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第十一話 優しい悪夢

「映画、面白かったね」

 映画館に行った帰り、未亜は佐雄也の腕に抱き着いて嬉しそうに笑った。

「ああ、そうだな。特に主役の魔法剣士・フレイムが邪悪な神官・ボルゲンを打ち破るシーンが盛り上がった」

 見ていたファンタジー映画の内容を語り、お互いに余韻を楽しむ佐雄也たちだったが、彼は自分の述べた単語が何か妙に頭に残った。

 魔法。ファンタジー系統の創作物にはよくある単語。殊更取り上げるほどの目新しいさのない言葉。

 しかし、佐雄也の頭には魔法という単語がへばり付いて消えない。

「魔法……魔法……」

 確かその言葉に続くものがあったはずだ。忘れてはいけない大切な――。

「お兄ちゃん。次はショッピングに付き合ってよ。欲しかった服があるんだ」

 未亜に腕を引っ張られ、考えていた内容が霧散する。

 下らないことを考えるよりも、妹の要望を優先しようと佐雄也は彼女に従い、ショッピングモールの方へと歩いていく。

「あんまり高いものは無理だぞ?」

「分かってるよう。でも、お兄ちゃん、可愛い妹が可愛い洋服を着たところ見たくない?」

「こいつー」

 生意気な口調で強請って来る未亜の頭を撫で回す。彼女の髪形は乱れるが、それに怒るどころか未亜は喜んで微笑んだ。

 その後、ショッピングモールまで少し歩き、お目当ての女性専門の洋服屋に二人は入店する。

 店内の可愛らしい服を何着か見繕った未亜は佐雄也を連れて更衣室の方まで来ると、その内の一つに入っていく。

「お兄ちゃんにどれが似合うか選んでほしいから、そこで待っててね」

「男の俺がここに立ってたら他の人、更衣室使いづらいだろ?」

「大丈夫大丈夫、すぐだから。ほんとにすぐ」

 そう言って、更衣室のカーテンを閉めてしまう。

 佐雄也はそれに少しだけ困った表情をするが、言われた通りに待った。

 未亜は言葉通り、入って三十秒も経たない内にカーテンを開き、着替えた姿を見せる。

 彼女は白いワンピースに薄紅色のカーディガンを羽織っていた。

「どうかな?」

「いいじゃないか? 似合ってるぞ」

 実の妹ながら着こなしは完璧で佐雄也は身内贔屓なしで褒めるが、未亜は満足せず、むうと唸る。

「うーん。もっとこう、お兄ちゃんが『未亜ー! 好きだー! 結婚してくれー‼』ってなるくらいになるような服はないのかなー……」

「……お兄ちゃん、未亜のこと好きだけど、そんな頭の悪い発言したくないぞ」

 変な漫画かアニメの影響でも受けたのかと佐雄也は妹の教育衛生に疑問を懐く。

 未亜はそんな兄の態度を気にも留めずに持ってきた洋服を広げて吟味していた。

 しばらく、見比べていた未亜だが、佐雄也の方に向き直るとこう言った。

「お兄ちゃんが私に着せたい服ってないの?」

「俺がお前に着せたい服? どういう意味で?」

「えっちな意味で」

「……未亜。本気で俺はお前の将来が心配になってきたよ」

「うそうそ、冗談だよ、冗談。私に似合いそうな服とか選んでほしいなーって」

 げんなりした表情を見せると未亜は慌てて否定し、誤魔化すように付け加えた。

 そう言われれば、佐雄也も彼女の洋服選びに協力するのもやぶさかではない。

 十代向けのコーナーの方まで行き、うろうろと並べられた洋服を見回す。

 正直に言ってしまえば、どれを着てもそれなりに似合うだろうと思ったが、未亜から直々にお願いなら悩んで選んだ方が良いだろう。

 じっくりと手に取って、一着ずつ見ていくが、これという服はなかなか見つからない。

 唸りながら店の奥の方まで行くと、コスプレじみた色物のような衣装が並べられたコーナーに突入した。

 こういった格好は趣旨に合わないだろうと、佐雄也は踵を返そうとする。

