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私は見た。

ある晴れた日のこと。

しがないおっさんである私は、左右を畑に挟まれた道路を一人歩いていた。


忙しさに追われている普段の生活では、車で早々に通り過ぎてしまうこの道。

それまで気にも留めなかったが、こうしてのんびり歩いてみると、作物の緑や黒い土の匂い、飛ぶ虫の姿やさえずる鳥の声にも、得もいわれぬ風情があることにあらためて気付かされる。


ふと、左の畑になにかがいたような気がして、私は立ち止まった。


……熊だ。


つやのある黒い毛に覆われ、見るからに元気の良さそうな、2メートルはあろうかという熊。

のっしのっしと歩きながら畑を物色しているその熊と、不意に視線が合った。


……これはマズいな。


しかし、熊は畑に目を戻して、土を掘り返したりしている。

この先、もうちょっと進めば、辺り一帯の畑の持ち主であろう大きな農家があったはず。

私は決断した。いまのうちにこっそり逃げ出すことを。


その私の横の畑を、またなにかが通り過ぎた。


……子熊だ。


まだ丸くて可愛い1メートルほどの子熊が、さっきの熊のあとを追って走っていった。


子連れの熊は子を守るため、とても神経質になると聞いた覚えがある。

もし怒らせたりしたら人間なんぞはまず助からんだろう、とも聞いた。


……ますますマズいな。


だが、不幸中の幸い。

ちら見すると、熊の親子ともども、どうやらこちらにまるで興味がないらしい。

いまがチャンスとばかりに、私は早歩きで農家を目指す。

一昔前に流行ったエクササイズウォーキングも真っ青なこのキレのある動き、ふくらはぎや太ももどころか、尻の筋肉まで攣りそうだ。

けれども、ひとつしかない生命いのちには変えられない。そうとも、尻ならふたつある。


農家まで、あと約100メートル。

安心した私は、ちょっとだけうしろを見る。


熊の親子が、立ち止まってこっちを見ていた。


冷や汗を振り切ってふたたび前を向き直した私は、早歩きをやめて小走りで進む。

先に視線をそらすのも、背を向けて走るのも、熊にはご法度だったが、いまさら思い出しても遅い。

どっどどっどと土を踏み鳴らす足音が、後ろから近付いて来ている気がしないでもないが、同時に、いま振り返ったら、腰が抜けてなにもかも終わってしまうような気もしてくる。


でも、向かった先の農家が、もしも留守だったらどうしよう。


身体は背後からの恐怖に、心は前面の不安に駆られながら、全力で走り出す私。


すると、幸いなことに農家の隣にある納屋から、おじいさんが出てきた。

私の危機に気付いたのか、おじいさんは身長の二倍もありそうな長い竹竿を手に掴む。


きっと、あの竹竿で熊を追いはらうんだな! すごいぞ、農家の知恵!


しかし、私の想像に反して、おじいさんは再び納屋へと引き返していく。

その直後、中から、あきらかに熊より大きい茶色いケモノが、猛スピードで飛び出した。

それは前方の道路を横切って、あっという間に向かいのとうもろこし畑へ入って姿を消す。

しなる竹竿を振り回しながら、それを追うおじいさん。

おじいさんに追われたそいつは、畑から反転して、またもや納屋へと飛び込んだ。


息を切らして走りながら、それでも私は考えた。

どっちにせよ、話の通じる相手に助けを求める以外ない。

おじいさんを追って、納屋の中に駆け込んだ。


急に現れた私に、驚いて振り向いたおじいさん。

そして、広いはずの納屋で窮屈そうにしているケモノを見た瞬間、私は叫んだ。


「猫ちゃん!」


そう、それはまぎれもなく猫。三毛とキジトラが混じった、おおむね茶色い普通の猫。

ただし、親熊の二倍以上というムチャクチャなスケールのデカさを除けばの話。

みつめる巨大猫の瞳に映った小さいおっさんの私は、真剣な顔でこう言った。


「猫ちゃん。あの熊、やっつけて」


そんな、しょうもない夢を見た。

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