79/宿場町の不穏な空気
アースリュームから出立して一日経過したが、その道程は平穏そのものだった。
モンスターの襲撃は何度かあったものの、知性が無く彼我の実力差を見極められぬモノばかりだ。騎士と兵士、そして冒険者とドワーフの戦士が混ざったこの連合軍に消耗を与えることなど出来はしない。
(なら早く移動を――と思うが、まあ仕方ねえわな)
大人数での行軍はどうしても時間が掛かる。これはモンスターとの戦闘と一切関係ない。
全員の足並みを揃える必要があるし、人数が増えれば増える程に食料などの補給が必要になるからだ。
冒険者が重宝されるのはそういう面もあるのだろうな、と思う。
なにせ、騎士や兵士に比べ戦闘能力が劣る者は多いが、少人数で動くことに慣れている。時間にルーズな者が多いため時間のロスはあるが、補給の時間や人件費を大きく削れるのだ。
対し、兵士や騎士という大人数で移動する者たちは、どうしても時間がかかる。数が多い分、足並みを揃えようとしたら遅くなるし、人数分の食料や寝床の交渉だけでちょっとした手間だ。
安全性と戦力という面ではこちらが上だが、よっぽどの金持ちでもない限り兵士や騎士を個人で雇うのは難しい。
「ねえねえ、オルシ……ええっとうろ覚えだけどエルフの国! それってどのくらいで着くか分かる?」
おかげで俺も食いっぱぐれずに剣の鍛錬に打ち込めるワケだ――と周囲の警戒をしつつ浮かべていた暇つぶしの思考は、黒のロングヘアーを靡かせてこちらに歩み寄ってきた連翹によって打ち消された。
「オルシジーム。森林国家オルシジームだ、常識だから覚えとけ。……このペースなら明日の昼には着くんじゃねえか?」
急げば今日の夜には着くだろうが、あまり急いでもメリットがない。疲労をためるし、周囲の警戒が疎かになってしまう。
そんなところを転移者に襲われたら悲惨の一言であるし、それよりずっと弱いモンスターでもロード・ランナーのように初動が遅れると被害が出るモノも存在する。
危険は必要なら冒すべきだが、どうでもいい時に冒すべきモノではないのだ。
「また野宿? 最初は久々に夜空が見えて楽しかったけど、慣れてきたらやっぱり寒いだけじゃない。はやくついてー、はやくついてー。おふとんが恋しいのよ、おふとぅんが」
「なんで最後だけイントネーション変えたんだよ馬鹿女」
「ツッコミどころを設置することによって会話を円滑に進める高等テクニックよ。この辺の気配りが人気の秘訣かしらね!」
『どの辺りで人気なんだお前』と言いかけたが、たぶんそれも連翹の好きな騎士の言葉をもじったモノなのだろう。最近、なんとなく引用したりもじったりしてるのを理解出来るようになってきた。いや、なってしまったというべきか。
別にニールは黄金で鉄で塊という、金属以前に矛盾の塊のような騎士に詳しいワケではない。
ただ、独特な言い回しなため何度も聞いていれば憶測出来るし、連翹のテンションと「言ってやった! 言ってやったわ!」と言いたげな満足気なドヤ顔が憶測を確信に変えるのだ。
「それと、今日は野宿じゃねえよ、たぶん。アースリュームとオルシジームを繋ぐ街道の真ん中に、宿場町があったはずだからな」
「たぶん、とか。あったはずだから、とか。微妙に自信無さそうね」
「俺はオルシジームには行ったことねえしな、通ったことねぇんだよこの辺り」
