77/不安と誓い
消耗品の補充や連合軍の勧誘などでしばらく留まっていたアースリュームだが、ようやく出発する時が来た。
当日の早朝。ニールは出立のために荷物を纏めると、かつての愛剣を混ぜた胸当てを身に纏い、剣の素振りを始めた。
型を確かめるようなゆったりとした動作から、徐々に実践的な動作へと変化させていく。
振り下ろし、斬り上げ、薙ぐ。
踏み込み、飛び退き、地面を転がりながら受け身を試す。
「前より鉄部分が多いってのに――すげえな、全く動きの邪魔にならねえ」
あのドワーフも腕は良かったのだと実感する。
本音はもう二度と出会いたくないホモ野郎なのだが、しかしこの仕事ぶりなら嫌々ながらまた会う必要があるかもしれない。
なにせ、防具の性能は戦闘での生死に直結する。
頑丈であれば相手の攻撃を受け止められるという点もそうだが、体に馴染み動きやすいモノであれば回避行動も容易になる。
そして何より、動きやすい防具なら斬撃の速度は加速するし、頑丈であれば怪我を恐れずに精神的に余裕を持って相手の間合いへと踏み込める。攻撃は最大の防御と言うが、防御もまた最大の攻撃に成り得るとニールは思うのだ。
「後は、剣だけか」
数合わせとして購入した剣をじっと見つめる。
分厚く切れ味の鈍い刀身は、ニールの趣味ではない。値段のワリには悪い剣ではないと思うのだが、しかし前の剣に比べて振り難いことは否めない。
何度かの鍛錬で体には馴染んではいるものの、万全とは言いがたいのだ。
無論、だから戦えないなどと言い訳するつもりはない。そもそも、戦いなど万全で行える方が珍しいのだから。
不完全な部分は、不完全だと理解しそれに合わせた動きをする――それがきっと、優秀な剣士なのだろうなと思うのだ。
「……おふぁよう……貴方って本当に朝早いわね……前世はニワトリとかじゃないの? ニワトリ転生-人間になった俺は剣士として成り上がる-みたいな感じでストーリー展開してるの貴方?」
疲労を貯めるのもどうかと思い、早めに鍛錬を切り上げようと剣を鞘に収めた時。
連翹は非常に眠たそうな声音と共に現れた。
半分閉じたような眼でこちらを見る彼女はシャツとショートパンツという部屋着のまま、そして髪も色々なところが跳ねたままだ。普段よりも脚の露出が多いものの、女性的魅力よりもだらしなさの方が際立っている。
はあ、とため息が漏れた。
「なんだその珍妙なタイトル、ニワトリが人間に転生して何が面白えんだ……いや、それ以上にお前髪とか整えろよ、ぼっさぼさじゃねえか」
「はふぁ――そうね、人間がニワトリに転生しないとインパクトないわよね、その場合は卵でチートでもすればいいのかしら……ああ、髪なら後でやるわ。ノーラが居たらあたしが半分寝てても整えてくれるんだけど」
大きなあくびを漏らす連翹の言うとおり、ノーラは今この宿周辺には居ない。カルナと共に、ドワーフの工房に篭っているのだ。
ノーラが言うには、最初に顔を出した時、あまりにもあまりな状況だったため監視したい――とのことである。何があったのかは、笑顔の中に怒気を含ませた表情が怖くて聞き出せなかったのだが。
「そのくらい自分でやれ、自分で。それとも、俺がやってやろうか?」
「勢いに任せて髪の毛引きちぎりそうで嫌」
男に髪をすかれることに関してはどうでもいいのだろうか、いや、寝ぼけているだけか。
「だろうな、俺自身似たようなことやらかすと思う――そんなワケだから、さっさと準備しろ。でねぇと無理やりすんぞ」
はいはぁい、と気だるげな声で宿に戻っていく連翹を見送ると、ニールは一人頭上に視線を向けた。
無論、ここは地下国家アースリュームだ。見上げても空など見えはしない。
けれど、それでも構わない。そもそも、ニールが見ているのはもっともっと先――これから移動する道程だ。
(出来ればエルフの国、森林国家オルシジームに着くまでは……剣を手に入れるまでは、デカイ戦闘は避けたいとこだが)
だが、それはきっと無理なのだろうと思う。
カルナを襲撃した転移者は、レゾン・デイトルまでは大規模な攻撃はしないと宣言していたらしい。
しかし全く攻撃を仕掛けてこない、などと油断出来るはずがない。
転移者は最強だ――悔しいが、それは事実である。身体能力だけでも真っ向から勝てる人間など居ないし、その上で未熟な技量をサポートするスキルという力を持っている。
そんな彼らの集団の中から数人が「逆らう馬鹿を突いて遊ぼう」と軽い気持ちで攻撃を仕掛けてくれば――勝てないとは言わないものの、手酷い被害を受けるのは確実だ。
「どうなるのか、俺はどこまでやれるのか――ったく、考えても意味なんざねぇってのに」
頭を振ってらしくもない不安を散らし、宿に戻る。
今やるべきことはグダグダと悩むことなどではなく、ちゃんと朝食を摂って体調を万全にすることなのだから。
◇
小さな小さな工房、工房サイカス。その内部から、子供の玩具箱をひっくり返したような騒ぎが漏れ聞こえてくる。
今は朝であり、近所迷惑だとカルナは思うが――しかし今はそんなことを考慮している暇はない、と近隣住民に内心で謝りつつ走り回る。
「ねえデレク! 筒用の玉入れどこに置いたっけ!?」
「ああ!? そっちの棚にあるじゃねえか!」
「そっちは杭で、僕が探しているのは僕用の玉! 完成品の筒の仕様をメモした時はあったと思うんだけど……!」
