96/エルフの王とオルシジームギルド
オルシジームの中心に建つ大樹の塔。そこは森林国家の中枢である。
街を守護する戦士の詰め所があり、行政を担う内政官が働き、王が座す場所。人間でいうところの城だ。
「――さて」
しわがれた声音で、呟く。
声の主は白い老人であった。
肩にかかる髪も、細くシワの目立つ四肢も、纏う衣服すらも、抜けるような白。その姿は、雪で装飾された冬の枝葉めいている。生命力こそ無いものの、儚い美しさがあった。
そんな中、唯一瞳だけは蒼く。砂塵舞う大地で見つけた水源の如く吸い込まれそうになる。
名をクレス・オルシジーム――エルフの国、森林国家オルシジームの王だ。
彼の前で、一人の騎士が跪いている。
禿頭の騎士、アルストロメリア騎士団長ゲイリー・Q・サザンだ。武器と甲冑を側に使えるエルフの戦士に預け、礼服を纏っている。
クレスは既に彼の――いいや、女王国アルストロメリアの要望を聞いていた。
即ち、大陸を荒らす転移者と戦うために兵力が欲しいのだ、と。
「まず最初に言っておこう。兵は貸せない――が、別にこれはドラフ……いや、ドワーフの王が言ったような意味でもない」
勇者が導き建国したアルストロメリア。勇者の血族たる王族が、なぜ何もしないのか?
別に、そんなことはどうでもいいのだ。人間はエルフと比べ世代交代が早く、新たな技術を貪欲に取り入れる――しかし半端に安定を求め腐敗していくモノだと知っている。
初めて大陸の覇者となった武装帝国アキレギアの時代から、それら打ち倒した魔法王国トリリアム、そして現在の女王国アルストロメリア。箱が変わっても、人間の営みは変わらない。
別段、それを蔑んでいるワケでも、疎んじているワケでもない。人間とはそうやって淀み――その淀みを打ち破る新たな時代を創造するエネルギーを持つ種族だと思っているからだ。
ゆえに、手助け出来る範囲で手助けするのはやぶさかではない――が。
「オルシジームは人間の言うところの要塞だ。ストック大森林は奥に行けば行くほどモンスターが溢れ、迷い込んだ者の平衡感覚を狂わせる。それでも森を突破するような者が居れば、草木が教えてくれるのだ」
森を突っ切るということは、モンスターだらけの迷宮を突っ切るのと同じだ――俺はここに居るぞ、と叫びながら。
そのため、森の中を突っ切って攻めこむのは悪手であり、メリットがない。木々と対話できるエルフの神官が居る以上は奇襲は不可能だし、森が密集することを阻み、モンスターが戦力を削るからだ。
結果、オルシジームを襲う者はアースリュームと繋がる街道に沿って行くしかないのだ。
「だが、君たち人間も知っての通り、エルフとは虚弱な生き物だ。神官になれる者、魔法使いになれる者は多いが、しかし戦士として戦える者は多くない」
「だというのに兵を貸し与えれば、『彼ら』に襲われた時に対処が出来ない――ということですか」
「そうだ。我々は長命であるからな。娘たちは、人間が言うところの良い『違法奴隷』となるだろう」
実際、昔そうやって連れ去られた者が居た。
それはアキレギアの時代だったか、トリリアムの時代だったか――どちらにしろ、当時はただ『奴隷』と呼ばれており、違法も合法も無かった。
だからこそ、クレスは良く知っている。人間にとってエルフがどれだけの商品価値を持つのかを。
「彼らが――転移者と名乗る者たちが本当に大陸を制覇する気であれば、違法奴隷として重宝するのはドワーフよりも我々エルフであろう。
なにせ、寿命が違う。人間の寿命からすれば、我々の老化速度など誤差だ。欲望に目を血走らせた者が、その者の視点で永遠に若い娘を手にすれば――どうなるかなど、考えるまでもない」
無論、連合軍が負けたらエルフの戦士のみで対処することなど出来ないだろう。
だが今、戦士を減らしてしまえば――『大陸を制覇する前に奴隷を確保しておこう』という輩に襲われても対処できなくなる。
「だが、霊樹の剣を持たない若者なら、勧誘しても構わない――現状、この国は鉄剣使いを戦士として認める法がないのだ」
