09:夕暮れの戦い
西の河原――
川の水が、夕陽に輝きながら流れゆく。
「何の用だ? ニュートリア・ベネッヘ―― KEN 窪井!」
西日に照らされる大林の顔は、じっと―― 目前に立つ男に向けられていた。
瞬きもせず、ただ、明らかに“敵”を見つめる目――
「何の用か…… だって?」
フン! と鼻を鳴らす男―― KEN 窪井。
背の高さは、大林とほぼ同じ。真っ青な髪の毛が風にそよいでいる。
大林の後ろには、リーゼントの不良が九人。窪井の後ろには、短髪を紫色に染めた不良が十五人。『田島弘之』と同じく、統一された髪型と服装だ。
「ふざけるなよ、大林。よくそんなことが言える」
「何のことだ?」
「ハッ! これだよ、まったく」
窪井は呆れたように舌打ちし、後ろの不良達に指示を出した。
「やっちまえ」
それぞれが武器を構える。
「ニュートリア・ベネッヘなんぞに、負けるわきゃねぇ!」
大林組も武器を構え、意気込む。
――吹き抜けた冷たい風。それを合図に、互いの勢力がぶつかり合った。
武器と武器、拳と拳が激しくぶつかり合う。
「ふはははは……」
「――まて!」
戦いのさなか抜け出す窪井を、大林は見逃さなかった。
周りに居た三人の窪井組を、一瞬でなぎ倒す大林。
「何のつもりだ、窪井!」
笑いながらその場を離れる窪井を、大林は追った。
「――やってますねぇ……」
しばらくして、小さな孔を抜けてきたハルトキ。
地下通路の分かれ道の一つは、河原に続いていた。
その河原で巻き起こっている、激しい戦い。
ハルトキは、少しだけ恐怖を感じていた。こんな大勢の争いを見るのは初めてなのだ。
武器をはじかれ、無防備の状態で抵抗する大林組。
人数では明らかに、窪井組のほうが優勢だ。
だが、その中に大林はいない。
ハルトキは、目をこらして大林を探した。
――乱闘を抜けた向こう側。皆と離れた場所にいる。
近くに別の男がいるが、闘っている様子ではない。
「ぐぁっ……!」
大林組の不良が一人倒された。『田島コロシアム』で、ハルトキと闘った『ソウシ』だ。
「くっそぉ……」
立とうにも、もはや力の残っていないソウシ。
ハルトキはソウシに近づくと、その手元にあった『メイス』を拾い上げた。
「あ…… あんたは……」
かすれ声のソウシが、うつ伏せの状態でハルトキを見上げた。
「駄目だ…… 一般人がニュートリア・ベネッヘと関わっては……」
「…………」
ソウシの言葉を無視し、ハルトキは大林の元へ向かった。
「いくらあんたでも…… ボスと窪井の闘いに巻き込まれちゃ…… 死ぬぜ……」
ソウシの消えそうな声は、ハルトキには聞こえていなかった。
この戦いは、ハルトキには無関係ではなくなっていた。
大林を助けたい。自分でもよくわからない感情が、ハルトキの中で渦をまいていた。
「――もう逃がさない」
大林と窪井のにらみ合い。
不良達の戦いの声は、だんだんと小さくなっていく。
どちらが勝っていて、どちらが負けているのか、それを確認する余裕は、今の大林にはない。
『田島弘之』の連中が『ニュートリア・ベネッヘ』に負けるはずがない。大林はそう信じた。
「逃がさないって? ハハハ! わざわざ二人だけで闘える場所までみちびいてやったというのに」
窪井の自信満々の顔。
「ふ……。それはありがたいね」
大林もそれに負けていない。
――ガッ!
