86/光と喪失の関係
宿の客席の中、複数の神官に診られるノーラを、連翹とカルナは不安気に見つめていた。邪魔にならないように壁際で、ただただ、じっと。
島国である日向の、連翹から見れば日本の温泉旅館に近い内装の部屋だ。畳に障子戸など、こんな時でもなければ少しばかり郷愁の念を抱いていたのだろうか。
ニールはこの部屋に居らず、拘束した転移者が居る部屋に行っている。
先程のこともあって町の警備に人員が多く割かれているのだが、武器を失ったニールは警備には回れないため拘束した転移者の尋問を行っている。
やることの無かった連翹はニールを手伝おうとしたのだが、
「そんな顔色で来られても邪魔だ。お前だけじゃなくカルナもな。……戦いで心配かけちまった分だけ俺が働いてやっからよ、お前らはノーラ見とけ」
と、断られてしまった。
その言葉に申し訳なく思うのと、ありがたいと思うのが、半々くらい。
皆が忙しそうにしてるのに何もしないのはどうかと思ったが、しかし友人が倒れた今、ちゃんと仕事が出来るのか自分でも疑問だったからだ。
顔色の悪いノーラから視線を外し、忙しなく動く神官たちを見つめる。
マリアンが指示を出しながノーラの体を診ているが、あんな筋骨隆々とした女の人がそんなの分かるのだろうか。そんなことを思った連翹だが、さすがに口には出さなかった。
神官はこの世界における医者だ。一応、医者という職業は別にあるが、しかし傷や病気の治療で一般的なのは神官なのだ。
そして、マリアンは騎士団と一緒に来た神官の中でも地位が高い人だ。実際はどうだか知らないが、神官の中で一番偉そうだからたぶんそうなのだろう。
そんな人が意識を失ったノーラを真剣に診てくれているのだ、邪魔なんて出来ないし、したくない。自分の無駄な言葉でミスが発生し、それでノーラの命が失われたら悔やんでも悔やみきれない。
(大丈夫、大丈夫、うん、うん……大丈夫――みゃ、脈はあったし、心臓だって動いてたし)
生きている、はずだ。
血も出てなかったし、アザも無かった。呼吸もしていたから、問題ないはずなのだ。
だけど、露天風呂で真っ青な顔で倒れていた彼女の姿を思い出すと、安心なんて出来るはずもない。
だから、連翹はただただ願う。どうか大丈夫でありますように、と。
――いや、結局のところ、連翹には祈ることしか出来ないのだ。
転移者の能力に他者を癒やす力はない。こんな時、連翹は何もできないのだ。医療の知識があるわけでもなし、神官の奇跡があるわけでもなし。ただ、自分の力を示し、守る力があるのみだ。
自分が襲われるなら、転移者の身体能力と状態異常耐性でどうとでもなる。だが、こんな時に転移者の力はただただ無力だった。
指が白くなるほど手を握りしめ、まともに祈ったことなんて無い神様に必死に祈る中、マリアンは「うん」と大きく頷いた。
「――大丈夫、命になんの問題もないよ」
「よっ、よがっだあぁあああ!」
「はは――落ち着きなよレンさん。命に別状はないって言っても、衰弱してるのは確かなんだからさ。もっと静かにしよう」
そう窘めるカルナだが、安堵で緩んだ顔に説教するような鋭さはない。
彼は大きく安堵の息を吐いた後、マリアンに深々とお辞儀をして感謝の意を伝える。
「それで、ええっと――マリアンさんで良かったですよね。何か分かりましたか?」
「マリアンでいいマリアンで、ついでに敬語もいらないよ」
退出していく神官たちに「お疲れさん」と労いながら、マリアンは畳の上にどかりと座った。
「正直言って、分からないんだよね。外傷がゼロなくせに、拷問でもされたみたいに衰弱してるのさ。傷めつけて回復してを繰り返すって拷問はあるっちゃあるけど――転移者に治癒の奇跡は使えなかったはずだしね、なあ連翹」
「ええ、そうよ。そもそも|回復魔法色々(ケ○ルやらホ○ミやら)が使えたら今のノーラにかけまくってるわよ、MP枯渇する勢いで」
転移者の体には神官と同じ創造神の力が注がれているらしいが、その全てを身体能力とスキルに使われているため、治癒の奇跡を使うことが出来ないのだ。
「騎士が浴場に突撃する前に、凄い光――治癒の奇跡の発光を強力にしたようなモノが見えたらしいけど……ノーラさんには無理だろうし、なんなんだろうね」
