94/エルフの剣士
「人心獣化流……餓狼喰らい――ッ!」
ニールが狙うのは速攻だ。右肩に剣を担ぎ、突貫する。相手に思考の隙を与えないよう、早く、速く、疾く。
防御を貫き、カウンターを狙うならその思惑ごと踏み込み、断ち切ってやると胸の中で吠える。
間合いを詰め、剣を袈裟懸けに振り下ろす。響く鋭い風切り音。
必殺のつもりで放った斬撃。だが、さすがにこれで決まるとは思っていない。回避や防御、カウンターで対処されるであろうと予測している。
だが、それでいい。それでいいのだ。
なぜなら、咄嗟に出る自衛手段は大抵の場合、最もその戦士が得意とする手段なのだから。
だから、どうやって凌ごうと構わない。
刀身で受け止める、ステップで回避する、刀身で受け流す、振り切る前にカウンターを放つ――そこから相手の動きを予測し、勝利への道筋を確定させる!
「ふむ。中々に疾いな」
淡々とした声音で賞賛を口にしたエルフが取った手段は受け流しであった。
剣を振るい刀身と刀身を重ね、斬撃の威力を横に逸らされた。ぐらり、と。ニールの体が地面に落ちるようにバランスが崩れる。
「おっ、っとぉ!」
地面を蹴り、跳躍。空中で回転しながら体勢を整える。
けれど、相手も着地まで待ってはくれない。タンッ! という軽やかな音と共に加速したエルフは、着地しようとするニールに向けて掬い上げるような斬撃を放つ。
だが、さすがにそんな攻撃は読めている。ニールもまた剣を振り下ろし、エルフの剣を迎え撃つ。金属音めいた硬質の音が響き、相手の剣を押し返す。
(――筋肉があるっつっても、エルフはエルフだ。純粋な腕力勝負なら俺の方が強いみてえだな)
着地し、剣を構えながら思考する。
長く生きるためにエネルギーを温存しているのかもしれない――というのは昔、カルナが言っていた言葉。
そう、エルフの体は出力が低いのだ。同じ筋肉量であっても、ドワーフや人間と比べ引き出せる力は大きくない。それこそがエルフに有名な戦士が居ない理由であり、ニールが今までエルフに興味が無かった理由でもある。
「どうしたぁ!? こんなもんじゃねぇだろ! 認めさせてみせろ、なんて言いやがったんだ! 拍子抜けさせんなよエルフ!」
挑発するように叫ぶが、油断はしない。
前衛の戦いにおいて、筋肉とはあれば便利なモノである。が、それだけあればいい、というワケでもないのだ。
そもそも、力で押しきれる程度の相手なら、最初の餓狼喰らいで勝負がついている。
「――ノエル」
「あ?」
「神官剣士ノエル・アカヅメだ、人の剣士ニール・グラジオラスよ」
変わらず淡々と、けれどこちらの目を見つめながらエルフ――ノエルが告げる。
「そういや名前を聞いてなかったな。だが、なんでこんなタイミングで名乗るんだよ。忘れてたにしろ、後にすりゃいいだろ」
「名乗る価値の無い相手に名乗るつもりはないが、価値があるのなら名乗らぬのは道理に反するからな」
「なんだ、もう認めたのか?」
「――――ああ。最低限、修練場から叩き出さぬ程度にはな」
ニールの問いかけに対する答えに、奇妙な間があった。
(……なんだ?)
何かを待ち、その後にニールに答えた。
そんな微妙な、けれど奇妙な間。
それについて問おうとした瞬間、ニールの体に視線が突き刺さった。
「……!?」
複数人の誰かが自分を見ている――そんな感覚。
全身を舐めるように視線が這い回り、鑑賞され、観察され、見極められている。
それだけなら、良い。
いや、突然じろじろと見られるのは不快ではあるが、驚くことではないのだ。
問題は、視線の主が見つけられないこと。
視線を感じる方向に顔を向けても、エルフやドワーフも、人間もいない。それどころか、動物やモンスターなどといった意思疎通の出来ない存在すら見受けられないのだ。
だというのに、感じる視線だけは明瞭だ。
「気にするな、ニール・グラジオラス。そもそも、剣士同士の戦いに他者の視線など関係ないだろう」
「――それもそうだ」
その通りだな、と頷く。
刃引きされているとはいえ、剣を振るう戦いで他の事柄に意識を引っ張られては、勝てるものも勝てなくなる。最悪、勝ち負けどころではなく不注意が原因の事故で怪我をする。
目の前の彼がもっと悪辣な存在なら、視線にも意識を割くべきだろうが――ノエルという男はそうではない、と思うのだ。
その認識はニールの勘違いかもしれない。だが、
(どちらにしろ――他のことに気を取られてて勝てる相手でもねえしな)
この技量の相手が他者と結託して袋叩きにするつもりなら、周囲を警戒しようがどうしようが、とっくにニールは詰んでいる。