なんの前ぶれもなく、突然繰り出された窪井の素早い蹴り。
右から、左から―― そしてかかと落とし。
それらの技をすべて繰り出すのに、二秒とかからない。
だが、大林も平然とした顔で右からの蹴りを右腕で弾き、左からの蹴りをしゃがんでかわす。そこに叩き込まれたかかと落としを、後ろへ転がって回避した。
不良達の殴り合いなどとは格段にレベルが違う、超ハイレベルな闘いだ。
――攻撃の流れは変わらない。コンマ五秒もおかず、窪井の低姿勢からの蹴り。
大林は、それをジャンプで避けると同時に、空中で回し蹴りを放った。
――低姿勢のまま、窪井はそれを回避できない。大林の攻撃は、窪井の側頭部を打った。
通常ならば、一撃でノックアウトできる威力だが、窪井の場合は違った。
大林は、足に伝わった感覚に違和感を感じ、すばやく攻撃を中止し、後方へ退避した。
「窪井…… お前……」
大林は、窪井の首筋を見ていた。
足に伝わった感覚は、人を蹴った感覚ではなかった。
窪井の首筋は、赤く変色し―― 首の筋が、まるで極限まで鍛えられたように、盛り上っている。
赤くなっているのは、大林の蹴りの効果ではないだろう。窪井の肉体に明らかな変化が起こったのだ。
窪井が立ち上がると、盛り上った筋は徐々に元にもどり、赤くなった部分の色ももどった。
「どうした、大林。少しも効いてないぞ?」
「てめぇ…… 何なんだ?」
呆気にとられる大林。窪井にとっては、まさに攻撃のチャンス。
すばやく移動し、間合いを詰める窪井。
大林はぎりぎりで反応し、上から迫る窪井のパンチをなんとか回避した。
だが、大林はここでも違和感―― まるでゾウの足が目の前に落ちたような、重い空気の動きを感じた。
――ガズン!
窪井の拳が地面を割った。
小石が敷き詰められた地面に、窪井の拳がめり込み、弾かれた小石が弾丸のように飛び散る。
大林には、その光景が信じられなかった。微妙に攻撃がかすった、大林の頬が切れ、血が流れる。
まさにゾウの如く重い拳。急所に直撃していたら命はなかっただろう。
「窪井…… 何しやがった……?」
赤く変色し、石のようにがっちりと硬そうな窪井の拳。腕はどのようになっているのか、服の袖が長いのでわからない。
「無駄さ、大林。いくらお前でも、今のオレには勝てない。たとえ、お前のところの連中が、束になってかかってきても、オレを倒すことはできない」
大林は口を開けなかった。窪井の言葉は、けっして大げさなものではない。と、大林にはわかった。
「(こいつは…… ヤバイかもしれない)」
窪井の脅威。
大林の本能が、警告を発していた。
大林は、今まで数え切れないほどの敵と戦ってきた。そして、生き残ってきた。
しかし、今、目の前にいる化け物は、踏み越えてきたそれらとは比べ物にならない。
「――ぐふっ……!」
戦っていた窪井組の不良が倒れた。
何かが近づく気配に、大林は目を向けた。
「ハルトキ……!」
背後から襲い来る窪井組の不良を、ハルトキは『動体視』を使い、軽々と避け、腹にメイスの一撃をぶち込む。
ドサッ……
大林は初めて知った。
大林組と窪井組。圧倒的に、大林組は劣勢だった。ほとんどの不良が倒れている中、残っているのは窪井組の連中だけ。
窪井と大林に近づくハルトキを、残った窪井組が阻止しようとし、倒されていく。
「なんだ、あいつは……? お前のとこの新入りか?」
窪井が大林に訊く。
「……ハルトキ! 来るな!」
大林の言葉に、ハルトキは従わない。二人のそばまで来ると、足を止め、窪井を見据えた。
「加勢します。大林さん」
「バカを言うな。お前の戦い方は見た。お前が持っているのは、ずば抜けた動体視力だけで、実戦経験はゼロに等しいはずだ!」
その通りだ。大林は『田島コロシアム』でハルトキの闘いを一度見ただけで、彼の戦闘能力を細かく分析していたのだ。
「でも、今はあなたが不利な状況だということは、ボクにもわかります」
大林は、ゴクリとつばを呑んだ。
ハルトキの、“何か”を感じ取ったのだ。
キィーン……
ハルトキの眼が銀色に光った。
窪井が突然うなり、硬直する。
「少ない戦力くらいには、なるつもりです」
ハルトキを睨みつけたまま声も出せないでいる窪井の様子に、大林は得体の知れない恐怖を感じた。
「――お前、何者なんだ?」