32:倒すべき敵
部屋の中央にマントの男。
その部屋は前の部屋よりも広いわりに、それ以上にこざっぱりしている。三人と反対側の壁に、不自然に設けられた椅子。そしてその横に立っているのは、グラソンだ。
「できれば、もう少し遅い到着のほうが都合が良かったのだが」
マントの男が言う。
「そう簡単に、思い通りにはさせない」
鉄棒をマントの男へ向けるマハエ。ハルトキも『田島弘之』から受け取ったダガーを構える。ただ一人、宗萱は動かずに、じっとグラソンへ注意を向けていた。
「なかなかやるではないか。相変わらずだな」
「なんだと?」
マントの男が言った“相変わらず”という言葉に、マハエとハルトキは疑問を持った。
「何者?」
ハルトキのその言葉に、マントの男は振り向き、笑った。
そしてマントに手をかけると、バッと傍らへ投げ捨てた。
あらわになった顔。クリーム色の髪、白い肌。若い美男子のようだ。
「……誰だ?」
見覚えのないその顔に対し、マハエにはそう言うしかなかった。
ハルトキも宗萱も、誰だかわからないという表情。
「おっと、お前ら二人には、こっちのほうが馴染みがあるか?」
マハエ、ハルトキにそう言う男の顔が、少しずつ変化していく。
美しい顔にしわができ、全体がしなびていく。目も陥没し、その顔はまるでゾンビ――
「……デンテール……」
マハエ、ハルトキは同時につぶやいた。
「……誰です?」
宗萱の疑問も、二人には聞こえていない。
「なんでてめぇ……」
「ふふふ。驚いたか?」
久しぶりに見るその顔、二度と見たくなかったその顔が、再び二人の前に。
「死んでなかったのかよ……!」
「……すべてはセルヴォのおかげさ。ただのプログラムだったオレが、完璧な知性を得ることができた」
あの最悪な“神”が、生きていた。
三人が力を合わせ、苦戦の末、やっとの思いで倒した神、デンテール。
今にも脱力してしまいそうな二人と、何がなにやらわからず、困惑する宗萱。
「オレはあのとき、お前らに敗れ、一時の死を見た。だが、オレの中の何かが、オレを蘇らせたのだ」
デンテールの顔が、ゾンビ顔から美形顔にもどった。
「悪かったなぁ。さっきまで、完全にこの姿に馴染んでいなかったんで、マントを着用させてもらっていた」
「…………」
沈黙する二人と宗萱。彼は話の基が見えてこないので、黙って話を聞いている。
「この世界は、あんたが造ったのか?」
ハルトキが大きな疑問を口にする。
「それは違うな。この世界はもともと存在していた。オレが知らない、ずっと前からだ。今まで、誰も気付かなかっただけだ」
それを聞いたハルトキは、ある一つの仮説に到達した。
「コンピューターに異常を与えていたのは、セルヴォそのものではなくて―― あんただったんだね?」
デンテールが両手を横へ広げ、嬉しそうに言う。
「すばらしい力だ。ただのプログラムだったオレがだ! まさに“王”となるにふさわしい力を手に入れた! ふふふふふ……、その通りだ。すべてはお前らをおびき寄せるためにオレが仕組んだ」
「なぜオレ達にこだわる!? あのとき負けたのがそんなに悔しかったのか!?」
マハエは憎しみと、怒りを込めて言った。
もしそうだとしたら、この世界での戦いは、まったく馬鹿馬鹿しいものだったこととなる。
「……ふふ。それについては、こいつにでも訊け。今のオレには、それを説明する時間も惜しい」
そして、信じられない言葉を放った。
それはまるで、マハエ達がそうするように――
「出て来い! “案内人”!」
デンテールが案内人を呼び出した。
「お呼びですか? “デンテール様”」
その声は、この世界へ再び連れてこられた三人に、悪魔を思わせた案内人の声。だが、今彼らにとって悪魔以上の存在は他でもない、デンテールなのだ。
案内人は仲間の一人だ。
この世界を知り、セルヴォを知り、仲間というものを深く知った。
「……案内人……?」
二人は自分の耳を疑いたくなった。
『デンテール“様”』――それは、この最悪な神への忠義を表していた。
「悪いが、案内人はすでにこちらが乗っ取った」
「…………」
マハエには思い当たる節があった。
「あのとき、港町で調子が悪いって言っていた……。それからか……」
「くっ……」
悔しさで歯を食いしばるハルトキ。