ならば、相手は誇り高い剣士だと信じ、全力で戦ったほうが建設的だし――
「――何より楽しいもんなぁ!」
絶叫と共に放ったのは遠距離の斬撃、獅子咆刃だ。
獅子の咆哮めいた音と共に放たれた衝撃波に追従するように、ニールもまた駆け出す。
宙を駆ける闘気の斬撃を受け流すにしろ、回避するにしろ、防御するにしろ、必ず隙は生まれる。そこを突き、全霊の一撃を叩き込む。
「――ふむ」
ノエルが選んだ手段は防御だった。
ニールとしては一番可能性が低く、悪手だと認識している手だ。
エルフの体は脆い。寿命こそ長いものの、それは生命力に満ち溢れているからではなく、細く長く生きる種族だからである。
だからこそ、どれだけ筋肉があるように見えても、他種族に比べて非力だ。筋肉の出力が他種族に比べ劣っているのだから、当然の理だ。
ゆえに。
ノエルが衝撃波を剣で受け止め、弾き飛ばされるのは当然の帰結だ。
下から跳ね上げられるように体勢を崩すノエルを見て、ニールが抱いた感情は落胆であった。
(強そうな剣士だと思ったんだが――しょせん、エルフってわけか)
エルフという枠組みで強い剣士が、人間には手も足も出なかった。
これは、ただそれだけの話。
落胆を抱きつつも、ニールは油断せず相手の懐に――
ぞくり。
――行かず、逃げるように跳んだ。
体を捻って、真横に、勢い良く。ぎちり、と無理な急制動と急旋回で体が悲鳴を上げる。
着地も考えない無様な跳躍。だが、剣士としての直感が囁いたのだ。馬鹿が、とっとと退け――と。
「……!」
ちり、と。
頬スレスレを通過した剣先は、掬い上げるような一閃と共に頭髪をかすり、すり抜けていく。
(危ねえ――回避しなけりゃ、顎をかち上げられてた!)
勢い良く床に倒れながら、回転し距離を取りつつ起き上がる。
「油断したのは減点だが――気付けたのなら及第点か」
「……そいつはどーも」
淡々と告げる言葉に、余裕に満ち満ちた態度に苛立ちを覚えるが、しかしそれで冷静さを失わないように務める。でなければ先程の二の舞いだ。
ニールを襲った斬撃――あれは、獅子咆刃のガードから繋がったカウンターだ。
相手の攻撃の勢いを利用し、コマのように回転して剣を振るったのだろう。無論、それだけでは無く自身の力も加えて。
それは自分の――エルフの腕力が他種族に負けていることを前提にしたカウンターだ。
(当然だ――自分よりも勝っている相手に勝つために手段を模索するのは)
ニールが転移者と戦うために技を磨いたように、彼もまた他種族と戦うために技を磨いた。
自分の劣っている部分を理解し、それでも勝つための手段を模索するのは当然だ。
だというのに、ニールは咄嗟に『エルフだから』と侮った。
(そうやって見下されるのが嫌だから奮起したってのに、似たようなことしてやがる――本当に、馬鹿か俺は)
呼吸と思考を整える。
自身に対する苛立ちを吐息と共に吐き捨て、ただただ自身の剣と相手の剣にのみ集中する。
「悪いな……侮った。そんなこと出来る身分でもねえ癖にな」
「理解したのなら問題あるまい。それより、どうする?」
まさか、これで終わりではあるまい? とノエルの瞳が告げている。
それに対し、にい、と獣じみた笑みを浮かべることで返答する。
ノエルは僅かに微笑み、中段に剣を構え、滑るように疾走した。それに対し、ニールもまた地を蹴り飛ばし前に跳び出す。
「――ふっ!」
間合いが狭まり、互いに剣の間合いになった瞬間、ノエルは攻勢に出た。
太くもしなやかな右腕から放たれる片手突き。自分の右胸めがけ疾走する剣先に対し、ニールが使ったのは人心獣化流・螺旋蛇だ。腕全体を使った捻りで螺旋を描きながら放たれた突きは、ノエルの剣を絡め取ろうとする狡猾な蛇が如く駆け走る。
先程のカウンター攻撃を見る限り、彼の攻撃を弾くのは危険だ。そこから鋭利な反撃を決められる予感がある。
だから、絡めとって動きを封じた後、剣そのものを奪い去る!
必勝の願いを込めて放った螺旋は、ノエルの刀身に絡み付こうとし――だというのに、蛇から逃れるように、すっと剣先が退いた。
「見通しが甘い」
「しまっ……」
誘われた! と気づくが、遅い。すでにノエルは二発目の突きを放つ段階に入っている。
回避、防御、受け流し――どれもこれも、間に合わない!
だから、
「……ッ食い散らかせ、螺旋の蛇ぃ!」
更に一歩。
強く踏み込み、腕を突き出した。
相手の武器を巻き取るために放った技を、強引に前に出ることによって攻撃に変化させる。幸い、螺旋蛇のモーションは刺突に近い――やってやれないことはない!
