦う麻衣子と風美の姿があった。

「麻衣子ちゃん! 風美ちゃん!」

 外では彼女たち魔法少女が熾烈を極めた戦いを繰り広げている様子だった。

 麻衣子たちの表情は険しく、ヨーグッドが傍で回復を続けているが、顔色は悪くなるばかりだ。

 終わりのない戦いが彼女たちの心を摩耗させているのだろう。例え、自分に何の魔法もなくても今すぐにでも駆けつけてあげたい気にさせられる。

 最後に未亜に別れを言おうと彼女に目を向けるが、すべてを察している彼女は佐雄也を叱咤した。

「ほら。何をしてるの、マジカルマロン。あなたの助けを待ってる人たちが居るんだよ。早く行ってあげて」

「未亜……」

「そんな顔しないで。わたしはずっとお兄ちゃんの中に居るから。もう会って元気付けてはあげられないけど、それでも一緒だから」

 きっとこれが未亜と話せる最後の時間になる。佐雄也にはそれが嫌というほど感じ取れた。

 だからこそ、最後の言葉は別れの挨拶ではなく、ずっと思ってきた台詞だった。

「愛してるぞ、未亜」

「わたしもだよ、お兄ちゃん」

 最愛の妹へ愛の言葉を囁き、佐雄也は現実の世界へと繋がる穴に飛び込んでいく。

 それを見送る未亜は兄に見せなかった寂しげな表情を滲ませた。

「お兄ちゃん。マリスを助けてあげて。あの子もわたしだから……」

 母体を失った銀の門は崩れ、溶けるように消えていった。


 ***


 マリスは多勢に弄られている魔法少女たちを眺め、悦に浸っていた最中に銀の門の異変に気付く。

 空に浮いていたそれは音を立て、崩壊し、霧散して始めていた。

「どういうこと? 銀の門が崩れるなんて」

 その中から飛び出る一人の青年の姿にマリスは驚き、そして奇妙な納得をする。

「そう。そうなの。あくまで私の邪魔をし続けようとするのね、お兄ちゃん。いや、栗山佐雄也」

 かなりの距離から落下をしたが、佐雄也の身体はまるで何かの加護があるかのように難なく着地できた。恐らくは未亜が佐雄也を送る時に何か力を加えたのだろう。

 彼は踵を踏んでいたスニーカーを履き直すと、着ていた学ランとズボンを脱ぎ捨てた。

 そこには彼の一張羅である薄桃色の魔法少女の衣装が着こまれている。

 フリルの付いた何とも可愛らしい格好に包まれた屈強な肉体が布地の裏からその存在を主張していた。

 懐から衣装と同じ色のリボンを取り出し、額に鉢巻のようにきつく巻き付ける。

 麻衣子や風美だけではなく、マリシャス・ミラージュまでも突如出現したコスプレ姿の佐雄也に身を奪われた。

 すべての観衆の目を攫った彼は堂々と、胸を張り、見せつけるように名乗りを上げる。

「魔法少女マジカルマロン、ただいま参上!」

 元気よく笑顔でそう叫ぶ佐雄也に心を摩耗させていた少女二人が表情を綻ばせた。

「お師匠さん!」

「佐雄也さん……」

 彼女たちにゆっくり労いの言葉でも掛けたいところだったが、生憎と情勢に依然変動はなく、今にも押し潰されそうな数の差は変わらない。

「二人とも心配かけた。ごめん。これからは俺も協力するぞ」

 しかし、佐雄也は己のできることを止めない。

 直接的な戦力にならずとも、彼女たちのためにできることはある。

 それは囮になって敵の注意を引き付けること。

 佐雄也の登場により、麻衣子たちに集まっていたマリシャス・ミラージュが彼の方に向かってやって来る。

 元より丈夫な身体と屈強な精神以外に持ち合わせがない彼には身体を張って注目を引くことくらいしかできない。

 彼はわざと大振りな仕草で逃げ、マリシャス・ミラージュたちを上手く引き付ける。

 エメラルドのライオンとアメジストの虎が佐雄也をその牙を突き刺そうと飛び掛かるが、彼が華麗な身のこなしで避けたために正面衝突し、同士討ちをしてしまう。

 彼はあえて、大型のマリシャス・ミラージュ同士の合間を掻い潜り、お互いに手傷を追わせる手法を取っているのだ。

 言ってしまえば単純に聞こえるが、自分が触れることさえできずに、一方的に殺される可能性がある化け物の鼻先まで近付いて誘き寄せるのに必要な胆力とギリギリを見極めるバランス感覚、そしていざという時の瞬発力が必要とされる。