――誤算だ。
そう、誤算があったのだ。
「あ、あの短い筒だろ? なんか酒瓶と一緒に台所にあったぞ――ってか、発射する筒とカルナの旦那用の玉入れの筒、どっちも筒でごっちゃになるから名前つけようぜ名前ー」
「ああ、それやったのオイラだ、もう机の上も床も置き場なんてなかったから……名前なんて筒と杭、あとカルナのアレは玉入れでよくない?」
「分かった、取ってくる……うわ、とっとと! 名前は後でちゃんと考えよう!」
転がった酒瓶を踏み、バランスを崩しかけるがなんと持ちこたえる。
すっ転ばなかったことを安堵する間もなく、カルナは台所に向かいそれを回収する。
それは、小さな鉄球が五個程入れられた鉄筒だった。側面に止め金具があり、ベルトなどに引っ掛けられるように出来ている。
――筒は完成した。完成したのだ。
カルナが使う魔法のサポート用品も、筒の作製が終わった後にデレクたちに頼み込んで作って貰った。
その時点では完璧だと思ったのだ。
「やばいやばいどうしよう全然整理してなかったから道具とかどこにあるか分からない……! 出発に間に合わないかも!」
考えていたモノが出来上がり、テンションが上がっていたせいだろうか。
完成させたことで満足してしまい、出発のための準備をすっかり忘れ、デレクたちと酒を飲んでいたのだ。
自分でも間抜けだと思う。しかし、自分が悩みに悩んで考えついた道具が完成した事実に細かな思考が頭から吹っ飛んだのだ。
「はあ――まったくもう。カルナさん、着替えは用意しておいたので、顔洗って髪の毛整えてきてください」
深い溜息と共に現れたのはノーラだ。隣にはアトラもいる。彼女らの手には丁重に畳まれたカルナの衣類などがあった。
それらはデレクたちと筒の開発をしている時に乱雑に脱ぎ捨てたモノだったはずだが、彼女たちが洗濯してくれたのだろうか、汚れなどが綺麗に洗い落とされている。
「いや、でも……」
「散らかってるのにあっちをひっくり返してこっちをひっくり返して――そりゃ色んなモノが無くなりますよ。種類ごとに纏めておきますので、早く行ってきてください。ほら、早く!」
普段よりいくらか強い口調でカルナを追い出すと、ノーラは唯一モノに埋もれていない椅子にカルナの衣服を置き掃除を開始する。
彼女自身、床に乱雑に落ちたモノの重要性が分からないため今まで手を出さなかったが、もう我慢の限界だとばかりに紙を纏め、書き損じだと思われるくしゃくしゃな紙をゴミ箱に入れる。
「アトラちゃんは、えっと、筒? とかの方をお願いします。わたしじゃ試作品なのか完成品なのか、見分けがつかないので」
「……ん、分かった」
ちゃん付けに若干不満そうな顔をしたアトラだったが、しかし仕事を任されたためか、いそいそと工房の中を駆けまわり製造したモノを選別していく。
慌ただしく駆けまわる二人だが、そこで男たちが手を出すことは出来ない。カルナもデレクたち男ドワーフも、こういった作業では足手まといにしかなりそうになかったからだ。
(片付けるのとか、得意じゃないからなぁ、僕)
冒険者になる前の故郷の自室は本や紙で埋まっていたし、拠点にしていた『黄色の水仙亭』でも買いすぎて本で女将や同室のニールに文句を言われたものだ。
荷物が少なければ問題ないし、外出時などはしっかりと道具を整理するのだが、ある程度気を抜ける場所を片付けるのはどうも苦手なのである。
そういった部分はむしろニールの方がしっかりしてるよなぁ、と思いながら井戸に向かい、水で顔を拭う。
「……ふう」
眠気が失せて鮮明になっていく頭の中で、ここに至るまでの道筋が想起される。
転移者に、今は雑音語りと名乗る男に負けたあの日から、カルナ・カンパニュラという男の人生は大きく変わった。
冒険者になり、日銭を稼ぐ冒険者を無能と罵りながら各地を転々とし――そしてニールたちと出会った。
その一年後にレゾン・デイトル行きのクエスト受け、ノーラと連翹と出会い、レオンハルトと戦い、雑音語りと再開し――今、カルナはここに居る。
――ああ、思い返すと、もっと上手く出来たのではないか、と思うことばかりだ。
カルナは今でも自分のことを才能のある魔法使いだと思っている。だが、そんな自分でも一人だけの力でなんとか出来たことはほとんど無いのだなと思う。
様々な人と出会い、力を貸してもらって、ようやくこの場に立てているのだと強く実感する。
「だから――負けてはやれないよね」
信じて来た自分の力と、
そんな自分を信じ助けてくれた皆の力、
それらを束ねた力で、これまでの道程が間違いではないと証明するのだ。
「カルナさーん! こっちは終わったので早く戻ってきてくださーい! あまりゆっくりしている時間はないですよー!」
「うん、分かった! ありがとう、ノーラさん!」
もしかしたら、それらだけではまだ届かないかもしれない。
相手は強大だ。努力したから勝てる、なんて道理はないだろう。
だが、カルナが束ねた力は、隣で戦う者を信じ助ける力となり、また隣の誰かも束ねて来た力でカルナを助けてくれるはずだ。
だから、大丈夫。
「一人で最強な戦いをしてるだけの奴に、負ける道理なんてないさ」
臆病な自分が漏らす怯えを掻き消すように堂々と言い放つと、カルナは工房サイカスへと駈け出した。




