75/鋼の咆哮
「ここ、ですね」
地図を片手に、ノーラは呟いた。
ニールたちが仕事を頼んだドワーフの性癖に気づいた頃。ノーラはようやく目的としていた工房にたどり着いた。
迷ったワケではなかったが、慣れない道であるためゆっくりと辺りを確認しながら歩いたのだ。下手に迷えば、余計に時間がかかると思ったから。
小さな建物だ。道中見かけた大小様々な工房の中でも、とりわけ小さい。
屋根に付けられた煙突と風見鶏、そして土壁に直接刻まれた『工房サイカス』という文字が無ければ素通りしてしまうところだったろう。
確かに、カルナは小さな工房だと言っていた。しかし、予想以上だった。大きな工房なら、物置だってもっと広い。
しばし地図とその建物を見比べていたノーラだったが、「よしっ」と強く頷くと、入り口に向かって歩き始めた。
「すみませーん! 誰かいませんかー?」
小屋――もとい、工房に向けて声を張り上げる。
けれど、返事はない。
首を傾げながら、念のためもう一度と思った時、玄関のドアがギイと音を立てて開いた。
「はい……えっと、どなたですか?」
顔を出したのは、三つ編みのドワーフの少女だ。おどおど、と扉から顔だけ出したまま、彼女はノーラに問いかける。
それを見て、ノーラは彼女を子供だと思った。
確かにドワーフの女性の年齢は他種族には分からないことが多いし、実際ノーラもよく分からない。成人のドワーフは男女ともにヒゲが生えるものの、女性の場合は剃ることが多いため他種族から見て判別がつかないのだ。
だが、こういった来客に慣れていなさそうな仕草が、彼女が経験の少ない子供であると思えた。
「わたしはノーラっていうの……ここにカルナっていう男の人が来ているはずなんですけど、何か知らないかな?」
だから、ノーラは屈んでドワーフの少女と同じ目線の高さにした後、微笑みながら言った。大人が子供に対してするように、である。
気の弱そうな子だし、初対面の自分が大きな刺激を与えないように――という考えからの行動だったが、しかしそれは失敗だ。
そもそも、寿命が短く早く一人前に成りたがる者が多いドワーフという種族に対し、子供扱いというのは歓迎されることは少ない。
「……」
だから、三つ編みのドワーフは小さな口をへの字に曲げた。
彼女自身、自分が人間から見て大人っぽい容姿だと思ってはいないが、しかしだからといって面と向かって言われたら腹が立つ。
「えっと、ごめんね。お父さんとかお母さんとか、お兄さんが来るのを待ったほうがいいかな?」
そしてまた、ノーラはノーラで彼女が不機嫌になったことを察しつつも、どこで間違えたのかを察せられないでいた。
これは別に、ノーラが無知であり常識知らずである、ということではない。そもそも、ドワーフは魔王大戦以降、人間とドワーフの交流が少なすぎるのだ。
他種族について調べ学んでいたり、冒険者や商人のように交流する機会があれば、その手の知識も得られただろう。しかし、村娘に多少毛が生えた程度のノーラは、人間の常識はあれど他種族に対する常識が無かった。
「その程度、アトラでも十分ですので……中に居ます。どうぞ」
アトラと名乗った三つ編みのドワーフは、不機嫌そうな表情のままノーラを中へと促した。
面と向かって子供扱いされたことに対し不満はあるものの、ここで怒ったりしたらそれこそ子供っぽいと思ったからだ。
「ありがとう。お邪魔し――」
ます、と言い切る前に室内の惨状がノーラの瞳に飛び込んできて、固まった。
――――なんか、四人のドワーフと、カルナらしき男が地面に倒れ伏している。うわあ、と言いたくなる程の酒の臭いを発しながらだ。
床には酒瓶とか資料とか設計図やら試作品やらが乱雑に散らばっている。アトラはそれらを踏まないように器用に跳ねながら移動し、危険物を回収して棚や机の上へと退避させていく。
なんだろう。
なんで誰もぴくりとも動かないのだろう、この男たちは。
「試作品が出来上がったから、って酒飲み始めたの。そしたら誰が一番飲めるか競い出して――アトラが起きたら、皆とカンパニュラさんがこんな状態だった」
「カルナさんって実は馬鹿なんじゃないですかね?」
人間とドワーフでは体の造りが違う、というのはさすがにノーラだって知っている。
体力があり、頑丈で、あらゆる臓器も強靭だ。下手な毒ではドワーフを弱らせることはできないし、弱いアルコールなど酔っ払う前に分解されてしまう。