 だが、その時、ふと一着の服が目に留まった。

 薄桃色のフリルの付いたファンシーな衣装。それは女児が見るアニメに出て来る魔法少女が着るような服だった。

 その服を見た途端、佐雄也の頭の中で埋もれていた大切な何かが徐々に浮上してくる。

 震える手でその衣装を取り、それを持ち上げた。同時に色んなものが自分の中から溢れ出す。

 魔法少女。約束。誓い。笑顔。希望。夢。

「そうだ……全部、思い出した」

 未亜が七年も前に死んだこと。

彼女と魔法少女になる約束をしたこと。

そのためにずっと奉仕活動を続けてきたこと。

本物の魔法少女に出会って驚いたこと。

人の負の感情を核とする化け物と対峙したこと。

そして、佐雄也自身がその化け物、マリシャス・ミラージュに取り込まれたこと。

「これは、俺が今居るここは……本当の世界じゃない」

「気付いちゃったんだ、お兄ちゃん」

 背後から聞こえた声に反応して、振り返ると先ほどの白いワンピースを着た未亜が音もなくそこに居た。

「未亜……いや、マリスか」

「どっちでも同じだよ。未亜は私から生まれた存在なんだから」

 朗らかな笑みが消え、佐雄也の知っている未亜が浮かべたことのない邪悪な笑みを湛えている。

「それは、どういうことだ?」

「未亜は私が現実世界に行くための銀の門を生み出すために作った魔法少女マリスになるはずの分身。でも、自分の役目を果たす前に私を裏切って死んだけどね」

 マリスは七年前に起きた未亜の死の真実を語る。

 本来、未亜は十四年周期で生まれる魔法少女マリスにしか過ぎなかった。

 佐雄也の妹として生まれたのは偶然のこと。顔が両親ともまったく似ていないのも当然だった。

 それが原因で疎まれるのも、マリスにとっては計画の内。周囲からの憎しみを吸って成長した未亜は、世界を憎み、滅びを望む魔法少女マリスになる予定だった。

 しかし、その計画は一人の少年の存在によって、脆くも崩れ去る。

 嫌われ、疎まれ、虐げられ、成長していくはずだった未亜にその少年は優しさと愛情を与えた。

その少年こそが佐雄也。彼のせいで、彼女は世界を滅ぼそうとするマリスに加担することを拒絶するようになった。

夢の世界でマリスと邂逅していた未亜は、年月を経るごとに魔法少女マリスになることに反発してきた。愛する兄の居る世界を壊すことなどできないと彼女はマリスに言い放った。

故にマリスは彼女を夢の中で何度も殺した。

普通の人間なら一度殺せば、二度と目を覚まさないのだが、マリスの分身たる彼女は例外だった。

何度も何度も、夢の中で殺し、精神を衰弱させていくことで殺せたが、それまでに一年ほど期間を有した。

「そのせいで後釜を見つけるが大変だったの。ちょうどよく、利用できる子が居たから良かったんだけど、そうじゃなかったらまた十四年かけなきゃいけなかったんだよ」

「……それが風美ちゃんか」

「うん。お兄ちゃんを殺すと脅したら、簡単に従ってくれてね」

「外道が……」

 佐雄也は生まれかつて一度も他人に抱いたことのない感情をマリスに向ける。

 脳髄が焼けるような憎悪。握った拳が震えるほどの殺意。

 未亜の姿をしたそれはすべての元凶にして、未亜の仇そのものだった。

 ここに来て、佐雄也はようやく未亜が最期に残した言葉の意味を正しく理解する。

 魔法少女にならなくてはいけないというあの言葉は夢や願いなどではなかったのだ。

 彼女は魔法少女なる運命を否定していた。

彼女の言った『魔法少女』とは、世界を破壊する存在の走狗に他ならないからだ。

 佐雄也は最初から間違えていた。

「でも、良かった。お兄ちゃんが世界への絶望と自分への歪んだ悪意を抱えて育ってくれたおかげで、簡単に銀の門に成長するほどのマリシャス・ミラージュの母体になってくれた。役立たずだった未亜だけど、最後にいい贈り物をしてくれたわ」

