7/早朝鍛錬と剣士と筋肉
早朝のナルキの街は、他の街とは違い活気で満ち満ちている。
朝食の準備をする女将の鼻歌や、友と共に船へと向かう漁師たちの笑い声。どこかに遠出するのだろうか、珍しく早起きをしたらしい冒険者があくびを噛み殺しながら街の外へと向かう姿が見えた。
その喧騒の中に、剣が風を断つ音が加わる。
ニールだ。
井戸の水で顔を濡らした彼は、拭うこともなく剣の素振りを開始していた。
「――ふっ! ――ふっ!」
一振り一振りの意味を自覚し、斬撃の無駄をそぎ落とす。無駄な力があれば次からは抜き、握りが甘ければそれを矯正する。
単純明快で、基本を学びさえすれば誰でも出来ることだ。しかし、だからこそ続けることは難しい。
一回、二回と振る間はいい。しかし十、百、と回数を重ねるごとにそれは難しくなってくる。惰性という魔物が、じわりじわりと体と思考を侵していく。
すると、剣術の上達のために数をこなしていたはずが、いつの間にか棒きれを沢山上下するだけで満足してしまう。そして思うのだ、自分は何回素振りを行った、頑張ったのだと。
しかし、それに意味はない。身体能力を高めるという意味では意味はあるのだろうが、剣術の上達という意味では無価値だ。
回数が問題なのではない、質の高い鍛錬をすることが重要なのである。
鍛錬の意味を理解し、理解した内容を体に刻み込む。惰性の魔物が心に巣食った時は、素振りなど止めて走りこみでもした方がいい。漫然とやれば剣を振る動作に変な癖がついてむしろ害悪だ。
「――ふっ……と」
何度目か知れぬ素振りを終え、鞘に収める。
数など数えない。そんなことを考える暇があれば、剣の一挙一動を、体の些細な違和感を感じ取らねばならない。
「相変わらずやってんなー。お前のその姿見ると、ナルキに帰って来たなって思うぜ」
軽く乱れた呼吸を整えている途中、宿から筋骨隆々とした巨漢が現れた。ヌイーオである。
シャツとズボンというラフな格好の彼は、ニールの前に立つと「よう、おはよう」と軽く右手を掲げる。
「おう、おはよ。ヤルは?」
「あいつがこんな時間に起きてるわきゃないだろ、常識的に考えて」
けらけらと笑うと、ヌイーオはそのまま四つん這いになり――姿勢を整え腕立て伏せを開始した。
太い腕が大地をがっちりと掴み、分厚い筋肉に覆われた体を上下上下と持ち上げ、下ろす。
「俺が言うのもなんなんだが……よくやるよなぁお前も」
「ライフワークだからな。ニールも一緒にやるか?」
「止めとく。筋肉はあれば便利だけど、一気につけ過ぎると剣振るのに違和感出るからな。ま、ゆっくりと増やしていくさ」
「技重視の剣士は大変だな、常識的に考えて……あ、重り役頼むわ」
「板金鎧着込んで駆けまわるのも大変だと思うんだがな……っと、承った」
よいしょ、とヌイーオの背中に腰掛けた。背にかかる重さを感じ取り、ヌイーオは満面の笑みで腕立て伏せを再開する。
ニールと剣一振りの重さを背に乗せつつも、一定のペースで腕立て伏せを行うヌイーオ。時たま「こいつら一体全体なにしてんだ……?」という冷たい視線や、「ああ、剣馬鹿と筋肉馬鹿か」という生暖かい視線、「美少年以外にもマッチョとも絡むのねあの子……ああ、滾ってきたわ!」というねっとりとした熱っぽい視線が注がれるが、二人は気にしない。
(しっかし)
安心感あるよなぁ、とヌイーオの体を眺めた。
丸太めいた四肢にそれよりもなお太い胴体。そこに専用の板金鎧を纏えば、巨大な金属の壁と誤認しかねない姿となる。
そんな巨漢が己の背丈ほどもある大剣を振り回しながら突貫するのだ。技術こそ拙いものの、ちょっとやそっとの技量では腕力と頑丈さによる力押しで押しつぶされてしまうだろう。
実際、一度木剣で立ち会い――回復魔法の扱える神官が控えていないのなら、木剣で行うのが基本である――を行った時、剣技『螺旋蛇』を用いて大木剣を弾き飛ばそうとしたが握力だけで阻まれてしまった。
(やっぱ、いいもんだな)
進むべき道を選択し、一心不乱に邁進する姿は美しい。
それは戦いだけに限ったことではない。
畑を耕しながら、少しでも野菜が育ちやすくするにはどうすればいいのかと思考する農民であったり、
調理場で食材と調味料と格闘しながら新メニューを開発するコックだったり、
机の上で原稿用紙と向かい合い、己の物語をアウトプットしようとする作家であったり、
何かのために努力し前に進む意思を持つ者の精神は、黄金のように輝いているのだ。
「おいおい、そんな少女がオークやオーガに憧れるような視線を向けるなよ。照れるだろ、常識的に考えて」
そんなことを考えているニールの視線に気づいたのか、ヌイーオは照れくさそうに左手で頭をポリポリと掻いた。ちなみに、右腕は上下運動を維持したままである。
