43:白銀のイカズチ
「(――なんで……)」
頭の中にあふれる疑問符が、重い激痛によってすべてかき消された。
マハエのわき腹に深々と刺さった爪は、がっちりと彼を捕らえ、その状態のまま、引きずるように翔け上る。誰にも邪魔をされない空高くで息の根を止めるつもりか。
キメラの爪をつたって滴り落ちる赤い水が、風に飛ばされ細かに散っていく。
「くぁぁ……」
口を開いても、言葉が出ない。死につながるほどの致命傷だ。
だが死に直面しても、その現実を理解できない自分がいる。あまりにも身近にあり、あまりにも未知な、死に対する恐怖が、それを理解させたくないと言っているようだ。
薄ら目で見下ろすマハエの目に、何もできないでいるハルトキとエンドーが小さく映った。
マハエはカギを握った手を横へ伸ばした。
このカギを二人へ届ける。彼が最期にやるべきこと。
宗萱、大林がそうしたように、彼もまた、道を開く一人になる。ただし、己の命と引き換えに。
手を開こうとしたそのとき、届かないはずの二人の声が耳元で聞こえた。
『もうあきらめるの?』
これはハルトキの声。
『お前はベストを尽くしたのか?』
これはエンドーの声。
『いいんですか? これで終わってしまって』
今度は宗萱の声。
「…………」
[あきらめてはダメですよ!]
現実の声がぼーっとした頭に響く。
ポケットの中の案内人だ。
マハエは鼻で深呼吸する。
「……わかった。できる限りのことをしないとな」
不思議と痛みも苦しみも消えていた。
「くおおおおおぉぉ……!」
マハエはキメラの腕を掴むと、腹に刺さった爪を引き抜いた。
キメラの額に頭突きやひじを叩き込む。
そのたびに腹から流れ落ちる血も気にせずに。
「降りろ……!」
傷の治癒に大量の魔力が使われているのか、放てるだけの力はないようだ。
「ああああああぁぁぁ!!!」
出せるだけの筋肉の力を振り絞り、拳を振り上げたとき――
ジャケットのポケットが光った。
「…………?」
中から蒼い光があふれ、まるで滝を逆流するように、ポケットから胸へ、そして振り上げた右腕へ移動する。
蒼い光は巻き付くように腕を包み、銀に色を変えとどまった。
キメラが吠え、マハエを振り落とす。ただならぬ身の危険を感じたのだ。すぐに翼を折り、下方へ逃げ出す。
「……そういうことか」
逃げていくキメラをギッとにらみ、銀色に燃える腕を放った。
腕から長い槍が伸び、キメラの背中に直撃する。
白銀の槍。白いイカズチが敵を衝破する。
「グァウゥッッ!!!」
「おおおおおおお!!!」
槍を押し付けながらキメラとともに落下するマハエ。ミシミシと頑丈な肉体に槍先がめり込む。
――ズズゥゥン!!!
屋上の石畳にキメラを叩きつけると同時に、槍がその胴を貫いた。
衝撃波で空気が揺れ、砂埃が舞い上がる。
――決着がついた。
間違いなく、先を見ずともわかる結果だった。
槍の形が薄らぎ、消えた後、マハエは床に着地し、仰向けに倒れた。
がれきにまみれ、完全に力尽きているキメラを視界の隅で見て、マハエはようやく安堵する。
「マハエ!」
「……やったぞ……」
膝をついて自分を見下ろすハルトキとエンドーに、にかっと笑ってカギを見せる。
「無茶しやがって……!」
エンドーがマハエを蹴る。
「ところで、さっきの槍は一体……」
マハエはポケットから青い石を取り出し、ハルトキに見せた。
それは城で見つけた石。ハルトキが閉じ込められていた檻にしかけてあった物だ。
どこかで役立つかもしれない、という宗萱の言葉は間違っていなかった。
「何なんだろうね、その石は」
「…………」
「おかげで助かったじゃん。それがなかったら、お前死んでただろ」
うなずくマハエ。宗萱には助けてもらうばかりだった彼であるが、まさかこんな形でも助けられるとは思いもしなかった。
「……でもま……、最終的に、デンテールをぶっ飛ばすっていう“意志”が勝ったわけだ……」
マハエはそう言うと、ハルトキにカギを渡す。
「すまん。手を貸してくれ」
だが二人は、伸ばされたマハエの腕を前にして、立ち上がった。
「キミは致命傷を負ってるんだよ。ここに居るべきだ」
「そうしろ」と、エンドーもうなずく。
たしかに、ここで独り怪我の回復を待って行動するという手もある。
マハエは、二人の気づかいに感謝し、言葉に甘えることにした。
「心配しなくてもいいよ、マハエ。キミの“イシ”、ボク達が引き継ぐから」
「ああ、お前の“イシ”、立派だった。後はオレ達に任せとけ」
「…………」
いつの間にか案内人もハルトキの手に。
[あなたの“イシ”。わたしも後世に伝えてゆきたいと思います]
「……キミ達……、その“イシ”っていう言葉が別の意味に聞こえてならんのだが……」
「永久にさらば、友よ!!」
――ダダッ!
「ぅおぉいぃ!!! “遺志”じゃない!!」
マハエは跳ね起き、走り去る二人を追った。
「――無茶するなよ」
ぜーぜー言うマハエをエンドーが支える。
「お前らの余計な演出で傷が開いたぜ……」
鉄扉を開き、下りの階段を歩く。
「まったく、からかいがいのあるやつだ」
エンドーがけらけらと笑う。
[あとはデンテールですか。それ以外の戦いがないことを願うばかりです]
「まったくだ」
同時にうなずく三人。
エンドーが小声で言う。
「デンテールが病死してました。っていうオチがあればなお良い」
「まったくだ」
同時に何度もうなずく二人。
デンテールをぶっ飛ばしたい。でもできることなら戦わずに終わらせたい。そう願わずにはいられないのであった。
階段の終点にあったドアは、赤い床の廊下につながっており、正面の壁には見たことのある派手な赤い扉が。屋上へ行く前の分岐点にあった扉らしい。
「あのライオンと戦わせるために、わざわざ遠回りさせたってか」
呆れたように首を振るマハエ。
そして廊下の先を見る。
反対側にある階下からの階段から、真っ直ぐ突き当たりにある扉。
「間違いなく、あの扉の向こうだな」
廊下の赤いじゅうたんを踏んで、マハエが言った。
「さぁて、行きますかぁ」
拳を固めるエンドーと、肩の準備運動をするハルトキ。
[終わらせましょう。まだ小さな争いのうちに]
案内人が言った。