 命を懸けるということを恒常的に行っている佐雄也くらいしか実行不可能な荒業だ。

 だが、この行為も一時凌ぎ以上の効果を得ることはできない。

 マリシャス・ミラージュがお互いに距離を測って行動し始めれば効かなくなる。

 それに避けること以外できない彼は単純に物量で押し潰すことも容易だ。

 何よりこのマリシャス・ミラージュが無限に湧き続ける状況を打破しない限り、麻衣子たちを助けたことにはならない。

 少し離れた塔の玉座から見下ろしているあのマリスをどうにかしないことには劣勢を覆せないだろう。

 彼女を見上げる佐雄也の瞳と、彼を見下すマリスの瞳が交差し、絡み合う。

 大切なものを奪った因縁ある宿敵は侮蔑に満ちた笑みを彼に送った。

 佐雄也はその挑発に応じずに凛とした揺るぎない視線を彼女に突き刺す。

 マリスの元に向かい、対峙しなければならない。それは麻衣子でも風美でもなく、佐雄也が――魔法少女マジカルマロンがやらねばならないことだ。

 だが、行く手を阻むようにマリシャス・ミラージュはあらゆる場所から出現し、彼に牙を剥く。

 ダイヤモンドで構成された熊が佐雄也へ走り寄り、背中に目掛け巨大な腕を振るった。

「――っ」

 他の傍に居るマリシャス・ミラージュに注意していた彼はすぐさま振り返るが、とっさにそれに反応できない。

「お師匠さん!」

 麻衣子も風美も場所が離れており、それぞれ別の敵を前にしているために救援に向かえなかった。

 万事休すかと思われたその時、ダイヤモンドの熊は真横から何かに突き飛ばされる。

 熊はその衝撃で吹き飛び、鉤爪の生えた巨腕は佐雄也には当たらなかった。

 代わりに佐雄也の前には黒曜石の猪が鼻息を荒く見つめ、屹立している。

 そのマリシャス・ミラージュに佐雄也は見覚えがあった。

 クラスメイトの井上琢也を母体として生まれた劣等感の猪、ボア・ミラージュだった。

 自分の窮地を救ってくれたのかと驚愕し、眺めていると、ボア・ミラージュは佐雄也に井上の声で語り掛けてくる。

『無事か? 栗山』

「井上、なのか?」

『ああ。何か俺にもよく分かんねぇけど、お前が化け物に襲われそうになった光景が急に見えて。助けたいって思ったら、こんな姿になってた』

 これって夢なのかと佐雄也に尋ねてくる井上が、猛々しい見た目に似合わず、少しおかしく笑ってしまう。

「ははっ」

『あ、笑いやがったな。俺だって好きでこんな姿になってる訳じゃねぇんだぞ』

 少しだけ不満そうに言う井上だが、かつての他者の笑みに過剰反応する彼はもう居なかった。

 その光景を見ていたマリスは信じられないものを見たかのように言葉を失う。

 眼下で起きている現象はあり得ないことだった。

 マリシャス・ミラージュがマリスの支配下から脱し、人間を助けるなど起きるはずがない。

 マリシャス・ミラージュとは人間の負の感情を核に据えたマリスの一部でもあるのだ。

「なぜ、どうして……くっ、裏切り者とまとめて圧殺しなさい」

 予想もしていなかった事態に混乱する彼女だが、それを抑えて別のマリシャス・ミラージュに佐雄也とボア・ミラージュへの攻撃を命じる。

 高々一体イレギュラーが出たところでマリスの圧倒的有利は俄然変わらない。

『取りあえず俺に乗れ、栗山!』