「お前の中にいる少女はどんな性的嗜好を持ってやがるんだ」
「俺が住んでた村じゃ、女の子含めた子供が集まってきて腕にぶら下がったりしたんだがなぁ……十二くらいになると逆に避けるようになってくるけど」
恥ずかしがりやだよなぁと笑っているが、違う。それは恥ずかしいから避けてるんじゃない、筋肉ダルマが気持ち悪くなってるだけだ。
まあ当人が幸せならそれでいいか、と説明はボイコットしておく。仮に説明したところで理解できないだろう。
「ああそうだ。ニール、お前今日予定決まってるか?」
「いや。とりあえずクエスト見て、出来そうなのがありゃそれを、無けりゃ鍛錬でもと思ってた」
「それなら都合はいいか……」
言いながら両腕を地面から外し、腰の辺りにぴたりと乗せる。
そのまま上半身と足を上下、上下と持ち上げては下ろすという動きに移行する。背筋だ。
「ダンジョン攻略に行こうかと思っててな。さすがに俺とヤル二人じゃ常識的に考えて厳しいし、組み慣れてる奴を誘いたかったんだ」
「オッケーだ。ま、カルナの予定もあるから、確約はできんけど」
俺たちも二人だけじゃダンジョンは厳しいしな、と笑う。
ニールとカルナのコンビは一体の強敵を倒すことや、広い場所で駆け回りながら多数の雑魚を相手取るのには向いている。
カルナの支援があれば多少強い相手でもなんとかなるし、複数の相手でもニールもカルナも攻撃に関してはかなり優秀だ。逃げ回りつつカルナの魔法で殲滅し、撃ち漏らした敵をニールが斬り殺せばいい。
しかし、そこそこ強い敵が複数で来たり、自由に動く場所が少ない所で多数の敵に襲われたりすれば途端に劣勢になる。
ニールの剣とカルナの魔法にある程度耐えられる相手では、相手の進撃を止められずカルナがやられ、次にニールが袋叩きになるだろう。
狭い場所での複数の敵を相手取った場合、逃げまわることが出来ず徐々に追い詰められ袋叩きになる。二人とも攻撃を受けて耐える、というのに不向きであるためだ。
しかし、そこにヌイーオが入れば話は違ってくる。
彼が前衛で暴れまわるだけで、敵の視線はそちらに向くし、豪腕から放たれる攻撃は多数の敵を纏めてなぎ払う。
多数の敵に袋叩きにあっても、持ち前の肉体と板金鎧がダメージを軽減する。そして彼に敵が群がっている間にニールとカルナは自由に攻撃すればいい。
「これでヌイーオを癒す神官でもいればパーフェクトなんだけどな」
「無茶言うなよ無茶を」
ニールの言葉にヌイーオは苦笑した。
神に祈りを捧げる神官は、魔法使いには用いることが出来ない治癒術などが使える。が、しかし彼らが冒険者と組むのは非常に稀だ。
新米の神官は教会で修行を続けるだろうし、ベテランの神官は街や村で必要な人材であるため、そうそう遠出など出来ない。時々冒険者になる神官もいるにはいるが、顔見知りのパーティーに入るか、すぐにベテラン冒険者のパーティーに吸収されてしまう。
(まったく、夢のない話だよなぁ)
英雄物語などでは神官がポンポンと出てくるが、それはこの大陸に魔王が存在していた時代を舞台とした話だからだ。
魔族と人間の生存競争のまっただ中では街に引きこもっているワケにはいかず、多くの神官が冒険者たちと共に戦ったらしい。英雄は剣を用いて魔族と戦い、女性神官がそれをサポートし、いつしか恋仲になっていくという話の流れは今読むと王道過ぎて苦笑してしまう。しかし、それでもなお心を踊らせるのが王道の魔力なのだろう。
「ま、今のままじゃ常識的に考えて無理な話だが、いつか神官の方から一緒に冒険させてください、って言われるくらいの筋肉をつけたいな」
「同感だ……ってお前、そこは実力って言え実力って」
「筋肉イコール実力っていう常識的な方程式で導き出した結論なんだが、なんか不満あるか?」
「あるわい! あるわい! お前の筋肉はすげぇけどその筋肉信仰はなんとかしろ!」
「筋肉信仰……!? なんだその凄い心躍る宗教! 俺それ信仰して神官戦士になりたい!」
「あるわきゃねぇだろ瞳キラキラさせんな気持ち悪い! 筋肉以外に目を向けろよお前は!」
「なんでこの流れで死刑宣告するんだ、常識的に考えてひどすぎるだろ!」
「常識的に考えたら俺の言葉は死刑宣告にならねぇよ、脳みそまで筋肉に汚染されてんのか!」
「ああァッ!? 俺の脳みそが筋肉なのは当然だが汚染ってどういう言い草だ、お前殴り殺すぞ!」
「もうやだコイツ逆鱗が分からん……!」
ニールが頭を抱えた瞬間、バンッ! と宿の扉を蹴り開けられた。
「アンタら、うるさーい! 他の宿泊客から苦情がポンポン来てるのよ! とっとと沈黙しないと、アンタらの息子を永久に沈黙させるからね!」
おたまを装備した女将が叫ぶと、すぐさま二人は土下座をした。