 その台詞は佐雄也の怒りの防波堤を崩すには十分なものだった。

 握り締めた彼の拳はマリスの顔面目掛けて突き出される。

 死ぬことになっても世界を滅ぼすことに加担しなかった未亜を踏みにじる言葉を佐雄也は許すことができなかった。

 だが、その拳は空しく空を切るだけに留まる。

「甘いわ、お兄ちゃん。ここはでは私の思うがままにできる。そんなもの当たる訳ないじゃない」

 佐雄也の前に居たマリスは次の瞬間には、彼の背後へと回っていた。

 マリスはそんな佐雄也を小馬鹿にするように笑うと身体を揺する。

 すると、彼女の黒かった髪が金色に、同じように瞳も(みどり)色に変わった。

「これが私の本当の姿よ。お兄ちゃん」

「その名で俺を呼ぶなぁ!」

 振り向き様に後ろ回し蹴りを放つが、それすらも瞬間移動で容易にかわされる。

 マリスの言動のすべてが佐雄也の神経を逆なでしてくる。溢れ出す憎悪が止まらない。

「もうちょっと遊んであげてもいいけど、そろそろ向こうにも顔出さないといけないから、ここでお別れね。楽しかったよ、お兄ちゃんとの茶番劇は」

 そう言い残し、マリスはショッピングモールの床へと沈むように消えていく。

「クソッ!」

 悪態を吐き、佐雄也はマリスの消えた床を思い切り、踏み付けるが何の意味もなさなかった。

 憎悪を向ける相手が居なくなったことで、彼の胸の中には自分の愚かさへの嫌悪と後悔が込み上げてくる。

 未亜の言葉をずっと勘違いしたまま、七年間見当違いなことを繰り返し、あまつさえ未亜が命を散らしてまで拒絶したマリスに利用されてしまった。

「ごめん……未亜……俺は、俺は……」

 不甲斐なさに唇を噛み締めるが、今更彼にできることは何一つない。

 己の支える芯であった魔法少女への夢――ひいては未亜の約束が根本からへし折れていた。

 佐雄也の抱えるものはもはや絶望とさえ呼べない。未来への望みどころか過去に積み重ねてきた行動がすべて間違いだったと知ったのだ。耐えられるはずもない。

 しかし、佐雄也の耳に微かに誰かの囁きが届く。

「無駄なんかじゃないよ、お兄ちゃん」


 ***


 マリシャス・ミラージュの群れと戦っていた麻衣子と風美だったが、突如として敵の動きが止まり、異変を感じ取っていた。

 新たに生まれて来るマリシャス・ミラージュさえも麻衣子たちに向かわずにその場に(かしず)くように静止する。

「何が起きたんですか……?」

「っ、麻衣子!」

 風美の声に反応して、彼女の視線の先へと目をやると、空に浮かぶ銀の門から一人の少女が降りて来る。

 金色の髪をなびかせ、地上へと羽毛のように緩やかに下降するその様は舞い降りた天使のようで麻衣子は思わず見惚れた。

 対して、風美にはその少女が死と絶望をもたらしに来た悪魔のように映る。

「ついに来たのね、マリス……」

「マリス……あれが」

 地面に降り立った少女の年頃は麻衣子たちと同じくらいに見えた。

 金髪碧眼の美しい姿の彼女は麻衣子たちを視界に収めると邪悪な笑みを浮かべる。

 虐げる強者が虐げられる弱者を見つけた時の眼差しだった。

「――っ」

 見つめられただけで体温が奪われるような、悪意ある瞳に麻衣子は思わず、身が竦む。

 風美の方は彼女とは逆に一刻も早く、マリスを殺そうと蛇腹状になったジャバウォックの尾を彼女目掛けて伸ばした。

 硬直と猛進。真逆に見える行動だが、それは対象への恐怖から来る行動だ。

 マリスは眼前に迫る巨大な蛇のような刃を見て、妖しげに目を細める。

「……っう」

 風美の中で恐怖が爆発的に広がるが、それでもジャバウォックの尾を伸ばし続けた。

「風美ちゃん。私に勝てると思ったの? 馬鹿なんだね」

 マリスから風美へ向かう対角線上の空間が歪んだ。蛇腹状の剣が粉々に砕け散り、剣を握っていた風美の身体が吹き飛ぶ。

「あ、ぐぁ……」

 地面から生える樹木の一つに背中を激しく打ち付けて、息と血液を吐き出した。

「風美さん!」

 硬直していた麻衣子がそこで竦みから開放され、風美の元へ駆け寄る。

 彼女の黒のゴシックドレスは引き裂かれて、そこから真っ赤な血を滴らせていた。

 一部始終を見ていたのにも関わらず何が起きたのか分からない麻衣子は戸惑う。

「風美さん、今、何が……」

「空間を揺らしたの。ここに存在するものは私の意のままに操れるからね」

 疑問に答えたのは風美ではなく、マリスの方だった。彼女はその言葉を実演するために指を一度鳴らした。

 突如、マリスの足元が競り上がり、塔のようなものが地面から生え出してくる。

 数十メートルはあるその塔の天辺で彼女はもう一度指を鳴らし、すぐ後ろに玉座を作り出した。

「この世界も夢の中と同じように私の思う通りのことができるの。だから、あなたたちが何をしようとも無駄なんだよ?」

「そんな……」

