47:カウント60
『Rey』のゴミ置き場から、ミサイルの部屋へもどったデンテールの前に、男の姿があった。
男は床が上昇してくるのを見ると、腰掛けていた大きな装置から立ち、腕を組んでデンテールを見た。
「グラソン。生きていたか」
男を見てデンテールが言う。
グラソンはボロボロになったデンテールの衣装を眺める。
「デンテール様、あの三人はどうしました?」
「“ゴミ箱”の中だ。少々手こずったが、な」
言って悪戯っぽく微笑む。
「……そうですか」
グラソンは眉を動かし、すました声で言う。
「ところで、セレーネはどうした?」
「あいつは消えました。城とともに」
爆発を表現するように手を閉じ、開く動きをするグラソン。デンテールは「そうか」と一言だけ言ってまた微笑する。
「もう少し使ってやりたかったが、これからのオレの計画に邪魔なだけだからな。窪井はどうだ? やつは連れてきたか?」
「いえ、自分から来たようです。桟橋でザコを片付けていたので、オレは島の裏に船を停めました」
デンテールはうなずいてミサイルのほうへ歩き出す。
その前にある操作盤のパネルにパスワードを入力し、スイッチを押すと、ミサイルが機械の力で持ち上がり、天井が左右に開いた。夕焼けの赤い空からこぼれる光が、クリーム色の髪と銀色の髪を美しく輝かせる。
「すべてはここから大きな一歩を踏み出す。まずはすべてのセルヴォを従え、人間世界のコンピューターを支配する」
ミサイル発射のための準備にかかる時間を、デンテールはゆっくりと楽しんでいた。
「ようやくですね」
「ああ、ようやくだ。ウィルスは増殖し、次々と感染する。この島の外にいるすべてがオレのしもべだ」
ミサイルは空中で炸裂し、ウィルスが地上へ降り注ぐ。ウィルスはセルヴォに感染し、増殖。風邪のウィルスのようにまた感染を繰り返す。すべてはデンテールのもくろみどおりに。
彼はこれまでにさまざまな生物、人を使って実験を繰り返した。このウィルスのもたらす効果に、九九,九パーセントの自信が彼にはある。
デンテールとグラソンは、ミサイルを見上げて同じような笑みを浮べていた。
――ガチャン
ミサイルの発射準備が完了した。
開いた天井から、空に向かって斜めにのびるミサイルを見上げる。
「さて、ぞくぞくしてくる。この瞬間がどれだけ待ち遠しかったことか」
デンテールはミサイルの発射スイッチに“小指”を置いた。
「小指一本から始まる『黙示録』だ」
――もう邪魔をする者は一人もいない。
カチッと、あまりに軽い音でスイッチは押された。
[カウントを開始します。ミサイル発射まで、六十秒]
機械的な女性の声が響く。
冷酷な天使のように、一切の感情はうかがえない。
[――五十秒]
デンテールの背に赤い半透明の翼が生えた。
「世界は終わり、そして生まれ変わる。――神の世界として」
ミサイルの先端よりも高く舞い上がり、これから終わりを告げる世界を眺めた。
デンテールはいつもこの時間にこの島で見る海が好きだった。この世界の何かを好きになる、というのは彼にとってはあまりにも少ないことだ。戦闘用としてつくり出された彼は、平和というものが嫌いだった。だがこの百八十度真っ赤に染まった海は、まるで戦いの中で表現される“血の海”そのものだ。実際の血の海を彼は見たことがないが、とくにそれを見たいとは思っていない。彼は殺戮をしたいわけではないのだ。
『血の海の中心に独りだけ立つ自分』というイメージは、これから実現する野望そのものを表しているように感じるからだ。すなわち『支配者』を。
デンテールは鼻で胸いっぱいに空気を吸い込み、喜びで震えながらゆっくりと吐き出した。
赤い翼が赤く染まった空と交わり、更に輝いている。
[――二十秒]
「……ん?」
デンテールは妙な気配に目線を下げた。
さっきまで立っていた部屋の床の一部―― “ゴミ箱”の昇降機がせり上がってくる。デンテールは操作していない。グラソンにもそんな素振りはなかった。それ以前に昇降機を下降させた覚えもないのだ。
一つ可能性があるとするなら、“ゴミ箱”の中からによる操作――
「……あいつら……」
デンテールは自分の大きな失態を嘆いた。
昇降機が停止し、床がもとにもどると、そこにはマハエ、ハルトキ、エンドーが立っていた。