 ボア・ミラージュに促され、佐雄也は彼の黒曜石の身体に飛び乗った。

 そして、そのまま周囲に群がる敵へと突進していく。

「どうする気なんだ?」

『こんな奴ら、突っ込んで蹴散らしてやるぜ。ちゃんと掴まってろよ』

 その言葉を言うよりも先に先を阻むマリシャス・ミラージュ数体を弾き飛ばした。

 突撃の衝撃で佐雄也の身体は揺れたが、どうにか振り落とされずに済む。

「随分と血気盛んだな」

『そりゃ、そうだ。夢の中とはいえ、ダチに力貸せるんだから……あー、やっぱ今のなし。柄でもないこと口走っちまった』

 自分で言った青臭い発言に照れて、恥ずかしがる彼に佐雄也は優しく微笑んで言った。

「ありがとな、井上」

『あー、クソッ。お礼とかすんなよ。余計に恥ずかしくなんだろ……で、栗山』

「ん?」

『俺は何やりゃあいいんだ? このまま、逃げてればいいって話じゃねぇんだろ?』

 井上の疑問に佐雄也はマリスの居る塔の方向を指差して頼む。

「あの塔に向かってくれ……頼めるか?」

『任せろ』

 黒曜石の猪は塔の方へと直進し、マリスの塔へ向かう。けれど、女王の居城に易々と敵を通すほど悪夢の兵士は甘くはない。

 数を増して襲い来るマリシャス・ミラージュに徐々に追い詰められ、進路を塞がれたボア・ミラージュは足踏みする。

 だが、そこで新たに巨大な翡翠のカエルが現れる。そのマリシャス・ミラージュの群れを舌で大きな絡め取り、呑み込んでいった。

『おいおい、最近の魔法少女は猪を乗り物にするのか?』

 ふざけるようなカエルの声はブージャム総長、光武定義のものだった。

「その声は光武さん!」

『げ、総長……』

 彼もまた井上と同じようにマリシャス・ミラージュでありながら、本人の意識を有している様子だ。

『げって、何だ。その猪、ひょっとしてあの族抜けした根性なしか? まあいい。何だか、真っ暗なところに居たんだが、知り合いの魔法少女が化け物に追われているの見えてな。助太刀に来たぜ』

 そう言いながらも、長い舌で次々と周りに居たマリシャス・ミラージュを丸呑みにする。

 塔の上に座るマリスの中で動揺がさらに広がった。

 おかしい。一体ならまだしも二体もマリシャス・ミラージュの中から異分子が出るなどもはや異常事態だ。

 混乱する彼女は空中から鳥型のマリシャス・ミラージュを数十体生み出し、佐雄也の元へと送り込む。

 空からの攻撃ならば、防げまいという彼女の判断だったが、宝石で構成された鳥たちは佐雄也たちに触れる前に真っ二つに切り落とされた。

 瑪瑙の梟。オウル・ミラージュの刃物の如き翼によって。

「福田さん……」

『魔法少女君。死刑になる前にもう一度君に会えたことが嬉しいよ』

 翼をはためかせ、オウル・ミラージュは人間のように目を細めて再会を喜んだ。

 麻衣子と風美は次々とマリシャス・ミラージュの中から味方が生まれていることに驚く。

「こんなことってあるんですか?」

「マリスの支配下から逃れた、とでもいうの……?」

 彼女たちの疑問に答えるべく、ヨーグッドはある仮説を述べた。

「マリシャス・ミラージュは個人の悪意をマリスが実体化したものヨグ。だけど、それなら個人の善意も理論上は同じように実体化できるヨグ……個人の善意が悪意の総量を凌駕したとすれば辻褄が合うヨグ」