 マリスの言うことが本当なら、麻衣子たちに勝ち目はない。

 数や規模の以前に、この世のすべてを自在に操作できる相手に歯向かうなど自殺行為に等しい。

 心を砕く言葉に諦めが麻衣子の脳裏を過ぎる。

「麻衣子ちゃん!」

 そんな彼女の傍にヨーグッドが飛んで来る。

「久しぶりね、ヨーグッド」

 塔の頂上の玉座から見下ろすマリスは空間を操り、下に居る彼らにも自分の声を響かせた。

 その声を聞き、ヨーグッドはマリスへと敵意を籠めて視線を飛ばす。

「マリス……とうとうこの世界までやって来たヨグか」

「つれないこと言わないでよ。あなたと私は元々一つの存在だったんだよ。片割れに会えて嬉しいでしょ?」

 二人の会話に麻衣子が疑問を挟む。

「元は一つ? 片割れ? ……どういうことなんですか?」

「あれ、知らなかったの? ヨーグッドは人類の無意識善意の集合体。私と同じ人間の無意識から生まれた存在なんだよ」

 それに答えるマリスにヨーグッドは俯いて、肯定する。

「ごめんヨグ……今まで黙っていたけど、ボクとマリスはそれほど変わらない存在なんだヨグ」

 人間の無意識から生まれた存在。ある意味で神とも呼べるそれが二つに分かれたものが自分たちだとヨーグッドは告げた。

「本来、ボクとマリスは一つだったヨグ。でも、その割合の均衡が次第に崩れていったヨグ」

 決定的に分かれたのは百四十年前のことだった。無意識の悪意の総量が善意の総量を遥かに上回り、独自の意志を持って行動を始めた。

 それこそがマリス。人間の無意識の中である夢から現実に出るために自身の一部を人間へと転生させて、自分が這い出るための門を作ろうとした。

 その始まりが百四十年前の魔法少女マリスだった。

「ボクはマリスと違って、大きさが矮小なせいで少女の夢を現実世界に直接来ることができたヨグ。でも、魔法少女マリスを止める力がなかったヨグ」

 故に己が門として出た夢の持ち主である少女に協力してもらい、魔法少女マリスや銀の門になるマリシャス・ミラージュと戦ってもらう存在・魔法少女アリスを生み出した。

「魔法少女アリスは、魔法少女マリスの模倣なんだヨグ……」

 根本的な情報を今更になって話したヨーグッドに麻衣子は、彼の秘密主義ぶりと改めて理解した。

「本当に何も教えてくれてなかったんですね……」

「最初にすべて話したせいで、信用されなかったことが多かったヨグ」

 だからと言って、秘密にしていていい情報ではないと麻衣子は思ったものの、この場で言及したところで何の得にもならないことだったので、それについて触れるのを止めた。

 おずおずと申し訳なさそうに風美の傷の治療を始めるヨーグッドに麻衣子はそれ以上の文句を呑み込む。

 代わりに塔の上に鎮座するマリスへ問いをなげかけた。

「マリス、さんでいいですか? 何でこんなことをしたのか聞かせてもらってもいいですか?」

「こんなこと? 世界をマリシャス・ミラージュで埋め尽くしたことを言ってるの? それなら簡単だよ」

 人差し指を立て、嘲笑し、当たり前のように彼女は言う。

「壊したかったからに決まってるじゃない」

「……壊したかった?」

「私は人類の無意識悪意の集合体なのよ? それが破壊と混沌を望むのは自然なことでしょ」

 うっとりとした恍惚の表情で両手を広げて、演説するようにマリスは語り出す。

「壊れてしまえばいい。なくなってしまえばいい。消えてしまえばいい。死んでしまえばいい。あなただって一度は考えたことあるでしょ? 私はその夢を叶えてあげるだけ。私は人から生まれたものだもの。誰も願っていないことはしないわ」

 自分はただ滅びを望んだ人々の願いを叶えてあげるだけだとマリスは言う。

「これが人の望んだこと……? ふざけないでください!」

 麻衣子は否定する。

 例え、世界を嫌う人が居ても、この何もかも呑み込まれた異常な世界を望むものなど居るはずがない。

「少なくても、私は望みません! こんな誰も居ない世界なんて絶対、絶対望みません!」

 声高に叫ぶ麻衣子にマリスは気分を害したように、冷めた眼差しを彼女に向けた。

「そう。でもいいよ。あなたたちは私の世界に要らない。――最後の余興としてせいぜい苦しんで死になさい」

 悪夢の国の女王が先兵に命を下す。

 今まで微動だにせず、大人しく傅いていたマリシャス・ミラージュたちが麻衣子たちへと襲い掛かる。

 麻衣子と、ヨーグッドに治療を受けた風美は立ち上がり、襲い来る悪意の兵士を迎え討つ。

 二対無限。勝算などあるはずもなく、勝機など存在しない。

 世界に残された最後の希望はあまりに小さく、あまりに頼りなかった。

 マリスだけがそれを塔の上から眺め、艶然と微笑む。

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