83/鉄咆
――――時計の針は、しばし逆しまに巻き戻る。
血塗れの死神がこちらに転移者をけしかけ、見下した笑みを漏らしながらこちらか離れていく。
(このまま逃がすのはマズイ……!)
カルナは、襲い来る目を血走らせた転移者たちから視線を逸らさず、遠ざかっていく足音に対し舌打ちをした。
アースリュームに入国する前に、雑音語りは言っていた。レゾン・デイトルで倒すと。蹴散らし、蹂躙すると。
傲慢で自信に満ち満ちた言い方は、恐らくブラフではないだろう。ならば、今襲い掛かって来ている転移者は死んでも構わない駒、決戦時に必要ない弱卒だ。
ゆえに、こんな雑魚どもを何人も倒しても目の前の危機を凌げるのみ。
幹部を名乗る連中がどの程度の戦力を有しているかは分からないが、多くの転移者に命令ができる程度には強いはずだ。今のうちに各個撃破して、相手のリソースを削っておきたい。
だが、その理屈は理解していても、あと数秒で接敵する転移者たちを避けて死神を追うのは難しかった。
カルナは魔法使いにしては身体能力は高いものの転移者に追いつける脚力はないし、追いつける身体能力を持った騎士たちは手柄を求める目の前の転移者にとって最上級の獲物だ、見逃してくれる理由はないだろう。当然ではあるがノーラは論外だ。下手に追いかけるべく前に出たら戦いの余波で死ぬ。
「足止めしてくる! ここは頼んだ!」
ニールか連翹、どちらかに追撃を頼むべきだとカルナが思うのとほぼ同時に、ニールは叫び跳躍した。
建造物の屋根に飛び乗り、去っていく死神を追いかけていくニール。それを見てカルナが抱いたのは安堵や信頼感ではなく不安であった。
(らしくないな――足止め、だなんて)
ニールなら、たとえ勝てなくても『あいつは俺がぶっ殺す! お前らも手柄独り占めされたくなきゃとっとと来いよ!』程度は言うはずだ。
だというのに、先程のニールの言葉は普段と比較して若干弱気である。
(身体能力強化の魔法を使う暇が無かったことと、間に合わせの剣――それがニールを不安にさせているのかもしれないな)
一度目の襲撃で出会った転移者を、ニールは叩き斬った。
しかし、その時はカルナの援護と使い慣れた剣があったのだ。今は、そのどちらも無く、また用意している暇もない。
そして恐らく――ニールは自分が抱いている不安に気づいていない。
武器は数合わせで、メンタルのコンディションも良くない――まずいな、と思う。
「レンさん、ニールを追って!」
「カルナ、ニール追っかけるけどノーラ任せて良い!?」
咄嗟に言い放った言葉と連翹の言葉が重なった。
驚いてそちらに視線を向けると、彼女は心配そうな表情でニールの背中を見つめている。
「なんでそう思ったのか、聞いてもいいかな?」
リーダー格を倒したほうが目立つだとか、現地人のニールより自分の方が強いから守るだとか、そんなことを言い出すようなら怒鳴りつけるつもりで問うた。
前者ならこの状況で遊び半分な気分だということだし、後者なら共に戦う仲間をまるで信じていないことになるからだ。
ここまでの交流でそういう人間ではないとは思っているが、咄嗟の行動や受け答えで本音が漏れるモノだ。ここらで、見極める必要がある。
「なんでって、当たり前でしょ! あいつが足止めなんて弱気なこと言うわけ無いじゃない! 言うなら、大将首獲ってくるから待ってろ、みたいな無駄に強気な言葉でしょ!」
なんでそんなことも分からないの、と叫ぶ連翹に、カルナは小さく吐息を吐いた。
それは自分に向けた呆れを含んだため息だ。
「――ごめんね。レンさん、ニールは任せたよ」
結局のところ、カルナはまだ信じきれていなかったのだ。