だが、それでも相手の方が疾い。元々二連撃のつもりで動いていたのだろう、流れるような動きでありながら、しかし鋭い剣先がニールに迫る。
既に踏み込んだために、元々乏しかった回避の可能性はゼロだ。ノエルの剣先はニールの胸元を叩く。
右胸に圧迫感。ノエルの剣から彼の体重、疾走の速度、そしてそれらを全て効率よく伝える技が、ニールの胸を押し開こうと進む、進む、進む。前へ、前へ、前へと。肉が痛みを訴え、骨が砕けるぞと悲鳴を上げる。
だが、それでも前に出るのは止めない。
退いたところでもうどうしようもないのだ。なら、前に出て、攻め続ける。
そうだ、元よりニール・グラジオラスという剣士は器用な性質ではない。突き進み、剣を振るい、食い破る。小器用な技もいくつか習得しているものの、それらもニールが得意とする勝ち筋へと至るための布石に過ぎない。
温泉街オルシリュームで思い出したそれが、実感として体に伝わる。
器用に勝とうなんて考えなくていい。ただ全力で、全霊で、前に出て――
「おお――らぁ!」
――剣を突き出す!
ノエルの突きを己の胸に更に突き立てるように踏み込み、自身の剣を螺旋の軌跡で解き放つ。
胸に叩きつけられる剣先。そこに、全身の力を、体重を、疾走の勢いを余すこと無く加えていく。
右胸が痛いが、問題ない。すぐに拮抗は破られる。否、破る。
エルフと人間では筋力が違う。
侮っているわけではないし、だからこそ技が優れているのだろうと思う。
だが、真っ向からの打ち合いになれば――勝つのはこっちだ。
「くっ――」
苦しげなノエルの声。
胸が軽くなる感覚。
圧迫する何かが離れていく感覚。
上回った、という実感。
「吹っ――飛べぇ!」
それらを感じるままに、ニールは剣を突き出した。ドォン、という重い音が響き渡り、ノエルが地面から引き剥がされる。
蹴り飛ばされた小石の如く宙を舞ったノエルは、そのまま壁面に激突。轟音と共に建物が揺れ、修練場近くに植わっていた木々から鳥達が慌てて逃げていく。
「は、どうだ、見たかよ――痛っ」
油断なく剣を構え勝利を宣言しようとし、右胸の痛みに顔を顰める。打撲の類ではない、骨がへし折れた時の痛みだ。
だが、この程度で膝を折り、残心を忘れるのは素人だ。なにせ、流血していないのだ。なら、そうそう死にはしない。問題ない。
ノーラに聞かれたら、『ありますよ問題! 前衛なんですから怪我するなとは言えませんけど、もうちょっと体を労ってください!』と怒られそうだ――そんなことを考えていると、ノエルがゆっくりと起き上がった。
最初に出会った時のような悠然とした足取りで、危なげなくこちらに歩み寄ってくる。
「……エルフって貧弱なんじゃねえのか?」
「やせ我慢が得意なだけだ。それに、この程度の痛みで動きを乱していては、魔王大戦で生き残れなかったからな」
不敵に笑うノエルは、既に構えていない。
それが、ニールには不満だった。
「なんだよ、俺もお前もまだ動けるじゃねえか」
「見るべきモノは見たからな――これよりお前の剣を選ぶ。翌日、同じ時間にここに来い」
「――まあ、貰えるんならありがてぇけどな」
だが、まだ自分は剣を振れる。無論、相手も。
そんな中で終わり、と言われても消化不良な感覚を抱いてしまう。
「そう不貞腐れるな――創造神ディミルゴに請い願う。失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を」
癒やしの光がニールを抱き、胸元の痛みを治癒していく。
その最中、ノエルはゆっくりと口を開いた。
「ニール・グラジオラス、貴様は現状、そこまで強くはない。弱い、と言っても良いだろう。実際、総合力でお前は私には勝てないだろう」
「あ? 二回戦か? 今度は真剣でやろうって誘いか?」
「最後まで聞け――しかし、戦いとは総合力で決まるモノではない。一瞬、一瞬、その攻防で上回り、相手に致命傷を与えられたのなら勝利出来る」
戦いとは強い者が勝つワケではない、強い者が勝ちやすくなるだけだ。
どんな種族にだって得意な戦い方、苦手な戦い方がある。完全無欠など、どこにも存在しない。
巨大で強力なモンスターであるドラゴンですら、その巨体ゆえに小回りが利かぬ場合があるし、強靭な鱗をたやすく切り裂く金属という苦手なモノがあるのだから。
「人間とドワーフの連合が何のためにここに来たのかは聞いた――ゆえにニール・グラジオラス、覚えておけ。相手の得意分野で競うな――相手を観察し、苦手を理解した上で、その肉食獣めいた疾走で食らいつくのだ」
先程の攻防のように。
相手の技を知り、苦手を理解し、恐れず全力を叩き込むこと。
それこそが、ニールの実力を活かす手段だ、とノエルは言うのだ。
「……そうだな。分かった、アドバイスありがとうな」
「なに、剣の言葉を伝えただけだ」
自分は何もしていない、と首を振るノエル。
その言葉をエルフ流の謙遜だろうか、と思いながら立ち上がる。
「そうかよ――それじゃあ、また明日な」
「ああ。それまでには選定を終えておこう。なにせ久々だからな、本当に貴様に合う剣を探し当てるのも中々骨だ」