魔王大戦後、交流が活発になったエルフとドワーフたちは頻繁に両者の国へと移動し、互いに商売し交流し、徐々に復興していった。
そんな時代に造られたのが、その宿場町だ。最初は国から国へと移動する者たちが道の端に馬車を止めただけだったらしいが、そこに金の匂いを感じ取ったドワーフとエルフの商人が店や宿を建て、徐々に大きくしていったという。
連翹にそう説明してやると、彼女は関心するでもなく感謝の言葉を言うでもなく、じりっ、とニールから距離を取った。
「……貴方、なんか乗り移ってない? 霊とか転生人格とか。ニールなのに無駄に博識で引くんだけど」
「よーし連翹その喧嘩買ってやる、宿場町着いたら覚悟しとけ」
「いやでも、ニール普段そんな歴史とか興味ないじゃない。なんで無駄に、ピンポイントにここのこと知ってるのよ」
「ヤル――っと、冒険者仲間からの受け売りだ。そいつがここが大好きでな」
護衛のクエストで近くに来たら、護衛対象を説き伏せてルートを変更させたりしたらしい。
理由は、確か――
「火山の麓にある街だから、温泉が沸くって話だったな」
疲れた体に独特な匂いの湯が染み入るのだとかなんとか。
もっとも、そう言った本人は実際に自分が入ることよりも、湯上がりの女を眺める方が好きらしいのだが。
「えっ、なにそれホント!? あたしたち入れるの!? 大人数過ぎるから外で野営するハメになったら泣くわよ? 泣くからねあたし!」、
「うっせえキャンキャン喚くな馬鹿女! 商品をたっぷり積んだ馬車を何台も停められるって話だし、相当運が悪くなきゃ全員町に入れるんじゃねえの?」
「本当? 本当ね? 嘘ついたらかなぐり捨てるわよ?」
「……つーかお前、大衆浴場とか行くの面倒くさがってノーラに連行されてたりしたじゃねえか。なんでそんなテンション高えんだ?」
「温泉は別腹! ……待って、この場合別肌って言った方がいいのかしら? ともかく、温めただけの水と温泉の水は別物なのよ」
「そんなもんかねえ……」
正直、ニールにはそこまで喜ぶ気持ちが分からない。
そもそも、東の島国である日向ならともかく大陸には温泉自体が少ないのだ。
入った経験がある者は少ないし、入ったことがない者も入浴のために遠出しようと思う者は多くない。ただ、冒険者の間では時々話題になるため、全く無意味な場所ではないと理解しているのだが。
(まあ、それでも)
連翹が楽しそうにしているなら、自分にとってどうでも良くてもアリかもな、と思うのだ。
別に連翹が嬉しそうにしているとこちらも嬉しい――みたいなことは言わないが、しかしアースリュームで見た弱々しい表情より、ずっとずっと良い――
「そういえばこっちの世界にも温泉卵ってあるのかしらね。定番と言えばまんじゅうとそれだけど、中世ファンタジーチックな異世界にあるのか疑問――」
「オイちょっと待て連翹待てお前待てぇ――!」
――なんて色々考えてたワケだが、そんなモノすぐに蒸発して頭から抜けていった。
「なんか今すげえ単語言いやがったな冷静に色々説明しやがれ!」
温泉と卵。
どちらもニールが知っている単語であるが、しかし温泉卵というモノは初耳だ。
不覚、完全に不覚だったと言ってもいい。そんなモノがあるなら、ヤルの温泉話をもっと真面目に聞いていたのに――!