 だが、善意が悪意を上回ることは通常では起きない。悪意の総量の方が遥かに上だからだ。

 だからこそ、人類無意識の集合体の均衡が崩れ、マリスが誕生したのだ。

 それを覆したのは、恐らく佐雄也。彼の縁のある存在だけがマリスの支配から逃れていることを見るにまず間違いないだろう。

彼が魔法少女マジカルマロンとして、彼らに心に働きかけ、心の善意の総量を増幅させたとしか考えられない。

 愚かなまでにまっすぐ他者を思いやり、無償の善意を配っていた彼が生んだ奇跡。否、必然。

佐雄也に心を救われた人々の意識が浮上し、悪意を凌駕した善意が、マリシャス・ミラージュたちから自我を奪い取ったのだ。

「……とんでもない馬鹿野郎だよ。テメエは」

 麻衣子に聞こえない小さな声でヨーグッドは漏らした。

 佐雄也が現れたことにより、次々と人の意識を持ったマリシャス・ミラージュが生まれ落ちる。

 ある少年は人間不信になっていたところを佐雄也の献身に救われ、再び人を信じることができるようになった。

 ある男性は武道の才にあぐらをかき、暴力に明け暮れていたが、佐雄也との出会いにより心を解きほぐされ、自分の力を他人のために使おうと警察官になる道を歩んだ。

 ある女性は己の未熟さ故に子供を指導できずに、思い悩み苦しんでいたところを佐雄也の明るさに救われ、孤児や虐待児童のために心を砕く優しい施設長に成長した。

 七年の歳月をかけて佐雄也が助けて来た人々が今度は彼を助けるために立ち上がる。

 一体、また一体と佐雄也を守るように人の意識を持ったマリシャス・ミラージュが誕生し、マリスの下僕を倒していく。

『コスプレのお兄ちゃん。頑張って!』

 アクアマリンのイルカが敵を蹴散らし、ユウの声で佐雄也を呼ぶ。

『栗山。お前は夢の中でもそんな格好でうろつきやがって』

 トパーズの山犬が佐雄也の右脇を守るように追走し、尾張の声で呆れる。

『佐雄也君、こんな夢の中くらいでしか協力してあげられないけれど、それでも力になるわ』

 ルビーの山羊が角で左脇から来る敵を牽制し、利瀬の声で応援する。

 それだけではない。彼の周囲には彼の味方が寄り集まり、佐雄也を塔までの道程を守ってくれている。

「みんな……本当にありがとう」

 ボア・ミラージュの背に乗っていた佐雄也は大きく感謝の声を響かせた。

 しかし、そのすぐ後に地面から巨大な杭が生え出し、佐雄也たちを守るものを砕く。

「なっ! おい、みんな!」

 杭が貫通した者は叫びすら残せず、砕け散って霧散していく。佐雄也は仲間に言葉を掛けるが、それも空しく随伴していた仲間のほとんどが一瞬にして消滅した。

『栗山。すまねぇ……』

 彼を乗せたボア・ミラージュも例外ではなく、地面から飛び出た杭に腹部を抉られた。

「井上!」

 だが、彼は消える数瞬前に身体を揺すって、背中の佐雄也を跳ね上げる。

 宙へ飛んだ佐雄也に上空から矢の群れが襲い来るが、それが彼を穿つ前にオウル・ミラージュが攫った。

「福田さん……みんながっ」

『ごめんね、魔法少女君。今はお喋りしている暇はないんだ』

 オウル・ミラージュの背に拾われた彼は自分に刺さる敵意の視線を察して、そちらを見る。

 塔の頂上に座るマリスは余裕のある笑みを消し、明確に怒りを持って彼を睨んでいた。

「栗山佐雄也……。お前を侮っていたよ。まさか、マリシャス・ミラージュまで味方に付けるとは思ってなかった」

 彼女が腕を振ると何もない空間から矢が生まれ、オウル・ミラージュごと佐雄也を撃ち落とそうする。

 尋常ではない弓の掃射により、かわしきれない矢が瑪瑙の身体を少しずつ削っていく。

『くっ、このままだと近付けない』

 軌道をずらして空を舞うオウル・ミラージュだが、空中から生み出す無制限の矢に対応することは不可能だ。

 玉座に座るマリスが腕を振るうたびに矢の大群が瑪瑙の翼に穴を穿つ。

 長引けば、いずれは地上に落とされてしまう。

 苦渋の表情を浮かべる佐雄也だったが、彼らを守るべく二羽の鳥型のマリシャス・ミラージュが飛んで来た。

 その背には麻衣子と風美がそれぞれ乗っている。

「『ハンプティ・ダンプティは姿を変える ハンプティ・ダンプティは盾に変わった』」

 麻衣子の持つ杖が盾に変わり、佐雄也を守るように展開される。その大きさは前に見た時よりも遥かに巨大になっていた。

「『ジャバウォックの牙は敵を砕く』」

 風美の握る大剣が無数の刃の群れに変わり、飛んで来る弓を弾き落とす。

「麻衣子ちゃん!風美ちゃん!」

「ボクも居るヨグ」

 麻衣子の後ろからひょっとヨーグッドが顔を出す。

 巨大な盾を展開しながら麻衣子は佐雄也に言った。

「私たちがお師匠さんを守りながら、塔まで近付く手伝いをします」

「それはいくらなんでも……」

「危険過ぎると言いたいんでしょう? 佐雄也さん、私たちだって魔法少女なんですよ? 信じてください」

 風美がその後を継ぎ、微笑みかけた。

