78/また、いつか
「……ねえ、ノーラたち遅くない?」
連翹は辺りを見渡しながら少し不安そうに言った。
前もって決められた広場には、複数の馬車があった。騎士たちは冒険者たちに告げた時間よりも早く集まっていたのか、積み荷のチェックや人員の確認をしている。
今現在ここに居るのは、騎士と兵士、集合時間ギリギリで集まり始めた冒険者たち。そしてこの連合軍に合流する複数人のドワーフの戦士だ。出発時点では職業は違うとはいえ人間ばかりだったが、こうやって他種族が集まると非常にファンタジー世界らしくて見ていて楽しい。
――いや、それはともかくだ。
「カルナってけっこう時間はキッチリしてたじゃない。何かあったんじゃないの?」
不安に思って問いかけるが、ニールは心配するなと言うように手を振った。
「そもそもあいつ朝に弱いんだよ。夜はギリギリまで作業して、終わったら打ち上げ、んで体力がやべえから支度は朝にやろうと思ってたが起きられなかったとか、そんなんじゃねえのか?」
今頃、ノーラあたりに荷物整理してなかったこと怒られてやがるぜアイツ、とニールは笑う。
いくらなんでもそれはないんじゃない――と言いかけたが、確かに野営後の朝なんかは辛そうにしてた気がする。
それに、カルナはどうも興味があることに集中している時は他のことは蔑ろにしがちだ。女王都でノーラを引っ掴んでガクガクと揺さぶり、リバースさせた事件は忘れたくても中々忘れられない。馬鹿なことをやらかしたという点でも、その後のノーラの怒りっぷりでも。
「けどま、ギリギリであっても遅刻はしねえだろ、たぶん。あいつ、なんだかんだで真面目だかんな。今頃ひいひい言いながら走ってるんじゃねえの?」
「まあ、確かにね。基本はしっかりとした人だし、ルーズなタイプじゃ――」
ないものね、と言いかけて口をつぐんだ。
いいや、つぐまずにはいられなかった。
「あ? どうした連翹、いきなり黙りやがって」
「……ねえ、ニール。もしかしてだけど、もしかしてなんだけど、アレって超知人な可能性はあるかなぁーと思わなくもない的な」
「はぁ? 何言ってんだお前馬鹿お――ん……」
呆れた口調でもはや口癖とすら言える連翹に対する罵倒を言おうとしたニールは、しかし連翹と同じように口をつぐんだ。
連翹の視線の先。
地面でもなく、天井でもなく、ただ何となく視線を宙に向けたといった感じの中間地点。そこに、連翹が見つけたモノがあった。
――空中に向けて射出される氷の板。それを、足場にしてこちらに近づいてくる人影だ。
その人影は、遠目から見ても長い銀髪と漆黒のローブが目立っていた。
そんな彼の背中にしがみつくのは、見覚えのないドワーフの少女だ。三つ編みにオーバーオールという出で立ちの彼女は、カルナの背にひしっ、としがみついている。
そして、両腕には桃色髪のサイドテールの少女が抱かれていた。まだ距離が遠くて聞こえないが、何やら自分を抱く誰かに対して叫んでいる。
なんだろう。すごく、すごく見覚えがある気がするけれど――連翹は気のせいにしておきたい気分だった。
「……ああ、まあ……魔法使えば間に合うと思えば使うよな、カルナなら」
だが、頭を抱えて呟くというニールにしては珍しいリアクションを見ていれば理解できる、超知人だあれ。ああ、やっぱり他人の空似じゃあなかったのねー……、と少し遠い目になる。
この世界に来る前は、身体能力に任せて屋根の上を飛び回ったりしてショートカットするのに憧れたりしたが、実際見ると何やってんだあいつらこんな街中で――としかならない。気をつけよう、と連翹は内心で強く頷いた。
他の皆も空中を駆けてショートカットする人影に気づいたのか、周囲が徐々にざわめきだす。
「なんだアレ?」と冒険者が呟き、「街中での無意味な魔法の使用は迷惑行為なんだがな……」と騎士が呆れ、「両手に花じゃねえかカルナの野郎絶対許さねえ!」と見知った冒険者のファルコンが吼える。
