33:神の手下
短い階段を一つ上ると、さっきまでの部屋から響く音は届かなくなった。
「…………」
無言のマハエに、ハルトキは話しかけることも出来ない。
彼がどれほどの間、宗萱とともに行動したのかハルトキは知らない。だが、その心の痛みは嫌というほど伝わってくるのであった。
「大丈夫だ」
マハエがつぶやく。自分に言い聞かせるように。
その様子に、ハルトキも胸をなでおろす。
親友が心に傷を負ったままでは、無事に自分達の世界に帰ったとしてもあまりにも後味が悪すぎる。
励ますように思い切りマハエの背中を叩く。
「ぐはっ! 口から心臓が飛び出る!」
苦笑しながら、マハエは窓から外を見た。二人が歩く廊下には、ガラスのない穴だけの窓がいくつもあり、時々そよ風が吹き込んでくる。
「ん? ヨッくんあれ見ろ」
「なんだい?」
二人が見ている空。そこに灰色の巨大な物体が浮いていた。それは城から遠ざかるように消えていく。
「デンテールだ」
くそっ!とマハエは壁を叩いた。
デンテールの乗った巨大な飛行船。それはマハエ達をあざ笑うかのように、もはや手の届かない遠くまで逃げていた。
「あいつは、何でも思い通りに造ったり、消したりできるんだったな……」
この世界には似つかわしくないほど高度な技術。城のコンピューターも、すべてデンテールがつくったものだろう。もしかすればこの城も。
彼はこの世界はもともと存在したと言った。ますます、デンテールという“神”の存在がわからなくなる。
この世界に伝わる創造神“ペオーラ”。もしも存在していたとすれば、このデンテールの所業を許すだろうか? ――そんなことを考え、マハエは顔を上げた。
「オレ達のこの魔力って、神が授けたものなのかもしれないな……。デンテールを倒せって」
「……真面目にそんなこと考えてたの?」
「大真面目だ」
「まあ、それも重要かもしれないけど、今はどうやってデンテールを追おうかとか、考えない?」
すでにデンテールは空の彼方。腕がゴムになたって届きそうにない。
「……神様、オレ達に翼をください」
「(……いつものマハエだ)」
十分後――
二人は広いホールにたどり着いた。
やたら冷え冷えと感じるのは、空間が広くなったせいだけではないだろう。壁や床が石張りであるせいもあるだろうが、このホールが位置しているのはおそらく城の最上階か、それに近い。考えもなしにこの場所へ来た二人はそれを知り、焦った。
「おいおい……、城って、爆破されるんだよな?」
「あー……、うん」
「本当なら、一階を目指さないといけないんだよな?」
「あー……、うん」
「どうやって脱出する?」
「んあー……」
確実にもどるには、来た道をもどり、宗萱達がいる部屋からエレベーターへ行かなければならない。デンテールがもうこの城にいない今、上階を目指す理由はないのだ。
しかし爆破といっても、部屋を出るときの四回の爆発以来、爆音は聞こえてこない。グラソンが宗萱に手こずっている間は大規模な爆破はできないのだろう。
ホールには、計三つの道がある。一つは二人が入ってきた扉、あとの二つはホールの奥にあり、階下への階段と、その横のもう一つの扉。
その扉はどこへ続いているのかわからないが、一階へ向かうのなら階段を選ぶ。
「階段から下へ行こう」
ハルトキが言い、マハエが返事をする。
「ああ」
「――いや、奥の扉へ行け」
同時に別の声が、二人の後ろから聞こえた。
慌てて振り返る二人の目に、信じたくない人物が映った。
「そんな……」
――グラソン!
ハルトキよりも少し背の高いグラソン。彼は二人を見下ろし、そこに立っていた。それも一人で。
宗萱はどうした? マハエはそう訊きたかったが、恐くてできなかった。宗萱は無事なはずだ。きっと対SAAPにその場を任せてここへ来たのだ。そう言い聞かせた。
――ここへ来た? 何のために?
「あの扉から出、少し行くとテレポート装置が設置してある部屋に着く」
「……テレポート装置?」
「ま、信じないのなら勝手にしろ」
それだけ伝え、何もせず出て行こうとする。
「まて! あんたは何がしたい!? なぜオレらにそんなこと!」
「……“本物の”彼に訊いてみな。偽者はシャットダウンした」
「は? ――って、待て!」
バタン。手を伸ばすマハエの目の前で、扉は閉まった。
「……何が言いたかったんだ?」
突然現れ、あっけなく去ったグラソン。その真意は、二人にはわからなかった。
ピーガガガガガ……
マハエのジャケットのポケットが微妙に振動した。それは中に入っている、無線機がノイズを発したためだ。すぐにそれを取り出し、耳を向けた。
[ガガガ―― マ…… さん……]
どこかで聞いたことのある声。
ガガ、と鳴って、プツンと途切れる音の後に、はっきりとした声が発せられた。
[マハエさん、吉野さん。無事ですか?]