 その台詞を言われてしまえば、佐雄也としては何も言えなくなる。

 そもそもマリスが支配するこの世界に置いて、安全な場所などどこにもないのだ。

 無用な台詞だった思い、彼女たちの作戦に乗らせてもらう。

「わかったよ。それじゃあ、頼む」

 佐雄也の返答のすぐ後に盾を展開した麻衣子を先頭に、佐雄也を挟み込むようにして、塔へとまっすぐ進んで行く。

 弓の連弾によろめきそうになるが、麻衣子は盾をしっかりと構えた。

 風美は盾の範囲外からの弓をジャバウォックの牙を自在に飛ばし、落としていった。

「っち。じゃあ、これでどう?」

 塔の上のマリスも弓で埒が明かないと思ったらしく、空間を揺らす攻撃に変えた。

 風美は先ほど受けたおかげでその攻撃の予兆が読み取れた。

「すみません、二人ともっ」

 ジャバウォックの尾が一度砕かれたことから、空間の範囲を計算していた彼女は、佐雄也と麻衣子の乗るマリシャス・ミラージュを蹴りで思い切り範囲外まで突き飛ばす。

「きゃあっ」

「おおっ」

 つんのめる二人とマリシャス・ミラージュ。その後方で空間振動の直撃を受けた風美は乗っていたマリシャス・ミラージュごと落下していく。

 二人はそれに気付き、助けに向かおうとするが、血反吐を落ちる風美は視線だけで拒んだ。

 ――機会を無駄にするな。落ちて行く彼女の瞳が叫ぶ。

 麻衣子は伸ばしそうになる手を堪え、佐雄也を後ろに付け、塔へと近付いた。

 マリスは空間をもう一度空間振動を起こそうと麻衣子の大盾を目印に手をかざす。

 二度目の振動が起きる直前、麻衣子は大盾を握ったまま、マリスの塔へと飛び降りる。

「なっ、馬鹿なの……!」

「『ハンプティ・ダンプティは姿を変える ハンプティ・ダンプティは剣になった』」

 空中を落下しながら、大盾を剣へと変形させ、マリスの頭上に振り下ろした。

 その一撃が彼女に触れる前に麻衣子は衝撃波を受けて塔の下へと吹き飛ぶ。

 空間振動よりは威力が落ちるものの、マリスの手から放った衝撃波を浴びた麻衣子は赤茶色のエプロンドレスを引き裂かれ、地上へと落下していく。

 だが、彼女の捨て身の行動により、佐雄也を乗せたオウル・ミラージュは彼女の塔へと乗り込むことに成功した。

 彼を送り届けたオウル・ミラージュは力を使い果たしたのか、崩れて満足げに霧散する。

 玉座のある天辺まで降り立った佐雄也とヨーグッドを見て、マリスは苦々しく口元を歪めた。

「ここまで来たんだね。栗山佐雄也」

「ああ。そうだな」

 未亜の仇を目の前にして、佐雄也は酷く落ち着いた顔をしていた。

 憎しみや怒り。そういった感情ではなく、もっと別の感情が彼を突き動かしている。

 玉座に座るマリスは彼に怯えていた。

 佐雄也はただの人間だ。だが、紛れもなく、彼の行動は何度となく自分の予想を軽々と超えてきた。

 今度は自分を倒してしまうかもしれない。目の前に居る男はそういう存在なのだ。

 佐雄也は、一歩ずつマリスへと歩み寄る。

「止まりなさい。じゃないと殺すわよ」

 マリスは制止を促すが、彼の足は止まらない。

「止まれ! 本当に殺すよ!」

 されど、彼の足は止まらない。

 マリスは振動波を佐雄也へと撃つ。一撃で魔法少女の衣装は破け、その下の肉は抉れる。骨の数本が砕け、臓腑に突き刺さった。

 引き飛びそうになる身体が、その重傷を受けてもなお、彼は倒れることさえなく歩みを続けた。

 ボロボロになった姿で、佐雄也はマリスのほんの十数センチ先で足を止める。

「な、何なの……あなた、何なのよ……」

 マリスは佐雄也に恐怖していた。世界を塗り潰した邪悪な夢の女王が、特殊な力を持たない人間に。

「俺は、魔法少女マジカルマロン。魔法少女だ!」

名乗りを上げて、そして思い切り彼女を抱き締めた。

「え……? 何を、してるの?」

最初は何かの攻撃かと身構えたが、彼の抱擁はそういった類のものではなかった。

優しく、柔らかな慈愛さえ感じさせる抱擁。

分からない。理解ができない。なぜこの男は自分をこんなに優しく抱きしめるのだろう。

「俺はな、マリス……お前が憎かった」

 当然だ。自分は人類の無意識悪意の集合体だ。

 憎まれるのは自然なことだ。

「でも、お前も本当は寂しかったんじゃないのか?」

 この男は何を言っているのだろうか。寂しいなどいう感情は自分にはない。

 あるのは悪意と破壊衝動。それ以外のものは何もない。

 佐雄也はマリスの髪をくしゃくしゃと乱すように撫でた。

「俺のマリシャス・ミラージュの中で、一緒に遊んだ時のお前が本心だったんじゃないのか?」

 そんな訳がない。あれはただの演技だ。佐雄也を悪夢の中に閉じ込めて置くための演技。

 ……そう、単なる演技。

「本当はもっと早くこっちの世界に来られたんじゃないのか?」

 確かにあの時は既に銀の門は完成していた。ならば、どうしてもっと早く自分はこちらに来なかった?