「よっしっ! 間に合う――!」
「ちょっと待ってカルナさん落ちる落ちる落ちてます――!?」
そんな視線を気にもせず、カルナは氷の板を蹴り飛ばし地面に急速落下。ノーラの悲鳴が木霊する。
勢い良く地面に着地し、ザリザリと靴底と地面を削りながら速度を殺し、カルナはようやく止まった。背中に抱きついていたドワーフの少女が、つるつると滑り落ちるように地面に落ちる。
ふうっ、と騒動の中心は安堵の息を漏らした。
「無事ノーラさんとアトラさんも連れてこれたし……よし、後はデレクたちを誘ったことと彼らが遅れることを報――こぐうっ!」
報告すれば大丈夫だ、とでも言いたかったのだろうか。鳩尾辺りをノーラの拳で強打されたため、よく分からなかったが。
うめき声を上げながら震えるカルナの腕から脱したノーラは、腰に手を当てながら彼を睨んだ。
「なんで突然ああいうことやるんですかぁ! というか、市街地での無意味な魔法の使用って……捕まりたいんですかカルナさん!」
「え? ああ大丈夫大丈夫、アースリュームはエルフも多いとはいえドワーフが主体だからね。ドワーフに魔法使いがほとんど居ない分、魔法に関する罰則は人間の国やエルフの国より緩くてさ。氷の板出すくらいなら問題な――」
「そういう思考は犯罪者のモノだぞ、カルナくん」
ぐいっ――と。
男としても長身なカルナが、ローブの襟首を捕まれ持ち上げられた。
それを成したのは、長身なカルナよりも更に長身でがっしりとした禿頭の大男――ゲイリー・Q・サザンである。アルストロメリア騎士団の団長である彼は、強面ではあるものの柔和な表情を少しだけ引き締め、カルナを見つめた。
「アースリュームは魔法に関する罰則が緩いのは事実だけどね。けれどそれは、今住んでいる者たちにとって迷惑になるであろう行為をしてもいい、ということにはならない――ボクはそう思うんだけれど、どうかな?」
「えっと、それはその――すみません」
説教――というよりも教え諭すといった口調に、カルナは少しだけ居心地を悪そうにしつつ頭を下げ謝罪の言葉を口にした。
「まあ、分かればいいさ。それより、何か報告があったのではないか?」
表情を緩めてカルナを地面に降ろし、ゲイリーは問う。
「ああ、そうだ。ギリギリになって申し訳ないんですけど、工房の職人を五名程勧誘したので――」
カルナがゲイリーに報告している間に、連翹は小さな少女ドワーフ――先程カルナが漏らした言葉から察するに、名はアトラだろうか――と会話しているノーラの元に駆け寄った。
それに気づいたのか、ノーラもまた微笑みながら小さく手を振る。
「レンちゃん、おはよう。ちゃんと起きられましたか?」
「起こしてくれる人が居ないと不安で、妙に早く起きちゃったわよ。それより、その娘は?」
こちらを見上げるアトラを見下ろしながら問いかける。
「この娘はアトラちゃんって言うんです。カルナさんがお世話になった工房の工房長の妹さんで、この歳で凄い職人さんなんですよ」
「……アトラ・サイカス。工房サイカスでは、装飾や刀身の彫刻などをしてる」
ノーラの言葉に、一瞬ものすごく文句を言いたげに眉を寄せたが、しかしすぐに気を取り直して頭を下げた。
子供扱いされて不満ではあるが、しかし職人としての腕を褒めているのでセーフ――ということなのだろうか。
「うん、あたしは片桐連翹。この連合では――えっと、そうね……黄金の鉄塊みたいに頑丈で頼れる存在よ!」
しばしの沈黙。
アトラは眉を下げ、表情に困惑の色を滲ませてノーラを見つめる。
「ああ、うん――レンちゃんは悪い人ではないんですよ」
「うん、その言葉でなんとなくどんな人か分かった……」
「え、なに? もうあたしの凄さを理解するなんて、アトラ、貴方って本能的長寿タイプね。圧倒的にさすがって感じ! ジュースを奢ってあげるわ!」