そんなドワーフが飲む酒だ、強いに決まっている。大通りで売っている物や飲食店なら多種族向けにアルコール量を抑えている物もあるが、ドワーフが自宅に持ち帰るようなモノが強くないはずもない。
「むっ――カンパニュラさんは馬鹿じゃない。実際二位まで勝ち上がった――勝ち上がった瞬間に倒れて、今も動いてないけど」
「かっ、カルナさぁあああん!? ちょ、大丈夫ですよね!? 死んでませんよね!?」
慌てて抱き起こして脈とか呼吸とかを確認したのは間違いではないはずだ。
というか、強敵と戦うために新たな道具を製造しに行ったら急性アルコール中毒で死んでいたなんて、情けなさすぎて笑い話にもならない。
「うう……ノー――」
「ああ良かった……! 顔色は悪いですけど、意識はちゃんと――カルナさん?」
急に口をつぐんだカルナに対し、首を傾げる。
しかしカルナはそのようなことを気にしている場合ではない、と言うように辺りを見渡し――自身の周辺に散らばる資料や設計図を目視し、覚悟を決めたようにノーラを真っ直ぐ見つめた。
その真剣な表情に、少しばかりドキリとする。
顔色は若干青く、口元も何かを抑えつけるように膨らんでいるが、それでも間近な距離で見つめられるとつい――
「……あれ?」
――なんだろう、この口元まで迫ってしまったモノをギリギリ押しとどめているけど、なんかもう傍目から見ても留めておくのは無理そうだなっていう頬の膨らみは。
脳内で警鐘がガンガン鳴って、今すぐダッシュして退避すべきだと本能が叫びだす。
「――あっ」
あれ、これすごくまずいんじゃあ――?
そう思考した時点で、全ては手遅れだった。
「う、ぉ、え――」
ものすごく、ものすごく酒臭い固形物混じりの液体が、勢い良く――
「きゃあちょっと待って待って待って止めて本当に冗談じゃ――ぁあああああああ!」
「なんだあれ、マニアックなプレイか? つーか俺の工房で何やってんだあいつら」
「お兄ちゃんおはよう」
「おう、おはよう――いや、とりあえずあの嬢ちゃん半泣きだから、タオルとお前の服貸してやれ。丈が長いワンピースなら人間でもギリギリ着れるだろ、たぶん」
◇
「――ええっと、その、ノーラさん」
カルナがやらかして、おおよそ三十分後。
アトラのワンピースを着たノーラは、微笑みながらカルナを見下ろしている。
ドワーフとしては丈の長いロングワンピースだったが、ノーラが着こめばふとももが大胆に露出するスカート丈になっている。
そんな服を着ていたら、普段のノーラなら恥ずかしがっていつも通りの微笑みなど出来ないはずだ。だというのに、彼女の笑みは普段のそれだ。普段のそれで、ただただ静かに正座するカルナを見下ろしている。
「ええ――何か?」
想った以上に冷たい声が出たな、と自分でも思う。
カルナの表情が恐れですごく引きつっているが、それを緩ませる気は現状ノーラには存在しない。
「ええ、っと――せっかく来てくれたのに、色々申し訳ないことをしました。ごめんなさい」
「……別に、吐いたことは問題じゃないんですよ。いえ、問題は問題ですけど! ええ、重要な問題じゃあありません!」
頬がぴくぴくと動き始め、声音に荒さが混じり始める。
抑えきれない怒りとか怒りとか怒りとか、あと怒りがふつふつと漏れだしていく。
ノーラは怒っていた。それはもうとても。無言で手を出さなかったのが不思議なくらいだ。
別に、カルナが吐いたから、そして自分がそれを浴びてしまったから、ここまで怒っているワケではない。
どうしても間に合わなくてこの結果なら――まあ許そう。笑って許すとまでは言わないが、ここまで怒らない。
「でもですね、カルナさん。最初、吐きそうになった時に辺り見渡しましたよね。その結果、なんでわたしに向けて吐くって選択肢を取ったのか、わたし、すごく、気になるんですよ」
そう、問題は。
吐く直前に辺りを見渡し、『飲み込むのは無理だからせめてどこかマシな場所で』と吐くべき場所を探していたというのに、なぜノーラに向けて吐くという手段を取ったのか、である。
「……怒らないかな?」
恐る恐る、という具合にカルナが問うた。
「理由にもよります」
ちゃんとした理由があって、どうしようもなかったら――まあすぐに怒りは収まらないかもしれないが、許す努力はしようと思う。
「えっとだね……近くにあった設計図や資料は、今後使う予定があるから駄目には出来ないと思って――」