 それは。

「俺との過ごしたあの時間はお前にとって本当に単なる茶番だったのか?」

 そうだ。そうに決まっている。

 あんなものはただ……ただの……。

「楽しかったよ。すごく、すごく……」

 自分の心を誤魔化すことはできなかった。唇から零れる真実は止まらない。

「ずっとあの世界に居てもいいって思ってたよ。家族が居て、愛してくれるのがあんなに幸せだなんて思いも寄らなかった」

 未亜が私を裏切った理由をようやくあの時に知った。

 あんな幸福を味わえるのなら世界を壊そうなんて思わないだろう。

「嫌われて、憎まれて、疎まられる。悪意(わたし)には想像もしないほど楽しかった」

 でも、それは自分のものではないと気付かされた。幸福な夢から覚めれば後に残るのは空虚さのみだ。

「私は未亜じゃなかった。あなたの妹にはなれなかった……」

 手に入らないならば、何もかも壊してしまえばいい。そう思った。

 佐雄也は彼女を強く抱き締め、彼女にそっと囁いた。

「お前と未亜は同じじゃない。でも、お前の中にも未亜は居るんだ」

 未亜がマリスの一部から生まれたものとするなら、マリスもまた未亜なのだ。

 彼女の中にも未亜は居る。決して等号では繋がらないけど、無関係ではない。

「マリス。俺はお前も救いに来たんだ」

「私を……? あなたの世界をめちゃくちゃにした私を?」

「そうだ」

「……あなたの妹を殺した張本人である私を?」

「そうだ」

 佐雄也には自分と向き合い、己の仮面でしかなかった本当の意味で魔法少女マジカルマロンとなった。

 怒りも憎しみも悲しみも全部受け入れた上でマリスの前に立っている。

 それに未亜を殺したのがマリスだというのなら、未亜を生んだのもまた彼女に他ならない。

「お前のせいで未亜は死んだ。けど、お前が居たから未亜が生まれたんだ」

 マリスは彼の真意を理解して、なおも首を振った。

「駄目だよ。私は救えない。生まれた時から間違ってたんだよ」

 悪意はどこまで行っても悪意でしかない。

 破壊と侮蔑でしか自分を表すことができない。

 そんな自分を救う方法などある訳がない。

「俺がずっと傍に居てやる。お前が寂しくないように」

 佐雄也の言葉にマリスは驚く。

「そんなことしても私は……」

「大丈夫。お前の中に思いやりが生まれるまで俺が教えてやるから……だからもう壊して満足するのは止めろ」

 温かな眼差しがマリスの心を優しく解きほぐしていく。

 ああ……勝てない。そう感じた。

どれだけの魔法があっても、どんな奇跡を起こせてもきっとこの男には敵わない。

 この男には何よりも強く気高く優しい『思いやり』を持っている。

 マリスはもう彼に悪意を抱くことはできなかった。

「すごいな、魔法少女って……私の負けだよ」

 佐雄也の傷に触れたマリスの手が、傷の時間を巻き戻し、跡形もなく消す。

 それだけではなく、世界全土に広がったすべての悪夢が引き潮のようになくなっていく。

 陸や海、空が元の姿を取り戻し、幻想的な風景は蜃気楼のように消滅した。

 佐雄也たちが居る場所もいつの間にか塔の天辺ではなく、夜の公園の中央に変わっている。

 傍には麻衣子と風美が横たわっているが、彼女たちにも外傷はなく、衣装もそれぞれの魔法少女の衣装でなく私服姿になっていた。