「いえ……アトラはもう大人だから、そういった子供っぽい飲み物は要らない」
えー、そうー? と食料品などを売っている店に駆け出そうとしていた連翹が不満そうに言う。
「何やってんだ馬鹿女。つーか、もう集合時間は過ぎてっから離れんな。遅刻した他の冒険者と一緒くたにされて騎士に怒られるぞ」
「う、それは勘弁ね、せっかく早起きしたのに……」
呻く連翹をそのままに、ニールはよっ、とノーラに向けて軽く手を上げる。
「災難だったなノーラ、そっちのドワーフのガキンチョもな。ま、悪い奴じゃねえからあれで嫌わないでやってくれ」
だが、緩めた眉はニールの登場で更に強く寄せられることとなった。
「…………アトラって言う。よろしくお願いします」
しかし、ここで怒るのも大人気ない――それでは自分が子供だと認めるようなモノではないか。
だから、アトラはぐっと堪えて丁重に頭を下げた。怒りが声に滲まないように、なるべく平坦な声音で。
「おう、俺はニールだ――なんだ元気ねぇな。朝飯食ってねえのか? ガキの癖にダイエットとか考えてたらやめとけよ。ただでさえ小せえんだから、食わねえと大きくならねえぞ」
ぴくぴく、と眉が跳ねる。
だが、ぐっと堪える。感情的になるのは子供っぽいから、とアトラは思っているからだ。
「口調はいつもどおり。それに、小さくないし、ガキでもない――アトラはもう十分大人だから、レディだから」
それでも抑えきれなかった怒りが、細められた眼から放たれる視線となってニールを襲う。
その様子を見て、連翹とノーラはようやく彼女が子供扱いされたくないのだと分かった。
連翹は「まあ誰にでもそんな時期はあるわよね」と頷き、ノーラは「やっちゃった……! ああ、だから時々言葉が刺々しかったんですね!」と自分の失敗に頭を抱えだす。
別に、二人が鈍かったワケではない。
アトラ自身が他人に子供と言われても、それで怒らないようにしていたのだ。思春期のドワーフ少女らしい行動であるためにカルナのように知識があれば気づけたが、ドワーフに対する知識の少ない彼女らが気づくことは難しかったのである。
ニールも理解したのか、ああ、と小さく頷き――
「知ってるかー? 自分が大人っていう奴ほど子供なんだぜー? アートーラーちゃーん?」
――気遣うどころか逆に全力で挑発し始めた。
ぷつん、とか、ぶちん、とか。
そんな音が聞こえてきたのは、錯覚だろうか。
「――ぶっ殺す!」
「おおっと!」
言葉と同時にスネに向けて放たれたローキックをひらりと回避すると、ニールは笑顔で手招きをする。
「まだまだ甘いなガキンチョめ、経験が違うんだよ経験がぁ!」
「そこで待ってて! 殴る! 殴るから!」
「殴るって言われて待つ馬鹿はいねえぞ! 悔しかったらこっちまで来いよ!」
出発までの時間を持て余した冒険者たちの人混みに紛れ、ニールは疾走する。その背中を、腕まくりをしたアトラが追いかけていく。
その背中を、ぽかんとした表情で見つめていた連翹とノーラだったが、我に返ると二人して微妙な顔でため息を吐いた。
「あ、あの人は……! ニールさん、本当にああいう女の子に嫌われるようなコミュニケーション好きですよねぇ……!」
「小学生男子が女子に意地悪したり、父親が娘からかって遊んだりしてるノリよね。あれって絶対嫌われるのになんでやるんだろ……ってアレ? さっきの以外になんかやってたっけ? 『本当に』、なんて強調するほどああいうことしてた覚えないんだけど」
「え? えっと――いえ、ちょっとした言い間違いですよ! カルナさんにいきなり高いところに引っ張りあげられて、その後にニールさんのアレですから! ええ、少しだけ混乱してたみたいですね!」
「――なんで僕が真面目に説明してる間に、あんなに大騒ぎしてるのかな」
誤魔化すように慌てるノーラを怪訝に思いつつも、まあいいか、と意識を戻って来たカルナに向ける。ノーラの言葉以上に、カルナの服装が少し気になったのだ。
