34:忠実と裏切り
『なぜ“デンテール様”の城にお前がいる?』
KEN 窪井は言った。デンテール“様”と。
その言葉が意味することは一つだけ。
「あんたも……、デンテールの手下だったのか……」
少し驚いた風に眉をしかめながら、窪井はすべてを悟ったようだった。
「そうか……、まさかお前が噂の、デンテール様の“敵”だったとはなぁ……」
「クックック……」と笑い、「クッハッハッハ!」と声を上げて笑い始める。
「とんだ偶然もあったものだ。そうか、デンテール様の敵は、大林ともつながっていたのか。こいつはとんだ脅威だ!」
大林とハルトキは、前日に初めて会った。窪井は勘違いをしているようだが、それを否定する余裕はハルトキにはない。
「まあいいさ。両方始末すればいいだけのこと。お前らの始末はオレの部下達に任せよう。おい! 仕事ができた! こっちへ来い!」
階段に向かって叫ぶ。すると、数人の影が階段を上り現れた。
紫色に染められた短髪。ニュートリア・ベネッヘに所属する不良達だ。――が、
ドサッドサッ……
先に出てきていた二人の不良が床に倒れた。続いてまた一人、その上に投げ飛ばされるように重なり倒れる。
「……なんだと?」
コツコツと、またホールへ上ってくる人影が。場の空気が一変する。
「やっと見つけたぞ。窪井」
窪井と同じくらいの背丈の男。朱色の髪をオールバックにし、灰色のローブを羽織っている。
『田島弘之』のリーダー、大林だ。
「大林さん!?」
ハルトキの声に、大林はニッコリと笑う。
「よお、ハル。また会ったな」
「また会ったな。って……。なぜここへ?」
「ボス! 階下の制圧、完了しまし―― ア、アニキ!?」
階段を駆け上がってきたリーゼントの不良―― 裸の上半身にさらしを巻いた不良がハルトキを見つけて驚きの声を出した。
「あ、どうも」
同じ髪型で統一されているせいで、外見での区別は困難だが、声で彼が田島弘之の幹部、青島一斉だと気付く。
「ヨッくん……、妙なお友達をつくってしまって……。しかも、アニキって……」
ハルトキの横で、不良が苦手なマハエが涙を流している。
「ちっ……、大林、こんなところまでつけてきやがったのか」
「こっちはな、お前が大人しくポリに捕まっているわけがないと見越して、見張っていたんだ。案の定、脱獄したお前を、ついでだから本拠を突き止めてやろうと後をつけてきた。驚いたぜ。まさか、この城にたどり着くとはな」
そう言い、ハルトキを見る。
大林は、ハルトキがこの城を目指していることを聞いて知っていた。彼の安否を気にかけていたのだろう。
「田島弘之は、後で潰すつもりだったが、予定が早まったな。全員、今ここで葬ってやる」
上着を脱ぎ捨てる窪井。
下にはすでに、伸縮性のレスリングコスチュームが装着されている。
「見よ! このすばらしい力を!!!」
ミシミシミシ……
窪井の身体が、音を立てて変形していく。全身真っ赤に染まり、筋肉が恐ろしいスピードで発達する。
首、腕、胸、腹、足―― 顔の筋肉、指の一本一本まで。
「また、この気持ち悪い筋肉を……」
ハルトキは口を押さえた。
始めて見るマハエは、その変貌ぶりにただただ唖然とする。
十秒後には、もはや人とは思えないほどのゴリラ体型に。レスリングコスチュームも悲鳴を上げるように、ぴっちりと張り付いている。
「じ、実はかなりの筋肉質だったのか……」
マハエの、やっと絞り出した言葉がそれだ。
「窪井……」
大林は拳を固めた。
「ボス……、窪井のやろう、いったい……」
「さあな。悪魔にでも身を売ったか……」
「クハハハァ!!! 蹴散らしてやる!!!」
始まった戦いから少し離れた場所にある廊下。
遠くで騒ぐ低い声と、別の数人の声が、静まった城内の通路を伝ってくる。
「窪井が到着したか」
その廊下にこだまするのは騒ぐ者達の声だけではない。一人の人物の足音も、一定の間隔を置いて反響する。
ホールから階段を一つ下りたグラソンは、ガラスのない窓が並ぶ廊下を後戻りしていた。