「思って?」
「ノーラさんに吐きかければ、吐瀉物が床に落ちるまでのタイムラグが出来るかなと思って。その瞬間に書類を退避させようぶっ!?」
今、カルナの顔面に拳を叩き込んだのは、ノーラ・ホワイトスターという人間が気が短いからではないと思いたい。
「カルナさん! あなたね、あなたねぇ! 確かに頑張って作ったモノを汚したくない気持ちは分かりますけど、分かりますけどぉ!」
「ごめんごめん本当にごめん! さすがに頭沸いてたと自分でも思う!」
「――どうでもいいんだがよ」
カルナに掴みかかるノーラの背後から、放物線を描いて何かが飛来した。
慌ててカルナは手を伸ばし、それを受け止める。
怪訝に思い、それを注視してみると――それは金属の筒を木材で一部を覆った『杖』のような物体だと分かった。
(いえ、これは――)
カルナが言っていた『筒』だな、とノーラは理解する。
知識の無い身であるためカルナの説明を聞いても完全に理解はしていなかったが、それでも大体の形は想像出来る。
いくつか変更した部分もあるようだが、クロスボウのようにトリガーを引き杭を射出する、という基本構造は変わっていない。
だが、知識の無いノーラでもよく分からない変化があった。
杭を射出するための金属の筒。それが、二つ連なって8の字の形をしているのだ。上段部分は貫通しており、下段部分は奥が塞がっているようだ。
カルナはそれを真剣な目で見つめると、小さく頷いた。
「……僕の見た限りじゃ問題ないかな……アトラさん、粉末が欲しいんだけど、どこにあるかな」
「カンパニュラさん、どうぞ」
アトラが差し出したのは、ノーラがこの工房に来た時、彼女が片付けていた物の一つだった。
それは、瓶の中に詰められた赤い粉末である。
「ありがとう、助かるよ」
受け取ったカルナはその粉末を下段の筒の中に投入する。
次に杭だ。先端の尖ったそれを筒の中に入れると、筒を地面と水平にするように構えた。
「さて……」
トリガー近くに存在する金属の止め金具に、細い糸を挟み、それに火を付ける。じじっ、と何か油でも染み込ませているのか火は赤々と燃えた。
カルナが狙うのは、飾られた金属鎧だ。もう何度も的代わりに使われたのか、所々がへこみ、傷つき、穿たれている。
それを怨敵を睨み付けるようにじっ見つめるカルナは、ぐいっ、とトリガーを引き絞った。すると上部に存在する止め金具が動き、燃える糸が内部に存在する粉末に押さえつけられ――
音が、鳴った。
獣の咆哮めいた、しかしそれとは全く別の音。
すぐ近くで鳴った轟音に頭をくらくらとさせながら、ノーラはそれを見た。
カルナが見つめていた鎧。その胸部に穴が穿たれているのを。カルナが手に持つ筒から発せられる煙を。
「――問題なし、と。これで連射も出来れば最高なんだけど」
「無茶言うな無茶。もっと粉末と杭を洗煉して簡略化出来て、しかも部品の精度が安定しねえと無理だな。下段の方はしばらく単発でやるっきゃねえよ」
満足そうに頷いたカルナは、アトラがお兄ちゃんと言った――たぶん、ここの責任者なのだろう――と話を始める。
ついさっき自分と交わしていた会話とは違って、真面目であり真剣は話だ。正直、魔法も鍛冶も分からないノーラには、欠片も理解できない。
だが、少なくともカルナが全力で取り組んでいることだけは伝わってくる。そう、何が何でもこの『筒』を完成させ、他の皆と並び立とうという強い気持ちが。
(仕方ないな、もう)
そんな表情を見てしまったからか、先程まで胸にあった怒りなどは――まあ、全て消えたワケではないものの、急速に薄れていった。
自分でも「ちょっと甘いかも」と思うものの、しかしこれだけ真剣に取り組んでいるモノの資料や設計図なのだ。吐瀉物塗れにして読めなくなるのは、さすがに避けたいだろう。
無論、「だったらもっとちゃんと整理しときましょうよ」とか、「そもそも酒飲みながらやるのは如何なものでしょうか」などとは思うが――まあ仕方ないと思っておこう。
ふう、と溜息を吐くと、屈んで地面に散乱した資料や設計図を拾い集める。さすがに素人が整理するワケにはいかないけれど、ずっと床に置きっぱなしというワケにもいくまい。カルナが話している間に拾い集めて、詳しい人に整理してもらおう。
そう思って何枚かの紙を拾い集め、ふと、違和感に気づく。
(あれ? 会話が途切れてる……?)
