38:堂々シカバネ
マハエ、ハルトキ、大林は最上テラスに敷かれた芝の上を歩き、グラソンが言っていた装置の部屋に続いていると思われるドアを見つけた。
大林は、自分も供をすると言い、一緒に行くことになった。
「ところでエンドーは? どうしてる?」
建物に入り、敵の気配がないことを確認すると、マハエが案内人に訊く。
[今、必死に泳いでいるでしょうね]
「泳いでる?」
[岸目指してがんばってますよ]
ぽかんとするマハエだが、案内人の言い方から、とくに危険な状態ではないことを感じ取る。
芝のテラスに増築されたような建物は、大きさのわりに中には何もない。
本来は四角形の部屋だろうが、無駄に壁で隔ててあり、軽く迷路だ。だが、ただそれだけなので、目的の部屋はすぐに見つけられた。
建物の奥の隅にあったドアを開けると、怪しげな機械―― テレポート装置があった。
「これが、テレポート装置か?」
「みたいだね」
「王ってやつは……。いったいどれほどの技術を持っているんだ?」
大林はデンテールの飛行船の話にも、マハエが持っていた無線機にも驚いた顔をしていた。技術が進んでいないこの世界のもともとの住人にとっては、この城のあらゆるものが驚きなのだ。
大林の疑問に、二人は答えることができない。
[行きましょう]
そんな二人に助け舟を出すように、案内人が言った。
――最初にハルトキ。次に大林がテレポートする。
一度に一人ずつしかテレポートできないようで、一人がプレートに吸い込まれると、それから数秒間待たなければならないようだ。
大林の数秒後、最後のマハエがテレポートした。
――強い光に包まれ、光の空間を移動する。
光が消え、足が地面をとらえると、バランスを崩して床に手をついた。
「うぇ…… 気持ち悪ぅ……」
目を閉じてくらくらする頭を落ち着かせる。
「テレポートしたんだよね?」
先に到着していたハルトキが、すでに立ち上がってさっきまでとは明らかに違う建物の中を見回していた。
薄暗くて狭く、装置以外の物は何もない。壁は厚いレンガだ。
頭が正常に戻ると、三人は一つだけあるドアを開けた。
「――ああ……、ここは……」
日の光と海鳥の声、塩の香りが小屋の中に流れ込んだ。
マハエは短く笑った。
「よかった。手間がはぶけた」
そこは、マハエが対SAAPに拉致されたあの港町の、赤い屋根の小屋だったのだ。
そのときは昼前だった。今は日が傾き、おやつの時間も過ぎ、夕暮れも近い時分だ。
「マハエ、キミが言う心当たりっていうのは?」
「ああ、この港町には一度来たんだけど、そのときに海の沖のほうに妙な島を見つけたんだ」
“壊れた案内人”がマハエを展望台へ誘導し、そのとき沖のほうに島を確認した。そのことを聞かされたハルトキと大林はそれぞれ頷いて、ハルトキが言った。
「価値アリ。だね」
調べてみる価値はある。しかし問題は――
ハルトキは大林を見た。
「わかった。オレに任せろ」
できる限り協力したいという思いで二人に付いてきた大林。島へ渡るには船が必要なのだが、自由に使える船なんてない。
「船を借りる交渉をしてくる」
港に出て大林は言うと、港に何人か居る漁師のもとへ行った。
「――きれいな海だね」
大林を待つ二人は、並んで広い海を眺めた。
「この世界に悪人がいるなんていうのが信じられないよ」
ハルトキが言う。
「どの世界にも、クソッタレはいるもんさ。……でもオレは、やっぱこの世界が壊れるのは見たくない」
「ボクだってそうだよ」
ハルトキはマハエを見て笑い、再び海へ目をやった。
「デンテール……。何を企んでいるんだろうね?」
――話をする二人から少し離れた桟橋の先に、一人の少女が居た。
彼女の趣味は風景画。
今日もいつもの場所でパレットを手にしている。
今はスケッチブックに水彩だが、いつかは油絵にも挑戦したいと夢見ている。
使用する色は青。青い海と青い空。そしてその境界線上にぽつんとある黒い島。
一年前ほど前に突然現れた謎の島。町の人々には『黒鬼の島』と呼ばれ、死者が住む、鬼が住むなどと恐れられている。
しかし彼女はそうは思わなかった。死者や鬼が住むなど馬鹿らしい話で、少なくとも彼女はその謎多き島に魅了された。
「よしっ」
少女は筆を置く。
三日かけて海と空を完成させた。あとは真ん中にメインである小さな島を入れ、仕上げるだけ。
黒と白の絵の具を取り出すため、足元のバッグに手を伸ばした。
――彼女は手を止めた。
「…………」
何かいる。そう感じた。
海の中に、何かがいる。
バッグに伸ばした手を引っ込め、桟橋から水中を覗き込んだ。
――コポコポ……
いくつもの空気の塊が浮き上がった。