「あの子どころか、そんなのあたしだって無理さ。そもそも、光を当てた部分を治癒するものだからね、あれは。あんな無駄に光らせようと思っても、途中で力が枯渇する」
だからこそ解せないのだ、と二人は沈黙した。あの発光現象について考え込んでいるのだろう。
自分も何か出来ないか、と連翹も脳みそを活性化するものの――答えらしいモノどころか、思考の取っ掛かりすら見つけられない。
そもそも、連翹はこの世界の常識に疎いのだ。
もう二年も半ば――年が明けて暖かくなる頃には三年――もこの世界で過ごしているとはいえ、転移者として生きる上で必要のない知識は調べないし、偶然聞くことがあってもすぐ忘れてしまう。だって興味がないから。
(もう少し考えてこの世界を見てたら、こんな時に役立てたのかな――)
ああ、何も出来ない、というのはなんて怖くて寂しいんだろう。
やるべきことはありそうなのに、何かしたいと思うのに、けれど何も思いつかなくて、結局見ているだけ。
強い力があればなんでも自由に出来る、とこの世界に来る前の連翹はよく考えていたが、それは誤りだと思う。
どれだけ強くなっても、いや、強くなれば強くなるほど、自身の他の足りない部分が際立って見えてしまう。自分という人間の至らなさが見えてくる。
沈んでいく気分の中、不意にがらりと扉が開いた。
視線を向けると見慣れた逆立った茶髪の剣士、ニールが居た。彼は布団で眠るノーラに視線を向け、小さく安堵の息を漏らす。
「戻ったぜ。ノーラも、その様子じゃ大丈夫そうだな」
「うん、意識は戻ってないけど、体に異常はないみたい。お疲れ、ニール。助かったよ」
立ち上がったカルナは、拳をすっと前に突き出した。
同じように拳を突き出し、こつん拳と拳をぶつけ、ニールは微笑んだ。
「おう、疲れた。後で酒奢ってくれよ」
「それより、ねえニール。何か分かったことないの? あいつの尋問してたんでしょ?」
一杯くらいなら、と答えるカルナを遮るように問いかける。
その言葉に、ニールはしばし黙りこんだ。分かったことがなくて困っている、というよりも言葉を選んでいるような仕草で、連翹は内心で首を傾げる。
だが、結局のところいい案が思い浮かばなかったのか、「あんま良い気分の質問じゃねえだろうが――」と前置きをすると、
「――なあ、連翹。転移者の力、お前らがチートとかって言ってるヤツを一時的に無効化する技、とか知らねえか?」
そんな、よく意味の分からないことを問いかけてきた。
「いや、知らないけど――っていうか、何それどういう意味?」
まあ、ニールが言い難かった理由はなんとなく分かる。
お前の致命的な弱点を言いやがれ、なんて言われて良い気分になる者はいないだろう。別に連翹の弱点を教えろと言っているワケではないが、連翹とて転移者の力で戦っているのだから似たようなモノだ。
それに、転移者の戦闘はチートによる身体能力によるゴリ押しと強力なスキルによる圧殺が中心、というかほぼ全てである。
それを無力化する手段を教えろというのは、剣士に対し『四肢切り落として剣を隠そうと思うんだ。お前がぐっすり寝る時間を教えてくれ』と言っているようなものだ。
流石に過言な気もするが、転移者の内心としては大した違いはない。
「……あー、別にお前をどうこうするとか、無力化して嗤おうとか、そんなことを思ってるわけじゃねえんだがよ」
「知ってるわよ。というか、あたしの大好きな友達がそんなことするなんて思ってないし。それで? それがなんかノーラと関係あるの?」
「――――」
「……え? ちょ、黙らないでよ! なんでこういう時に限って『くっさいセリフ言うなよ馬鹿女』みたいなこと言わないのよ!」
無言でこちらをじっと見つめられても、なんだろう、凄く困るし恥ずかしい。
そりゃもちろん、さっきの言葉は本心ではあるし、ニールもカルナもノーラも好きではある。
けれど、こんな言葉、真面目な場面で言うのは恥ずかしすぎる。だからこそ、茶化した返答するであろうニールに言ったというのに。
「あ、ああ――なんでもねえ。ちっとばかしぼんやりしただけだ」
「なんでこのタイミングで! なんでこのタイミングでぇ! あたしだけ辱める機械か何かなの貴方ぁ!」