ノーラが仲良くし、ニールが心を許し始めていても、カルナは心の奥底では信じきれていなかった。
確かに色々と話をし、気心を知れてきたが、しょせんは転移者だろう――そう思っていたから、あんなことを問うたのだろう。
(咄嗟の行動や受け答えで本音が漏れる、か。全く、酷いブーメランだ)
こんな自分を棚に上げ、なにを『転移者の彼女が仲間を信じていないのではないか?』などと考えていたのか。
「だから、こっちは任せて欲しい」
「わかったわ、ノーラも頑張って!」
「はい、レンちゃんも!」
ノーラの言葉に頷いた連翹は、襲い来る転移者の群れへと疾駆した。
屋根に飛び移って転移者たちを回避しないのは、ニールの時とは違い転移者たちの視線が連翹に集中していることから理解出来る。
カルナにはよく分からないが、連翹が着る水夫服に似た衣服は、転移者たちにとって見慣れたモノなのだろう。だからこそこの世界では目立つし、疾走する速度で彼女が転移者であると分かるはずだ。
そのため、足場の悪い屋根に立つのは下策。集中攻撃されたら回避し切れないだろうし、屋根から屋根へと飛び移る時は完全に無防備だ。魔法のスキルが集中し撃ち落とされるのは目に見えている。
戦闘を回避するために路地に入っても、地理に疎い状態でそんなことをしても迷って余計に時間がかかる可能性がある。
それに――下手に大通りから外れると、町の人を巻き込むかもしれない。
路地に入った連翹を追い転移者が来た場合、相手は家屋の破壊に頓着しないだろう。振るった剣が、連翹を足止めるために放った魔法が、家屋を燃やし、砕き、中に隠れる住民の命を奪う。
その結果、選んだのは考えなしにも見える突貫。狙うのは愚直な一点突破。襲い来る転移者たちは、『頭の弱い馬鹿が来た』と表情に喜悦を滲ませている。
「こんなもん、ただの的だぜぇ! 『ファイアー・ボール』!」
「転移者だ! 転移者だ! 俺の獲物だ横取りすんじゃねえぞ、『ファイアー・ボール!』」
「うるせえ、俺が殺して認めて貰うんだよ! 『ファイアー・ボール』!」
轟! と燃える灼熱の火球が次々と生成され、連翹に向けて放たれる。
それを見た連翹は慌てること無く速度を落とし――僅かにバックステップをした。
追尾能力がある転移者のスキルを回避するのは難しい動作。しかし、そもそも迫る火球から逃げるために後ろに跳んだワケではない。
手柄を得るため、我先にと放たれたスキル『ファイアー・ボール』は先程まで連翹が居た場所に殺到し――バックステップした連翹を追尾すべく僅かに速度を落とした先頭の火球に着弾。触れ合った火球と火球はそのまま破裂し、背後から追尾していた火球が連鎖し爆裂していく。
炎の向こうから転移者の悲鳴が響く。恐らく、連鎖爆発に巻き込まれた者が居るのだろう。
「どう? あたしの華麗なバックステッポォゥは!」
ドヤ顔で決めた連翹は、炎が晴れるのを待たずに再び突貫。炎の壁に突っ込んだ。混乱している間に一点突破を狙うつもりなのだ。
火の勢いは未だに強いものの、転移者の身体ならば爆発の直撃を受けなければ問題ないのだろう。いや、むしろこの程度の炎ならダメージもないのかもしれない。
「熱っ!? なにこれ思ったよりあ、あつっ、熱ぅい! ふわあ! ふわああああ! あああああああッ! もちょっと待っとけば良かったぁ!」
……訂正、ダメージはあるらしい。
まあ、叫ぶ余裕があるなら大丈夫だろう。
「随分と勝手に命令し、行動するんだなカンパニュラ。一応、お前たちは自分たちの指揮下にあるんだぞ」
剣を抜き、一歩前に出たアレックスが言う。
口調ほどこちらを責めている響きはないものの、しかし言っていることは事実であるため、小さく頭を下げる。
