95/コマ遊び
「うううぅぅぅ……うううぅぅぅぅううううう!」
宿に荷物を置いた瞬間から、連翹は呻いていた。苦痛に喘ぐように、耐えるように。
別に腹が痛いワケではない、健康体そのものだ。
だが、体はともかく、心が痛いのだ。痛みの名はきっと違和感痛とか幻想崩壊痛とか、きっとそんな名前だろう。
「納得いかないぃぃぃいいい! エルフってもっと綺麗で神秘的でキラキラしてるものでしょおおおぉぉぉぉ!」
「レンちゃん、ねえレンちゃん。ショックなのかもしれないけど、従業員のエルフさんに聞かれたら失礼だから、もっと小さな声で……ね?」
ベッドに座りながら苦笑するノーラに視線を向けた。
荷物を置いた彼女の膝には、カルナと共に翻訳している本がある。連翹が呻いている間、それを読んで暇を潰していたのだろう。
(うん、まあ……ノーラの言葉も、まあよく理解出来るんだけどね)
日本人である連翹も、外国から来た人間に「日本人なのに着物着てない!」なんて言われたら「何時の時代の話をしてんだこのヤンキー! ごーほーむ! ごーほーむ!」と言ってやりたくなるだろう。
いやまあ、実際は言えないだろうけど。
アメリカ人なのかどうかは知らないけれど、外人とか日本人に比べて背が高くて凄く怖そうだし。今の連翹ならともかく、昔の連翹だったら内心で悪態吐く暇もなく恐怖と緊張で愛想笑いしか出来なくなっていただろう。
「うん……分かってるんだけどね? 迷惑だろうってことも、幻想持ち過ぎてたってことも……でも、綺麗なエルフにドキドキしたかったのよぉ!」
「まあ、気持ちは少し分かるんですけどね……わたしも丸々太ったエルフにはビックリしましたし」
エルフって細いイメージがありましたから、と困ったように笑う。
しかし、そういったイメージがなければ、エルフが太るのは至極当然のことなのだ。
森の中で暮らし、野菜や果物を中心に、時々小動物や川魚などを食べて来た彼ら。
カロリーが多くない食物を食べ、それでも長寿に進化したエルフという種族は、とても燃費が良いのだろうと思う。実際、昔は連翹やノーラの想像の中のような細く、靭やかなエルフのみだったのだろうと思う。
だが、ドワーフと仲良くなり、平和な時代が訪れたことで――彼らの食文化が流れ込んできたのだ。
肉をたっぷり食い、酒をたらふく飲む――小柄ながらも強大な力を持つドワーフ。
その体を維持するための高カロリーな食文化が、そっくりそのままエルフに分け与えられたわけだ。
それも、大戦が終わり、ドワーフと交易を始めて国全体が豊かになったタイミングで。
――そりゃあ太るわい、と連翹ですら思う。
だがまあ、エルフを責めるのは酷だろう。そもそも、彼らは小食で、かつ燃費の良い種族だ。
少し味を楽しむだけで食事は終わり、凶作で作物が取れずとも子供と母親にさえ食事を集中すれば問題なかった――だって、多少食事を抜いたところで生きていけたのだから。
だからこそ、エルフは気付かない。沢山食べたら太る、なんて当たり前の事実に。
そも、肥満などというモノにエルフは何百、いや、もしかしたら何千年も無縁だったのだから。知識としては知っているエルフは居たかもしれないが、種族として実感を抱けなかったのだろう。
ちらりと窓の外に視線を向けると、ランニングしている小太りなエルフの姿が見えた。ダイエット中なんですね、わかります。わかるけど、わたしゃこんなエルフなんぞ見とうなかった。ワガママだというのは分かるけど、もっと神秘的な部分を見せて欲しいと思う。
「レンちゃん、せっかくだから宿の外に出ませんか? まだカルナさんが言っていた時間には早いですけど、せっかく知らない街に来たんですから。ベッドで寝転んでるだけなんて勿体無いですよ」