二人はその声に驚きながら、何とも言えない喜びがあふれるのを感じた。
「案内人!!」
同時に無線機に向かって叫ぶ。
前みたいなクリアな音声ではないものの、その声は間違いなく案内人だった。
[すいません。もう少し声のボリュームを抑えてください]
「なんでこんなとこに? やっぱ変だなお前」
喜びで泣きそうになりながら、マハエは言った。
「案内人……! 案内人だよね!?」
「デンテール様とか言わないよな!?」
[デンテール様がどうしました?]
「…………」
「…………」
場が静まり返る。
[冗談です。わたしは本物ですよ]
「……だよな? で、なんでそんなとこにいるわけ?」
[事情は後で説明します。とにかく、今は彼―― グラソンの言うとおりに行動しましょう]
「あの男の言うこと、信用できるの?」
ハルトキが不審な顔で尋ねる。
[……とりあえず、今はあなた達を殺すようなことはしなさそうです]
「……今はって……」
[とにかく、城から出ましょう]
そう促す案内人だが、マハエは、
「待って、宗萱が……」
宗萱の生存を信じたい。だが、案内人は諭すように言った。
[彼は―― ……彼は強い方なのでしょう? 安心してください。きっと生き延びます]
「…………」
案内人にも完璧な根拠があるわけではない。あの様子からすると、彼はおそらく―― だが、今ここで希望を打ち消すことは案内人にもできなかった。
「……そうだな、出よう。とにかく、お前がそんな状態になった理由とか、後でちゃんと説明しろよ!」
[はい]
グラソンの指示どおり、階段横の扉から行くことに決めた。
案内人の言った、今はグラソンはマハエ達を殺しはしない、という言葉を信じて。
たしかに、全員殺すつもりなら城を丸ごと爆破するという手もあったはずだ。しかしそうはしなかったばかりか、わざわざここへ来て道を教えた。ここでも二人まとめて殺すという選択もあったはずなのだ。彼は二人をまだ殺すつもりはない。それはデンテールの命令を無視していることになる。
「どんな目的があって?」そう口に出そうとしたマハエは、ハルトキが立ち止まるのを見てとっさに言葉を呑み込んだ。
「誰か来る」
ハルトキが言う。
ほんの六メートル先の階段から、人の足音が響いてくる。
コツ…… コツ……
ためらいのない足取りから、向こうはまだ二人の気配に気付いてはいないようだ。
数歩下がり、二人は足音が上がってくるのを待った。
コツ…… コツ……
ようやく影が見え、一瞬後に真っ青な頭がのぞいた。顔を下に向け「やれやれ」とぼやきながら、その人物は最後の段を踏んだ。
「まいるぜ。――ったく」
背の高い男だ。
男はようやく、先に居た者達の気配に顔を上げた。
青い髪を持ち上げた男の顔は、マハエの知る者ではなかった。だが、ハルトキはその見覚えのある顔に目を見開いて息を呑んだ。男のほうも、ハルトキを見て同じような顔をする。
「お前は……」
男が先に言葉を出し、同じような言葉を出そうとして出遅れたハルトキは言う機会を逃した。
KEN 窪井―― 不良集団『ニュートリア・ベネッヘ』のリーダーだ。つい前日に顔を合わせたばかりで、お互い忘れるわけもない。それどころか、激しい争いまでした。何ヶ月経っても忘れることはないだろう。
だが窪井はハルトキと大林に敗れ、警察に引き渡されたはずだ。なぜこの場にこの男が居るのか、ハルトキは疑問で頭がいっぱいになった。懸賞金まで懸けられていたのだ。当然、一日二日で釈放などされるわけもない。
ということは、つまり“脱獄”したのだ。
「なぜお前がここにいる?」
窪井は見開いていた目を鋭い眼差しに変え、ハルトキを見た。
「それはこっちが訊きたい。なぜあんたが……」
ハルトキを良く知るマハエでも、ここまで低い声を出す彼を見ることは滅多にない。この二人の間に、“知り合い”ではすまされないような何かがあったのだろうと察した。
「なぜ“デンテール様”の城にお前がいる?」
思いがけないその言葉に、ハルトキは息を呑んで沈黙した。