「ごめん。でも、あいつを取り逃がすのは避けたいし、仲間の調子が悪いなら援護をしたいから」
「それについては同感だな。それに責めているワケでもない。元々、冒険者が騎士と兵士と同じように足並み揃えて戦えるとも思ってないし、出来たとしても実力は出せないだろう」
元来、冒険者は少人数のグループで戦うことが多い。騎士や兵士のように多人数で行動し、戦闘することは稀だ。
だから、と。
アレックスは剣を引き抜いた。
「巻き込まないように注意しつつ、援護をしてくれ。自分たちも、君たち冒険者を援護するからな」
「もちろん――アレックスたち騎士に失望されないように、そしてニールを助けるために頑張ろうとしてるレンさんに笑われないように、僕も頑張らないとね」
炎の勢いが弱まり、転移者が再び進行を開始する。
それを見つめながら、腰に差した8の字に連なった筒を抜き放つ。下部の穴に粉末を注ぎ、杭を装填する。
引き金近くにある止め金具に糸を挟み、火打ち石で火をつけた。
「我が望むは旋風の結界――」
詠唱をしながら転移者たちに筒を向ける。
魔法使いが詠唱している事実に気づき、数人の転移者がこちらに視線を向けた。恐らく、魔法のスキルを放ち妨害するつもりなのだろう。
だが、問題ない。
初撃の準備は、もう完成している。
カルナは詠唱を続けたまま、引き金を引き絞った。
――野獣の咆哮めいた音が鳴り響く。
それと共に射出された金属の杭は、勢い良く大気を突き破り――密集している転移者たちに突き立った。
こちらにとっては運良く、あちらにとっては運が悪く金属鎧を纏っていない者の腹部に直撃した杭は、皮膚と肉を食い破り、しかし頑丈な転移者の体はそれを貫通させることを許さず体内に残留させる。
「あ、がっ――!?」
悲鳴。
苦悶の声。
轟音と共に響いたそれが、勇猛果敢にこちらに突っ込もうとしていた転移者たちの勢いを削いだ。
「ファイア――な、おい、あれ!? 鉄――」
「――っぽう、じゃねえか!」
「そうか、技術チートか! 構造知ってる転移者があっちに着いてやがる! ドワーフの国に行ったのは、この為――」
悲鳴と狼狽した声、そして的はずれな考察。
それを聞きながら、カルナは安堵と、そして苛立ちを抱いていた。
安堵はもちろん、この筒が転移者に対し効果があると分かったからだ。
そして、苛立ちは――
(現地人が造ったことを欠片も想像していない、傲慢なところだ!)
お前たちがどれだけ強いのかは知っている。
又聞きなれど、転移者が元々居た世界の文明はこちらの世界と比べ物にならないほど発展しているらしいということも、カルナは知っている。
その二つは事実で、自分たちの方が強いだとか、この世界の文明の方が優れているなどとは言わない。
(だからといって、自分たちは勝って当然、僕らは負けて当然――みたいに思われるのは非常に腹立たしいんだよ!)
ああ、結局のところ。
色々と理由をつけてはいるが、自分はただ、負けず嫌いなだけなのだ。
一度負けて、悔しかったから、次は勝ちたい――それだけなのだ。あいつも、きっと。
「――逆巻くその力で領域を侵犯する存在を弾き飛ばせ」
だが、その夢を叶えるのは自分が先だ、とカルナは魔法を発動させた。
狙う場所は転移者たち――では断じて無く、構える筒。8の字になっている穴の上部だ。発現した魔法の力は、筒の内部に風の結界を設置する。
「我が望むは、鳴り響く雷光――」
続けざまに詠唱を始めながら、カルナはベルトに差した短筒を掴む。
既に転移者たちはカルナの筒による動揺から立ち直り、こちらに視線を合わせている。あとほんの数瞬で、魔法のスキルがカルナを襲うだろう。
だが、問題ない――こちらの方が、速い!