ドワーフから齎された白刃――鉄の剣。
それは、霊樹の剣のように手に入れるための条件がなく、金さえ払えば入手出来るモノ。
――それを持ったエルフを、エルフの戦士と認めるべきか否か。
その議論がまだ終わっていないのだ。
霊樹の剣や弓を入手出来た者は、最低限戦士としての資質――才能や技量を満たしていること――を示せるのだが、鉄剣にはそれがない。鉄剣を持った『戦士』なのか、ただ鉄剣を持っているだけなのか、公の場で区別する法がないのだ。
無論、それではまずい、とは思っている。
伝統と今の兼ね合いを考えながら、新たなシステムを構築しようとはしている。
しかし――元より、エルフは長寿であり、変化の少ない生き方をしてきた種族なのだ。
ドワーフに新しいモノを齎され急速に発展したものの、国全体が、法を作るエルフたちが発展のペースに追いつけていない。
「若者にとって、我のような年老いたエルフは大層な鈍間に見えるらしくてな。我々が動くのを待ってはいられぬ、と若者は人間のシステムを真似『ギルド』という組織を立ち上げている。そこのエルフたちなら、君たちに手を貸すだろう」
それは、若いエルフと成熟したエルフとでは価値観が違うから。
ドワーフと出会う前に成人したエルフと、ドワーフとの交流が始まってから生まれたエルフ――同じエルフであるが、時間の捉え方が違うのだ。
多くの成人のエルフは若者に対し「せっかちで落ち着きがない」とボヤいているし、
多くの若者のエルフは成人に対し「頭が固く、やること成すこと遅い」と悪態を吐いている。
――頭の痛い話だ。クレスは内心で大きくため息を吐いた。
どちらかに偏れば片方から不満が出るし、かといって中庸を選んでも両者の不満が無くなるワケではない。
伝統ばかり重視するワケにもいかないが、しかし現状国を動かしているのは伝統で育った成人のエルフたちだ。
若者に合わせた速度で国全体を改革しても、改革した仕組みを上手く動かすことが出来ないのは目に見えている。
「ただ、一つだけ条件を付け加える――志願した者と模擬戦をし、痕が残らない程度に痛めつけて欲しいのだ。刃で斬るか、打撃で骨をへし折るかはそちらのやり方に任せる……ああ、なに。別に若者を嫌っているわけではないよ」
ただ、エルフは若者や成人を問わず、知識だけで理解した気になる者が多いのだ。
魔法や学問なら机上の議論を繰り返し賢者になったつもりになり、武術などなら鍛錬を続けただけで自分が歴戦の勇士だと思い込んでしまう。
なまじ寿命が長い分、練習に何十年と時間を費やすことができ、真剣にやっていれば技量も上がる。それ自体は良いのだが、エルフという種族は実戦、実践を軽視しがちだ。
内政要因ならば失敗を糧に経験を詰めるだろうし、街を守る戦士であれば安全圏から徐々に慣らしていくこともできるだろう。
だが、今回の場合そうやって慣らすことは出来ない。
実戦の中で傷ついた時、我を忘れてしまうような者を戦地に送り出すワケにはいかないのだ。同族が無駄死するのは避けたいし、それで他の者たちの足を引っ張るワケにはいかない。
「傷つき、痛みを知ってなお志願する者で、かつ君たちの足手まといにならぬ技量を持った者を連れて行って欲しいのだ」
「承知しました。感謝いたします、エルフの王」
◇
クレスとの対談を終え、預けていた装備を身にまとった後。ゲイリーは中央大樹――エルフで言うところの城から退出し、ギルドに向けて歩き出した。
かしゃん、かしゃん、という金属質の足音を聞き、エルフの子供たちが何事かと言うように木々の影から覗き込んでいる。
恐る恐る、という少年少女の視線に対し柔らかい笑みを向けた。他種族の街で騎士が問題を起こすワケにはいかない、というのもあるが、やはり子供に怖がられるのは悲しい。
幸い、その想いは子どもたちに届いたようで、こちらに向けて元気に手を振ってくれた。こちらもそれに応じ、小さく手を振ると子どもたちは嬉しそうに微笑み、そのまま家路に向けて駆け出した。
「……あれでボクより年上ばかりだって言うんだからな。分かってはいるけど、種族差を感じるな」