「……うん、それもそうね。せっかく綺麗な街並みなのに、ぐだぐだしてて観光しそびれたら後悔しそう……よ、っと」
ベッドから降り、伸びを一つ。
微笑むノーラと共に、螺旋階段を降り地上へ向かう。
(こういう時、文明の利器が恋しくなるわね……)
転移者の肉体は階段の登り降りで疲れはしない。
だが、エレベーターとかエスカレーターとか、その手の移動手段を知っているために、階段でゆっくり降りることが地味に苦痛なのだ。
内心で「階段の隣にある円形の吹き抜け辺りにエレベーターとか造ってくれないかしら」と、自分でも無理難題だと思うことをぼやきながら外に出る。
すると、出迎える深緑の世界。
まるで人の手が加わっていない森の奥深くの世界に思えるが、しかし大通りを舗装する石畳や建ち並ぶ木造建築が人の営みが存在することを明確に告げていた。
少し視線を動かせば、物珍しそうに辺りを見渡しながら歩く人間に、自宅に帰る途中であろうエルフの親子、木材を馬車に積みアースリュームに行こうとする商人のドワーフ――様々な者たちが時にゆっくりと、時に忙しなく動き回っている。
深い森の中でありつつ、しかし大規模な街。
連翹にとっては矛盾の塊であり、しかしエルフにとっては至極当然な現実。それが森林国家オルシジームなのだ。
「最初に来た時も思ったけど、凄いっていうのを通り越して、『本当に街なの?』って思っちゃうわね」
ドワーフの国、アースリュームはまだ理解出来たのだ。
だって、しょせん地下であり、家屋だってエルフ風の住居を除けば石や土で造られたモノばかりだったのだから。
石造りの家屋などは構造の違いはあれど人間の街にもあるし、地下に大規模な空間があるというのは、地下鉄に乗ったことのある現代日本人としてはそう驚くことではない。
だが、ビルのように高く太い大樹の内部に空間を造り、住居とするというのは見たことがない。正直、中身あんなに抉って木が枯れないのかな、と思ってしまう。
お上りさんのように上を辺りを見渡している連翹に、ノーラは仕方ないと言うように頷いた。
「凄いですよね。人間が同じことやろうとしても、絶対に上手くいきませんから」
「そうなの? エルフに出来るなら、人間やドワーフだってやり方さえ学べばできるんじゃないの?」
「神官の奇跡の違いがあるんですよ。もちろん、その力を授けて頂く前からエルフは森で暮らしていたのでしょうけど、その力があるからこそ今の発展があるんです」
ノーラは語る。エルフの神官は、草花や木々の声を聞けるのだと。
それを利用し、森と共存して生きてきたのだというのだ。
「草木の声、ねえ……正直、あたしピンと来ないんだけど」
「あはは、実を言うと、わたしも。この辺りの感覚も、人間とエルフで違うんでしょうね」
平野で暮らす人間、森で暮らすエルフ、地下で暮らすドワーフ。
同じ二足歩行の生物であり、同じ言語を持つ生き物ではある。だが、どうしたって認識の齟齬は出る。
「それもそうね――って、そろそろ時間なんだけど。ニールは遅れるかもって言ってたけど、カルナは?」
「あ、本当ですね。どうしたんでしょう、何か――」
不意に、ノーラが動きを止めた。訝しげに眉を寄せた彼女はきょろきょろと周囲に視線を向ける。
「……レンちゃん、声しません?」
「え? 声って……流れ的にカルナの? ちょっと待っ――」
「はははははははっ! その程度の回転で僕には叶わないよ! もっと魔法の研鑽を積んで出なおしてくるんだね!」
「――うん、なんか、凄い大人げない声がする」
ノーラが凄く微妙な表情をしている。恐らく、それを見ている連翹も。
二人で頷き、先程の声がした方に向かう。