短筒を、8の字の筒穴の上部と連結させる。
瞬間、風を切る鋭い音が連続で鳴り響いた。
「あぐっ!」
「痛っ――て、鉄の球……!? 発砲音してねぇじゃねぇか!」
当然だ。これは先程のように粉末を破裂させて射出しているモノではない。
風の結界の中に鉄の球を入れ、吹き飛ばしているだけだ。風切音はすれど、爆裂音などするはずもない。
空になった短筒を取り外し、別の短筒を繋ぐ。筒の内部に設置された風の結界によって、短筒に装填した鉄の球が吸いだされ、加速し、射出される。
これこそが、カルナが考えていた魔法の補助道具。筒という風の入り口と出口を明確な道具の中に魔法を仕込むことによって、コントロール能力の弱さをカバーしたのだ。
無論、改善はされてはいるものの、それでもまだ命中率は悪い。現状、弓矢には劣るはずだ。
粉末を使った筒もそうだが、外で使うと風の影響を受けすぎるのだ。カルナが遠距離武器を使い慣れていないという点を加味しても、それ以上に狙いがズレてしまう。
だが、大丈夫。
風の魔法を使うのなら、粉末を使う時に比べ連射が利く。それに、狙いがズレるといっても、風の魔法を投石器として使おうとしていた頃に比べてはマシになっている。気をつけて使えば味方の背中を撃つことはあるまい。
そして、何より――
「――雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を穿て!」
――カルナは魔法使いであり、筒の能力は自衛のためでしかないということだ。
転移者の頭上に生成された雷雲から、雷鳴と共に雷が迸った。
筒の射撃に警戒していた転移者達が、慌てて回避を始めるが――遅い。
雷が爆ぜ、紫電が舞い踊る。直撃を受けた者の全身は感電し焼け焦げ、掠った者たちも肌や鎧に膨大な熱量でダメージを受けている。
「よし、これで――」
決まった――などと安堵してしまったのは、筒から魔法まで全部自分の思い通りに動いてしまったからだろうか。
「オレの手柄だぁあああ!」
火傷を負った転移者の一人が、爆ぜる雷光の中を突っ切ってカルナに突貫して来たのだ。
しまった、と思い筒に短筒を接続しようとするが――やっている本人ですら理解している、間に合わない!
「面白い武器だね、カルナ君」
――雷光よりも雷光めいた一閃が、カルナの前を横切った。
ずるり、とカルナの目の前に迫っていた転移者の首が落ちる。
「そういったモノを考えつく発想力、そして直撃させれば転移者も倒せる魔法の腕。どちらも素晴らしいが、少々詰めが甘いね」
甲冑を纏い、兜を被った大柄な騎士。騎士団長ゲイリー・Q・サザンは、カルナを守るように立ち、剣を構えた。
「すみません、助かりました」
「なに、大陸の民を守るのは騎士の務めだよ。優秀な戦友ならば、尚更だ。それに、まだ終わっていないからね。この手の話は全部あとにしよう」
「――――はいっ!」
その言葉にすぐ応えられなかったのは、きっと胸から溢れた歓喜が思考を覆ってしまったから。
(リップサービスか何かかもしれないけど、認められた。優秀な戦友だって、騎士が、僕を)
当たり前だ、自分は優秀なんだ――そう言い聞かせても心の震えは止まらない。
自分が転移者に勝つために鍛え上げた魔法であり、考えだした道具だ。他人の言葉などどうでもいい、と思っていたものだが――
(他人に認められるって――心地良いものだな)
だからこそカルナは気を引き締めた。
ここで浮かれて大失敗、なんてことをやらかせば大間抜けだ。認めてくれたゲイリーにも申し訳ない。
「ノーラさん! 僕の後ろから離れないでね!」
「……はい」
その返事がどこか苦しげで、どこか悲しげで、内から噴き出す何かに耐え忍ぶような響きを持っていたことに、カルナは気づけなかった。
「しかし、連中も良い言い回しをするね。さっきから僕の筒をてつほう――鉄吼って呼ぶんだよ。名称は無かったし、これからこの筒は鉄吼だ! これが終わったらデレクたちにも伝えよう!」
普段なら違ったのだろう。
だが、認められて少しばかり浮かれていたから、些細な違和感に気づけなかったのだ。