先程までされていた会話も、作業する音も聞こえてこない。聞こえるのは、ノーラ自身が紙を拾い集める音だけだ。
なんだろう、さっきまであんなに熱心に話をしていたというのに。
そして、なぜだか妙に視線を感じるのだ。怪訝に思い見上げてみると、カルナはもちろん、彼と話していた工房長。そして起き上がったらしい他のドワーフたちもじいっ、とノーラの方を見ているのだ。
その視線から『何やってるんだコイツ』という感情が読み取れたら、自分が変なことをしているのだと思い作業を中断して謝るのだが、そういうワケでもないらしい。
どちらかと言えば、女友達が宝石やアクセサリーを食い入るように見つめている時の視線と似ているような気がする。教会で生活していたノーラと友人はそういった物を買えるほど金銭に余裕がなく、治癒のために他の町に出た時に、せめて記憶に刻み込もうとじっくりと見つめていた覚えがある。
「……ノーラさん、その……」
チラチラとこちらに視線を送るカルナが、言いづらそうに口を開いた。
「はい。どうかしましたか?」
「……普段と同じ服装じゃない、ってことを思い出した方がいいと思う」
カルナの言葉に、思わず首を傾げる。
確かに、今のノーラはアトラに借りたワンピースを来ている。普段よりもかなり短いスカート丈になり、着る時に少し恥ずかしかった覚えがある。
だが、それが一体――
「あ……」
――その普段より短いスカートの丈だっていうのに、自分は今、どんな体勢を取っているだろうか。
慌てて視線を下に向けると、薄桃色が見えた。
ワンピースの色合いでも、靴下の色でも、ましてや肌の色でもない。
質素ながら可愛らしい装飾が施されたそれを、人はパンツと呼ぶ。短すぎるスカートの丈はその奥にあるモノを隠すという仕事を完全に放棄しており、ノーラの股を覆うパンツを余すこと無く周囲に晒している。
「き――ぁ、わ、わ、わっ!?」
慌てて立ち上がるものの、その勢いでスカートが勢い良く翻る。
声にならない声を上げながらスカートを抑え、ようやっとスカートは本来の役目を果たした。
沈黙の帳が、工房サイカスの中で降りた。遠くから響く他所の作業音が、妙に大きく聞こえる。
「……か、覚悟は出来てるけど……アバラ何本くらいで許してくれるかな?」
沈黙を破ったのはカルナだった。恐る恐る、といった具合にノーラに問いかける。
しかしノーラは顔を赤くしたまま、首を横に振った。
「い、いえ――無理やり覗いたならまだしも、これはわたしの不注意ですし……それで怒ったり、殴ったりするのは……」
「う、うん。そっか……」
再び沈黙する。なんて言っていいのか、分からないのだ。
そんな中、アトラが「なるほど」と唐突に頷いた。得心が行った、と言うような晴れ晴れとした顔だ。
「……これが男を魅了するテクニック。アトラ、覚えた」
「待って違う待って待ってそういうのじゃないんですよぉお!」
「でも、カンパニュラさん、熱心に見てた――名前知らないけど、あざとい人」
「あざとっ!? 違いますよ違いますってばぁ!」