エルフの寿命は人間の約十倍だという。
人間のゲイリーの目からすれば九歳から十二歳くらいに見える少年少女たちも、実際は全員九十以上歳を重ねているわけだ。
新たなシステムの構築に難儀するのも致し方無いことなのだろうな、と思う。
人間でさえ、歳を重ねれば新しい何かにチャレンジすることは難しくなる。人間の倍以上の寿命を持つエルフなら、既存の枠組みを変えるだけで一苦労なのだろう。魔王大戦という劇薬がなければ、ドワーフと交流することなく単一種族で森の中で暮らしていたことだろう。
「さて、ここだね」
足を止め、目の前の建物に視線を向ける。
そこはオルシジームでは珍しい石造りの建物であった。形は人間の都市にある家屋に似通っているが、所々素人臭さが見える。
プロの大工が造った建物ではあるまい、恐らく若いエルフが人間やドワーフの技術を真似て造ったのだろう。
入り口のドアには『オルシジームギルド』という文字が刻まれている。ここが目的地であり、エルフの若者が集う場所だ。
「失礼するよ」
ノックをした後、扉を開く。
内部はどうやら酒場をイメージしているのであろう。カウンターの奥では若いエルフの少女がグラスを磨いており、テーブルでは武装したエルフたちが談笑している。
全体的に冒険者が集う酒場に近いが、しかしどことなく演劇用のセットにも似た作り物臭さを感じる。恐らく、『ギルドとはこういうものだ』という考えありきでこういう内装にしたからなのだろう。
「は――そんな甲冑纏ってくるなんざ、とんでもねえハリキリボーイも居たものだな」
周囲を観察しているゲイリーに声をかける者が居た。
人間でいえば十五歳くらいの少年のエルフ。細身な体に革と金属の鎧を纏った彼は、腰に差した鉄剣を抜き、ぺろりと刀身を舐める。
「ひひ――ここはお前みたいな若造が来る場所じゃねえぜ、帰ってママのミルクでも飲みな」
「――――」
――思わず言葉に詰まったのは、彼の言葉に恐怖したからでも、怒りを覚えたからでもない。あまりにも使い古されたセリフだったからである。
というか、目の前の若者のエルフ――彼の瞳は凄くキラキラしている。やってやった、やってやったぞ、という彼の心の声が聞こえてきそうだ。
「……新人を試す冒険者の真似事かな?」
冒険者の宿や酒場などで、時折そういうことをする冒険者は居るらしい。
目的は新人潰しのためだったり、実力を測るためだったり、見込みのない新人を追い返すためだったりと様々だが――どれにしろ、あんなに瞳を輝かせてやるものではないはずだ。
「あ? 分かる? いやー、ギルドにいる冒険者ならこれやらないと嘘だろ! しかし凄いなこれ、自分が大物っぽく感じられてすげぇ興奮するぞ!」
「そうか、うん――もう少しノッてあげるべきだったかな?」
「いや、なんか用があってここに来たんだろ? あんま遊びに付き合わせるのもあれだしな――おいマスター! 人間の戦士が来たぜー!」
「そのような大声を出さずとも聞こえているよ――迷惑をかけたね。彼らは大体あんな感じだけれど、根は悪い奴らじゃないから邪険にしないでもらえると嬉しいな」
声の主は、艶やかなブロンドヘアーを短めに切り揃えた少女だった。
緑を基調とした上着にショートパンツ、ふともも辺りまでを覆うブーツを履いた彼女は頬を掻きながら困ったように微笑んでいる。
「ああ、もちろんさ。ボクも堅苦しいエルフよりも、こちらの方が話しやすくて助かる」
「ありがとう。話があるんだろう? 立ちっぱなしもなんだし、とりあえず座りなよ」
「ああ、分かっ――」
カウンターの席にゲイリーが座った。
瞬間、すい、とグラスが滑りこむように手元に飛び込んできた――それも一つや2つではない。十個近くのグラスが、左右から勢い良く、である。
「うわ、と、と、と……!?」
グラスとグラスが衝突しないよう移動させ、投げ方が悪かったのかひっくり返ろうとするモノや大暴投し空中を疾走するグラスを掴み取る。