あれほど迷惑だと思っていた案内人だが、今は敵に奪われ、利用されてしまっている。悔しいのはマハエだって同じだ。案内人の言うこと一つ一つに腹を立てたが、まぎれもない仲間だった。こんなやつ居なくなってしまえばいいと思うこともあったが、それは一種の“ひねくれ”でもあったのだ。
「許さねぇ……。てめぇ、二度と蘇れないように叩き潰してやる……!」
ピリピリと魔力が騒ぐ。
だがデンテールは、
「残念だ。できれば、オレが自らお前らを葬ってやりたい。だが、今は危険を冒すわけにはいかないからな」
三人に背を向けると、デンテールは壁際の椅子へ移動する。
「お前らはもう、ここまでだ。グラソン、こいつらの始末は任せた。城もろとも爆破しろ」
「かしこまりました。デンテール様」
椅子に座るデンテール。椅子からは四本の鎖が上へ伸びており、真上の天井に開いた穴へと続いている。
「どこへ行く!?」
「知る必要はない」
デンテールが冷たく言い放つ。
プロペラが回るような轟音が聞こえてくる。この上に、何かが待機しているようだ。
「だいたい話が見えてきました。敵は逃がしません!」
宗萱が刀を構え、床を蹴る。
瞬息に移動する宗萱を、グラソンが捉えた。組み立てた灰色の金属棒で、刀を叩き落そうとする。
「とことん邪魔をするつもりのようですね」
「…………」
刀背を押さえるグラソンと、それに抵抗し、金属棒を切断しようとする宗萱。押し合ったままにらみ合う。
宗萱は刀を反転させ、刃を上に向ける。そのまま金属棒ごとグラソンを斬ろうとするが、とっさにそれをかわしたグラソンが逆に蹴りをかます。
デンテールが椅子ごと鎖に引っ張られ上昇し、天井の穴へ消える。
「まてぇ!」
衝撃弾を放つマハエ。
グラソンの頭上を抜けた衝撃の塊。だが狙いを外し、デンテールには当たらなかった。
「……直接戦えたなら、どれほど楽しいものか。そっちの黒服も、妙な技を使う」
――部屋全体の空間がゆがむ。
「ふふふふふ……。残念だ」
デンテールの姿はもうない。
――代わりに歪んだ空間が、黒い色を帯びていく。そして、形を成していく。
「これは厄介ですね……」
グラソンから離れ、二人の前で刀を構える宗萱。
オオオオオオオオオォォォォォォォ……
大量の対SAAPが出現し、一箇所に固まる三人を取り囲んだ。――二十体はいる。
「こいつら……、公園で見た死神……」
「こいつら……、ボクを水路に落としたドクロ……」
「元SAAPのメンバーです」
対SAAPの大軍の中で、自若としているのはグラソンだけだ。ポケットに手を入れ、自分側の圧倒的な有利を楽しんでいるかのようだ。この数を相手に三人だけというのは、分が悪すぎる。
さすがの宗萱も、額に汗を浮べている。
――ドォン!
どこかで爆発が起こった。
「城を爆破しろ」とデンテールが言っていたのを思い出し、更に焦る三人。
再び二度、どこかで爆発が起こり、四度目の爆発はすぐ近くで―― その瞬間、部屋全体が振動した。
爆発したのは、この部屋の壁。コンクリートの粉塵や煙のもやがかかった壁には、直径一メートルほどの孔が穿たれた。それはうまい具合に、別の部屋、もしくは廊下に通じているようだった。
「わたしが道をつくります。あなた達はあの孔から抜け、デンテールを追ってください。ここに居ては皆殺しです」
「馬鹿なことを言わないでください。あなたを置いて行けるわけない」
宗萱の提案を、マハエは否定する。
「行ってください。あなた達までここで無駄死にすることはありません。――任務を思い出してください!」
「…………」
「マハエ……」
細く開いた宗萱の眼には、固い決心の色が宿っていた。揺らぐことのない精神、自らの犠牲の先にある希望を――
じっとその眼を見つめてからマハエは言った。
「行くぞ、ヨッくん」
「……うん」
もう一度宗萱の眼を見つめ返し、永遠の別れを覚悟する。
互いの思いは通じた。
それまで三人の決心を待っていたかのように、対SAAPがいっせいに動き出した。
「“元”わたしの部下だからといって、容赦はしませんよ! ――はぁっ!」
宗萱は邪魔な何体かの対SAAPを蹴散らし、道をつくる。
「さあ、早く!」
上方からのグラソンの一撃を刀で受け止め、彼は最後に言った。
「忘れないでください。戦う者の意志を」
激しい戦場と化した室内。戦う一つの“意志”。
唇を噛みしめ、マハエとハルトキは振り返ることなく孔を抜けた。
「死ぬな、宗萱……!」
厚い壁一つ向こうで、強い意志を宿した雄叫びが激戦の音の中に消えていった。