辿り着いた場所は、平らに均された広場だった。深緑に包まれた街並みの中で、数少ない土が露出した場所だ。
恐らく、走り回ったりボール遊びをするためのスペースなのだろう。よくよく見れば、先程窓から見えたダイエット中のエルフは、ここで走っていたようだ。
そんな広場に、カルナと工房サイカスの面々が居た――エルフの子供に囲われた状態で。
彼らの手の中には金属製のコマがあり、地面には古い鉄鍋が置いてある。
「くっそー! 兄ちゃん強くねぇ!? 魔法なら俺らエルフの方が有利じゃん!」
「分かった! ドワーフの奴に強いの貰ってんだろ!」
「ああ!? おれがそんなくだらねえ真似するワケねえだろ!」
「はははっ、デレク抑えて抑えて。……なら交換してもう一度勝負しようか。いや、君のコマを改造しても構わない。どちらにしろ――勝つのは僕だからね!」
「言ったな! 言ったな! 次は負けねえからな! おいドワーフのおっさん! 俺に強いコマくれよ!」
「おっさんか! おっさんかぁ! いいなあその響き! すげえぞエルフの国! 若造のおれでもおっさん扱いしてくれてすげぇ楽しい!」
言い合いながら彼らはコマを握り――詠唱を開始。風の魔法によって回転し始めたコマが、勢い良く古鉄鍋の中に投げ入れる。
鉄鍋の中で暴れ狂うコマは激しい火花を散らしながらぶつかり合う。弾き、弾かれ、それを繰り返し――エルフの少年が回したコマの勢いが衰え始める。
「今だ。行け、我が下僕よ――噛み砕け!」
「う、うわあ! お、俺のコマが……!」
甲高い音と共に鍋の外に弾き出される少年のコマ。それを見て、カルナは満足気に微笑む。
ちなみに付け加えると、魔法が関わったのは最初コマに回転を与えた時のみ――トドメのセリフは、もちろんコマの動きに関係ない。
「すげえ! あいつボクらの中で一番風の魔法が得意なのに! ボクらよりも魔法を学んだ時間の少ないはずの人間が勝っちゃうなんて!」
「君たちエルフほど時が無いから、僕らは行き急ぐんだよ。老練のエルフにはさすがに負けるだろうけど、君たち子供には負けてやれないね」
「ねえねえ兄ちゃん兄ちゃん! 名前なんていうの名前!」
「ふっ、名乗る程の魔法使いじゃないよ。ただ、どうしても名を呼びたいというのなら、こう呼ぶんだね――黒鉄のサイクロンと……!」
「くろがねのサイクロン! たしかにタツマキみたいなスッゴイかいてんだったよね!」
「君たちも練習を続ければ出来るようになるさ。そうなった時、君たちと僕の道は交わるかもしれないね」
子供に囲まれたカルナは、前髪をかきあげながら得意気に微笑んでいる。周囲から、子供の歓声が響く。
「え、なに? ベイブ○ード的な何か……? 銃に続いてなに珍妙なモン開発してんの、あの魔法使い……?」
――その輪からだいぶ離れて。
連翹は「何やってんのあいつ」と言うような呆れた声音で呟いた。
ノーラもまた、それを窘めることなく、むしろ同調するように頷く。
「というか、子供相手に大人気ないんじゃないですか、カルナさん……」
「……ホビー漫画で子供相手に全力で戦う大人キャラって、傍から見たらあんな感じで痛々しいわよね、きっと」
二人でこそこそと話していると、視線に気付いたのかカルナが振り向く。
あっ、と言いたげな顔をしたカルナは、デレクたちドワーフとエルフの子供たちに別れの言葉を告げた後、こちらに駆け寄ってきた。
「コマ遊びはもう終わりなの? ねえ、黒鉄のサイクロン」
「うん。ごめんね、レンさん、ノーラさん。ちょっと夢中になり過ぎた」
(黒鉄のサイクロン呼ばわりで全然動じない……ですって!?)
絶対その場の勢いで言って、凄く恥ずかしがると思って、わざわざこの名前で呼びかけたっていうのに!
