6/魔導書
カルナ・カンパニュラは夜に強い。
というよりも、基本的に夜型の人間なのだ。
日が出ている時よりも、仕事を終えて宿の一室に戻った時の方が調子がいい。冒険者になる前は夜中にずっと自室に籠もり魔法の研究をしていたため、体が夜に活動することに慣れてしまったのだろう。
ニールと共に冒険するようになってから多少マシになったものの、やはり夜の方が得意だし朝は苦手だ。昇る太陽が「早く起きろ早く早く」と自分を急かしているようで気に食わないのである。
「……さて、と」
故に、彼の鍛錬は夜に行われる。
皆と夕食を食べてから、もう数時間は経つだろうか。辺りに起きている人間の気配はなく、同室のニールは気持ちよさそうに熟睡している。
それを起こさぬように戸を開け外に出る。
ぎい、ぎいと軋む階段をゆっくりと歩き、無音の食堂に入る。手近な椅子に座ると、ランタンに明かりを灯し愛用の魔導書と筆を取った。
(……クエスト中の魔法は速めに発動できた。他の魔法ももっともっと簡略化して、即座に発動できるようにしないとね)
魔法を扱う上で重要なのは、魔力を練る過程のイメージ力と、精霊に対し如何に自分がしたいことを伝えるかという言語能力である。
魔力を上手く練れば精霊は見ただけで自分が必要とされる力を理解し、その超常の力を貸してくれる。
精霊に伝わりやすい言葉を扱えれば詠唱は短く済む。が、それだけでは足りない。精霊たちは詩的な言い回しや古めかしい言い方を好むため、それを加味しないと端的で明確な詠唱でもそっぽを向かれてしまう。
昔ニールに魔法について尋ねられ詠唱について話すと、「そういうことか。いやあ、ずっとなんでコイツ無駄にカッコつけてんだとか思ってたわ」と言われ思わず魔導書のカドでぶん殴った覚えがある。無駄じゃないだろ、実際カッコいいだろう! と叫びながら。
あの喧嘩の後、女将が自分を見る目が妙に微笑ましいモノになっていたが、あれは一体どういう原理なのだろうか? カルナがいくら考えても答えは出ない。
(ああもう、それはともかく――実戦で扱える魔法はまだまだ少ない。精進しないと、ね)
クエスト時に使った以上の魔法はいくらでも使える。
だが魔力を練り、詠唱し、最終的に発動まで十分以上かかる魔法など実戦で使う場所などあるものか。
それは使えるだけであり、決して使いこなしてはいないのだ。四肢を動かすように自然に使いこなせてこそ一流と呼べる。
故に、彼は魔導書を開き筆を取るのだ。今は実戦に耐えぬ魔法でも、いつかは扱えるように図形を描き、詠唱を構築する。
「……我が望むは、天上から鳴り響く雷光。雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を貫け……うーん」
『天上から』は削ってもいいだろうか、鳴り響く雷光で『雷の魔法』だと精霊に伝わるのではないか。
それに貫け、よりも穿ての方が良いだろう。一文字だがそれが明暗を分かつこともあるのだから。
この工程が地味に面倒で難しいんだよなぁ、とカルナは宙をぼんやりと眺めながらぼやく。
詠唱を短くしすぎては、精霊に意図が伝わらないかもしれない。故に試行錯誤し詠唱を徐々に簡略化していく。
ランタンに照らされた魔導書に新たな魔法の図形と詠唱を書き記す。
その過程は彫刻刀で木を削っていくことに似ている。繊細に、時に大胆に無駄を削り完成へと導く作業は完成した時の派手さに比べると圧倒的に地味だ。
「う……ん!」
全てを書き終えたカルナは、ぐっと伸びをした。
ニールと共に冒険に出ている時とは違う類の疲れが体に纏わりつき、まぶたが下へ下へと動いていく。
それを強引に振り払い、魔導書を掴む。こんな場所で寝るワケにはいかない。寝るならベットだ、せっかく金を払ってるのになぜ固い木のテーブルで寝なくてはならないのか。
眠気に屈そうとする体を強引に動かし、階段に向かおうとする。
しかし、思ったよりクエストと鍛錬の疲労が溜まっていたらしい。指の力が溶けるように抜け、魔導書が床に落下した。ばさり、と広がるページ。
「お、っと……」
拾おうとして、開いたページを見る。
そこにはカルナが研究し、しかしどうにも上手く扱えぬ魔法の図形と詠唱が書かれていた。
「こっちも、もっと弄りたいんだけど……試すワケにはいかないからなぁ」
攻撃魔法なら、いい。失敗しても魔力が霧散するだけだ。
しかし、この手の魔法は失敗すれば魔法をかけた相手に直接影響する。魔力の構築を誤れば、精霊が与えた力が体に負担を与え、肉体を破壊するかもしれない。
ニールにはこの魔法の存在を伝え、完成した時には使うと約束したが……その約束を果たすのは一体いつになることやら。
試しに体の構造が人間に近いモンスターなどに使用し、その時は上手く発動した――だが、しょせんは近いだけだ。人間相手に確実に上手く行く保証はない。
「でも、諦めるワケにはいかないからね」
ニールが自分を剣で支えてくれるように、自分もまた魔法でニールを支えよう。
「そう、同じ夢を抱く者として――」
――転移者に勝利するための努力を怠る気はないのだから。
別段、特別な話ではない。
天才ともてはやされ、努力はしつつも増長していた子供が、魔法の魔も学んだことのなさそうな少年に敗北した。ただそれだけ。
自分を負かせた少年を恨んでいるワケではない。むしろ、伸びに伸びた鼻をへし折ってくれたことに感謝をしているくらいだ。
だが、恨んでいないということと、悔しくないということ。それは決してイコールではない。
(だって、救われないじゃないか)
どれだけ努力しても、どれだけ才能があっても、人の世を俯瞰する全能なる者の気まぐれで全てが無に帰す。
自分以上に努力をした誰かに打ち破られるのではなく、自分以上の才能を持つ誰かに敗北するのでもなく、何も持たざる者がある日突然盤面をひっくり返す。
どれだけ真剣に打ち込んでも神さまとやらの気まぐれで終わる。それが当然の真理なのだと、当たり前の現実なのだと認めるなど――あまりにも、救われないではないか。