「なんで温泉はどうでも良さそうな癖に卵に反応してるのよ、そっちが冷静になってよ! ……えっと、温泉の中で茹でた卵? あれ、源泉で茹でるんだっけ? ともかく温泉が出るとこで茹でたゆで卵とも生卵とも違うその中間の玉子よ……というかこっちにそんな文化あるのか知らないんだけど」
「うっしゃあ仕事頑張ろうぜ連翹! ここでサボってて馬車で留守番とか言われたら心が死ぬ!」
「ああ、うん……」
他人が凄いテンションだと逆に冷静になるわね――とドン引きしつつ言う連翹だったが、ニールはそんなことを気にしない。
生きる上で楽しみというのは常に必要であり、娯楽に食事はその最たるモノだ。生きるための活力になり、目標に向かって走るための燃料となる。
だから、連翹の言葉はニールにとって朗報だった。退屈な周辺の警戒も、終わった後に美味いメシが食えると思えばやる気も出ると言うものだ。
◇
それから数時間程移動すると、うっすらと町が見えてきた。
火山の麓にあるそこは、木造と石造りの建造物が見えた。街道の周りにある建造物は、エルフ風とドワーフ風のモノが法則性もなく混在し、見ようによっては乱雑な街並みにも見える。
しかし、多種多様のモノをゴテゴテと取ってつけたようなそれは、整然とした街並みとはまた違う異国感のある街並みに見えるのだ。
「台湾の屋台だらけの場所みたいね――いや、あたし行ったことないけど。温泉ある、っていうから日本風――こっちで言うところの日向風な街並みだと思ってたわ」
「お前がどんなの想像してたか知らねえけど、大陸でそういうの期待する方が間違ってると思うぞ。そもそも、大工だってそっち方面の家の建て方知らねえだろうしな」
日が暮れる前に着きそうで、少しホッとする。
アースリュームとは違い勧誘の必要がない分、長居をする意味はない。店が閉まりかけている時間に入ったら、連翹の言っていた温泉卵を食いそびれるかもしれないのだ。
安堵の息を吐きつつも周囲の警戒は怠らないようにする。そろそろ安全、と思い始める時が一番危ないモノだ。幸い周囲に人影は見えず、平穏ではあるのだが。
だから、前方で突っ立っている知り合いを見た時、気を緩めすぎたのではないかと思った。
「――妙じゃねえか?」
おい、気を抜くのは早えぞ、と声をかける前に彼は呟いた。
細身で小柄な男だ。黒髪を背中で束ね、緑を基調とした動きやすそうな衣服に胸元を補強するレザーアーマー。腰には短剣とポーチ、そしてカルナがドワーフと共に開発した『筒』を下げている。
ファルコン・ヘルコニアだ。彼は訝しむようにじっと街並みを見つめている。
「どうした? なんかあんのか?」
少なくとも、見える範囲に敵影はない。モンスターも、そして人影もだ。
「人の姿が全く見えねえんだよ。そっちはどうだ? なんか見えるか?」
「いや、俺も見てない。けどよ、怪しいのが居ないなら――」
言いかけて、止めた。
あの町はドワーフやエルフの商人が通り、温泉目当てに観光客も来る宿場町だ。仮に彼らが居なくても、宿場町に住み店を営む者も居るだろう。
だというのに、遠目から見る限り人影がない。人間どころか、ドワーフやエルフも。繁栄しているはずの町に、一人もだ。
全員居なくなったのか、建物の外に出られない事情があるのか。
どちらにしろ、何かあったのは確かだ。
「オレは騎士たちに報告してくる。もう気づいてるかもしんねえけど、一応な」
「分かった」
剣を抜き、いつ襲われても良いように準備する。連翹に目配せすると、彼女も慌てて剣を引き抜いた。
(……見える範囲に敵は居ない。何かあるとしたら、町の中か?)
ならば、相手はモンスターではあるまい。
モンスターであれば、少数だろうと大群だろうと、遠目から見て『人影がない』程度の惨状で済むはずがない。建築物を壊し、自警団や冒険者、商人の護衛を殺し――遠くからでも破壊と殺戮の痕跡を見ることが出来るはずだ。
ならば、相手は知恵持つ生き物だ。人間、ドワーフ、エルフの盗賊か。またはゴブリンやコボルト、オークといった言葉の通じぬ亞人か。
(いや、争った形跡も見えねえ。なら)
――争いになる前に力づくで制圧したか、一撃で戦意を削ぎとったか。
そして、そんなことが出来る存在は、魔王大戦時代に存在していた魔族か――
「転移者、か」