魔法使いらしい黒いローブは普段通りなのだが、腰のあたりに金属部品を使ったベルトを着けているのだ。
そのベルトには、無骨な小さな鉄筒が複数。
そして、二つの筒を重ねた、長剣くらいの長さの鉄筒が引っ掛けられていた。二つの筒を重ねたような形状のそれは、正面から穴を覗きこめば8の字に見えることだろう。
「なんか珍しいモノ持ってるわね。杖、じゃないわよね?」
連翹の目を引いたのは後者の長いモノだ。
金属を主体とし、持ち手部分に木材を利用したその筒は、一見RPGにおける魔法使いの杖のように見える。しかし、この世界では杖による魔力の増強というシステムがないため、そのようなモノを持つ利点はないはずなのだが。
そして、ノーラが持つ護身用の鈍器ともまた違う。鈍器として使うには不必要であろう部品や装飾が素人の連翹が見ても沢山存在する。打撃に使えなくはないかもしれないが、本来の用途ではないだろう。
側面には顎を大きく開いたドラゴンの彫刻が刻まれている。先程の少女アトラが装飾と彫刻の担当をしていると言っていたから、これは彼女が掘ったのだろう。
(……なんか見たことあるような気がするんだけど、うーん?)
たぶんだが、初見ではない。
もちろんカルナが持っているそれを見たのは初めてだが、こういった形状の何かを見たのは初めてではないような気がするのだ。
恐らく、地球にいた時に雑誌なり漫画なりラノベなりインターネットの画像なり――とにかく何かで似たようなモノを見たはず。しかし、それがなんだったのかを思い出せない。
この世界に来てもう二年も後半。地球にいた頃に覚えていた知識も、興味が無かったりうろ覚えだったりしたモノは忘れ始めている。
「うう、こんな時にグーグル先生が居てくれたら――それはともかく、ねえカルナ。それは一体なんなのよ」
「まだ内緒さ。次にモンスターと会った時にでも披露するよ」
そう言って、カルナは微笑んだ。
「皆、そろそろ出立するわ! 馬車に乗り込む者は馬車に、周囲の警戒に当たる者は私の方に集まって――ニール君、いつまで遊んでいるの!」
「悪い、今戻る! ほら、アトラもガキじゃねえってんなら騎士サマの指示に従おうぜ!」
「誰のせいだと! ……いえ、今ちゃんとしますので……待って、お兄ちゃんたちは?」
女騎士キャロル・ミモザが冒険者たちに指示を出す。
既にいくつかの馬車は動き始めていて、地下から地上へと移動を開始していた。
「アトラさん、安心して。アレックスが手続きを済ませてもう馬車に乗ってるや。どの馬車か教えるよ」
「あ、ありがとうございます、カルナさん」
「おいカルナ、大丈夫かよそんなガキ一人で行かせて。迷子にならないように送ってやった方がいいんじゃねえか?」
「ならない! アトラをなんだと思ってるの!?」
「……ニールの言葉はどうかと思うけど、よく考えたら女性を一人で行かせるのもマズイか。良かったら、馬車までエスコートさせてもらえないかな、アトラさん」
長い螺旋の通り道を移動し、外へ出る。
久しく見えなかった空からは太陽の明かりが降り注ぎ、地下に慣れた目を焼いた。うう、と思わず連翹は視線を細める。
久々の青い空は新鮮でありつつも、もうここはアースリュームではないんだな、と少しだけ寂しく思ってしまう。
だって、女王都の時と比べじっくり観光もしていない。まだまだ見たいモノがあったし、食べたいモノもあった。それが少し残念なのだ。
「来年の夏。皆の日程が合えばまた来ましょうね、レンちゃん」
そんな連翹に対し、ノーラが優しく微笑む。
それが、遊園地から帰る時に寂しそうな表情をする子供に対して母親がするような顔に見えて、少しだけ恥ずかしい。自分はそんなに子供じゃないと思うから。
「うん、そうね――その時は一緒に装飾通りを回りましょ」
微かに赤い頬を隠すように、視線を逸らしながら言った。