幸い、グラスが砕けグラスの中身が撒き散らされることは回避した。ふう、とゲイリーは安堵の息を吐く。
「あちらとあちらとあちら、それとそっちとそっち、あと向こうに居るお客様からです――ねえ、あんたたちさ。やりたかったのは分かるけど、我先にってやるのは止めて欲しいんだけど。前それやってグラスが全部観光の人間に命中してたよね?」
一人一人指差すマスターの少女は、大きくため息を吐いた。本当になにやってんだこいつら、と半眼で皆を睨んでいる。
「仕方ねえじゃん! 俺、前の時やりそこねたんだから!」
「人間が座るまでスタンバってました」
「同じく」
「……そもそも、いくつかのグラスに中身が入っていないんだけど、これはボクの気のせいかな?」
というか、中身の入ったグラスの方が少ない。
途中でこぼれたのか、と思ったが違う。グラスはついさっきまで中身が入っていたとは思えないほど乾いているからだ。
「何言ってんだ、こぼしたら怒られるだろ? 最初から空のグラスでやれば安全に『あちらのお客様からです』が出来るって寸法だ!」
「天才かお前」
「その発想はなかったぜ」
「うん、無かったというか、必要なかったと思うけどね、ボクは」
苦笑しながら数少ない中身の入ったグラスを傾ける。
中に注がれていたのは赤ワイン、若者向けなのかやや甘めで飲みやすい味わいだ。
ゲイリーとしてはもっと渋みの強い方が好みではあるのだが、さすがエルフの国というべきか、人間の街で飲めるワインよりもずっと味わい深い。
「名乗るのが遅れたね、ボクはゲイリー。アルストロメリアの騎士――いや、人間の街を守る戦士の長だ」
騎士、と言われてもピンと来ていない者がいたため、言い方を変える。
ゲイリーの言葉に対する反応は様々で、大仰に驚く者もいれば、納得したように静かに頷く者、「え? あれ? 俺って長レベルの人にママのミルク飲んどけ、とかやっちゃったの? ま、まずくね?」と体を震わせる者も居た。
(……最後の子には、気にしてない、って言ってあげないとね)
ただ、自重は覚えるようには言っておくべきだろう。ここのエルフたちは溢れる若さに身を任せ過ぎている。
「ボクたちは転移者が占領した街を奪還すべく、西に向けて行軍しているところだ。だが、彼らは一度、僕ら人間の先遣隊を全滅させている。
そのため、人間だけでは不安でね、他種族の力を借りたいと想いアースリュームを経て、ここオルシジームに来たんだ。
だが、オルシジームを守る戦士たちはここから離れられない。だから、君たちに頼みたいんだ。
もし、志願してくれるのなら――翌日以降、この広場に来てほしい。実力を試した後、正式に君たちを雇いたいんだ」
懐から地図を取り出し、丸を描く。そこは騎士団が馬車や荷物などを置くために借り受けた広場だ。
スペースは十分にあるため、模擬戦をするには丁度いい。
伝えるべきことを伝えると、彼らは体を震わせ――喝采した。
「っしゃあ! こっから俺のレジェンドが始まるワケか――すげえ、新時代の幕開けだぞ!」
「俺らの剣の腕を示す機会ってわけだな。燃えてきたな……!」
「剣と、弓と……調整してこねぇと……悪い俺もう家帰るな!」
「人間の街のギルドに行って冒険者になるつもりだったが、向こうから来てくれた上にこんなデカイ仕事くれるとは思わなかったぜ!」
「ほら、あんたたち、あんまり騒がないの。それで店のモノ壊したら、また床と足を矢で縫い付けるからね」
はしゃぐ若いエルフたちを微笑ましく思いながら、しかしそれと同じくらいに冷めた感情が胸の中に存在していた。
(さて――やる気になってくれているのは嬉しいけど)
この中で、一体何人残るのか、甚だ疑問であった。
悪い者たちではない、それは会話していて良く分かった。
体も鍛えられているようで、鉄製の武具で修練をしているのは確かなのだろう。
だが、彼らが腰にさした武器を見れば、実戦などやったことないのが一目で理解できる。鍛錬で何度も使ったのだろう、新品に比べだいぶ古ぼけ、傷んではいる――だが、モンスターなどを切り捨てたようには見えないのだ。