くそう、と内心で呟いている横で、ノーラが恐る恐るカルナに問いかける。
「……いいんですか、その名前。恥ずかしくないんですか?」
「え? いやだって、格好良いじゃないか」
「え? いえ、正直――」
「うん、それに関しては凄い分かる。黒い鉄と書いて黒鉄! って響きがいいわよね!」
「――あま……えっ」
味方だと思ってたら背後からぶん殴られた――そんな顔でノーラが連翹を見てくるが、知ったこっちゃない。
なにせ、二つ名とか異名はロマンだ。いずれ連翹も堂々と名乗りたいと思っているし、どうせならパーティーメンバー全員で名乗りたいと思っている。
「……ところで、なんでコマ遊びなんてしてたのよ? そんなに子供と混ざって遊びたかったの?」
「いや、僕らが色々試してたら子供たちが寄って来たんだよ――レンさん、デレクたちに回転の話をしたらしいじゃないか」
その練習をしてたら、ねとカルナは気恥ずかしそうに微笑む。
回しやすいモノでコマを使い、失敗してコマが吹き飛んでも物を壊す心配の無い屋外で実験をしていたところ、暇を持て余した子供たちが集まり――色々魔改造したのだという。
「いつの間にかコマとコマをぶつけあって最後まで回転していた奴の勝ち――みたいな遊びが出来上がってね。僕としても楽しみながら練習出来て良かったよ」
「なるほど――えっと、でも、あんな風な喋り方で遊ぶ必要は無かったと思うんですけど」
「いや、だってそっちの方が楽しいじゃないか」
「超分かるわ。ロールプレイはどの遊びでも基本よね!」
鏡の前で必殺技の真似事したり、一人でキャラクターの声真似したり、カードゲームをやっている時に「あたしのターン! ドロー!」と叫んだりするのは鉄板だ。
どんな遊びだって、その遊びに自分自身が入り込む努力をしなければ楽しめはしない。ロールプレイはそのための補助のようなモノだ。
「……ああ、なるほど。そうですね……おままごととかでも、ちゃんと演じるから楽しいわけですし」
「だろう? それになんというか、子供の頃は魔法の勉強ばかりしてたからね。ああやって遊ぶのって凄く新鮮で楽しいんだ」
「ああ、超ぼっちだったって話だものねカルナ」
「ぼっち云々はもう慣れたけど、せめて超をつけるのは止めてくれるかなぁ!?」
「ちょ、レンちゃん! カルナさんもこんなことで騒がないでくださいよ!」
怒鳴るカルナの追撃を防ぐためにノーラを盾にする。回りこんでくるカルナから逃げるため、連翹もまた移動。カルナが時々フェイントを掛けてくるが、その程度で片桐連翹は捕まえられない――!
結果、真剣な顔で少女の回りをぐるぐる回る二人組が完成した。ノーラは一人、動くに動けずおろおろとしている。
「……集合場所に居ねえと思ったら」
ざっ、と。足音が一つ。
僅かに逆立った茶髪の男――ニールは連翹たちの珍妙な動作を半眼で見つめていた。
「一体全体なんの遊びだ、それ。俺の知ってる遊びに近えけど、それはもっと大人数でやるもんだし、真ん中の奴は目を瞑るし――何よりこの歳でやる遊びでもねえし」
「遊びとかじゃなくてですねぇ! すみませんニールさん、この二人止めてくれませんか!? もう力づくでもいいので!」
「いやまあ、大体察してはいたけどな……待ってろ――力づくの途中で何があっても、事故だから恨むなよ連翹――!」
「え、なんで名指し!? ちょ、やだ、ちょっと待ってストップ! ほら! ノーラあげるから! セクハラならあたし以外にして欲しいんだけど」
「カルナさん、ニールさん、手伝いますね。ええ、今、決めました」
「え? ノーラ怒ってる? いや、ちょ、待って、さすがに本気でセクハラの盾にするつもりなんてなかったってばあああ!」
結局。
ニールという援軍が来ても、女を囲んでぐるぐる回る儀式をしている変な集団から、いい歳して一対三の鬼ごっこをする集団にクラスチェンジしただけであり――
どちらにしろ、「何やっているんだろう、こいつら」という他人の視線が変わることはなかった。