床か壁を破壊する音が時折聞こえる。窪井の力任せの拳は、爆破するまでもなく城を破壊するのではないかと思わせる。
「(そういえば、窪井を連れ出しておけとも言われていたな)」
デンテールからの面倒くさい言いつけを思い出し、後頭部をかく。
だが、それを無視して城を爆破したとしても、窪井は生き延びるだろう。そうでなくとも、あの筋肉男の戦いには巻き込まれたくなかった。
冷たい風が銀色の長髪を揺らす。
「(……ああ、あと一つ。面倒くさいやつがいた)」
殺気をまじらせた視線を背中に受けながら、グラソンはもう一度、後頭部をかいた。
「――どういうつもり?」
その女の声は、視線以上に殺気が含まれていた。
グラソンは後ろを見ずにその声に答える。
「何のことだ? セレーネ」
「ふざけないで」
セレーネの顔は無表情ながらも、怒りに満ちている。
「どういうつもり? あの方の命令を無視するなんて……。それどころか、あの二人を逃がそうとするなんて」
「……お前は忠実すぎるな」
「あなたはあの方の意思ではなく、自分の目的のためだけに動いている気がするわ」
「…………」
窓から入った風が、二人の髪をなでた。
「ここは寒いな」
グラソンは再び歩き出す。
「待ちなさい! あの方に逆らうお前を野放しにはできない!」
「デンテールの目的を達成させるためか?」
“様”を付けずに“あの方”を呼び捨てにしたことに、セレーネの頬がぴくりと動く。
「そうよ」
「くだらんな……」
セレーネの身体が動く。数歩で攻撃の射程範囲まで詰めると、袖から飛び出た細いクナイを手に、グラソンの後頭部を狙う。
ここでグラソンは初めて振り向くと、身を傾け攻撃をかわし、彼女の手首を掴んだ。
そのまま腕を引っぱり、鼻と鼻が当たる寸前まで顔を近づける。
「オレは、“あの方”が何を企んでいようと、何をしようと興味はない。オレは誰にも従わない」
「――っ!?」
セレーネの腕が凍った。
ピキピキと、氷が手首から肩まで這い上る。
「なに……? これ……」
セレーネを壁に押し付けると、壁も凍り、彼女を拘束するように氷の手かせと足かせが形成された。
四肢を壁に張りつけられ、反撃は不可能となる。
「なに? この力は?」
セレーネの顔に、恐怖と困惑の表情が浮かぶ。グラソンは彼女のそんな表情を見るのは初めてで、彼自身も驚いた顔をする。
「“人”らしい顔もするじゃないか」
「これを外しなさい!」
「悪いが、今はそれはできない。しばらくすれば外れるさ。その前にこの城とともに消滅するか?」
「…………」
「お前は普通の“人”にすぎない。どんなに戦闘能力に優れていようと、ただのボディーガードだ。お前は“あの方”の目的を知っているか? 何か知らされているか?」
「…………」
知らない。でも関係ない。彼女の顔はそう語っている。
「あわれだな。お前はただの道具としか見られていないというのに」
「……わたしはただ、あの方を守るだけよ。あの方のそばで、あの方の目的のために身を削るだけ。それでいいのよ! “新人”のあなたに何がわかるって言うの!?」
「……たしかに、お前はオレよりも以前から“あの方”に仕えていた。なぜだ? 命を救われた恩があるからか?」
「……そうよ」
グラソンは溜め息をつき、もう一度言った。
「あわれだな」
そして、セレーネの顔面に手を向ける。
顔を凍らせ、息の根を止められる。彼女はそれを覚悟し、目を閉じた。
水が急速に凍るのと同じ音がし、少ししてグラソンの手が顔から離れた。
「…………」
セレーネは目を開ける。
彼女はまだ息をし、こうやって目を開けることができる。何が起こったのかわからないという顔で、去っていくグラソンの後ろ姿を見ていた。
「もう少し女らしくしろ」
「…………」
彼女の頭には、氷でできた大きな“リボン”が乗っかっていた。
「城は爆破しないでおいてやる」
奥のドアが開いて閉まった。
グラソンが居なくなり、セレーネは一人、風が吹き込む廊下で凍える寒さに耐えていた。
ホールから聞こえていた音も、いくらか静かになっていた。