「デンテール!!!」
三人が叫ぶ。
微塵も気迫は失われていない。それどころかそれは更に増しているようだ。
「なるほど、即死させなかったのは失敗だったな。仮死状態にあったわけか」
三人の塞がった胸をじっと見る。三人同じところにギザギザの線のような傷痕が残っている。
「しかし残念だったな。お目覚めが遅かったようだ。もはやミサイルは止められまい」
カウントが『十』をきり、機械の声が一秒ずつカウントダウンを始めた。
[――九、八、七、六……]
悪あがきの『魔力球』を放とうとするエンドーの腕を、グラソンが金属棒で払い落とす。そして棒を振り回し、三人をなぎ払った。
[――三、二、一]
カウントが終わった。
ミサイルを固定していたストッパーが外れ、炎が噴射する。あっという間に、ミサイルはデンテールの前を通過し、海の上を陸へ向かって突き進んでいった。
足の下からとどく嘆きの声も、彼にとってはもはや、あわれな小鹿の悲鳴でしかない。三人が生きていたことはそれほど大きな問題ではなかった。
彼が恐れていたのは、計画が破綻してしまうことだったから。
「あと二十秒。ポイントに到達したミサイルは炸裂し、ウィルスが散布される。世界の終わりが訪れるのだ」
デンテールの計画を止められなかった。
三人は激しい憤りを覚えていた。
彼らが生きていたのは奇跡だった。デンテールが心臓か頭を正確に貫いていれば、さすがに命はなかっただろう。生きていたからには自分達の役目を果たさなければならない。セルヴォ世界のため、そして何よりも自分達が育ってきた人間世界のために。
だがすでに遅かった。ミサイルは止めようがない。
「まだ間に合う……!!」
膝を立てるマハエをグラソンが棒を向けて制する。
「動くな。――無駄なことだ」
「どけぇ! グラソン!!」
マハエが足を突き出し、『衝撃』を放つ。グラソンは金属棒を前に構えて防ぎ、後ろへ跳んで威力を受け流した。
デンテールが言う。
「いくらでも足掻いてみろ。いまさら何をしようが歯車は止まりはしない」
「……無駄じゃない!」
デンテールを倒せば、少なくとも計画の第二歩は阻止できる。しかしもうこの世界は救えないだろう。
三人が好きになったこの世界は、本当の意味で死んでしまう。
「お前らにオレは倒せん。あと五秒だ」
デンテールがニヤリと笑った。
それでも三人は立ち上がる。
「ボクらがここへ来たのは自分で選んだことじゃない。けど、もうそんなことはどうだっていい。命に変えてでもお前を倒す!」
「無駄だと言ってるだろ」
グラソンが言う。
デンテールが耳のところに手をあてる。
「さあ、ミサイルがポイントに到達した。耳をすましてみろ、終わりの音が聞こえる――」
「…………」
「…………」
「…………」
――何も聞こえない。
聞こえるのは風の音と波の音だけ。
「……何だと?」
空で静止し、遠くを眺めていたデンテールは、予想外の事態に困惑した。
ミサイルはポイントに到達した。ミサイルは爆発こそしないものの、大量の黒雲を発生させるようになっている。黒雲が空に広がると、雨とともにウィルスが地上に降り注ぐしくみだ。
だがどれだけ遠くの空を見ても、それらしいものは見当たらない。何の変哲もない夕空。
――不発だった?―― いや、プログラムは完璧だった。何度もシミュレーションをした。
――燃料不足でポイント到達前に落下した?―― 燃料は満タンだった。燃料不足ならば発射前にエラーが出るはずだ。
――何者かがシステムを書き換えた?―― システムに侵入するにはパスワードが必要だ。パスワードを知っているのは自分自身とグラソンだけ――
そのとき、カウントダウンのときと同じ女性の声が響いた。
[ミサイルは目標到達寸前に降下。山中に落下しました。発雲装置、作動せず。ミサイル内のウィルスの死滅を確認]
「…………」
デンテールは無言のままグラソンを見下ろした。
グラソンはこの事態に何の反応も見せていない。デンテールに背中を見せ、三人のほうに体を向けたままだ。
「……グラソン……、貴様何をした?」
見下ろす目に殺気がこもる。
グラソンは金属棒を片手に持ち替え、トンと床を突いた。
そして静かに言う。
「……言ったでしょう、“無駄だ”と」