 二人ともすうすうと規則正しい寝息を立てて、眠っている。

 ただ、空に浮かんだ銀の門だけが残り、大きく扉を開かせていた。

「私はもう帰るよ。あなたには勝てないもん」

 彼女の言葉に佐雄也は尋ねる。

「いいのか? 俺もそっちに行かなくて」

「うーん。一緒に来てほしいのはやまやまだけど……あなたはここに必要な人だから奪えないよ」

 寝ている麻衣子と風美を見て、マリスは笑った。

 もしも佐雄也を夢の世界に連れて行ってしまったら、彼女たちは間違いなく取り返しに来るはずだ。

「だから、私は一人で帰るよ」

「……おい。マリス」

 傍に居たがずっと何も言わなかったヨーグッドがここに来て、喋り出す。

「俺が代わりにお前の傍にいてやる。百四十年前までは元々は同じ存在だったからな」

 マリスは彼の発言が意外だったのか、僅かに目を広げた。

「あなたはずっと私のことを嫌ってるのかと思ってたよ」

「嫌いだったに決まってるだろ。俺とお前は真逆の存在なんだから」

 だがなと、前置きの後にヨーグッドは続けた。

「俺とお前は兄妹みたいなもんだ……お前の面倒は俺が見るべきだって、そっちのシスコン馬鹿野郎を見て思わされた」

 やや照れたようにヨーグッドは視線を逸らして頬を掻く。

 マリスはそんな彼の姿を見て、悪戯っぽく笑った。

「へえー、じゃあ『お兄ちゃん』って呼んだ方がいいかな?」

「からかうんじゃねえ! 馬鹿たれが‼」

 そんな二人のやり取りっを眺めていた佐雄也は、彼らの姿を柔らかい眼差しを浮かべた。

 自分たちとは違う存在だが、彼らもまたこうして関係性を作り直せる。

 彼らのせいで巻き込まれたものが居たのは否定しないし、佐雄也自身その被害者の一人だ。

 だが、彼らにも幸せになってほしいと願う。

 そのまま、ヨーグッドたちを見つめていると、二人は佐雄也に向き直った。

「……今更、謝って許されるとは思わないけれど、ごめんなさい。私はあなたから未亜を奪った。ううん、それだけじゃない。多くの人間を不幸にしてきた」

 マリスはそっと眠る風美にも暗い視線を落とす。

 その罪悪感はマリスがこれからずっと向き合っていかなければいけないものだ。

 佐雄也はそんな彼女の頭を軽く、叩いて言う。

「そう思えるようになったなら随分な進歩だ。少なくとも俺はもう怨んじゃいない」

 それが魔法少女の在り方だと、否、それが栗山佐雄也だと思った。

「小僧。テメエは本当に大した魔法少女だよ」

 ヨーグッドの台詞に反応した佐雄也はにんまりと笑う。

「ああ。俺は魔法少女マジカルマロンだからかな!」

 

 その後、ヨーグッドとマリスは銀の門から、元の夢の世界へと帰って行った。

 彼らの後ろ姿が門の向こう側に消えると、扉が音もなく閉まり、消滅する。

 佐雄也はそれを確認した後に、眠っている麻衣子と風美を揺すって起こした。

「あれ? ここは……元の世界……」

「マリスは……マリスは倒せたんですか!?」

 むにゃむにゃ言っている麻衣子と依然周囲を警戒している風美に佐雄也は笑って言う。

「倒せてはいないな。でも、全部解決したよ」

 二人は納得できない表情を浮かべているので、こう付け加える。

「簡単にいうなら――魔法少女が勝ったんだよ」

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