ごほん、と。
ニールの肩掴んでがくがく揺さぶっている時に、わざとらしく響いた音に思わず視線を向けると、マリアンが呆れた顔でこちらを見つめていた。
「じゃれ合うのは良いけどね。でも、そういうのは情報出した後、外でお願いするよ。外傷は無くても、衰弱しているのは事実なんだからさ」
「ご、ごめんなさい――ほら、ニールも早く、早く謝って!」
「騒いだのお前一人じゃねえか馬鹿女――それより、さっきの話の続きなんだが」
頭を下げる連翹をそのままに座布団の上に座ったニールは、なんでか知らねえんだがな、と前置きをして語りだした。
「しばらくの間、力が使えなかったんだよ、さっき捕まえた転移者の野郎」
「力が使えなかったって、スキルが?」
カルナの問いに、ニールは首を左右に振った。
「スキルも、転移者特有のあの高い身体能力も頑強さも、だ。縛り上げて部屋に放り込んだら、頭を机のカドにぶつけて死にかけやがったんだよ」
「そ、それって――力が完全に使えなくなった、ってこと?」
微かに体が震える。
別に、ノーラを傷つけた転移者が怪我しようと力が無くなろうと知ったこっちゃない。
けれど、現状は『もしかしたら』程度だった規格外の喪失。それが、必ず起こるモノだと証明されたこと、されてしまったことに、体が恐怖で震える。
そんな連翹の肩を、はあ、というため息と共にニールが叩く。
「話をちゃんと聞け馬鹿女。言ったろ、『しばらくの間』ってな。治癒してしばらくする頃には元に戻ってた」
今は両手両足へし折って、猿轡噛ませてる――とえげつないことを付け加えると、ニールは部屋に居る人間の顔を順繰りに見た後に問いかけた。
「そんで、なんか分かることねぇかな、ってな。捕らえた奴からも色々聞いてみたが、知らねえみたいだしよ」
「そんなこと言われてもねぇ。そもそも、治癒の光だけでもお手上げだってのに、その上畑違いの分野まで聞かれても分からないよ」
「不自然なくらい強い治癒の光と、転移者の能力の一時的な喪失……片方でも厄介なのに、二つかぁ。危険性から後者を優先――いや、ノーラさんの身の安全を考えると」
マリアンは『無茶言うんじゃない』とひらひら手を振り、カルナはその場で俯き考えこむ。
(あたしも、あたしも何か――何か、考えないと)
少なくとも自分は転移者なんだから、現地人より転移者の異変に気づきやすい――かもしれない。
答えまで導き出せなくても、答えへと向かう入り口くらいは示せるのではないだろうか。
(転移者の力は神様が与えたモノ。それは、ノーラの聖印を触らせて貰った時に確認してる)
女王都での観光地巡りをした時、教会の前で触ったノーラの聖印を思い出す。
創造神の加護を得た者が持つと銀に輝き、それ以外の者が持つと黒ずんでしまうという物品だった。
だからこそ、転移者の力は創造神ディミルゴとかいう神様のモノ。力の使い方は全く違うものの、根っこは一緒なのだと思う。
そして力が使えなくなったのは、体の中にある神様の力が抜けてしまったからだと思うのだ。
(さっきマリアンも強い光の話の時、言ってたもの――『あんな無駄に光らせようと思っても、途中で力が枯渇する』って)
枯渇して奇跡が使えなくなるのと、
枯渇してチートが一時的に失われること。
それはきっと、別物のようであり、けれど根っこは同じ現象なのだと思う。
(……でも、問題はどうして使い切ったのか、よね)
連翹は転移者として過ごしてもう長いが、一度も枯渇なんてしたことがない。
もしかしたら大技を立て続けに乱発すれば枯渇するのかもしれないが、浴場を見る限り大技を何度も放ったようには見えなかった。
だとしたら、どうして。
(駄目ね、全然思いつかない)
じゃあ、治癒の奇跡の光について考えようと思っても、連翹には神官とか奇跡についての知識はほとんどない。
せいぜい、時々ノーラの行動が気になって問いかけたりするくらいで、信仰している神様がどんな存在なのかすらも知らない。
それでも、何もしないよりはマシだと、ノーラとの交流を思い出し――
「あの、ちょっといいかしら。間違ってるかもしれないけど」
――かちり、と。
脳内でピースがはまる音がした。