もっとよく見ようと、四つん這いになって顔を近づける。
泡が消えて数秒後――
「――――っ!!!」
少女は固まった。
水中から人の顔が浮き上がってくる。
目を閉じ、口を大きく開け、水面に浮かび上がってくる男の顔。短髪の、痩せた少年の顔――
きっと海に捨てられた死体が浮き上がってきたんだ。そう思い、早く誰かに知らせなければと思うが、体が動かなかった。
「いや……、いや……」
少年の顔がとうとう水面に現れた。そして―― 目を見開いた。
「(いやああああぁぁぁ!!!)」
少年の死体は、「うああぁううぅぅ……」とうなりながら桟橋に手を伸ばす。
思い切り叫びたい少女だが、あまりの恐怖に声が出なかった。混乱する頭の中に町の人達の噂がよぎった。
生きた死体。亡霊だ。亡霊に違いない。きっと“あの島”から流れてきたんだ。少女は震える手でスケッチブックを抱きしめ、尻をついたまま、力のない足でどうにか逃げようと努力する。
少年の死体が桟橋に手をかけ、這い上がってくる。
「うぅうううぅぅぅうぅぅ……」
少女はもう、身動きが取れなかった。
死体が上半身を桟橋に乗せた。そして少女に向かって這いずってくる。死体が身につけている黒いジャケットと真っ赤なズボンから、水が染み出し、桟橋を濡らす。
彼女の中で、もはや噂は疑いようのないものとなった。
蘇った死体は生きている人の肉を食らうと、昔聞いた話を思い出していた。
「いや……、やめて……。こ、こないで……」
少女は涙を流し、懇願した。
死体がよろよろと立ち上がる。
ベチャッ、ベチャッと音を立てて更に少女に迫り―― 少女の横を通り過ぎていった。
「…………」
少女には何が起こったのかわからなかった。周りの音も何も聞こえなくなっていた。
――マハエは、桟橋のほうからよろよろと歩いてくる人物に手を振った。
「おおー、エンドーじゃーん!」
「ううぅぅぅ……」
うなるエンドーは、全身びしょ濡れでかなり衰弱している。(桟橋の上で、少女がヒステリックに笑いながらスケッチブックを破り捨てていた)
エンドーは二人の前まで来ると、ベシャン!とうつ伏せに倒れた。
「……大丈夫か?」
マハエが声をかける。
「……そう見えます?」
「どうしちゃったの?」
ハルトキの質問に、エンドーはうつ伏せのまま答える。
「いやぁ……、デンテールの、なんともシュールな罠に引っかかってしまってねぇ……」
[至極古典的な罠です]
案内人の即座の付け足しを、エンドーは無視する。
「あー……、あの野郎ムカツク!!!」
エンドーが仰向けになって叫ぶ。
「まあ、そうだな。デンテールの野郎、いつも卑怯な手を――」
「なんであんなに、かっこよくなってんだよぉ!!!」
「そっちか!!」
二人が突っ込む。
「秘訣が知りたい!!!」
数秒前までの衰弱ぶりはもう見られない。子供がダダをこねるように、手足をばたつかせている。
「まあまあ、エンドー君。落ち着きなさい」
マハエがなだめ、エンドーは「フーッ!」と腹から怒りを吐き出した。
「それで、デンテールの向かった場所は?」
ハルトキがエンドーを助け起こす。
「おうよ、ここから北へ向かっていたから、その先にある島だな」
「やっぱりあの島で間違いないな」
マハエは自慢げにうなずいた。
「どうやって行くんだ?」
エンドーが二人に質問したとき、大林の呼ぶ声が聞こえた。
「おーい! こっちだ!」
一隻の船のところで、大林が手を振っている。
いくつも桟橋が並び、いくつも船がある中の一つ。小さな漁船の横に、大林と、漁師と見られる中年のおじさんが立っていた。
「この人が船を貸してくれるらしい。急ぐのなら早く出発しよう」
おじさんの手には、金貨が入った袋が乗っかっている。貸賃を払うということで交渉したのだろう。
大林は船の上で帆を張り、出航の準備をしている。
「聞いた話では――」
三人が漁船に乗り込んだのを見て、大林は話し始める。
「あの島は『黒鬼の島』と言われていて、約一年前に突然現れたらしい。数々の噂があるが、どれも良いものではない」
面白がって近づいた者がいて、島の周りを囲むように奇怪な潮流が発生していたという。その流れは激しく、近づきすぎると沈められるほどらしい。
「まあ、あの島へ行くなんて、船の持ち主には言ってないけどな。そう言えば貸してくれはしないだろうから」
碇を上げると、準備は完了。船はゆっくりと前進し始めた。
「黒鬼の島……。ははは……、鬼よりも恐ろしいものが住んでそうだな」
マハエが苦笑すると、ハルトキ、エンドーもそうした。
港から離れていく漁船。決着をつけるその場所へと三人と大林を運んでいく。
鬼よりも、悪魔よりも恐ろしい、王のもとへと。